死に寄せ、いじめ寄せ、不幸寄せの魔力
第1章

プロローグ

 俺は、生まれた時からずっと研究所にいた。

 どうして自分がそんな場所で育つことになったのか、
 その理由は今でもわからない。

 俺は単なる
「研究材料」
だから名前がないのだと、
 いつだったか大人たちが話しているのを聞いた。

 当時の俺は到底納得できなかったけれど、
 大人たちに反発できるほどの勇気も、力も持っていなかった。

 体格の大きな大人には絶対に敵わないことくらい、
 幼い俺の目にも一目瞭然だったから。
 生まれた時から一度も切ったことがないせいで、
 俺の髪は気味が悪いほど長く伸びていた。
「この個体は、
まだ出力の使い方が分かっていないようだな」
「では、明日から強制的に能力を引き出せるよう処置を始めよう」

 ある日、
 白い個室にいた俺の耳に、
 壁の向こうからそんな会話が聞こえてきた。
 “この個体”が誰のことを指しているのか、
 その時の俺には分からなかった。
 なぜなら、この研究所に隔離されている子供たちには、
 誰一人として名前がなかったからだ。
 どうして俺たちに名前をつけてくれないのかは分からない。
 だけど、俺は心底
「名前くらい、つけてあげればいいのに」
 といつも思っていた。

 翌日、俺は白衣を着た男性の研究員に呼び出された。

「……何でしょうか?」

 俺はおそるおそる、
 彼の顔色を窺いながら尋ねた。
「君は、自分の中に眠る能力を自覚しているか?」

 唐突な質問に、
 俺は動揺を隠せなかった。
 今まで、そんなことを聞かれたことなど一度もなかったからだ。

「じ、自覚……していないです」

「そうか。
事前に調べたところ、君は何らかの強力な『属性』を持っているようなのだがね」

「……属性?」

 俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。

 生まれた時から白い個室に閉じ込められ、
 ただ毎日、身体を調べられるだけの日々。
 自分自身の性質すら教えてもらえないのに、
 何の説明もなく「能力」だの「属性」だのと言われても、
 さっぱり理解できるはずがなかった。

「君はね、特殊な力を持っているんだよ。
だから明日から、
その能力を引き出せるように頑張っていこうね」

「はい……?」

 俺は意味も分からぬまま、
 ただ生返事をするしかなかった。

 再び戻された白い個室には、
 やはり真っ白なベッドがあるだけだった。

 壁際の本棚には、
 娯楽のための絵本や漫画などは一切なく、
 すべて勉強に必要な専門書ばかりが詰め込まれていた。

 その本を無理やり読まされ、
 勉強を強いられてきたせいか、
 俺はこの年齢の子供にしてはかなり学力が高かったと思う。
 すでに、ひらがなやカタカナの読み書きはもちろん、
 難しい漢字も理解できていた。

 研究所には、
 様々な年齢の子供たちがいた。
 中には、外見からは何歳なのか見当もつかない子もいた。

 子供たちはみんな、研究所に来てから一度も髪を切らせてもらえないため、
 床に届くほど髪が長かった。
 そしてその髪色は、
 ピンク、
 水色、
 青、
 黄色、
 オレンジ、
 赤、
 白、
 銀、
 栗色、
 紫、
 緑など、
 まるでおもちゃ箱をひっくり返したようにカラフルで、
 俺のような「黒髪」の方がかえって珍しいくらいだった。

 なぜ髪を切らないのか、
 あるいは切れないのか。
 理由は教えてもらえなかったけれど、とにかくハサミを持たせてもらうことすら許されなかった。

 それからしばらくして、
 俺は再び研究室に呼び出された。

 数人の研究員たちが、
 俺の診断データを前にして眉をひそめていた。

「おかしいですね。
何の反応もない」
「やっぱり、我々の勘違いだったんじゃないですか?」
「いや、そんなはずはないのだが……」

 研究員たちは言葉を濁しながら、
 横たわる俺の身体を代わる代わる機械で調べていく。

「やはり、微弱ですが特殊な波動を感じます。
もしかしたら、
意識の奥底、
潜在的な部分で深く眠っているのかもしれません。
何としてでも引き出さなくては」

「ですが、そんな簡単に引き出せるものですかな? 呪文のような起動コードを唱えさせても、
何も起きないみたいですし」

「確かに、この個体に関する詳しいデータが少なすぎるな……」

「ということは……?」

「我々の研究所の技術を以てしても、この子には未知の領域が存在する、ということだ」

「となると、自然なアプローチで能力を覚醒させるのは厳しい、
という見込みですか?」

「ああ。正しい呪文も分からず、
本人にも自覚がないとなれば、
まともな方法では埒が明かない」

「そうか。
なら……無理やりにでも、負荷をかけて能力を引き出すしかないな」

 大人たちの不穏な会話を、
 俺はただじっと聞いていた。
 幼い俺には難しすぎる内容だったし、研究所の情報が俺に共有されているわけでもない。
 だけど、理屈は分からなくても、
 心臓が痛くなるほどの「嫌な予感」だけが、
 冷たく肌を刺していた。

 しかし数日後、状況は一変した。
「おめでとう」

 研究員の一人が、
 満面の笑みで俺にそう言った。
 あまりの態度の変わりように、
 幼い俺は状況が全く把握できずに呆然とする。

「これから君は、
外の世界に出ることを許可されるようになったんだ。
これからは、戦う訓練をするか、
それとも普通の人たちと同じように『幼稚園』に行くか、
どちらがいいかい?」

「戦うなんて、痛いのは嫌です。
だから……幼稚園の方がいいです」

 その時の俺は、
 後先のことなんて何も考えていなかった。
 とにかく、
あの息が詰まる白い個室から、
 恐ろしい大人たちのいるこの研究所から抜け出せるのなら、
 もう何だってよかったのだ。

 ――けれど、後になって分かった。

 大人たちがなぜ、
 急に俺を外へ放り出したのか。
 その本当の理由を。

 俺の周りにいるだけで、
 人が死んでいく。

 俺が身を置く場所には、
 恐ろしいほどの確率で、
 殺人事件、
 自殺、
 不慮の事故など、
「死」にまつわる悲劇が巻き起こるのだ。

 それこそが、
 俺に宿っていた呪われた魔力――『死に寄せ』。

 研究所にいた頃も、
 何人もの研究員が謎の死を遂げていたのだと、
 後から『スクイアットロ』に聞かされた。
 彼らは俺を恐れ、
 実験を諦めて外へ厄介払いしたのだ。

