追い出された白猫姫は、王太子にお猫様として溺愛される

第二十六話 その猫が、本物の公爵令嬢です

 魔女の顔に、いくつもの感情が入り混じった。
 恐怖、苛立ち、焦燥、そして——どこかで何かが切れた気配。

「弁明!?」

 声が変わった。
 優雅な令嬢の声ではない。
 本来の、魔女の、刺々しい声だ。

「弁明って何!?猫一匹にここまでされて、弁明?あの猫がいなければ全部うまくいっていたのに!殿下の心を掴む前にあの猫が邪魔をして、侍女たちを籠絡して、王妃様まで取り込んで……!」
「落ち着け」

 殿下が言った。
 けれど魔女は止まらない。

「落ち着けるわけがない!あの猫のせいで全部が——」

 魔女が立ち上がる。
 腕を伸ばし、殿下の腕の中にいるミレイユを指差した。

「その猫は猫じゃない!こいつは魔法で猫のふりをしている化け猫よ!殿下は騙されていらっしゃるのに!!」

 執務室が、しんと静まり返った。
 王妃が息を呑み、侍従たちが顔を見合わせる。
 王様だけが、表情を変えなかった。

「そうよ!魔法で猫に変えたの、私が!私こそが!!本物のミレイユ・ド・ブランシュフォールになるために!」

 喋り始めたら、もう止まらなかった。
 五年間抱えてきた執着と計画が、怒りと一緒に溢れ出してくる。

「アドリアン殿下のお傍にいられるのは私のはず!殿下は私のものになるべき御方で、そのためなら何だってするつもりで、五年間ずっと計画してきたのに——」
「それは、すべて本当のことか」

 王様の声が、静かに割って入った。

 魔女がぴたりと口を閉じた。
 王様が一歩前に出る。
 その顔は険しいというより、冷たかった。
 怒りを通り越して、事実だけを確認しようとする顔。
 王である前に、裁く者の顔だった。

「公爵令嬢を猫に変え、自分がその場所に成り済ました、ということか」
「……」
「答えろ」

 魔女の肩が震える。
 何も答えない。
 けれど、その沈黙こそが何よりの答えだった。

 沈黙が長く続いた。
 殿下の腕の中で、ミレイユも動けなかった。
 耳は伏せたまま、ただ殿下の鼓動だけを感じている。
 すべてが、今、露わになった。

(これで……これで、終わりにできる)

 そう思う一方で、胸の奥には複雑なものもあった。
 自分のことが、殿下を騙していた、という形で暴かれた。
 ようやく本当のことが伝わった。
 でも殿下は今、どんな顔をしているのだろう。
 見たいのに、怖くて見られなかった。

「ミィ。お前が……ブランシュフォール公爵家の令嬢か」

 殿下の声がした。
 低く、静かな、でも確信を帯びた声だった。

「ニャア(……はい)」

 それだけしか答えられなかった。
 殿下の腕が、わずかに強くなる。
 落ち着かせるみたいに、逃がさないみたいに。

「証人を」

 王様の短い命に、空気がまた動き出した。
 侍女長が最初に口を開く。

「侍女たちから複数の証言を受けております。ミレイユ様——こちらにいらっしゃる方が、侍女に対して大変横柄な態度を取られていたこと。廊下での言動、命令口調での無礼、感情的な物言い。これらは入宮当初から継続的にあったと」

 声は冷静で、余計な感情が一切ない。
 だからこそ重かった。
 王妃が静かに頷いた。

「私も、何度か気になることがありました。言葉の端々や、侍女たちへの視線に、違和感を覚えることがございました」
「お猫様に対する所業については、私が直接目にしました」

 侍従が進み出る。

「ミレイユ様がお猫様を首根っこで掴まれるところを。それ以前も、廊下でお猫様を遠ざけようとする場面を目にしております」
「いつだったか、庭でお猫様を見かけた際に、ミレイユ様が大変険しい顔でこちらへ近づいてこられたことがございます。わたしが間に入ったので事なきを得ましたが」

 庭師も呼ばれた。
 彼も帽子を胸に抱えたまま、一歩進み出る。

「白猫を見つけた際、あのお嬢様だけ、ひどく強い目で睨んでおいででした。他の方々とは明らかに違いました」

 証言がひとつずつ積み重なっていく。
 どれも派手ではない。
 けれど、静かな違和感ばかりが重なって、ひとつの形になっていく。
 偽ミレイユ——魔女——は立ち尽くしたまま、その間じゅう小刻みに震えていた。

「変身魔法について、魔術師を呼んで鑑定させる」

 王様が言う。

「その猫が人間に変身魔法をかけられているなら、魔術師にはわかる。嘘なら嘘で、その嘘の責任を取ってもらう。本当なら本当で……」

 王様の視線が、魔女に向いた。

「王家に対する欺瞞、令嬢への危害、宮廷への不法侵入、そのすべての責任を取ってもらう。宮廷魔術師を今すぐ呼べ」

 王様の言葉に、侍従が走った。

 宮廷魔術師は、七十代の小柄な老人だった。
 深夜に呼び出されたにもかかわらず、髪も衣もきちんと整っている。
 王様に一礼し、状況をひと通り聞いてから、ミレイユを見た。

「ほう……見せてください、お嬢さん」

 その呼び方に、ミレイユの耳がぴくりと動く。
 猫ではなく、お嬢さん。
 それだけで胸が熱くなった。

 宮廷魔術師が近づいてくる。
 ミレイユは殿下の腕の中でじっとしていた。
 老人の手が、ミレイユの頭にそっと置かれる。
 何か——温かい何かが、体の芯を静かに通り抜けた。
 水のようでも、光のようでもある、不思議な感触だった。

「なるほど。なるほどなるほど」

 宮廷魔術師が手を離した。

「強制変身の魔法がかかっています。かなり強力なものです。術者の魔力は……あなたですね。これをかけたのは」

 宮廷魔術師が、俯いた魔女の方を向く。

「間違いありません。魔力の痕跡が一致します」
「解けるか」

 王様の問いに、宮廷魔術師が頷いた。

「術者本人に解かせれば解けます。あるいは、わたしが強制的に解くことも……ただし、成功率はやや落ちますし、対象への負荷も大きくなります」
「術者に解かせる」
「っ!誰が解くものですか!!!一生猫でいればいいのよ!!」
「ニャッ!?(そんなっ)」

 やっと、ここまで来たのに。
 すべてが露見したせいで、かえって魔女が頑なになるなんて。

「構わん。捕まえて地下牢に放り込め!魔封も忘れるな!」
「くっ!離せっ、はなっ……!!」

 魔女が何か呪文を唱えようとする。
 けれどすぐに衛兵が腕を押さえ、口を塞いだ。
 見慣れた自分の顔が、怒りと恐怖に歪んで取り押さえられていく。
 偽物とはいえ、自分の見た目をした誰かがそうされるのを、ミレイユは複雑な気持ちで見つめた。

 怖い。
 でも、終わらせなければならない。
 その両方が胸の中にあった。

「心配するな。必ず元の姿に戻してやる」
「ニャァ……(はい……)」

 殿下が、なだめるように言うと、首の後ろをそっと撫でられる。
 乱れた毛を落ち着かせるような、優しい手だった。
 その手だけが、ミレイユの心を確かに安心させてくれた。

 もう少しだ、と。
 そう言われた気がした。
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