奇跡を起こすソーダ水
Chapter1 炭酸と幸人
2026年12月4日の北海道、札幌市。日本有数の寒冷地である北海道では各地で雪が積もる。北海道の中では過ごしやすい地であるが、そんな中でBAR『零度』を営む一人の女性がいる。
カランカラン……
「あら、いらっしゃい……」
女性のような声で喋っているが、どこか野太い男性のような声。身体つきと容姿は完全に女性に見えるのだが、実は男性だ。彼の名前は氷川 幸人(28)。つまり男の娘である。表の顔はバーのマスターであるが、裏の顔は——
カラカラ……シュワシュワ……コトン……
店の定番は0度に冷やしたソーダ水を使ったカクテル。
「ちゃんと酔えるやつだろうな!?」
「ええ……それは気持ち良く酔えますよ……」
ゴクゴク……
「永遠に……」
ゴトン……!
「カ……カカ……お前、何したんだ……!?」
「お馬鹿さん……氷が沈んだドリンクは飲んじゃいけませんよ?とは言っても、杜撰な死体処理しかできない殺人犯には気づけませんでしたか……?」
彼は一体何を言っているのだろうか?それよりも問題はドリンクを飲んでしまった男性客だ。
「俺が殺人犯って、何の話だよ……!?」
「男って素直じゃないわね?あなたは紛れもない殺人犯……酒井 修さんじゃないですか……」
「……!?どうしてわかった……!?」
カランカラン……
「このソーダ水……あなたが飲んだら悪夢を呼びましたね……残念ですが、受け入れてください……」
「カカ……」
コン……
やはりこれだわ……人を効率良く消し去ることができるのは毒殺だわ!
コツ……コツ……
「相変わらず仕事が早くて助かるよ……幸人君……」
「あらぁ……僕は女の子として生きるって決めたのに君はキツいよぉ……?まあ今回もお願い!」
彼の前に現れたのは、ハットをかぶって葉巻を咥えた中年男性。どうやら彼のことをよく知っているようだが——
コトン……
「これいつものだわ」
ゴクゴク……
「ふん……私には入れないようだね?」
「あなたには入れる価値がないもの……殺す価値も……」
「いつまでそう言っていられるか、やはり見ものだよ」
幸人という人間は何に興味があるのか、何が好きなのかが、当然だが現時点で全く見えない。
「それより最近の連続殺人事件……目を通してくれたかい?」
「見ても答えは変わらないわ。僕はもう関わらないって決めたから……」
「ほう……あくまで君は無関係。っていうことに変わりはないってことか?その割には私刑を繰り返しているようだな?」
「僕は誰に命令されたわけでもない……ただのフリーの殺し屋よ。あなたには関係ないわ」
氷川幸人は殺し屋なのか?確かに今、酒井修という殺人犯を毒殺した。表社会の人間とはとても言えない。
「君も飲むか?」
「あら嬉しい!じゃあ僕はいつものソーダで」
カランカラン……シュワシュワ……
「やっぱりいつも飲ませてくれるあなたは、嫌いじゃないわ……」
いきなり野太い声で『嫌いじゃないわ……』と言う彼だが、何か因縁の仲なのか?
ゴク……ゴク……
彼のお気に入りはブルーキュラソーのソーダ割り。そもそも大の炭酸好きで水分補給でも炭酸水を飲むほどだ。
「忠告はしておく。たとえ家族が表社会の人間でも、君の正体がバレたら後ろ指を差されるだろうな……」
「フフフ……そのときはそのときよ。僕は今ある人生の中で幸せを探したいの。あなたがいない人生をね……」
「そうか……まあ気が変わったら連絡してくれよ。釣りはいらない」
男の正体はわからないが、どうやら彼のことを気に入っているようだ。金をいつも多めに払っていることから、恋愛対象として見ているようにも感じる。だが彼は殺し屋から足を洗った男の娘。女性として生きるために性転換手術も考えている。男らしい身体つきになれなかったことで親にも拒絶された彼は、自分のコンプレックスを捨てたい一心で殺し屋になった。今は殺し屋じゃないにしても、僕には家族としてやるべきことがある。僕のせいで止められなかった、可愛いあの子を……
翌日の夜。大型ゲームセンターの『プレイベースZERO』では——
ヒュン……!ブォン……!
「ちくしょう……また外しちまった!」
夜22時。一人の男がバッティングセンターで遊んでいる。彼女らしき人を連れているが、どうやら空振りの連続でイライラしているのか、空振りするたびにバットを地面に叩きつけている。
ゴンッ……!
「ちょっとあなた……そんなことしたら他の人に迷惑よ……」
「うるせえ黙れ!」
「うぅ……!」
ヒュン……!ブォン……!