 そして今日、
 俺の引き取り手となったばかりの両親が、凄惨な事故によって命を落とした。

 天涯孤独になった俺は、
 これから児童養護施設に入所することになっている。

 けれど、
 容易に想像がついてしまう。
 きっとあの施設でも、
 近いうちに誰かが死ぬのだろう。俺のせいで、次々と、理不尽に。

 この、おぞましい『死に寄せ』の魔力が、俺の身体から消え失せない限りは――。

 俺の『死に寄せ』は、
 日に日にその悪辣さを増していった。
 およそ二日に一回という正確なペースで、
 誰かが確実に死んでいくのだ。

 俺が身を寄せることになった児童養護施設は比較的大きな規模だったけれど、
 職員や他の子供たちが、
 まるで枯れ葉が落ちるように次々と亡くなっていった。

 施設の人たちが誰も死なさずに済む日もあった。
 けれど、そんな日は代わりに、俺の通う幼稚園の先生や園児たちが犠牲になった。
 どちらかが生き残れば、
 どちらかが死ぬ。
 天秤が揺れるように、
 死の呪いは俺の周囲を蝕み続けていた。

 そんな絶望の最中、
 リスの姿をしたあいつ――『スクイアットロ』が、突然俺の前に姿を現した。

「やあ」
「……のんきだな」
 責めるような声を出したつもりだったけれど、
 今の俺には怒る気力さえ残っていなかった。
「どうだい? この、死に寄せと呼ばれる力の棲み心地は?」

「最低だ。
二日に一人は、
俺のせいで誰かが死んでいく。
自分を責めて、責めて、だけど俺にはどうしようもできないんだ。
……今すぐ、世界のどこかへ消えてしまいたい」

「消える、ねえ。
どんなふうにだい? 残念ながら、お主に『みずから死ぬ』っていう選択肢はないぞ。
なぜなら、お主が死ねばパラレルワールドへ強制転生して、
また同じことを繰り返すだけだからな」
 俺は死んだことがないから、
 それが本当かどうかは分からない。
 だけど、
 死ぬことで別の平行世界へ飛ばされるのだと、
 あいつは当然のように言った。
「……自分が死ぬことすら許されないなら、
俺はもう、
無関係な人を巻き込みたくない。
だから、俺を犯罪者が集まる場所に連れて行ってくれないか?」

「犯罪者のところへ向かって、
どうするつもりだい? 根本的な解決にはならないはずだけどねえ」

「俺の死に寄せがあれば、
どんな極悪人でも何かしらの事故や事件で死んでいくはずだ。
どうせ誰も救えない人生なら、
あいつらが巻き込まれた方がマシだ」

「ふうん。
じゃあ、幼稚園はどうするんだい?」

「行かない。
……いや、行けないんだ。
児童養護施設の誰かが生きている時は、
大体、幼稚園の誰かが死んでいる。
なら、俺はもう、
あんな眩しい場所に行くべきじゃない」

 そこで俺は、
 胸の中にずっとトゲのように刺さっていた疑問を口にした。

「……なあ。
一つ聞いてもいいか」

「おや、疑問とは?」

「スクイアットロ。
君は、どうして俺と一緒にいて平気なんだ? 君は死なないのか?」

「ハハハ、いい質問だねえ!」

 スクイアットロは満足そうに髭を揺らした。

「死に寄せは、
人間には間違いなく適用される。
だけどね、
魔女と同じ能力を持つ者が一緒にいれば、
それは呪いと同化するだけなのさ。
つまり、
影響は皆無」
「よく分からないけど……君は大丈夫、ということなんだな」

「そういうこと。
さあ、お主が『使命』を果たす時が来たんだ。
ここからは落ち着いて、
最後まで聞いてほしいな」

 スクイアットロは、
 おもちゃを値踏みするような目で、静かに、
 ゆっくりと俺に問いかけた。
「もしもの話だけどさ。
お主はどんな方法で、
誰かを助けたいかい?
もう一回死んで平行世界へ向かい、
全く別人である『あの人』に会いに行くか。
それとも、
お主の死に寄せの能力で誰かを死なせ続けるか。

新しく子供を授かり、
自身の子に『同じ名前』をつけさせるか。
転生先を捜し出して、
生まれ変わりをもう一度愛するか。

あるいは、
おいらのような種族のペットを飼い、その動物に『同じ名前』をつけるか。

……そうそう、
今は氷の美少女と、
岩の戦闘美少女が封印されているからねえ。
一人だけを助けて、
彼女に『同じ名前』を贈るか。
もちろん、その美少女との間に子供を授かるという選択肢もあるぞ?

さあ、この選択肢で運命が大きく左右される。
どうする? どうしたい?」

 あいつが提示する奇妙な条件を遮るように、
 俺は食い下がった。

「……『生き返らせる』という選択肢はないのか?」
「それは、ありえないね」

 スクイアットロは冷酷に切り捨てた。

「その選択肢をお主が選んだとしても、
一度死んだ生物が生き返ることなんてない。
それができる世の中だったら、
どんな極悪犯も生きられるっていうことになるからねえ。
死刑も存在意義がなくなるし、
かつて戦闘美少女たちが命を懸けてやってきた功績も、
すべて無駄になる。
これは、変えようがない事実だ」

 あいつの言葉には、
 一片の慈悲もなかった。

「一度死んだ生物に例外はない。このまま天に召されるか、
地の果てまで落ちていくか、
あるいは現世で幽霊と呼ばれて時を過ごすか。
この三択しかないのさ。
生き返らせる選択肢を探すやつは、
どんな手段であっても、
どれほど理由が論理的であっても、
必ず失敗で終わる。
……人間の誰もが一度は憧れる『不老不死』という目標だって、
無駄な行為さ。
例外があるとすれば、
意識がない状態で封印されることだけど……これは幸せと呼べるかい?
だからさ、
おいらの選択肢以外を探そうとするんじゃなくて、
おいらの提案した中から選んだ方が適切だと思うのは、
おいらだけかい?」
「それは……」

 言葉に詰まる。
 だけど、俺は諦めたくなかった。

「他にも可能性があるかもって、
探したかったんだ。
パラレルループとかじゃなくて、
ただの……ただの『時間を巻き戻す能力』が、
俺にあればよかったのにって、
ずっと思っているから」

「時間を巻き戻す能力かあ。
すごーくいいねえ!」

 スクイアットロはわざとらしく歓声をあげた。

「だけど、
その能力をおいらはおすすめできないね。
なぜならそれは、
『何回でも使おう』って思えてしまうからさ」

「……何の根拠があってそんなこと言うんだよ」

「根拠も、
証拠も、
出るわ出るわの状態だよ。
時を巻き戻す能力を持てば、
人間は誰だって、
自分にとって都合の悪いことが起きた時にループする。
よくあるおとぎ話や創作の物語でも、主人公が何回も何回も、
精神をすり減らしてループしていたりしないかい?」

