オタクな秘書の攻略方法〜来る者拒まず去る者追わずだった同期に一途に溺愛される
第44話 仮面が剥がれる夜
21時30分。
レセプション会場の撤収作業がすべて終わり、常務の送迎車を見送った真白は、ようやく長い一日から解放された。
誰もいない、消灯された役員フロアの給湯室。
真白はステンレスのシンクに両手を突き、深く、深く息を吐き出した。
「お疲れ様でした……」
ぽつりと呟いた自分の声が、小さく震えている。
張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、完璧な秘書の仮面の下から、せき止められていた激しい動揺と寂しさが一気に溢れ出してきた。
(神尾さんは……本当に、来るもの拒まずで、色んな女性と……)
美咲の言っていた言葉が、呪いのように頭から離れない。
彼の「初めて」を自分が独占できていると信じていたわけではない。
けれど、彼が実は自分と出会う前まで、不特定多数の女性と割り切った関係を重ねていたという事実は、恋愛未経験の真白にとって、想像以上の凶器となって心を切り刻んでいた。
「乾さん」
突然、背後から声をかけられ、真白は肩を強張らせて振り返った。
給湯室の入り口に立っていたのは、ジャケットを手に持ち、ネクタイを乱暴に緩めた蓮だった。
その表情には、いつものスマートな余裕など1ミリもなく、酷く焦燥し、追い詰められた男の顔をしていた。
「神尾、さん……。どうしてこちらに。業務はすべて終了したはずですが」
真白はとっさに、いつもの冷徹なビジネススマイルを作ろうとした。
「頼むから、もうその顔をしないでくれ」
蓮が痛々しそうに顔を歪め、一気に距離を詰めて真白の両肩を掴んだ。
「あの会場で、乾さんが完璧な秘書として俺の前に立ったとき……血の気が引いた。俺を責めてくれた方が、まだマシだった。……乾さん、違うんだ。緑川の言っていたことは……半分は事実だけど、違うんだ」
「何が違うんですか」
真白は、彼の大きな手のひらをそっと、けれど明確に拒絶するように押し返した。
その冷たい拒絶に、蓮の手が力なく落ちる。
「神尾さんの過去の生き方を、私がとやかく言う権利はありません。否定もしませんし、お説教をするつもりもありません。神尾さんが自分で決めて、生きてきた結果なのですから」
「乾さん……」
「でも……」
真白の瞳から、ついに我慢していた涙がぽろぽろと零れ落ちた。
完璧な仮面が、音を立てて崩れ去る。
「私は、神尾さんしか知らないんです。手を繋ぐのも、キスするのも、全部が私にとっては大切で、初めての特別なんです。なのに……神尾さんにとっては、私は、あの人たちと同じ……『その他大勢』のひとり、なんですか?」
言葉にすると、余計に惨めだった。
埋めようのない経験の差。
彼が他の女性たちと重ねてきた甘い時間の数々が、真白の心をどうしようもなく寂しく、悲しくさせる。
「そんなわけないだろ!」
蓮は、拒絶されるのを覚悟で、真白の体を強く、壊れそうなほど優しく抱きしめた。
「頼むから、そんなこと言わないでくれ。乾さんは、その他大勢なんかじゃない。……緑川と別れてから、俺は誰のことも信じられなくなった。深く関わって、また裏切られるのが怖くて、心を空っぽにして、来るもの拒まず去るもの追わずで、中身のない関係ばかり重ねてた……。本当に最低な事してた」
蓮は真白の肩に顔を埋め、絞り出すように声を震わせた。
「でも、乾さん。君にだけは、最初からどうしても仮面が通用しなかった。俺の凍りついた心を、乾さんが無邪気な笑顔で、強引にこじ開けてくれたんだ。……乾さんは、俺の人生で、初めて本当に愛した人なんだ。お願いだから、過去の亡霊と一緒にしないでくれ……」
抱きしめる彼の体から、本気の焦りと、真白を失いたくないという痛切な熱が伝わってくる。
その温もりに包まれながら、真白は涙を流し、彼の背中にそっと手を回した。
かつて負った深い傷のせいで、心を閉ざしてしまっていた蓮。
そして、その過去を知って初めて自分の「独占欲」と「切なさ」に気づいてしまった真白。