「クソ……全然打てねえ……!」
カキーン……!
「ああ……?」
隣の打席から特大ホームランのような音が鳴り響いた。白いコートを着た女性がホームランを連続で打っている。
カキーン……!
「ふう……なかなかいい運動になったわ……」
その女性はバットを指定の位置に置くと、ポケットからハンカチを出して額の汗を拭いた。その姿を眺める男は——
「おい……こいつなかなかの身体つきじゃねえか?こいつと遊ぶのも悪くねえな……」
「ちょっとダメよ……!?」
コソコソ……トントン……
「なあ姉ちゃんよ?」
「あら?何かしら……?」
「俺らちょっと暇しててよぉ……悪いが相手になってくれねえかな?」
後ろの女性はブルブルと身体を震わせている。しかも真冬なのに裸足にクロックス、それに上着はパーカー1枚。明らかにまともな装いじゃない。だが、彼は女性の顔に見覚えがあった。
「何ですかあなた……?」
黒髪のショートボブで高身長の美女。欲求不満の男なら食いつくのも無理はない。
「あらやだぁ……さっきまであなた、バットを地面に叩きつけていたじゃない?僕乱暴な人は嫌よ……?」
「僕っ子か?なかなか唆るじゃねえか?」
気づいているか?白いコートを着た女性の正体は、あの氷川幸人だ。彼は女性の方に見覚えがあったため、男の目的をすぐに察した。
「でも大丈夫なの?僕28歳よ?」
「問題ねえよ!確かに胸はぺしゃんこだが、お前なら十分売れる……」
「売れるって何よ……?やめて!」
ここはわざとらしく、怯える演技をしてバッティングセンターを出た。すると入口で待ち構えていた男たちが数名集まってくる。
ゴソ……ゴソ……
「逃げてください……!」
包囲される彼を見て女性が叫ぶ。だが外に出れば気温はマイナス5度。寒さで身体を痛そうにしている。
パチッ……
彼は女性に向けてウインクをした。そもそも話しかけられた時点で男の目的はわかっている。ここはあえて捕まってみるのも手段の一つ。
「車に乗れ!」
「ダメよ!早く逃げて……キャッ!?」
「黙れこいつ……次抵抗したら札幌に裸で放置してやるからな」
2人は抵抗できず車の後部座席に乗せられる。彼の隣に座る男が胸を触るが——
「やっぱりお前胸ねえな……?」
彼はホルモン注射をしていないため、胸は女性のように膨らまない。だがブラジャーをしているためか、完全に女性と勘違いしている。車の中から外は見えるのだが、外からは見えないスモークフィルム。まさか自分から『炭酸の微笑』を招き入れてしまうとは……
1時間後。
ガタン……!
「姉貴!新しい子連れてきました!」
「ああ……ご苦労さん。てか連れてくるの遅すぎじゃね?」
部屋に入って目に飛び込んできたのは一人の女。黒髪に紫のインナーカラーを入れてかなり派手目で、アクセサリーの主張が強すぎる。
バタン……!
突然土下座をすると——
「すみません!この女が抵抗するもんで……手こずってしまって……!」
「お前さぁ……こっちは高い金払ってんだよ……女くらい、さっさと連れてこいよ!」
ドガッ……!ドスッ……ドスッ……!
「うぅ……!?すみません!すみません……!」
一体何者だこの女は?自分よりも身体の大きい男にすら暴力を振るっている。それもかなり酷い。やがて男は立てなくなるくらいボロボロになった。
コツ……コツ……
「なあお前、新しい女だよね?早速なんだけどさ、ゴムにピルなしの生だから?覚悟しておいてよ」
「あの……一体何するんですか?」
「このカメラ見てわかんない?無修正動画の撮影よ。てかあんた名前は?仕事は何よ?」
「氷川です……仕事は、バーで働いています」
「氷川ね?バーテンダーやってんだ?じゃあ私に酒作ってよ」
その瞬間彼の目が一気に輝いた。
「炭酸はお好きですか?」
「何でもいいわ……」
彼は差し出されたグラスに氷を入れ、周囲の酒を探す。ウイスキー、ウイスキー……
「あった……」
彼はいくつかあったウイスキーボトルから『メーカーズマーク』を選び、濃いめになるように注ぐ。この種類は45%とウイスキーの中では度数が高い。すると持参していたソーダ瓶の栓を開けて注ぐ。
シュワシュワ……カラン……
「どうぞ……」
「やっぱ気が利くじゃん?」
ゴク……ゴク……
「フフフ……」
確かに濃いめには作った。だが飲んでから数分すると、酔いが回ったのか顔を真っ赤にしてスピンした後に倒れ込む。
ガコン……!