 スクイアットロの言うことは、
 何一つ間違っていなかった。
 ぐうの音も出ないほどの正論だ。

 だけど――俺の心の奥が、警鐘を鳴らしていた。

 何か騙されている気がする。
 何なのかは分からないけれど、
 俺は、
 このリスの言葉の裏にある、
 もっと重大な何かを見落としている気がしてならない。

「……もし、時間をループする能力が俺にあったら」

 俺はスクイアットロを真っ直ぐに見据えた。

「間違いなく俺は、
その人を救うためだけに使っていただろうね。
過去に戻れば、
あいつが戻ってくるかもしれないって……未来に進めなくなっていたような気がする。
 
スクイアットロ、
君は――ずるいほど、
正論ばかり言うんだな」

「よろしい。
お主は、
正しい判断へ自身を導けるようになってきている。
だが、もう少しだ。
この『死に寄せ』の魔力がある限り、お主がどんなに過去に戻ったとしても、
その人間は必ず事件に巻き込まれて死ぬ。
それは凄惨な殺人事件かもしれないし、
自ら絶望して選ぶ自殺かもしれないし、
不慮の事故かもしれない。
ただ一つ確実なのは、
何かしらの方法で『生』を強制終了させられるということだ」

 スクイアットロ、
 こっちだって傷つくんだ。
 もう少し言葉を選んで発言してほしかった。

「……そんなにはっきり言わなくてもいいじゃないか。
たとえば、病死とかはないの?」

「死に寄せは『死の運命』を急速に呼び寄せる魔力であって、
病気を発症させるわけではないからねえ。
実はここ、
おいらも気になっていたところなんだ。
事故、殺人、自殺……
死に寄せの魔力を持つ者が引き起こす悲劇は、
おいらが恐怖を忘れるほど数多く見てきたけれど、
なぜかいつも『病死』だけがない。
ここが不思議なところなのさ。
それだけ、
この力には多くの謎が残されているってこと」

 あいつの言葉を聞きながら、
 俺の心の中で何かがカチリと音を立てて切り替わった。

「……なぁ、スクイアットロ。
俺、誰かを『救う』ことだけが正しい選択じゃない気がしてきたんだ」

 今までの俺は、
 目の前の誰かを救うことばかりに囚われていた。
 だけど、冷静に考えれば、
 その場しのぎで一人を救うことが本当に世のためになるのだろうか?

「俺は盲目的になりすぎて、
周りも、
自分のことも、
これからのことも何も見えていなかった。
だから、相手が望んだことと違うエゴを押し付けるべきじゃないんだ。
本当に救わなきゃいけないのは、
個人じゃない。
――この、歪んだ世界そのものだ」

「世界を? この広大で、人口が溢れかえっているような世界を、どうやって救うんだい?」

「こうしている間にも、
俺の周りで次々と人の命が奪われていく。
それって、絶対に見過ごせることじゃないはずだ。
だから俺は……この呪いのシステムを作った『首謀者』を見つけたい」

 こんな頻度で悲劇が起こるなんて、普通はあり得ない。
 この最悪な世界の裏には、
 必ず糸を引く黒幕がいるはずだ。

「首謀者?

おいらが見つけられなかった首謀者を、
お主がかい?

巨大企業の社長を疑い、
 その裏で誰かが操っていたことまで突き止めても、
 おいらは首謀者の尻尾を掴めなかったんだぞ。
 そんな簡単にできないことを、
やりきるかのように言っていいのかい?」

「やっぱり、
スクイアットロもそんな存在がいると考えたんだな。
首謀者がいる限りこの惨劇は終わらないし、
何度でもパラレルループを繰り返すことになる。
だから、その根幹を断ち切る。
これが、俺のやり方だ」

「ハハッ、
夢物語としか言いようがないねえ。
まあ、いいだろう。
それがお主の望むことなら」

「それに、俺は思うんだ。
どんな戦闘美少女にも相性がある。
その封印されているっていう二人のうち、
どちらを選ぶかなんて、
今の俺には決められない。
だけど、いつか決めるよ。
今の俺が決断を保留しているだけだ。

最初は『すべてを救う』なんて大口を叩いたけれど、
気づいたんだよ。
全員は救えないって。
死に寄せの魔力は俺に悲しい出来事ばかり起こしたけれど、
それだけじゃない。

俺に世界の限界を気づかせてくれたんだ。
あれがなかったら、
俺はいつまで経っても『頑張ればなんとかなる』って、
実現不可能な綺麗事に縋ったままだったかもしれない」

 世界を救いたい。
 だけど、すべての人は助けられない。
 矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、
 これが今の俺の、
 偽らざる本心だった。
 それに、戦闘美少女だの封印だの、いきなり突飛な話をされても何のことだか実感が湧かないというのも本音だった。

 スクイアットロは、
 呆れたように俺の顔を覗き込んできた。

「ポジティブすぎるねえ。
お主、この魔力のせいで心を痛めたり、病んだりしないのかい?」

 死に寄せの現場は、
 何度経験しても辛い。
 自分の方が消えてしまいたくなるくらいだ。
 だけど、病むことが解決にならないというのなら、進むしかない。

「痛んだり、病んだりもしたよ。
だけど、どんなにあがいても、
この俺として生まれてしまった以上は、
どう生きていくかで進むしかないんだ。
だから俺はいつか、
絶対に首謀者を叩き潰して世界を救ってみせる。
後悔しない選択を、
自分で見つけてみせるよ。
……それまでに、待っててほしいんだ」

 俺はスクイアットロを真っ直ぐに見つめた。

「俺が答えを出せるまで、
何秒、
何分、
何時間、
何日、
何ヶ月
……いや、何年、
何十年かかってもいい。
待っててほしいんだよ。
俺は、すぐには答えを出せないから」

 スクイアットロはしばし沈黙し、
 それから深いため息をついた。

「はあ。
おいらは、
今までに出会ったことのない、
とんでもないパートナーを持ってしまったぞ。
……だが、いいだろう。
それも含めて、
責任を持っての相棒だ。
最後まで付き合ってあげるさ。
おいらは、例の二人を助けられれば任務完了だからね。
短い間かもしれないけれど、よろしく頼むよ」

