【完】猶龍(ゆうりゅう)
第五部 英国留学
◇第一話
江戸に着いた信三は、藤田の紹介状を手に中村正直の私塾を訪ねた。私塾は表向きは静かな武家屋敷の一角にあったが、中に入るとそこにはこれまで信三が見たことのない種類の熱気があった。若者たちが机を並べ英語の書物を音読しており、時には激しく議論を交わしている。
江戸という町そのものも、信三にとってこれまで見てきたどの土地とも異なる圧倒的な規模を持っていた。横浜という開港地は、異国の文化と日本の文化が直接的に接触するいわば実験場のような町であった。
しかし江戸は、幕府の政治の中心として長い歴史の蓄積を持つ巨大な都市であった。信三は、その町の広さとそこに息づく人々の多様さにまず、圧倒された。
私塾の中では、様々な出自の若者たちが共に机を並べていた。武士の子弟だけでなく、商人の息子、そして信三のように複雑な過去を持つ者も少なくないようだった。それぞれが、この国の将来に対する強い危機感と同時に新しい学問への、抑えきれない渇望を共有していた。
中村正直という人物は信三が想像していたよりも、ずっと穏やかな佇まいをしていた。眼鏡の奥の目は、常に何かを静かに観察しているような深い落ち着きを持っていた。中村は、幕府の洋学の教授として既に広く知られた人物であった。
しかし、その名声にもかかわらず彼の物言いには、権威を誇示するような様子は、まったく見られなかった。
「藤田殿の紹介とのことだが、お前は、これまで、何を学んできたのか」
中村にそう問われた時、信三はこれまでの経緯をどこまで語るべきか、一瞬迷った。しかし、この人物の前では偽ることに意味がないように感じられた。彼は僧としての過去、任務としての潜入、そして、還俗に至る経緯をかいつまんで語った。
この告白は、信三にとってこれまでの人生の中で、最も率直な自己開示の一つであった。彼は、これまで了念やお雪、そしてバラにさえ自分の過去のすべてを、完全に開示することはなかった。しかし、この初めて会った学者を前にして彼はなぜか、これまでの経緯をできる限り正直に語りたいという、強い欲求に駆られていた。それは、おそらく中村という人物が彼自身、幕府の学者としての立場と西洋の新しい学問への傾倒というある種の矛盾を抱えながら生きてきた人物であることを、信三が直感的に感じ取っていたからかもしれなかった。
中村は、その話を驚くほど静かに聞いていた。話が終わった後、中村はしばらく黙考してから口を開いた。
「お前は、多くのものを失ってきたようだ。しかし、失うことを恐れなかった者だけが本当に新しいものを手に入れることができる。お前には、その資質があるようにわしには見える」
その言葉は、信三の胸に深く響いた。これまでの自分の彷徨が、単なる失敗の連続ではなく、何かへ向かうための必要な過程であったのかもしれないと、初めてそう思わせてくれる言葉だった。
中村は、さらに続けて自分自身の若い頃の経験について簡潔に語った。彼もまた、幕府の学者としての保守的な立場と蘭学、そして後に英学への傾倒との間で幾度も内的な葛藤を経験してきたのだという。
「わしもまた、これまでの人生の中で幾度もこれまでの自分を捨てねばならなかった」
そう言った中村の言葉は、信三にとってこれまでの自分の経験が決して、特異なものではなくこの激動の時代を生きる者たちに、共通する経験の一つであることを静かに示すものであった。
◇第二話
中村の私塾での日々は、信三にとって久しく忘れていた純粋な学びの喜びに満ちていた。英語の文法や西洋の歴史、そして西洋の思想をそれらを学ぶ度に信三は、かつて寺の書庫で蘭学の書物を盗み見ていた少年の頃の感覚を鮮明に思い出した。
私塾での学びは、体系的で厳格なものであった。信三は、これまで独学で断片的に学んできた英語の知識を、初めて正式な形で整理し直す機会を得た。文法の規則、単語の正確な発音、そして文章の構成のそれらを、一つ一つ丁寧に学び直していった。
この過程は、時にこれまでの独学で得た不完全な知識を修正しなければならないという幾分痛みを伴うものであった。しかし、信三はその痛みをむしろ喜びとして受け入れることができた。それは、彼が正しい理解へと確実に近づいていることの証であったからである。
私塾には、他にも様々な背景を持つ若者たちが集まっていた。彼らとの交流の中で、信三は、これまでの長崎や横浜での日々とは異なる新しい種類の知的な刺激を得ることができた。