倒れ込んだ拍子にテーブルの角に頭をぶつけ、酔いと痛みで気を失った。物音を聞きつけて駆けつける男たち。
「姉貴!?おいお前!姉貴に何をしたんだ!?」
「わかりません……!お酒を飲んでいたら倒れたんです!?」
「ああ……おいあれだよ……姉貴いつも飲みすぎるから、いつものことじゃねえか?」
「いやむしろラッキーだったか……」
どうやら普段から酒癖が悪いようだ。気を失った女を見て安心した表情すらうかがえる。実は彼が持参していたソーダ水は、既にアルコールがかなり含まれていたのだ。それなら味でわかるのではないかと思うかもしれないが、砂糖に果汁を入れて味を調整していたため、飲んだだけでは気づけるはずもない。45%のウイスキーに、20%のアルコールを含むソーダ水で割ったのを一気飲みしたら、血中アルコール濃度が高くなる。
「おい!お前の番がやってきたぞ!言う通りにしたら帰してやる!」
次に撮影されるのは自分か?僕の裸なんて見たら、ガッカリすること間違いないのに……
「いい……今行きます……!」
彼はコートを脱いでマフラーを外すと、近くのハンガーにかける。そのまま倒れた女を見下ろしながら——
「あなたは後よ。覚悟しておきなさい」
その頃ちょうど日付が変わり、12月5日。
「カメラの用意OK!」
カメラを構える男が数名。そして相手と思われる小太りの中年男性。だが全身に刺青を刻んでいて裏社会の人間が出す雰囲気が全開だ。すると——
「実は、僕もタトゥー入っているんだ……」
「タトゥーか?面白え……」
「これだけど……」
彼は左の下腹部、おへそに近い辺りにソーダ瓶と炭酸の泡、雪の結晶のタトゥーを刻んでいる。反社の人間ならそのタトゥーを見ると、彼の正体が『炭酸の微笑』であることに気づくはずだが、どうやら気づいていない。
「なかなかイカした柄じゃねえか?じゃあそのまま全部脱いでもらおうか?」
「はい……」
彼は言われるがままセーターとスキニーパンツを脱ぐ。女性用の下着を着用しているが、徐々に彼が女性でないことに気づいていく。
「おいお前……!まさか女じゃねえな!?」
身体つきこそ女性らしいが、胸の張りが全くないのと、股間の膨らみを見て段々と疑いの目を向ける。
「お前ニューハーフか!?」
突然明らかになる正体にカメラを構えるどころではなくなる。
「失礼ね?僕は男の娘よ、男の娘!それで僕の名前は、氷川幸人……」
彼は気づいていた。この事務所では年端もいかない女性や綺麗な女性などを騙し、性行為の無修正動画を撮影してネットにばら撒いていると。バッティングセンターで見覚えのあった女性は、一度動画の中で見たことがあったからだ。彼は正体がバレると颯爽と脱ぎ捨てた服を再び着た。
「あなたたちが撮影した動画を全部消すのなら見逃してあげるわ……」
「はぁ!?消すわけねえだろ!こいつ……おい、やっちまえ!」
氷川幸人のバトルスタイルの一つ。集団戦に強い『零度』は、殺人拳と回転技を巧みに織り交ぜた彼独自の戦闘スタイルだ。
「死ねや!」
自分よりも細い相手に油断しているように見えるが、さすが裏社会の男たち。素早い動きだが、彼はそのままパンチを受け流し——
ヒュン……ドスッ……!
「グガァ……!?」
受け流したパンチがそのまま他の男に当たり、同士討ちのように倒れ込む。氷川幸人の恐ろしさは、細い身体から出せるとてつもないパワー。流れに乗るように、彼はダメージを負うこともなく残りの男を倒していく。その頃、気を失っていた『姉貴』と呼ばれる女が目を覚ます。
「うぅ……!?どうなってんだよこれ……!?」
「あら?随分と遅いお目覚めだわね?」
「これお前がやったのかよ!?氷川……!」
「ところであなた、どうしてここまで男たちに強気になれるのかしら……?何かすごく引っかかっちゃうな……」
大体のことは想像がつくが、これだけの組織を仕切れる上に姉貴と呼ばれているあたりから、何か大きな後ろ盾があるに違いない。
「あなたは女の子たちを騙して、無修正動画を撮って拡散していたみたいね?間違いないかしら?」
「フン……だったら何だよ?私のバックには政財界がいるのよ!お前なんてすぐ消され……」
ドスッ……!