 俺は、この呪われた自分のことを嫌いになったりしない。
このままの俺で、
今日と明日を泥臭く生きていくんだ。

 だけど、こうして話してみると、
 やはりスクイアットロとの対話は恐ろしく長く感じる。
具体的な結論が出るまで、
脳が引き延ばされるように会話が続くのだから。

 その後、俺はスクイアットロを連れて『中国』へと向かった。

 治安は悪いけれど、
 世界一の人口を誇る圧倒的な大国。

 そこへ行ったからといって何かが劇的に変わるわけではなかったけれど、俺はあえて人の密集するその地で、自分の人生を歩むことに決めた。

――そして、凶悪な魔力は牙を剥く。

 俺の近くにいる人間が、
 まるでドミノ倒しのように次々と事件に巻き込まれ、
 凄まじい速度で中国の人口が減り始めた。

 気がつけば、
 十数億いたはずの人口は、
 わずか1億人以下にまで激減していた。
 俺の『死に寄せ』の能力は、
 まさに世界最強最悪の災厄だった。 
 近くにいるだけで、
 その場所に佇むだけで、
 死に関わる不可解な事件が連鎖的に巻き起こる。
 やがてその国では、
 恐るべき噂が人々の間で囁かれるようになった。

――『歩く死神が通ると、
あらゆる命が消えていく』と。

 かつて栄華を極めたその大国は、
今や生者の気配が途絶えた『死の王国』、
あるいは『死神の国』として、
世界から恐怖される場所へと変貌を遂げていた。

 どこへ行っても「死神」の噂が先回りし、
人々は蜘蛛の子を散らすように俺から逃げ出していった。

 中国語なんて一言も分からないけれど、
 そんなことはどうでもよかった。
 スクイアットロが翻訳してくれる言葉や、
 遠巻きに俺を睨む人々の怯えきった視線だけで、
 彼らが何を叫んでいるのかは痛いほど予想がついたからだ。

「俺は、どこにいても一人だ……」

 そうして孤独に耐えているうちに、ついにあの広大だった国から、
 生者の気配が完全に消え失せた。
 ただパンを買いに行くだけで、
 必ず誰かが凄惨な事件に巻き込まれて死ぬ。
 それを繰り返した結果だった。
「スクイアットロ、
 ここ……まるで無人島みたいだ」
「そうだな。
お主のせいで、
ありとあらゆる事件が起きたからねえ」

 あいつの何気ない一言が、
 俺の胸の傷口を深く抉った。

 だけどそれは紛れもない事実で、
 俺には言い返す言葉すら見つからなかった。

「俺……異世界に行こうかなって、
思っているんだ」

「おや、それはどうして?」

「俺がいるだけで、
人がいなくなる。
これ以上地球にいたらダメな気がするんだ。
罪のない人間を自分の呪いで犠牲にし続けるなんて、
もう、心が耐えられない……」

 自分ではどうすることもできない最悪の魔力。
 何億という命を奪ってしまった圧倒的な罪悪感。
 気がつけば、
 俺の目からは大粒の涙が溢れ、止まらなくなっていた。

「お主……泣いているのか?」

「人が死んでいくのは、いつだって……いつだって辛いんだよ……!
だから俺は、
宇宙でも、
異世界でもいい、
誰もいないところへ行く……っ!」

「何の解決にもなっていないが?」

「解決できないから、
こんなに苦しいんじゃないか!
世の中にはどうしようもないことがあるって言うけど、
こんなの……
俺にはもう耐えられないんだ……!」

 その後、俺はスクイアットロに促されるまま、
 この世界を去ることにした。
 どうやって移動したのかは分からない。
 ただ、激しい目眩のあと、
 気がついた時には空間そのものが別の場所に切り替わっていた。

 異世界にたどり着いても、
 俺の涙は乾かなかった。

「いつまで泣いているつもりだ?」

「俺だって……苦しいんだよ……」

 どうしてこんなに涙が出るのだろう。
 自分とは何の関係もない赤の他人なのに、
 俺のせいで命を落としたのだと思うだけで、
 胸が爆発しそうに締め付けられる。

「身体の方からボロボロになることを予想していたが、
まさか、
器である心が先に持たないとはな。
想定外だ」

 スクイアットロの冷え切った声が聞こえた。

 直後、
 あいつの身体が黒い霧とともに巨大化し、
 抵抗する気力もない俺を無造作に担ぎ上げた。

 どうしてこんなことになったのか、もう何も分からなかった。
 心が完全に壊れてしまった俺は、
 薄暗い石造りの牢獄へと監禁された。
 泣いて、
 泣いて、
 ひたすら泣き続けたせいで、
 その後の記憶はひどく曖昧だ。
 俺はもう、
 目の前の現実を理解しようとする気力さえ失っていた。
 
――どのくらい時間が経っただろう。
 鉄格子の向こうから、
 スクイアットロともう一人の、
 知らない男の声が聞こえてきた。

「上司、見てください。
例の個体ですが、
『死に寄せ』の魔力による負荷で、
完全に心が壊れてしまいました」

 いつものおちゃらけた口調は消え、    スクイアットロは妙に冷たい敬語を使っていた。
 俺は暗い床にうずくまったまま、
 格子の外を見る気力すら湧かなかった。

「……よくあることだ」

 低く、
 どこか落ち着いた男の声が響く。
 この人が、
 スクイアットロの言う「上司」なのだろうか。

「しかし、
この牢獄に連れてくるまでは本当に骨が折れましたよ。
泣いてばかりで一歩も動こうとしないし、
意識もここにない状態だったのですから」

「事情は説明されずとも分かっている。
『死に寄せ』の魔力を宿された子供は、
皆一様に同じ末路を辿る。
私は、
彼らのそんな姿を見るたびに胸を痛めるが……
こればかりは、
もう慣れきってしまったな」

