光の中で〜あなたの隣に立つ日まで〜
第44話 父へ向かう前
プロポーズの翌日、美月は何度もスマートフォンを手に取っては、また置いた。
左手の薬指には、指輪がある。
仕事へ行く時は外すと決めている。
けれど、家にいる時にそっとつけると、その小さな光が急に現実を連れてくる。
理久と結婚する。
そう決めた。
決めたのは自分だ。
けれど、決めたからといって、すぐにすべてが簡単になるわけではなかった。
次にしなければいけないことは分かっている。
両親に伝えること。
特に、父に。
美月はスマートフォンの画面を見つめた。
父に直接電話する気持ちには、まだなれなかった。
父はきっと、用件を聞いた瞬間に本題へ入る。
何だ。
相手は誰だ。
どこの人間だ。
どこの病院だ。
そこまで想像して、美月は小さく息を吐いた。
逃げたいわけではない。
でも、順番を間違えたくなかった。
父に先に名前を出したら、その瞬間から父の世界で話が動き出してしまう気がした。
理久の名前。
藤崎理久。
その名前は、父にとってただの結婚相手の名前ではない。
学会で会った若手外科医の名前でもある。
発表を聞き、留学の話をし、外科医として興味を持った相手の名前でもある。
だからこそ、先に父へ渡したくなかった。
美月は、母の名前を押した。
数回の呼び出し音のあと、母が出た。
「もしもし、美月?」
その声を聞いただけで、胸の奥が少し緩む。
「お母さん、今、大丈夫?」
「大丈夫よ。どうしたの」
美月は、すぐには本題に入れなかった。
電話をかける前に、何度も考えたはずだった。
それなのに、母の声を聞くと、用意していた言葉が少しずつほどけていく。
「……お父さんって、次、いつ東京に来る予定?」
母は少し黙った。
「東京?」
「うん」
「ちょっと待って。予定、見てみるから」
電話の向こうで、何かを確認する気配がした。
その間、美月は膝の上で指先を握った。
父の予定。
学会。
講演。
会議。
そのどれもが、美月にとっては父の世界だった。
自分が簡単には入れなかった場所。
そして、理久が外科医として立っている場所。
「来月、都内でシンポジウムがあるみたいね」
母の声が戻ってきた。
「シンポジウム……」
「詳しくは聞いていないけれど、消化器系のものだと思うわ。お父さん、その日は東京に出る予定になっている」
美月は小さく息を吸った。
来月。
すぐではない。
でも、遠すぎるわけでもない。
その時間が、少しだけありがたかった。
「美月、どうしたの?」
母の声が、ほんの少し柔らかくなる。
美月は唇を結んだ。
やっぱり母は、こういうところで察する。
「お母さん、その時に、お父さんと一緒に都内に出て来られたりするかな」
電話の向こうで、母が黙った。
その沈黙は、驚きというより、確認のためのものだった。
「私も?」
「うん」
「何かあるのね」
「うん」
それだけ答えるのに、少し時間がかかった。
母は急かさなかった。
美月は膝の上で、左手をそっと握った。
指輪の感触がある。
家の中でだけつけている、小さな約束。
「会ってほしい人がいるの」
母は、しばらく黙っていた。
「美月の、大事な人?」
美月の胸が、少しだけ熱くなる。
「うん」
「そう」
母は、それ以上すぐには聞かなかった。
名前は。
仕事は。
どこで知り合ったの。
父ならきっと、そう聞く。
けれど、母は聞かなかった。
「お父さんには、まだ詳しく言わないでほしい」
美月は小さく言った。
「詳しく、というのは」
「名前も。仕事も。どこの人かも」
言ってから、少しだけ息が詰まった。
隠したいわけではない。
でも、父の知らないところで進めたいわけでもない。
ただ、自分の口で言いたかった。
父の前で。
理久の隣で。
逃げずに。
「分かった」
母の返事は早かった。
あまりに早くて、美月は少し驚いた。
「聞かないの?」
「聞いてほしくないのでしょう」
「……うん」
「じゃあ、今は聞かないわ」
美月は、目の奥が少し熱くなるのを感じた。