「イダァ……!?」
彼のパンチ一発で前歯が折れる。
「黙りなさい!あなたは同意も得ていないのに女の子にデジタルタトゥーを刻んだのよ!」
「この野郎……おっぱいない女が私に説教たれやがって……!」
「フフフ……次は説教じゃなくて、調教に変わっちゃうわ……それに僕の本名はね、氷川幸人よ」
「氷川幸人……?ってまさか!?あの炭酸の微笑……!?何でこんなとこに……!?」
「でもあなたは可愛いわね?殺さないであげるけど、この事務所はもう捨てなさい?名前を教えてくれるなら、調教もしないであげるから……」
「百田 瀬奈です……!」
少し圧をかけただけで正体をバラしてしまうとは。この程度の度量で裏社会の組織などまとめられるはずはない。
「あっそうだ、動画なら僕の友達のハッカーが全部消してくれたわ。よかったわね?自分で消す手間が省けたわよ?」
「クゥ……!」
「でももう、楽にお金を稼ぐなんて考えないようにね?じゃあね!」
コツ……コツ……
「お人好し……」
無防備に背中を見せて立ち去る彼は油断している。見逃してもらったのをいいことに、女は隠していたドスを突き立てる。そのまま突進するように突き刺そうとする!
「死ね!」
「フフ……」
ガシッ……グサ……!
「あぁ……」
「変な気さえ起こさなきゃ僕だって殺しはしないのよ?でもやっちゃったわね……残念だけど、受け入れなさい……?」
グサ……!バタンッ……
返り討ちに鳩尾を刺された女は力なく倒れた。返り血を浴びないよう、刺し殺すときの動作は最小限。
「フフフ……自分から寿命を縮めちゃったわね?」
そう捨て台詞を吐くと、ハンガーにかけてあったコートとマフラーを回収し、その場を後にした。これでばら撒かれた動画は全て消えたため、被害に遭った女性たちもしばらくすれば普通の生活に戻れるだろう。
コツ……コツ……
「僕にできるのは、ここまでよ……」
翌日の12月6日。
16時。零度では開店の準備のため、グラスを丁寧に拭き、板氷を美しい仕上がりに削る。
カランカラン……
「いらっしゃい……おっ、茜ちゃん!元気だった?」
「ちょっと早かったかな?幸ちゃんに会いたくなっちゃって!」
「いいわよ!好きなとこ座って!」
開店時間より少し早く訪れたのは火野 茜(32)。実は幸人の元妻なのだ。離婚理由は『一緒に歩いていると姉妹にしか見られないから』らしいが、離婚した今でも交流は続いている。
「幸ちゃん!いつものちょうだい!」
「かしこまりました!」
カラカラ……シュワシュワ……
彼女のお気に入りはジャックダニエルのソーダ割り。可愛い子同士お酒を飲みながら談笑する中、何か面白いものがやっていないかとテレビをつける。すると——
「最近はクリスタルミューズの報道ばっかりね?」
「そうね……何でもメンバー全員(7人)が北海道出身らしいわ」
2026年2月に結成されてから話題沸騰中の大人気アイドルグループ、『クリスタルミューズ』。センターの氷川 凪を中心に活動している。
——「ではここでセンターの氷川凪さんにインタビューです!氷川さんお願いします」
「はいどーもー!クリスタルミューズの氷川凪です!年齢は5×5です!」
クリスタルミューズは平均年齢23歳。『君と描くオーロラ』がオリコンチャート1位を獲得し、今や全国トップクラスのアイドルグループ。メンバー全員が北海道出身であることから、もちろん北海道民の誇りだ。
「いよいよ来週は東京ドームでライブですが、意気込みとファンの方々へのメッセージをお願いします!」
「はい!私たちの歌であなたたちの心を炭酸のように弾けさせてみせます!是非、皆様のご来場をお待ちしています!」
「お待ちしていまーす!」
パチパチパチ——
「ねえ幸ちゃん……」
「なあに?」
「この人さ、間違いなく幸ちゃんの妹ちゃんでしょ?」
「いいえ……僕に妹なんていないわ。氷川なんて名前、探せばいるんだから……」
そうは言われても『氷川』という姓はあるようでないようなもの。北海道出身というワードが出ると疑いたくもなる。だが彼は言えなかった。凪が自分の妹であることを。だがなぜ?