「はあ。おいらには、
人間のそんな繊細な感情はよく分からないのですがね」

「貴様は、他者の痛みに共感する部分が決定的に欠如している。
だから、あの少年に余計な絶望を与えるような
『よからぬこと』
を言っていたのではないか?」

「よからぬこと、
とは何のことですか?」

「自覚がないならいい。
貴様に説明するだけ時間の無駄だ」

 重い足音が近づき、
 上司と呼ばれた男が鉄格子のすぐ向こう側に佇んだ。

「大丈夫か……?」

 声をかけられても、
 俺はピクリとも動けなかった。
 返事をする気力すら残っていない。

――それ以上に、
 怖かった。

 スクイアットロ以外の人間は、
 俺の近くにいるだけでみんな死んでしまう。
 研究所でも、
 幼稚園でも、
 児童養護施設でも、
 そして中国でもそうだった。

 だから、
 目の前にいるこの「上司」という人も、
 俺の近くにいるだけで、
 すぐに凄惨な事件に巻き込まれて死んでしまうに違いないのだ。

「ご飯は、食べられそうかい? お腹が空いているなら食事を用意したいのだが
……何なら口を通せそうかな」

 おそるおそる視線を上げると、
 そこには穏やかな、
 だけどどこか悲しげな目を規則正しい白衣に包んだ男性が立っていた。

「……お腹、
すいてないです……」
 掠れた声で拒絶する。
 こんな過酷な現実を突きつけられて、
 何かが喉を通るはずがなかった。

「やはり、
ショックが大きかったか。
部下のスクイアットロから話は聞いている。
自分の周囲から生者が消え去っていくのは、
いつだって耐え難い悲劇だ。
私も、
君のその苦しみがわかるよ。
だけどね、
ここでうずくまって心を閉ざしてしまっては、
状況は悪くなる一方だ。
この魔力の根源さえ分かれば、
君をこの呪いから解放させてあげられるのだが
……本当に、何もしてあげられなくて申し訳ない」

「おじさんは……何者、ですか……?」

「私の名は、
コンディジオーネ。
この歪んだ世界の『救済』を目的として活動している。
その方が、君には分かりやすいだろうか」

「救済、なんて……どうにかなるんですか?
俺の魔力は、
おじさんが思っているより、
ずっととんでもないものなんだ……」

「『死に寄せ』……だろう?」

 俺の呟きを遮るように、
 彼はその不吉な名前を正確に口にした。

「知って、いるんですか……?」

「君が元いた世界では知られていなかったかもしれないがね。
君にとってのこの異世界では、
それはあまりにも有名な、
悲劇の象徴なのだよ」

 俺は膝を抱え、
 堰を切ったように涙を流しながら、コンディジオーネさんに胸の内を吐き出した。

「この魔力のせいで、
たくさんの人が死んだんだ……!


たまたま、
そこにいただけの人まで、みんな……!
俺、あの広い中国の人間を全員巻き込んで
……あそこを、
誰もいない無人島にしちゃったんだ……っ!!」

 俺は鉄格子の冷たさに額を押し当て、
コンディジオーネさんに泣きながら言葉を紡いだ。
自分でもどうしてなのか分からない。 一言、声を絞り出すたびに、
 堪えきれない涙がボロボロと床を濡らしていく。

「俺……、
コンディジオーネさんのことも、
殺してしまうかもしれない。
スクイアットロ以外の人間は、みんな……」

 迫り来る死の予感に怯える俺を、
 コンディジオーネさんは静かに見下ろした。

「君の呪いで、
私も死ぬと言いたいのかい?
なるほど、スクイアットロがどうして君の傍にいて生き長らえているのか、君はまだ本当の意味を理解していない様子だね」

「……前にあいつに理由を聞いた。
だけど、説明が難しくてよく分からなかったんだ」

「真実は単純さ。
実は、私もスクイアットロも、
すでに別の『致命的な呪い』にかかっているのだよ」

 その言葉に、
 俺の涙がピタリと止まった。

 スクイアットロとコンディジオーネさんが、
 最初から呪われている?
 そんな話、聞いたこともない。
 そもそもあいつの胡散臭い説明を理解することを、
 俺は半ば放棄してしまっていた。

「よく、分からないのですが……」

「スクイアットロからまともな事情を聞いていなかったか。
まぁ、いかにも彼らしい隠蔽だ。
正直に言うとね、
私は迷っていたんだよ。
彼に君の護衛という大役が務まるかどうか。
その様子だと、
君の身体を守ることはできても、
精神のサポートまでは頭が回らなかったようだね」

 コンディジオーネさんは小さく溜息をつき、
 眼鏡の奥の目を細めた。

「いいかい。
『死に寄せ』の魔力は、
確かに人間に対して絶対的な死をもたらす。
だがね、
もしその対象が、
それよりも遥かに強大な魔力
……あるいは、
より強力な
『別の呪い』をすでに受けていたとしたら?
答えは簡単、
新参の呪いなど弾かれるだけなのさ。毒が他の毒を拒絶するようにね」

「つまり
……要約すると、
コンディジオーネさんもスクイアットロも、
俺と出会う前にかかった強力な呪いのせいで、
俺の『死に寄せ』が効かないってことですか?」

「端的に言えばそういうことだ。
……そして少年、
君はもしかして、
自分の力のせいで全人類が滅亡するとでも思っているのかい?」

「はい、そう思っています。
俺がいるだけで、
あんなに人がいた中国だって、
一瞬で人がいなくなったんだから……」

「それは傲慢というものだよ。
地球そのものを粉砕する隕石でも降ってこない限り、
人間が死に絶えることなどあり得ない」

 俺がただ買い物に行くだけで人が死んでいくというのに、
 それでも人類は滅びないなんて、
 そんな都合のいい話があるのだろうか。

「過去にもね、
君と同じ
『死に寄せ』の魔力を宿した者がいた。
その周囲でも無数の殺人、
自殺、
事故死が起きたよ。
だが、その者が生まれたせいで人類が一瞬にして滅び去った歴史が、
一度でもあるかい?」

「……ないです」

「人類という種を絶滅させることなど、
基本的には不可能なのだ。
人間の中には生まれつき呪いへの高い耐性を持つ者や、
それを『浄化』できる特殊な個体が存在する。
君も『除霊師』という存在を聞いたことがあるだろう?」

「あります……」

「インチキも多いが、
本物は確かに呪いの効力を無効化する。
あるいは『巫女』と呼ばれる、
世界の歪みを正す者たちもね。
それに何より、
生き物の遺伝子には
『どんな環境でも泥臭く子孫を残す』という絶対的な命令が刻まれている。

これまでどれほど凄惨な戦争や疫病があろうとも、
人類は生き残ってきた。
絶滅危惧種に指定される動物たちとは違うのだよ。
人間は、
どんな絶望的な厄災からも、
必ず生き延びるようにできている」

 言われてみれば、
 確かにそうだ。
 地球滅亡の予言があっても世界は終わらなかった。
 どれほど凄惨な内乱が起きても、
 逃げ延びた人々がまた新しい街を作った。

 だけど――そんな歴史の証明で、
 俺が納得できるわけがなかった。
 生き残る人がいる影で、
 今この瞬間も、
 誰かが理不尽に命を落としているのだ。

「……じゃあ、
俺のせいで犠牲になった人たちは、
どうなるんですか?」

「犠牲になった人たち?」

「そうです!
本当に死んでしまった人たちが、
何億人もいるんだ!
その人たちは二度と帰ってこない! 生き返らないんだ!
どれだけ生き残る人間がいたとしても、
死んだ人が生き返るわけじゃない!!」