母はいつもそうだった。
何も分かっていないわけではない。
むしろ、かなり分かっている。
それでも、踏み込まないところは踏み込まない。
「お父さんには、何て言うつもりなの?」
「美月がその日、会いたいみたい。大事な話があるらしい、とだけ言っておくわ」
「相手のことは」
「触れないでおく」
「ありがとう」
母は少しだけ笑ったようだった。
「お父さんが聞いてきても、私が知らないと言えばいいもの」
「……本当に知らないしね」
「そうね」
そのやり取りで、少しだけ呼吸が戻った。
けれど、母の声はすぐに静かになった。
「でも、美月」
「うん」
「あなたが選んだ人なら、あなたが自分で言いなさい」
美月は膝の上で指先を握った。
「うん」
「お母さんは横にいるから」
その一言で、美月は堪えきれず、少しだけ目を閉じた。
横にいる。
それだけでよかった。
父の前に立つのは、自分だ。
理久を紹介するのも、自分だ。
結婚したいと言うのも、自分だ。
でも、母が横にいてくれる。
それだけで、少しだけ立てる気がした。
「ありがとう」
「美月」
「うん」
「お父さんのことばかり気にしなくていいのよ」
美月は息を止めた。
母は、ゆっくり続けた。
「あなたの話だから」
美月は小さく頷いた。
「……うん」
「ちゃんと聞くわ」
「ありがとう」
電話を切ったあと、美月はしばらくスマートフォンを握ったまま動けなかった。
怖い。
でも、もう逃げたくない。
その現実が、静かに胸の奥へ落ちてきた。
* * *
その夜、理久が帰ってきてから、美月は母に電話したことを話した。
理久は黙って聞いていた。
ソファの向かいに座り、いつものように穏やかな顔をしている。
けれど、軽く受け流しているわけではないことは分かった。
テーブルには、理久が淹れたコーヒーが置かれている。
「母には、会ってほしい人がいるとだけ言いました」
「うん」
「名前も、仕事も、どこの人かも言っていません」
理久は小さく頷いた。
「分かった」
「父は来月、都内のシンポジウムに参加するそうです」
理久の指が、カップの縁で止まった。
「シンポジウム?」
「はい。消化器系のものだと思う、と母は言っていました」
理久は少しだけ考えるように目を伏せた。
「……それ、俺も参加予定に入れてる」
美月は顔を上げた。
「理久も?」
「うん。発表者ではないけど、聞きに行くつもりだった」
「じゃあ、会場で父と会うかもしれないんですね」
「可能性はある」
理久は静かに頷いた。
「でも、綾瀬教授は、簡単に話しかけられる相手じゃないよ」
美月は黙った。
その言葉は、当たり前のようでいて、胸に少し重く落ちた。
綾瀬宗一郎。
有名な教授。
学会で名前を知られていて、医師たちが自然に距離を取る人。
美月にとっては父でも、理久にとっては、まだその世界の高い場所にいる人だった。
「……そうですね」
「だから、会場で会ったとしても、それはそれ」
理久は美月を見る。
「その夜に会うなら、そこからは別の話になる」
美月は小さく頷いた。
「父として、ですね」
「うん」
理久は少しだけ間を置いた。
「そして、俺は美月が選んだ相手として行く」
その言葉に、美月の胸が小さく鳴った。
「理久にとっては、仕事でも関わる相手なのに」
美月は小さく言った。
「父の前で、いきなりそういう話をすることになります」
理久は少しだけ表情を改めた。
「美月が謝ることじゃないよ」
「でも」
「俺も分かってて行くし」
その声は静かだった。
「綾瀬教授には、外科医として見られている。そこに、別の話が重なることになる」
美月は顔を上げた。
理久は続ける。
「だからこそ、中途半端な態度では行かないよ」
その言葉に、美月の胸が少しだけ鳴った。
「怖くないんですか」
「怖くないと言ったら、嘘になるよ」
理久はあっさり答えて、小さく笑った。
その答えに、美月は少しだけ救われた。
完璧に見える理久でも、怖くないわけではない。
それでも、逃げるつもりはないのだ。
「でも、逃げる理由はないよ」