「でも……茜ちゃんにならいつか教えてもいいかも。僕、茜ちゃんのこと大好きだし」
「本当に?大好き……私だって大好きだけど、いっそのこと幸ちゃんも女になってレズカップルにでもなろうよ?」
「フフフ……でもまずは茜ちゃんに、幸せのソーダを飲ませてあげなきゃね?」
「幸せのソーダってまたその話ね?まあ幸ちゃんらしいわ……じゃあおかわりもらおうかな!」
「喜ん……で!僕ももらっていいかしら?」
「当たり前じゃん!幸ちゃんも飲も!」
すっかりハイテンションになった2人は酒を交わしながら、元夫婦のトークを楽しんでいる。だが彼の頭の中は、常に凪のことでいっぱいだった。
カランカラン……
「あら、いらっしゃい……」
女性のような声で喋っているが、どこか野太い男性のような声。身体つきと容姿は完全に女性に見えるのだが、実は男性だ。彼の名前は氷川 幸人(28)。つまり男の娘である。表の顔はバーのマスターであるが、裏の顔は——
カラカラ……シュワシュワ……コトン……
店の定番は0度に冷やしたソーダ水を使ったカクテル。
「ちゃんと酔えるやつだろうな!?」
「ええ……それは気持ち良く酔えますよ……」
ゴクゴク……
「永遠に……」
ゴトン……!
「カ……カカ……お前、何したんだ……!?」
「お馬鹿さん……氷が沈んだドリンクは飲んじゃいけませんよ?とは言っても、杜撰な死体処理しかできない殺人犯には気づけませんでしたか……?」
彼は一体何を言っているのだろうか?それよりも問題はドリンクを飲んでしまった男性客だ。
「俺が殺人犯って、何の話だよ……!?」
「男って素直じゃないわね?あなたは紛れもない殺人犯……酒井 修さんじゃないですか……」
「……!?どうしてわかった……!?」
カランカラン……
「このソーダ水……あなたが飲んだら悪夢を呼びましたね……残念ですが、受け入れてください……」
「カカ……」
コン……
やはりこれだわ……人を効率良く消し去ることができるのは毒殺だわ!
コツ……コツ……
「相変わらず仕事が早くて助かるよ……幸人君……」
「あらぁ……僕は女の子として生きるって決めたのに君はキツいよぉ……?まあ今回もお願い!」
彼の前に現れたのは、ハットをかぶって葉巻を咥えた中年男性。どうやら彼のことをよく知っているようだが——
コトン……
「これいつものだわ」
ゴクゴク……
「ふん……私には入れないようだね?」
「あなたには入れる価値がないもの……殺す価値も……」
「いつまでそう言っていられるか、やはり見ものだよ」
幸人という人間は何に興味があるのか、何が好きなのかが、当然だが現時点で全く見えない。
「それより最近の連続殺人事件……目を通してくれたかい?」
「見ても答えは変わらないわ。僕はもう関わらないって決めたから……」
「ほう……あくまで君は無関係。っていうことに変わりはないってことか?その割には私刑を繰り返しているようだな?」
「僕は誰に命令されたわけでもない……ただのフリーの殺し屋よ。あなたには関係ないわ」
氷川幸人は殺し屋なのか?確かに今、酒井修という殺人犯を毒殺した。表社会の人間とはとても言えない。
「君も飲むか?」
「あら嬉しい!じゃあ僕はいつものソーダで」
カランカラン……シュワシュワ……
「やっぱりいつも飲ませてくれるあなたは、嫌いじゃないわ……」
いきなり野太い声で『嫌いじゃないわ……』と言う彼だが、何か因縁の仲なのか?
ゴク……ゴク……
彼のお気に入りはブルーキュラソーのソーダ割り。そもそも大の炭酸好きで水分補給でも炭酸水を飲むほどだ。
「忠告はしておく。たとえ家族が表社会の人間でも、君の正体がバレたら後ろ指を差されるだろうな……」
「フフフ……そのときはそのときよ。僕は今ある人生の中で幸せを探したいの。あなたがいない人生をね……」
「そうか……まあ気が変わったら連絡してくれよ。釣りはいらない」
男の正体はわからないが、どうやら彼のことを気に入っているようだ。金をいつも多めに払っていることから、恋愛対象として見ているようにも感じる。だが彼は殺し屋から足を洗った男の娘。女性として生きるために性転換手術も考えている。男らしい身体つきになれなかったことで親にも拒絶された彼は、自分のコンプレックスを捨てたい一心で殺し屋になった。今は殺し屋じゃないにしても、僕には家族としてやるべきことがある。僕のせいで止められなかった、可愛いあの子を……
翌日の夜。大型ゲームセンターの『プレイベースZERO』では——
ヒュン……!ブォン……!
「ちくしょう……また外しちまった!」
夜22時。一人の男がバッティングセンターで遊んでいる。彼女らしき人を連れているが、どうやら空振りの連続でイライラしているのか、空振りするたびにバットを地面に叩きつけている。
ゴンッ……!
「ちょっとあなた……そんなことしたら他の人に迷惑よ……」
「うるせえ黙れ!」
「うぅ……!」
ヒュン……!ブォン……!
「クソ……全然打てねえ……!」
カキーン……!
「ああ……?」
隣の打席から特大ホームランのような音が鳴り響いた。白いコートを着た女性がホームランを連続で打っている。
カキーン……!