 激昂しそうになる胸の痛みを、
 俺は必死に平常心で抑え込みながら叫んだ。

 コンディジオーネさんは話のわかる良い人だと思ったのに、
 君もスクイアットロと同じように、
 他人の死を
「仕方のないシステム」
 として受け入れろと言うのだろうか。

「……申し訳ないが、
一度失われた命が生き返ることはない。
だがね、
少年。
残酷なようだが、
世の中というものは、
その『循環』で成り立っている側面もあるのだ」

「どういうことですか……?」

「どんなに悲しくとも、
どれほど理不尽であっても、
肉体に魂が永劫に宿り続けることなどないのだよ。
『不老不死』もあり得ない。
君はまだ若いから受け入れがたいかもしれないが、
世界には、
ただ頭を垂れて受け入れるしかない絶対的なルールがある」

「コンディジオーネさんは……」

 俺は鉄格子を強く握りしめ、
 彼を睨みつけた。

「君は、
自分の身近な人が、
ある日突然、
自分のせいで姿を消しても悲しくないんですか!?」

「悲しいさ」

 コンディジオーネさんの声のトーンが、
 わずかに落ちた。

「私も幼い頃、
両親が目の前で物言わぬ肉塊に変わった時は、
完全に心が壊れて廃人のようになった。
その後に送られた児童養護施設にも、どうしても馴染むことができなかったよ。
……だけどね、
私はそれすらも、
自分という人間を形成するために必要な苦痛だったと、
受け入れるしかなかったのだ」

 一瞬、息が詰まった。
 この人も、俺と同じだったんだ。

 だけど――だからこそ、
 俺は拒絶した。

「……俺には、
親っていう存在の記憶すらないです。研究所を追い出されて、
児童養護施設にも馴染めなくて、
幼稚園からも逃げ出した。
俺はもう、あの場所に戻るつもりはない。
……だから、そ
んな風に諦めて受け入れられるコンディジオーネさんとは、
分かり合えないかもしれないです」

「分かり合えなくていいさ」

 コンディジオーネさんは、
 拒絶されてもなお、
 穏やかに微笑んだ。

「私と君は違う人間だ。
……それで、君はこれからどうしたいんだい?」

「え……?」

「ここで、
いつまでもうずくまって泣いているつもりかい?
自分の運命を呪いながら、
この狭い牢獄で一生を終えるか?
……それとも、その『死に寄せ』の呪いを解く方法を、
私とともに見つけたいとは思わないか?」

 呪いを、解く方法。

 その言葉が、
 暗闇の中で微かな光のように弾けた。

「……見つけたいです。
こんな牢獄に閉じこもって泣いていたって、何の解決にもならない。
だから、
俺は……
二度とあんな惨劇を繰り返さないために、
探します。
この最悪な『死に寄せ』を消し去って、
今度こそ、
誰も死なない平和な時間を過ごせる方法を!」

 俺の言葉を聞き、
 コンディジオーネさんは満足そうに頷いた。

「なら、決まりだな」

「決まりって、
何がですか……?」

 俺は思わず問い返す。
「この負の連鎖を止めたいなら、
行動するということだ。
何かを変えたいなら、
何かを成さなくてはならない。
立ち止まったままでいては、
何も始まらないからね」

 コンディジオーネさんの言葉を聞いているうちに、
 また視界が涙で滲んできた。
 だけど今度は、
 悲しさの涙じゃない。

 この人は、
 世界から
『歩く死神』
 と恐れられ、
 何億もの命を消し去ってしまったこんな俺を、
 拒絶せず、
 怖がりもせず、
 受け入れてくれている。
 そんな大人がこの世にいるなんて、思いもしなかった。

――俺は、
 また歩き出せる。
 そんな希望が胸に灯るだけで涙が溢れてしまうなんて、
 自分でも自分の心の仕組みがよく分からなかった。

「俺……、歩き出したいです」

 俺の決意に応えるように、
 重々しい鉄格子の扉が開かれた。

 だけど、
 これで絶望が終わったわけじゃない。
 ここからが、本当の始まりなんだ。

 コンディジオーネさんと共に薄暗い廊下を歩いていると、
 前方にスクイアットロが佇んでいた。
「……大丈夫だったか?」

 いつも生意気な口調のあいつだ。「お主はいつまでメソメソしているんだ」
 と鼻で笑われるのを覚悟していた俺にとって、
 直球の心配をされるのは完全に想定外だった。

「うん……」

 大丈夫なわけはなかったけれど、
 それしか言葉が出なかった。
 自分でも情けなくなるくらい、
 弱々しい返事だ。

「そうか。
……ごめん、
おいらも少し言い過ぎたところがあったかもな。
上司にこっぴどく注意されて、
ようやく気づいたんだ。
おいらは本当に、
人の気持ちを慮るということが分かっていない。
おいらなりにお主に歩み寄ったつもりだったんだが
……何も分かってあげられなくて、
申し訳ない」

「スクイアットロ……」

 どんな顔をして、
 どんな言葉を返せばいいのか分からず、
 俺はただあいつの名前を呟くことしかできなかった。

 コンディジオーネさんが、
 俺とスクイアットロを交互に見ながら静かに口を開く。

「スクイアットロにも悪気はないのだよ。
彼なりに、
君を理解しようと努力はしている。
だが世の中には、
他者の痛みを分かち合いたくても、
構造的にそれができない者もいるのさ。
彼は幼い頃から過酷な任務の数々をこなしてきた。
だから、
多少の残酷な光景には、
心が麻痺するほど慣れきってしまっているのだろう」

「はい……」

 俺は、
 コンディジオーネさんの言葉を半分も理解できていなかったかもしれない。
 人が死ぬことに慣れるなんて、
 俺には絶対にあり得ないと思っているけれど……過酷な世界を生き抜いてきた彼らにとっては、
 それが現実なのだろうか。

 ある日のことだ。
 この新しい世界の街を歩いていた俺は、
 路地裏で一人のいじめられっ子の少年を見つけ、
 放っておけずに助けようとした。
 だが、
 それが仇となり、
 俺自身が不良グループの三人組に囲まれてしまった。
 カエルの子はカエル。
 研究所上がりの、
 戦う術も知らない俺が、
 荒事慣れした不良たちに勝てるわけがなかった。