夜の暗い給湯室で、二人はそれぞれの痛みを抱えながら、お互いの体温だけを必死に求め合っていた。
レセプション会場の撤収作業がすべて終わり、常務の送迎車を見送った真白は、ようやく長い一日から解放された。
誰もいない、消灯された役員フロアの給湯室。
真白はステンレスのシンクに両手を突き、深く、深く息を吐き出した。
「お疲れ様でした……」
ぽつりと呟いた自分の声が、小さく震えている。
張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、完璧な秘書の仮面の下から、せき止められていた激しい動揺と寂しさが一気に溢れ出してきた。
(神尾さんは……本当に、来るもの拒まずで、色んな女性と……)
美咲の言っていた言葉が、呪いのように頭から離れない。
彼の「初めて」を自分が独占できていると信じていたわけではない。
けれど、彼が実は自分と出会う前まで、不特定多数の女性と割り切った関係を重ねていたという事実は、恋愛未経験の真白にとって、想像以上の凶器となって心を切り刻んでいた。
「乾さん」
突然、背後から声をかけられ、真白は肩を強張らせて振り返った。
給湯室の入り口に立っていたのは、ジャケットを手に持ち、ネクタイを乱暴に緩めた蓮だった。
その表情には、いつものスマートな余裕など1ミリもなく、酷く焦燥し、追い詰められた男の顔をしていた。
「神尾、さん……。どうしてこちらに。業務はすべて終了したはずですが」
真白はとっさに、いつもの冷徹なビジネススマイルを作ろうとした。
「頼むから、もうその顔をしないでくれ」
蓮が痛々しそうに顔を歪め、一気に距離を詰めて真白の両肩を掴んだ。
「あの会場で、乾さんが完璧な秘書として俺の前に立ったとき……血の気が引いた。俺を責めてくれた方が、まだマシだった。……乾さん、違うんだ。緑川の言っていたことは……半分は事実だけど、違うんだ」
「何が違うんですか」
真白は、彼の大きな手のひらをそっと、けれど明確に拒絶するように押し返した。
その冷たい拒絶に、蓮の手が力なく落ちる。
「神尾さんの過去の生き方を、私がとやかく言う権利はありません。否定もしませんし、お説教をするつもりもありません。神尾さんが自分で決めて、生きてきた結果なのですから」
「乾さん……」
「でも……」
真白の瞳から、ついに我慢していた涙がぽろぽろと零れ落ちた。
完璧な仮面が、音を立てて崩れ去る。
「私は、神尾さんしか知らないんです。手を繋ぐのも、キスするのも、全部が私にとっては大切で、初めての特別なんです。なのに……神尾さんにとっては、私は、あの人たちと同じ……『その他大勢』のひとり、なんですか?」
言葉にすると、余計に惨めだった。
埋めようのない経験の差。
彼が他の女性たちと重ねてきた甘い時間の数々が、真白の心をどうしようもなく寂しく、悲しくさせる。
「そんなわけないだろ!」
蓮は、拒絶されるのを覚悟で、真白の体を強く、壊れそうなほど優しく抱きしめた。
「頼むから、そんなこと言わないでくれ。乾さんは、その他大勢なんかじゃない。……緑川と別れてから、俺は誰のことも信じられなくなった。深く関わって、また裏切られるのが怖くて、心を空っぽにして、来るもの拒まず去るもの追わずで、中身のない関係ばかり重ねてた……。本当に最低な事してた」
蓮は真白の肩に顔を埋め、絞り出すように声を震わせた。
「でも、乾さん。君にだけは、最初からどうしても仮面が通用しなかった。俺の凍りついた心を、乾さんが無邪気な笑顔で、強引にこじ開けてくれたんだ。……乾さんは、俺の人生で、初めて本当に愛した人なんだ。お願いだから、過去の亡霊と一緒にしないでくれ……」
抱きしめる彼の体から、本気の焦りと、真白を失いたくないという痛切な熱が伝わってくる。
その温もりに包まれながら、真白は涙を流し、彼の背中にそっと手を回した。
かつて負った深い傷のせいで、心を閉ざしてしまっていた蓮。
そして、その過去を知って初めて自分の「独占欲」と「切なさ」に気づいてしまった真白。
夜の暗い給湯室で、二人はそれぞれの痛みを抱えながら、お互いの体温だけを必死に求め合っていた。