美月は何も言えなかった。
その言葉が、ひどく理久らしかった。
静かで、淡々としていて。
でも、逃げていない。
「その夜は、時間をつくれますか」
理久はすぐに答えた。
「空けておく」
「まだ日程だけで、詳しい時間は分からないです」
「分かった。調整する」
「お店は……」
「俺が予約しておく」
美月は少しだけ黙った。
「……そこは、理久にお任せします」
理久が目を細める。
「信用されてる?」
「適材適所です」
「じゃあ、外せないね」
「はい。外さないでください」
理久は小さく笑った。
重かった空気が、少しだけ緩む。
それが分かって、美月も少しだけ息をつけた。
理久なら、きっと場に合う店を選ぶ。
派手すぎず、軽すぎず。
父が落ち着いて話せて、母が無理なく座っていられて、美月が必要以上に緊張しない場所。
そういうことを、何も言わなくても考える人だ。
「美月」
「はい」
「当日は、最初に美月から言った方がいいと思う」
美月は顔を上げた。
「私から、ですか」
「うん。美月のご両親だから」
理久はまっすぐ美月を見る。
「結婚したい相手がいること。俺を会わせたいこと。そこは、美月の口から伝えた方がいい」
美月は膝の上で手を握った。
「そのあとで、俺もちゃんと話す」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと痛くなった。
怖い。
けれど、確かにそうだ。
これは父に決めてもらう話ではない。
理久に全部言ってもらう話でもない。
自分の両親に、自分の口で伝える話だ。
「言えるか、分かりません」
「うん」
「でも」
美月は小さく息を吸った。
「言います」
理久は、ほんの少しだけ笑った。
「うん」
美月は左手を見る。
家に帰ってからつけた指輪が、静かに光っていた。
その光はまだ、自分の指に馴染みきってはいない。
でも、昨日よりは少しだけ近い。
自分で選んだ約束。
その重みが、指先から胸の奥へ、少しずつ移っていく気がした。
次は、父だ。
その現実から、もう目を逸らさない。
左手の薬指には、指輪がある。
仕事へ行く時は外すと決めている。
けれど、家にいる時にそっとつけると、その小さな光が急に現実を連れてくる。
理久と結婚する。
そう決めた。
決めたのは自分だ。
けれど、決めたからといって、すぐにすべてが簡単になるわけではなかった。
次にしなければいけないことは分かっている。
両親に伝えること。
特に、父に。
美月はスマートフォンの画面を見つめた。
父に直接電話する気持ちには、まだなれなかった。
父はきっと、用件を聞いた瞬間に本題へ入る。
何だ。
相手は誰だ。
どこの人間だ。
どこの病院だ。
そこまで想像して、美月は小さく息を吐いた。
逃げたいわけではない。
でも、順番を間違えたくなかった。
父に先に名前を出したら、その瞬間から父の世界で話が動き出してしまう気がした。
理久の名前。
藤崎理久。
その名前は、父にとってただの結婚相手の名前ではない。
学会で会った若手外科医の名前でもある。
発表を聞き、留学の話をし、外科医として興味を持った相手の名前でもある。
だからこそ、先に父へ渡したくなかった。
美月は、母の名前を押した。
数回の呼び出し音のあと、母が出た。
「もしもし、美月?」
その声を聞いただけで、胸の奥が少し緩む。
「お母さん、今、大丈夫?」
「大丈夫よ。どうしたの」
美月は、すぐには本題に入れなかった。
電話をかける前に、何度も考えたはずだった。
それなのに、母の声を聞くと、用意していた言葉が少しずつほどけていく。
「……お父さんって、次、いつ東京に来る予定?」
母は少し黙った。
「東京?」
「うん」
「ちょっと待って。予定、見てみるから」
電話の向こうで、何かを確認する気配がした。
その間、美月は膝の上で指先を握った。
父の予定。
学会。
講演。
会議。
そのどれもが、美月にとっては父の世界だった。
自分が簡単には入れなかった場所。