「ふう……なかなかいい運動になったわ……」
その女性はバットを指定の位置に置くと、ポケットからハンカチを出して額の汗を拭いた。その姿を眺める男は——
「おい……こいつなかなかの身体つきじゃねえか?こいつと遊ぶのも悪くねえな……」
「ちょっとダメよ……!?」
コソコソ……トントン……
「なあ姉ちゃんよ?」
「あら?何かしら……?」
「俺らちょっと暇しててよぉ……悪いが相手になってくれねえかな?」
後ろの女性はブルブルと身体を震わせている。しかも真冬なのに裸足にクロックス、それに上着はパーカー1枚。明らかにまともな装いじゃない。だが、彼は女性の顔に見覚えがあった。
「何ですかあなた……?」
黒髪のショートボブで高身長の美女。欲求不満の男なら食いつくのも無理はない。
「あらやだぁ……さっきまであなた、バットを地面に叩きつけていたじゃない?僕乱暴な人は嫌よ……?」
「僕っ子か?なかなか唆るじゃねえか?」
気づいているか?白いコートを着た女性の正体は、あの氷川幸人だ。彼は女性の方に見覚えがあったため、男の目的をすぐに察した。
「でも大丈夫なの?僕28歳よ?」
「問題ねえよ!確かに胸はぺしゃんこだが、お前なら十分売れる……」
「売れるって何よ……?やめて!」
ここはわざとらしく、怯える演技をしてバッティングセンターを出た。すると入口で待ち構えていた男たちが数名集まってくる。
ゴソ……ゴソ……
「逃げてください……!」
包囲される彼を見て女性が叫ぶ。だが外に出れば気温はマイナス5度。寒さで身体を痛そうにしている。
パチッ……
彼は女性に向けてウインクをした。そもそも話しかけられた時点で男の目的はわかっている。ここはあえて捕まってみるのも手段の一つ。
「車に乗れ!」
「ダメよ!早く逃げて……キャッ!?」
「黙れこいつ……次抵抗したら札幌に裸で放置してやるからな」
2人は抵抗できず車の後部座席に乗せられる。彼の隣に座る男が胸を触るが——
「やっぱりお前胸ねえな……?」
彼はホルモン注射をしていないため、胸は女性のように膨らまない。だがブラジャーをしているためか、完全に女性と勘違いしている。車の中から外は見えるのだが、外からは見えないスモークフィルム。まさか自分から『炭酸の微笑』を招き入れてしまうとは……
1時間後。
ガタン……!
「姉貴!新しい子連れてきました!」
「ああ……ご苦労さん。てか連れてくるの遅すぎじゃね?」
部屋に入って目に飛び込んできたのは一人の女。黒髪に紫のインナーカラーを入れてかなり派手目で、アクセサリーの主張が強すぎる。
バタン……!
突然土下座をすると——
「すみません!この女が抵抗するもんで……手こずってしまって……!」
「お前さぁ……こっちは高い金払ってんだよ……女くらい、さっさと連れてこいよ!」
ドガッ……!ドスッ……ドスッ……!
「うぅ……!?すみません!すみません……!」
一体何者だこの女は?自分よりも身体の大きい男にすら暴力を振るっている。それもかなり酷い。やがて男は立てなくなるくらいボロボロになった。
コツ……コツ……
「なあお前、新しい女だよね?早速なんだけどさ、ゴムにピルなしの生だから?覚悟しておいてよ」
「あの……一体何するんですか?」
「このカメラ見てわかんない?無修正動画の撮影よ。てかあんた名前は?仕事は何よ?」
「氷川です……仕事は、バーで働いています」
「氷川ね?バーテンダーやってんだ?じゃあ私に酒作ってよ」
その瞬間彼の目が一気に輝いた。
「炭酸はお好きですか?」
「何でもいいわ……」
彼は差し出されたグラスに氷を入れ、周囲の酒を探す。ウイスキー、ウイスキー……
「あった……」
彼はいくつかあったウイスキーボトルから『メーカーズマーク』を選び、濃いめになるように注ぐ。この種類は45%とウイスキーの中では度数が高い。すると持参していたソーダ瓶の栓を開けて注ぐ。
シュワシュワ……カラン……
「どうぞ……」
「やっぱ気が利くじゃん?」
ゴク……ゴク……
「フフフ……」
確かに濃いめには作った。だが飲んでから数分すると、酔いが回ったのか顔を真っ赤にしてスピンした後に倒れ込む。
ガコン……!