「嘘だろ……」

 体格差以前に、
 彼らから放たれる暴力の気配に、
 俺は恐怖で足がすくんで動けなくなった。
 俺は弱い。
 ただの落ちぶれだ。

「助けて……誰か、お願いだ……」

 地面に這いつくばりながら、
 俺は震える声で救いを求めた。

「ははっ!
なんだか知らねえけどさ、
こんな場所に大人が助けに来てくれるわけねえだろ!」

 不良たちは、
 無様な俺の姿をせせら笑う。

 一人の不良がニヤニヤと笑いながら拳を握りしめ、
 その拳がまっすぐ俺の顔面へと突き出される――。

 激しい痛みを覚悟して、
 俺が目を瞑ったその時だった。

「弱い者いじめは、
感心しないのです」

 凛とした声が響き、
 俺たちの間に背中まで届く長い紫髪の少女が現れた。
 年齢は、おそらく俺と同じくらいだろう。

「あぁ? なんだお前?」

「はん、
女一人がしゃしゃり出てきたところで、
どうってことねえんだよ!」

「これ以上やるなら、
痛い目を見ることになるのですが?」

 少女の鋭い眼光が、
 不良たちを射抜く。

「やれるもんならやってみろよ!」

「そんな細っそい体で、
俺たちに何ができるってんだよ!」

「うちに牙を剥くということがどういうことか、
よーく分からせてあげるのです」

 少女の言葉に、
 不良の一人が
「なめてんのか!」
 と掴みかかろうとした。

「なめていますが……。
これを見ても、
まだ図に乗れるのですか?」

 少女がすっと人差し指を立てると、  その指先から、
 陽炎のような小さな、
 だけど禍々しい炎がゆらりと立ち上った。

「ひっ……!?」

 それを見た瞬間、
 不良たちの顔から一気に血の気が引いた。
 本能的な恐怖が彼らを支配したのだ。

「この火が君たちの肉体を焼き尽くすことになっても、
 まだ続けるというのですか?」

「す、すいませんでしたぁっ!!」

 不良三人組は、
 文字通り一目散に逃げ出していった。

「助けてくれて、
 ありがとうございます。
 あの……君は一体……?」

「ただの通りすがりなのですわ。
それよりも、この倒れている人は?」

 彼女が指差したのは、
 俺が助けようとして、
 不良たちに殴られ気絶してしまった少年だった。

「近くの建物の中に運びます」

 俺は気絶した少年を背負って急いで施設の中へと運び込み、
 近くにいた一人の職員に事情を説明した。
 職員の女性は一瞬、
 顔を真っ青に強張らせたけれど、
すぐに
「……分かったわ」
 と一言だけ返事をした。

 何かを深く考えていそうな表情をしていたのが少し気にかかったけれど、これ以上の治療や手配は、
 大人であるこの人に任せるしかなかった。

 建物の外に出ると、
 先ほどの紫髪の女の子が待っていた。

「さっきは本当にありがとう。
……俺、名前を聞いてもいいかな?」

「わからないのです」

「え?」

「うちには、名前がないのです。
生まれた時から、ずっと……」

「名前がないって、
それってどういう……」

 俺が困惑するより早く、
 彼女の方から静かに問いかけてきた。

「君は?」

「……俺も、君と同じなんだ。
名前がなくて」

「君も、名前がないのですか?」

「うん……」

「うちはね、
小さな檻の中に閉じ込められていて、教育も受けられずに育ったのですわ。
だから名前も、
正確な年齢も、
誕生日すらも分からないのです」

「誕生日が分からないのは、
俺も一緒だ。
一応、
年齢だけはこれくらいって決まっているみたいだけど」

 俺には生まれた時から名前も、
 誕生日もない。
 当然、戸籍だって存在しない。

 俺だって、
 本当は名前が欲しい。
 だけど、どんな名前が良いのか、
 どうやって名前を付ければいいのかさえ、
 正直言って分からないのだ。

 世の中には変な名前を付けられて惨めな思いをする子供もいると聞く。
 けれど、呼ぶべき
『名前そのものがない』
 という事実もまた、
 俺にとっては惨めさ以外の何物でもなかった。

「誰にも、
自分の名前を聞いたことはないのですか?」

「あるよ。
でも、誰も答えてはくれなかった」

「うちと、本当に同じなのかもしれないですわね。

うちは、
自分の親が誰なのかさえ知らないのですから」

――俺という存在は、
 一体何なのだろう。

 自分でも自分が分からなくて、
 それなら、
 世界の誰も俺のことなんて分かりっこない。
 俺は一体、
 何のためにこの世界に存在しているのだろうか。

 翌日、
 あの不良グループの三人組が、
 全員冷たい死体となって発見された。

 表向きは何かしらの凄惨な事件に巻き込まれたのだと処理されていたけれど、
 本当の理由は分かっている。

 この新しい世界に逃げてきてさえ、俺の『死に寄せ』は発動してしまったのだ。

 昨日、
 ほんの少し接触しただけの命さえ、俺は救うことができなかった。
 胸の奥に、
 また重く黒い鉛のような絶望が沈んでいくのを感じていた。

 俺は血相を変えて、
 コンディジオーネさんが普段執務を行っている部屋へと駆け込んだ。

「コンディジオーネさん!
ここにいても安全じゃないんですか!?」

「私がいつ、
君の安全を保証すると言ったんだい? 記憶を都合よく改ざんしてはいけないな。
私とスクイアットロが
『一緒にいても死なない』
という、ただそれだけの話だ」

 あまりにも辛辣な態度に、
 俺の心はすっと冷えていく。

「だけど……今日も、
すぐ近くで人が死んだんです!」

「そうか。
だとしても、
私にもどうすることもできないな」

 どうしてこの人は、
 こんな異常事態の真っ只中で平然としていられるんだろう。
 俺の胸の奥から、
 ふつふつと激しい怒りが湧き上がってくるのを感じた。

「なんとも、思っていないんですか!?
人が死んだんですよ!」

「そんなわけがないだろう」

 コンディジオーネさんは本の手を止め、
 まっすぐに俺を見た。

「悲しい気持ちもある。
哀れみもある。
だがね、
私にもどうすることもできない。
ただ、それだけだ」

 冷徹な言葉に、
 俺はカッとなって叫んでいた。

「どうにかしてくれないんですか!
君なら、何かできるはずだろ!」

「……スクイアットロの言う通りだな。
小学校に上がる前、
幼稚園に入りたてのような年齢の子供に、
世界の仕組みをどう説明したものか。これは本当に悩ましい」

 コンディジオーネさんは深く椅子にもたれかかり、
 静かに語りかけてきた。

「いいかい?
世の中には、
救える命と、
救えない命がある。
私もできれば救える命はすべて助けたい。
だがね、
どうしても救えない命に出くわしてしまった時、
一体どうしたらいいと思う?」