そして、理久が外科医として立っている場所。
「来月、都内でシンポジウムがあるみたいね」
母の声が戻ってきた。
「シンポジウム……」
「詳しくは聞いていないけれど、消化器系のものだと思うわ。お父さん、その日は東京に出る予定になっている」
美月は小さく息を吸った。
来月。
すぐではない。
でも、遠すぎるわけでもない。
その時間が、少しだけありがたかった。
「美月、どうしたの?」
母の声が、ほんの少し柔らかくなる。
美月は唇を結んだ。
やっぱり母は、こういうところで察する。
「お母さん、その時に、お父さんと一緒に都内に出て来られたりするかな」
電話の向こうで、母が黙った。
その沈黙は、驚きというより、確認のためのものだった。
「私も?」
「うん」
「何かあるのね」
「うん」
それだけ答えるのに、少し時間がかかった。
母は急かさなかった。
美月は膝の上で、左手をそっと握った。
指輪の感触がある。
家の中でだけつけている、小さな約束。
「会ってほしい人がいるの」
母は、しばらく黙っていた。
「美月の、大事な人?」
美月の胸が、少しだけ熱くなる。
「うん」
「そう」
母は、それ以上すぐには聞かなかった。
名前は。
仕事は。
どこで知り合ったの。
父ならきっと、そう聞く。
けれど、母は聞かなかった。
「お父さんには、まだ詳しく言わないでほしい」
美月は小さく言った。
「詳しく、というのは」
「名前も。仕事も。どこの人かも」
言ってから、少しだけ息が詰まった。
隠したいわけではない。
でも、父の知らないところで進めたいわけでもない。
ただ、自分の口で言いたかった。
父の前で。
理久の隣で。
逃げずに。
「分かった」
母の返事は早かった。
あまりに早くて、美月は少し驚いた。
「聞かないの?」
「聞いてほしくないのでしょう」
「……うん」
「じゃあ、今は聞かないわ」
美月は、目の奥が少し熱くなるのを感じた。
母はいつもそうだった。
何も分かっていないわけではない。
むしろ、かなり分かっている。
それでも、踏み込まないところは踏み込まない。
「お父さんには、何て言うつもりなの?」
「美月がその日、会いたいみたい。大事な話があるらしい、とだけ言っておくわ」
「相手のことは」
「触れないでおく」
「ありがとう」
母は少しだけ笑ったようだった。
「お父さんが聞いてきても、私が知らないと言えばいいもの」
「……本当に知らないしね」
「そうね」
そのやり取りで、少しだけ呼吸が戻った。
けれど、母の声はすぐに静かになった。
「でも、美月」
「うん」
「あなたが選んだ人なら、あなたが自分で言いなさい」
美月は膝の上で指先を握った。
「うん」
「お母さんは横にいるから」
その一言で、美月は堪えきれず、少しだけ目を閉じた。
横にいる。
それだけでよかった。
父の前に立つのは、自分だ。
理久を紹介するのも、自分だ。
結婚したいと言うのも、自分だ。
でも、母が横にいてくれる。
それだけで、少しだけ立てる気がした。
「ありがとう」
「美月」
「うん」
「お父さんのことばかり気にしなくていいのよ」
美月は息を止めた。
母は、ゆっくり続けた。
「あなたの話だから」
美月は小さく頷いた。
「……うん」
「ちゃんと聞くわ」
「ありがとう」
電話を切ったあと、美月はしばらくスマートフォンを握ったまま動けなかった。
怖い。
でも、もう逃げたくない。
その現実が、静かに胸の奥へ落ちてきた。
* * *
その夜、理久が帰ってきてから、美月は母に電話したことを話した。
理久は黙って聞いていた。
ソファの向かいに座り、いつものように穏やかな顔をしている。
けれど、軽く受け流しているわけではないことは分かった。
テーブルには、理久が淹れたコーヒーが置かれている。
「母には、会ってほしい人がいるとだけ言いました」
「うん」
「名前も、仕事も、どこの人かも言っていません」
理久は小さく頷いた。
「分かった」
「父は来月、都内のシンポジウムに参加するそうです」
理久の指が、カップの縁で止まった。
「シンポジウム?」
「はい。消化器系のものだと思う、と母は言っていました」
理久は少しだけ考えるように目を伏せた。
「……それ、俺も参加予定に入れてる」
美月は顔を上げた。
「理久も?」
「うん。発表者ではないけど、聞きに行くつもりだった」
「じゃあ、会場で父と会うかもしれないんですね」
「可能性はある」
理久は静かに頷いた。
「でも、綾瀬教授は、簡単に話しかけられる相手じゃないよ」
美月は黙った。
その言葉は、当たり前のようでいて、胸に少し重く落ちた。
綾瀬宗一郎。
有名な教授。
学会で名前を知られていて、医師たちが自然に距離を取る人。
美月にとっては父でも、理久にとっては、まだその世界の高い場所にいる人だった。
「……そうですね」
「だから、会場で会ったとしても、それはそれ」
理久は美月を見る。
「その夜に会うなら、そこからは別の話になる」
美月は小さく頷いた。
「父として、ですね」
「うん」
理久は少しだけ間を置いた。
「そして、俺は美月が選んだ相手として行く」
その言葉に、美月の胸が小さく鳴った。
「理久にとっては、仕事でも関わる相手なのに」
美月は小さく言った。
「父の前で、いきなりそういう話をすることになります」
理久は少しだけ表情を改めた。
「美月が謝ることじゃないよ」
「でも」
「俺も分かってて行くし」
その声は静かだった。
「綾瀬教授には、外科医として見られている。そこに、別の話が重なることになる」
美月は顔を上げた。
理久は続ける。
「だからこそ、中途半端な態度では行かないよ」
その言葉に、美月の胸が少しだけ鳴った。
「怖くないんですか」
「怖くないと言ったら、嘘になるよ」
理久はあっさり答えて、小さく笑った。
その答えに、美月は少しだけ救われた。
完璧に見える理久でも、怖くないわけではない。
それでも、逃げるつもりはないのだ。
「でも、逃げる理由はないよ」
美月は何も言えなかった。
その言葉が、ひどく理久らしかった。
静かで、淡々としていて。
でも、逃げていない。
「その夜は、時間をつくれますか」
理久はすぐに答えた。
「空けておく」
「まだ日程だけで、詳しい時間は分からないです」
「分かった。調整する」
「お店は……」
「俺が予約しておく」
美月は少しだけ黙った。
「……そこは、理久にお任せします」
理久が目を細める。
「信用されてる?」
「適材適所です」
「じゃあ、外せないね」
「はい。外さないでください」
理久は小さく笑った。
重かった空気が、少しだけ緩む。
それが分かって、美月も少しだけ息をつけた。
理久なら、きっと場に合う店を選ぶ。
派手すぎず、軽すぎず。
父が落ち着いて話せて、母が無理なく座っていられて、美月が必要以上に緊張しない場所。
そういうことを、何も言わなくても考える人だ。
「美月」
「はい」
「当日は、最初に美月から言った方がいいと思う」
美月は顔を上げた。
「私から、ですか」
「うん。美月のご両親だから」
理久はまっすぐ美月を見る。
「結婚したい相手がいること。俺を会わせたいこと。そこは、美月の口から伝えた方がいい」
美月は膝の上で手を握った。
「そのあとで、俺もちゃんと話す」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと痛くなった。
怖い。
けれど、確かにそうだ。
これは父に決めてもらう話ではない。
理久に全部言ってもらう話でもない。
自分の両親に、自分の口で伝える話だ。
「言えるか、分かりません」
「うん」
「でも」
美月は小さく息を吸った。
「言います」
理久は、ほんの少しだけ笑った。
「うん」
美月は左手を見る。
家に帰ってからつけた指輪が、静かに光っていた。
その光はまだ、自分の指に馴染みきってはいない。
でも、昨日よりは少しだけ近い。
自分で選んだ約束。
その重みが、指先から胸の奥へ、少しずつ移っていく気がした。
次は、父だ。
その現実から、もう目を逸らさない。