倒れ込んだ拍子にテーブルの角に頭をぶつけ、酔いと痛みで気を失った。物音を聞きつけて駆けつける男たち。
「姉貴!?おいお前!姉貴に何をしたんだ!?」
「わかりません……!お酒を飲んでいたら倒れたんです!?」
「ああ……おいあれだよ……姉貴いつも飲みすぎるから、いつものことじゃねえか?」
「いやむしろラッキーだったか……」
どうやら普段から酒癖が悪いようだ。気を失った女を見て安心した表情すらうかがえる。実は彼が持参していたソーダ水は、既にアルコールがかなり含まれていたのだ。それなら味でわかるのではないかと思うかもしれないが、砂糖に果汁を入れて味を調整していたため、飲んだだけでは気づけるはずもない。45%のウイスキーに、20%のアルコールを含むソーダ水で割ったのを一気飲みしたら、血中アルコール濃度が高くなる。
「おい!お前の番がやってきたぞ!言う通りにしたら帰してやる!」
次に撮影されるのは自分か?僕の裸なんて見たら、ガッカリすること間違いないのに……
「いい……今行きます……!」
彼はコートを脱いでマフラーを外すと、近くのハンガーにかける。そのまま倒れた女を見下ろしながら——
「あなたは後よ。覚悟しておきなさい」
その頃ちょうど日付が変わり、12月5日。
「カメラの用意OK!」
カメラを構える男が数名。そして相手と思われる小太りの中年男性。だが全身に刺青を刻んでいて裏社会の人間が出す雰囲気が全開だ。すると——
「実は、僕もタトゥー入っているんだ……」
「タトゥーか?面白え……」
「これだけど……」
彼は左の下腹部、おへそに近い辺りにソーダ瓶と炭酸の泡、雪の結晶のタトゥーを刻んでいる。反社の人間ならそのタトゥーを見ると、彼の正体が『炭酸の微笑』であることに気づくはずだが、どうやら気づいていない。
「なかなかイカした柄じゃねえか?じゃあそのまま全部脱いでもらおうか?」
「はい……」
彼は言われるがままセーターとスキニーパンツを脱ぐ。女性用の下着を着用しているが、徐々に彼が女性でないことに気づいていく。
「おいお前……!まさか女じゃねえな!?」
身体つきこそ女性らしいが、胸の張りが全くないのと、股間の膨らみを見て段々と疑いの目を向ける。
「お前ニューハーフか!?」
突然明らかになる正体にカメラを構えるどころではなくなる。
「失礼ね?僕は男の娘よ、男の娘!それで僕の名前は、氷川幸人……」
彼は気づいていた。この事務所では年端もいかない女性や綺麗な女性などを騙し、性行為の無修正動画を撮影してネットにばら撒いていると。バッティングセンターで見覚えのあった女性は、一度動画の中で見たことがあったからだ。彼は正体がバレると颯爽と脱ぎ捨てた服を再び着た。
「あなたたちが撮影した動画を全部消すのなら見逃してあげるわ……」
「はぁ!?消すわけねえだろ!こいつ……おい、やっちまえ!」
氷川幸人のバトルスタイルの一つ。集団戦に強い『零度』は、殺人拳と回転技を巧みに織り交ぜた彼独自の戦闘スタイルだ。
「死ねや!」
自分よりも細い相手に油断しているように見えるが、さすが裏社会の男たち。素早い動きだが、彼はそのままパンチを受け流し——
ヒュン……ドスッ……!
「グガァ……!?」
受け流したパンチがそのまま他の男に当たり、同士討ちのように倒れ込む。氷川幸人の恐ろしさは、細い身体から出せるとてつもないパワー。流れに乗るように、彼はダメージを負うこともなく残りの男を倒していく。その頃、気を失っていた『姉貴』と呼ばれる女が目を覚ます。
「うぅ……!?どうなってんだよこれ……!?」
「あら?随分と遅いお目覚めだわね?」
「これお前がやったのかよ!?氷川……!」
「ところであなた、どうしてここまで男たちに強気になれるのかしら……?何かすごく引っかかっちゃうな……」
大体のことは想像がつくが、これだけの組織を仕切れる上に姉貴と呼ばれているあたりから、何か大きな後ろ盾があるに違いない。
「あなたは女の子たちを騙して、無修正動画を撮って拡散していたみたいね?間違いないかしら?」
「フン……だったら何だよ?私のバックには政財界がいるのよ!お前なんてすぐ消され……」
ドスッ……!
「イダァ……!?」
彼のパンチ一発で前歯が折れる。
「黙りなさい!あなたは同意も得ていないのに女の子にデジタルタトゥーを刻んだのよ!」
「この野郎……おっぱいない女が私に説教たれやがって……!」
「フフフ……次は説教じゃなくて、調教に変わっちゃうわ……それに僕の本名はね、氷川幸人よ」
「氷川幸人……?ってまさか!?あの炭酸の微笑……!?何でこんなとこに……!?」
「でもあなたは可愛いわね?殺さないであげるけど、この事務所はもう捨てなさい?名前を教えてくれるなら、調教もしないであげるから……」
「百田 瀬奈です……!」
少し圧をかけただけで正体をバラしてしまうとは。この程度の度量で裏社会の組織などまとめられるはずはない。
「あっそうだ、動画なら僕の友達のハッカーが全部消してくれたわ。よかったわね?自分で消す手間が省けたわよ?」
「クゥ……!」
「でももう、楽にお金を稼ぐなんて考えないようにね?じゃあね!」
コツ……コツ……
「お人好し……」
無防備に背中を見せて立ち去る彼は油断している。見逃してもらったのをいいことに、女は隠していたドスを突き立てる。そのまま突進するように突き刺そうとする!
「死ね!」
「フフ……」
ガシッ……グサ……!
「あぁ……」
「変な気さえ起こさなきゃ僕だって殺しはしないのよ?でもやっちゃったわね……残念だけど、受け入れなさい……?」
グサ……!バタンッ……
返り討ちに鳩尾を刺された女は力なく倒れた。返り血を浴びないよう、刺し殺すときの動作は最小限。
「フフフ……自分から寿命を縮めちゃったわね?」
そう捨て台詞を吐くと、ハンガーにかけてあったコートとマフラーを回収し、その場を後にした。これでばら撒かれた動画は全て消えたため、被害に遭った女性たちもしばらくすれば普通の生活に戻れるだろう。
コツ……コツ……
「僕にできるのは、ここまでよ……」
翌日の12月6日。
16時。零度では開店の準備のため、グラスを丁寧に拭き、板氷を美しい仕上がりに削る。
カランカラン……
「いらっしゃい……おっ、茜ちゃん!元気だった?」
「ちょっと早かったかな?幸ちゃんに会いたくなっちゃって!」
「いいわよ!好きなとこ座って!」
開店時間より少し早く訪れたのは火野 茜(32)。実は幸人の元妻なのだ。離婚理由は『一緒に歩いていると姉妹にしか見られないから』らしいが、離婚した今でも交流は続いている。
「幸ちゃん!いつものちょうだい!」
「かしこまりました!」
カラカラ……シュワシュワ……
彼女のお気に入りはジャックダニエルのソーダ割り。可愛い子同士お酒を飲みながら談笑する中、何か面白いものがやっていないかとテレビをつける。すると——
「最近はクリスタルミューズの報道ばっかりね?」
「そうね……何でもメンバー全員(7人)が北海道出身らしいわ」
2026年2月に結成されてから話題沸騰中の大人気アイドルグループ、『クリスタルミューズ』。センターの氷川 凪を中心に活動している。
——「ではここでセンターの氷川凪さんにインタビューです!氷川さんお願いします」
「はいどーもー!クリスタルミューズの氷川凪です!年齢は5×5です!」
クリスタルミューズは平均年齢23歳。『君と描くオーロラ』がオリコンチャート1位を獲得し、今や全国トップクラスのアイドルグループ。メンバー全員が北海道出身であることから、もちろん北海道民の誇りだ。
「いよいよ来週は東京ドームでライブですが、意気込みとファンの方々へのメッセージをお願いします!」
「はい!私たちの歌であなたたちの心を炭酸のように弾けさせてみせます!是非、皆様のご来場をお待ちしています!」
「お待ちしていまーす!」
パチパチパチ——
「ねえ幸ちゃん……」
「なあに?」
「この人さ、間違いなく幸ちゃんの妹ちゃんでしょ?」
「いいえ……僕に妹なんていないわ。氷川なんて名前、探せばいるんだから……」
そうは言われても『氷川』という姓はあるようでないようなもの。北海道出身というワードが出ると疑いたくもなる。だが彼は言えなかった。凪が自分の妹であることを。だがなぜ?
「でも……茜ちゃんにならいつか教えてもいいかも。僕、茜ちゃんのこと大好きだし」
「本当に?大好き……私だって大好きだけど、いっそのこと幸ちゃんも女になってレズカップルにでもなろうよ?」
「フフフ……でもまずは茜ちゃんに、幸せのソーダを飲ませてあげなきゃね?」
「幸せのソーダってまたその話ね?まあ幸ちゃんらしいわ……じゃあおかわりもらおうかな!」
「喜ん……で!僕ももらっていいかしら?」
「当たり前じゃん!幸ちゃんも飲も!」
すっかりハイテンションになった2人は酒を交わしながら、元夫婦のトークを楽しんでいる。だが彼の頭の中は、常に凪のことでいっぱいだった。


