白無垢のまま御曹司社長のオフィスに居座ったら溺愛が始まりました

第三十九話 嫉妬したお前は、かわいいな

「怒ってる?」

 途端に、声がやわらかくなる。

「別に」
「返事が短い」
「元カノが、あんなに可愛い人だなんて聞いてない」

 口にした直後、しまったと思った。
 九条の目が見開かれ、すぐに口元が緩む。

「嬉しそうな顔しないで」
「嬉しいからな」
「元カノに会って?」
「お前が嫉妬したことが」
「してない」
「では、なぜ機嫌が悪い」
「玲くんって呼ばれてた」

 九条が一度瞬く。

「そこも?」
「気にしてない」
「俺は何も言ってない」
「顔が笑ってる!」

 腹が立って、九条のネクタイを掴んだ。
 笑いを止めさせるつもりで、自分から唇を重ねる。一度だけで離れるはずが、腰へ回った腕に引き戻された。

「元カノにも、こんなことしたの?」
「してない」
「嘘」
「あいつとは、キスをしても何も思わなかった」
「最低な言い方」
「お前には、止めるのが難しい」

 もう一度、唇が触れる。

「そんなに俺のことが好き?」
「言うわけないでしょ」
「言えよ」
「嫌」

 逃げようとしても、腰を抱く腕が離れない。

「嫌なら押し返せ」
「そういう聞き方、ずるい」
「知っている」

 深く口づけられ、呼吸が乱れる。掴んでいたネクタイを手放せない。

「俺のこと、好き?」
「……好きよ。悪い?」

 九条の目が、少年みたいに明るくなった。

「全然。もう一度」
「一回で満足して」
「無理だ。俺ばかり言っている気がしていた」
「そんなわけないでしょう」
「なら、もう一度」
「言わない」
「今夜なら言う?」
「言わない」
「顔は違うと言っている」
「私の顔に台詞をつけないで」

 笑い、私の額へ唇を押し当てた。

「俺の方が好きだ。由梨と比べる必要もない。お前が何も持っていなくても、俺が欲しいのは莉乃だけだ」

 胸の奥に残っていた棘が、ようやく抜ける。

「……それ、あの人にも言えばよかったのに」
「どうして」
「もっと早く帰ったでしょう」
「お前にだけ言いたかった」

 また、ずるいことを言う。
 九条の肩へ額を預けると、背中へ腕が回った。

「嫉妬したお前は、かわいいな」
「殴るわよ」
「ベッドでは、あんなに素直なのに」
「それを言ったら、今日は自分の部屋で寝る」
「謝る。だから一緒に寝ろ」

 謝罪の顔には見えない。それでも、腕を振りほどく気にはなれなかった。
 元カノ騒動の翌朝、枕元には九条の字で短いメモが残されていた。

『昨夜は悪かった。今日こそ、住む場所の話をする』

 悪かったのは、元カノへ容赦がなかったことなのか、私へ「好き」と言わせ続けたことなのか。たぶん、どちらでもない。
 九条は先に下の階へ行ったらしく、寝室には私一人。

 起き上がった瞬間、胃の奥がせり上がるような感覚に襲われる。
 口元を押さえ、お手洗いへ駆け込んだ。

 何も出ない。
 冷たい床へ手をつき、荒い息を繰り返す。
 昨日は夕食も普通に摂れたのに。

 バッグの底に入れたままの箱を思い出す。

 妊娠検査薬。
 予定日から、もう十日以上過ぎている。

「……使うしかないか」

 誰に聞かせるでもなく呟いた。
 説明書は、もう何度も読んだ。判定を待つ数分がこんなに長いなんて知らなかった。
 スマホの時計の針を見つめる。自分の呼吸と、階下からかすかに聞こえる社員たちの声だけが耳へ届く。

 一本目の線が浮かんだ。
 続いて、もう一本。
 手が震えた。

 陽性。

 検査薬を持ったまま、床へ座り込む。

 嬉しい。
 最初に浮かんだのは、その気持ちだった。
 怖さもある。仕事を始める前で、九条の会社は上場を控えている。私たちはまだ結婚の約束もしていない。
 それでも、お腹へ手を当てると、胸の内側が熱くなった。

 九条との子ども。
 産みたい。
 その答えだけは、迷わなかった。
 お手洗いの扉を叩く音がする。

「莉乃?」
「何」
「十分以上入っている。具合が悪いのか」

 九条が上がってきたらしい。

「少し気持ち悪かっただけ。もう平気」
「開けろ」
「今、着替えてる」

 嘘をつき、検査薬をタオルへ包む。

「五分待って」
「三分」
「どうして短くなるのよ」
「顔を見るまで信用できない」

 いつものやり取りなのに、声が詰まりそうになる。

 九条へ言わなければ。
 今すぐ扉を開けて、二本の線を見せたい。
 けれど、今日は朝から証券会社との最終打ち合わせがある。社員たちも集まり、上場日に向けた準備をしている。

 時間を選びたいだけだ。
 隠すつもりはない。
 そう自分へ言い聞かせ、検査薬をバッグへ押し込む。

 扉を開けると、九条が本当に待っていた。
 私の額へ手を当て、顔を覗き込む。

「熱はない」
「だから平気だって」
「朝飯は」
「今はいい」
「何か食え」

 九条の眉が寄る。

「これから、病院の予約取る」
「これから?」

 その一言に、九条の目が止まった。
 心臓が大きく鳴る。

「俺も行く」
「今日は会議でしょう」

 九条は納得していない顔をしたが、携帯電話が鳴り、下から宮田にも呼ばれた。

「終わったら連絡しろ」
「うん」
「住む場所の話も、今夜する」
「わかった」

 額へ口づけられる。
 九条が下へ戻ったあと、産婦人科へ電話をかけた。午後に一枠だけ空きがあるという。

 予約名を告げ、通話を切る。
 バッグの中では、二本の線が消えずに残っている。
 今夜、九条の未来へ、もう一人分の話を加えることになる。
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