 俺の答えは、
 即答だった。

「そんなの、
救えるように可能にすればいいだけだろ!」

「……やはりな」

 コンディジオーネさんはフッと皮肉な笑みを浮かべた。

「自分には不可能なことを求めないくせに、
他人にはそれを平然と求めるわけだ。
なら、
その我儘がいつまで世界に通じるか、身をもって理解するまで教育が必要だな」

 こうして俺は、
 コンディジオーネさんの勧めで、様々な特殊な事情を抱えた子供たちが集まるという巨大な学園に通わされることになった。

 その学園は、
 幼稚園から大学までがひとつの広大な敷地に収まっているという。
 当然、
 俺は幼稚園の年少クラスに入れられるわけだが、
 俺の『死に寄せ』のせいでまた同じ悲劇が繰り返されるのではないかと、絶望感しかなかった。

 俺はコンディジオーネさんが理解できない。
 あんなに苦しんでいる俺を、
 どうして突き放すようなことをするんだ。

 どんな学校に行こうが、
 俺が死神である事実は変わらない。また同じ地獄を味わうだけだ。
 抵抗も虚しく、
 俺は全寮制のその学園へ半ば無理やり送り込まれた。
 教室の隅で、
 俺はこれからの恐怖にめそめそと泣いていた。

「どうしたのですか?」

 頭上から聞こえた声に顔を上げると、
 そこには見覚えのある、
 背中まで伸びた長い紫髪の女の子が立っていた。

「君は……! あの時の……!」

「男の子がそんな風に泣くところは、こんなにも格好悪いのですわね。

せっかくの久しぶりの再会だったのに、これはちょっと引いたのです」

 馬鹿にされたようで悔しくなり、
 俺は慌てて乱暴に涙を拭った。
「な、泣いてないし! 目にゴミが入っただけだし!」

「わかりやすい嘘をつくのですねえ」

 紫髪の女の子は、クスリと楽しそうに笑った。

「この学園に来たらね、
先生がみんなの名前を発表してくれるって言っていたのですわよ。

よかったですわね。
君も、
やっと名前を授かることができるのですのよ?」

「どういうこと?
俺みたいな呪われた奴は、
名前なんて持っちゃいけないんじゃないの?」

 不思議そうに問いかける俺に、
 彼女は呆れたように小さく笑った。

「これが、
平等っていうやつなのですわ。
名前を授かる権利も、
生きる権利も、
生まれた時から誰もが持っていていいものなのですわ。
うち達のように、
呪いを受けたからってすべてを諦めなくていいようにしよう、
っていうのがこの学園の目的なのですから。
……君、コンディジオーネさんから何も聞かされなかったのですか?」

 そう言われてみれば、
 あの時、
 彼は何かを説明しようとしていた気がする。
 だけど俺はすでに大泣きしていて、彼の説明をまともに聞けるような状態じゃなかったのだ。

 あの時しっかり話を聞いていればと、
 今更ながらに後悔が押し寄せる。

「この学園にはね、
君やうちみたいに、
色んな呪いに悩まされている人たちが全国から集まるのですよ。
だから――仲良くしましょう、
なのです」

「……いいの? 俺なんかと、友達になっていいの?」

「それも権利なのです。
君は、もっと自信を持って生きていいのですよ」

 彼女の力強い言葉に胸が熱くなっていると、
 ガラリと教室の扉が開き、
 一人の大人の女性が入ってきた。
 背筋がすっと伸びた、
 とても綺麗な人だった。

「皆さん、静粛に。
私は、今日から君たちの担当をすることになった先生です。
名前は、アシーロと言います」

「アシーロ? 足って意味ー?」

 一人の園児が叫んだのをきっかけに、
 俺を含めた子供たちは
「変な名前!」
 と一斉に爆笑した。

「こら! 私だから笑って済ませますが、
人の名前をからかうようなことをしてはいけません!」

 アシーロ先生は眉を釣り上げて怒ったけれど、
 どこか憎めない雰囲気があった。

「自分の名前に悩みを持っている人もいれば、
誇りを持っている人もいます。
だから、
名前を軽蔑するような真似は絶対にしないでくださいね」

 この先生、真面目そうだけどなんだか面白い人だな、
 と俺は少し緊張が解けるのを感じた。

「さて、これから本題に入ります。
今日、
生徒の皆さんにはそれぞれの
『名前』
を配ろうと思います。
この名前は一生使える大切なものですから、
しっかりと覚えておいてくださいね。名前を忘れてしまうことがないように、
メモを取るなど各自で工夫するようにしてください」

 やった。
 こんな俺でも、
 本当に名前をもらってもいいんだ。

 俺は期待に目を輝かせた。
 けれど、そこで一人の子供が手を挙げて反論した。

「えー、先生が全員の名前を覚えておけばいいじゃないですか?」

 その瞬間、アシーロ先生は顔を真っ赤にして叫んだ。

「先生を何だと思っているんですか! 生徒一人一人の名前なんて、
覚えられるわけがないでしょう!」

 それはなんていうか
……完全なる逆ギレだった。
 教室が微妙な空気で包まれる。

「と、とにかく! そういうことですから、これから順番に名前を配ります。

 君たちはそれぞれ、
いじめ寄せ、
死に寄せ、
不幸寄せ
……といった、
過酷な運命を抱えているかもしれません。
ですがね、
どんなに辛い出来事の連続だったとしても、
その中に一つでも楽しい思い出があれば、
それがいつか心を支える盾になります。
みなさんも、
お友達のことはしっかりと名前で呼んであげるようにしてくださいね」
< 1 / 1 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

海賊退治専門屋
苺 恋/著

総文字数/10,126

青春・友情6ページ

未来と過去とイフがわかるお嬢様の学園生活
苺 恋/著

総文字数/6,661

恋愛(学園)7ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
勝恋ちゃん マックス5年先までの未来が見れる。 過去は自分が生まれる少し前まで見れる。 イフは今の状態でこの選択をしたらなので、行動次第ではイフは増えたり減ったりする。 テストは未来は見ないようにはするけど、過去は見る。過去を見ても数学は解けない。
元不良お嬢様〜小さな苺姫の物語〜
苺 恋/著

総文字数/10,139

恋愛(学園)10ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
この作品はエブリスタ、アルファポリスでも投稿しています。 毎ちゃん ハーフツインシニヨンの髪型にしています。 好きな色はストロベリーピンクと苺色。 いちごクリニックの医師令嬢。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop