偽り咲く花神さまの後宮
花影は一瞬、瞠目した。しばらく互いの間に沈黙が流れる。やがて花影は無言で煙管入れを受け取ると、ふいと顔を背けた。
(……気に入らなかった?)
不安が膨らみ、それは徐々に羞恥へ、そして後悔へと変わった。
――やはり、あげるべきではなかった。
「いらなければ、自分で使いますので、返してください」
気を遣って、消え入りそうな声で呟くと、「いやだ」と即答される。よく見れば、花影の頬がほんのり紅に染まっていた。
「君は煙管を使わないでしょう。すなわち、これは本当に俺のためだけに作ったものだ」
「そ、そうですが……勝手に作ったものですので、いらなければこちらで処分を……」
「いらないなんて言ってない。その、嬉しい、よ」
花影は短く遮り、手で口元を隠して視線を落とす。
照れているのだと、澄珠はようやく気付いた。
嬉しくなって、口角が上がるのを堪えながら俯く。またしばらく沈黙の時間が流れた。けれどそれは、気まずさを感じさせる沈黙ではなかった。むしろ、不思議と居心地が良かった。
「今日はゆっくりしていったらどうかな」と、花影が柔らかに沈黙を破る。
「君のために甘味を用意しているんだ」
そう告げて立ち上がった瞬間――彼の身体がぐらりと揺れた。
「花影様!」
ふらつく花影に思わず駆け寄った澄珠は、その腕を支える。互いの体が重なり合い、まるで抱きしめ合うような姿勢になった。
予想外の急接近に、澄珠の鼓動が耳鳴りのようにうるさく響く。
(……ち、近い……)
慌てて花影から身を離し、澄珠は声を上ずらせる。
「だ、大丈夫ですか」
花影はすぐには答えず、しばし自身の足元に視線を落としていた。そして、何かを諦めたような掠れ声で呟く。「……もう、長くないな」と。
その発言が嫌なことを意味しているように感じて、澄珠は思わず無言で花影を見つめた。しかし花影はいつもの柔らかな笑みを浮かべ、すっと背筋を伸ばす。
「寄りかかってごめんね。嫌じゃなかった?」
「嫌なんてそんな――」
とんでもない、と言いかけた時、花影の腕がするりと伸びてくる。
「そこは、〝嫌〟と言わないと」
次の瞬間、澄珠は温かな腕の中にいた。
「男を勘違いさせてしまうよ」
耳のすぐそばで低い声が響き、澄珠は慌てて花影の胸を押し返す。
「い、いいいいっ、嫌ですっ!」
ぷっ、と花影がふき出し、あっさりと澄珠から腕を離した。
「ごめんごめん。調子に乗ったね。もうしない」
軽く肩をすくめると、花影はくるりと向きを変える。
「さて、甘味だ。おいで」
案内するように先を歩く背中を追いながら、澄珠の胸の鼓動は、先ほどよりもさらに騒がしくなっていた。
以前食事をいただいたのと同じ座敷に、桜餅が置かれていた。甘い香りと、煎れたての茶の匂いがする。
花影は、部屋の隅に立ち、窓の外に視線を向けながら煙管をふかしていた。細く白い煙が、午後の空気に溶けていく。
「……あの、何故いつもそちらにいらっしゃるのですか?」
おそるおそる問いかけると、花影はゆっくりとこちらへ視線を返す。
「食事中に煙たくなるのは嫌だろう。窓の外へ煙を逃がしているんだ」
気遣いは有り難いが、一人で食事を続けるのも気まずく、澄珠は遠慮がちに言った。
「よろしければ、こちらに座りませんか? 煙は気にしませんので……。ずっとあなたを立たせているのは、申し訳ないです」
花影はその言葉に目を細め、煙管を持ったまま無言で歩み寄ってくる。そして向かい合う席に腰を下ろした。
澄珠は匙を手に取り、少し緊張しながら切り出す。
「先程長くないとおっしゃっていたのは、どういう意味なのでしょうか」
花影は澄珠を一瞥した後、ゆっくりとした口調で答えた。
「最近、足が弱ってきている。立って歩けるのも、あと少しかもしれない、という意味だよ」
その声音は軽く笑うようで、しかし口元は笑ってはいなかった。
澄珠は気の毒に思った。神官は、心身ともに健やかであることが必須だ。神官であり続けるための基準も厳しく、目が少し悪くなるだけでもその資格は失われると聞く。歩けなくなれば、花影は神官ではいられないだろう。そうなれば、この後宮からも、必ず去らねばならない。
「薬などはないのですか?」
「薬で治る類のものではないからね」
物悲しそうに言う花影に、澄珠はそれ以上、言葉を継げなかった。
「そんな顔をしないでくれ」
花影は、煙管の火皿を指先で軽く叩き、灰を払う。
「緩やかに朽ちていく。生きとし生けるものそうなる。俺は少し、それが早いだけだ」
なだめるように言った花影は、場を明るくするためか話題を変えた。
「花神のことを探っているの?」
澄珠は姿勢を正し、こくりと頷く。
「はい。と言っても、大したことは分かっておりませんが……」
「そう」
短く答えた花影は、また煙を細く吐き出す。その横顔には、何かを思案している影があった。そして、その口がゆっくりと開く。
「朝風という名の神官がいる。困ったらその人物を頼るといい。彼はおそらく、君の味方となってくれるだろう」