彼らの多くは、この国の将来について熱い議論を交わし、時には激しく対立することもあった。しかし、その対立の根底には共通してこの国をより良くしたいという切実な願いがあった。
しかし、学びが深まるにつれ信三の中には新たな問いも生まれていった。西洋の思想の根底には、しばしばキリスト教の教えが深く根を張っていた。かつて、任務としてそして、お雪やバラとの関わりの中で個人的に触れてきたその教えに、今度は学問というまったく異なる角度から再び向き合うことになったのである。
この再会は、信三にとって複雑な感情を伴うものであった。横浜での日々で彼は、ヤソ教徒たちの信仰の在り方に深く心を動かされながらも、その信仰が幕府や宗門にとって危険視される対象であることを、常に意識せざるを得なかった。だが、この私塾ではキリスト教の思想はむしろ、西洋の学問の重要な背景として当たり前のように議論の対象となっていた。この違いは、信三に時代がどれほど急速に変化しつつあるのかを改めて実感させるものであった。
「先生は、西洋の学問を学ぶ上でキリスト教の教えをどのように捉えておられますか」
ある日、信三は中村にそう問うた。中村は、静かに答えた。
「学問と信仰は、別のものだ。しかし、西洋の学問の多くはキリスト教という土壌の上に育った木の実だ。木の実だけを取って、土壌を無視することはできぬ。学ぶ者は、その土壌の性質も理解せねばならぬ」
その言葉は、信三の中でこれまでの経験、それらすべてをより広い視野の中で位置づけ直すきっかけを与えてくれた。彼は、これまでそれぞれの信仰や思想を、いわば個別の独立した経験として自分の内側に留めてきた。しかし、中村の言葉はそれらをより大きな比較の視野の中で捉えるための、新しい枠組みを彼に与えてくれたのである。
◇第三話
慶応の末、中村正直の推薦により信三は、幕府の派遣する留学生の一員として英国へ渡る機会を得た。
これは、彼の人生における最も大きな転機の一つだった。
この推薦を受けた時、信三は深い驚きと同時に大きな不安を感じた。幕府の派遣する留学生という立場は、通常藩や幕府から明確な期待と将来の役割を与えられた俊英たちに与えられるものであった。
信三のような複雑な過去を持ち、明確な藩の後ろ盾も持たない人物がこの機会を得ることは極めて稀なことであった。中村は、この人選にあたって信三のこれまでの経験――特に蘭学や英学への独学での深い理解、そして異文化との接触における柔軟な適応力を高く評価したのだという。
出発の前夜、信三は中村のもとを訪れてこれまでの学びへの感謝を述べた。
中村は、信三に一冊の書物を手渡した。
「これは、わしが英国で学んだ折に得た書物だ。西洋の教育についての考察が記されている。今のお前には、まだ必要のないものかもしれぬ。しかし、いつかお前の中でこの書物の意味がはっきりと分かる日が来るだろう」
信三は、その書物を丁重に受け取った。しかし、この時、彼はその書物の中に記された思想――フリードリヒ・フレーベルという教育者の名とその幼児教育の理念が後の彼の人生を、大きく方向づけることになるとはまだ想像していなかった。
彼は、その書物を他の荷物と共に丁寧に、旅行鞄の中にしまい込んだ。
横浜港から、英国へ向かう船に乗り込んだ信三の胸にはこれまでのどの旅立ちとも異なる感覚があった。
故郷を出た時の恐れと興奮、長崎から横浜へ向かった時の使命感、そして、還俗した後の、拠り所のない漂流感……それら全てとは違う、静かなしかし確かな期待が彼の中にあった。
横浜の港に立ち、これから乗る船を見つめながら信三はこれまでのこの港との深い縁を静かに思い返していた。
かつて、名を変え任務を負ってこの港から様々な場所へと動いた日々。お雪との出会いと別れがこの港の近くで静かに展開していった日々。
そして今、この港からこれまでで最も遠い地へ新しい目的を持って旅立とうとしている。この巡り合わせの中で信三は、自分の人生のある種の円環的な性質を、感じ取っていた。
第四話
英国への船旅は、長く、そしてこれまでの人生のどの旅よりも、信三に深い孤独を強いるものだった。何ヶ月もの間、彼は見知らぬ海の上で見知らぬ言葉を話す人々に囲まれながら過ごさねばならなかった。
この長い船旅の間、信三は同乗する他の留学生たちと次第に交流を深めていった。しかし船旅の初期、彼は多くの時間を一人で過ごすことを選んだ。それは、これまでの人生のあまりに多くの出来事をまだ、完全には整理できていなかったからであった。
彼は、船室の狭い空間の中で幾度もこれまでの日々を振り返り、そしてこれから向かう未知の地への期待と不安とを静かに噛み砕いていった。
船上で信三はしばしば甲板に立ち、変わりゆく星空を見上げた。故郷の三河で見た星空、長崎や横浜で見た星空……それらと、今、目の前に広がる星空は同じものであるはずだった。しかし、見る場所が変わるごとに星々の並びは、微妙にその姿を変えていった。
この星空の変化は、信三にとって単なる天文学的な現象を超えた、深い象徴的な意味を持つものであった。彼は幾夜も甲板に立ち、この星空の変化をじっと観察し続けた。同じ夜空でありながら、見る場所によってその配置が変わっていくその事実は、彼自身のこれまでの人生の在り方と驚くほど重なり合うものであった。
「星さえも場所によって違う顔を見せる」
信三は、そう独り言のように呟いたことがあった。その言葉には、猶龍、安藤劉太郎、そして関信三と、幾度も名を変えてきた自分自身への静かな自己言及が込められていた。
同じ一つの魂が置かれる場所によって異なる名前、異なる姿を纏う。それでも、その奥にある何かは、変わらずにそこに在り続けているのだろうか。
信三は、その問いへの答えをまだ見出せてはいなかった。
船旅の中盤、船は幾つかの港に寄港した。それらの港――上海、シンガポール、そして、様々な異国の地で、信三はこれまで想像もしなかった多様な人々の姿と文化の在り方を目の当たりにした。
それぞれの土地にはそれぞれの土地の言葉、それぞれの土地の信仰、それぞれの土地の生活の知恵があった。この多様性の実感は、信三の中でこれまで日本という国の中だけで培われてきた、彼の世界観を大きく広げるものであった。
◇第五話
英国に到着した信三を待っていたのは、これまで想像もしなかった圧倒的な異文化の洪水だった。
ロンドンの街並み、蒸気で動く機械の群れ、そして整然と活気に満ちた人々の生活それらすべてが信三の目に新鮮な一方、時に、耐え難いほどの衝撃を与えた。
ロンドンという都市の規模は、信三がこれまで見てきたどの都市とも、比較にならないものであった。江戸の広大さ、横浜の異国情緒それらは信三にとって既に大きな驚きをもたらすものであった。
ロンドンの規模とその産業化の進展は、それらすべてをさらに大きく超えるものであった。街を行き交う馬車の数、工場の煙突から立ち上る煙、そして、ガス灯によって照らされる夜の街並み――それらは信三にとってこの国がこれまで想像していたよりも遥かに進んだ文明を持つ国であることを痛感させるものであった。
言葉の壁は、彼が想像していたよりも遥かに高かった。
中村の私塾で学んだ英語は、実際の生活の中ではほとんど役に立たないことも多かった。市場で品物を買うことすら、最初の数ヶ月は大きな苦労を伴った。私塾で学んだ文語的あるいは、教科書的な英語と実際の街の人々が話す生き生きとした一方、時に極めて崩れた発音の英語との間には大きな隔たりがあった。
信三は、この隔たりを日々の生活の中で一つ一つ実践的に埋めていかねばならなかった。
しかし、信三はこの困難の中にむしろある種の解放感を見出していた。ここでは、彼は猶龍でも安藤劉太郎でもそして、関信三としてのこれまでの重い経験を知る者も、誰一人いない。彼は、ただ、一人の言葉を学ぶ異国の青年としてこの街を歩くことができた。
この匿名性は、信三にとってこれまでの人生の中で経験したことのない種類の静かな安らぎをもたらすものであった。
この匿名性の中で信三は、初めて自分自身のこれまでの様々な立場を思い出すきっかけにもなった。住職の息子や僧、任務者、そして還俗した青年としてではなく、ただ一人の学ぶ意欲を持った人間として見つめ直すことができるようになった。
それは、彼にとってこれまでの重い過去を完全に忘れ去ることを意味するものではなかった。しかし、その過去の重みから少しの間に距離を置くことができるという事実は彼の心に、これまでにない静かな余裕をもたらした。
下宿先の主人であるトンプソン夫人は、信三に親切に接してくれた。
夫人は、敬虔なキリスト教徒であり日曜には信三を教会の礼拝に誘った。トンプソン夫人は、夫を早くに亡くしており一人でこの下宿を営んでいる初老の女性であった。彼女には、子どもがいなかったこともあり、彼女は信三のことをまるで遠い異国から来た自分の息子のように細やかに気にかけてくれた。
「あなたの国にも、神を信じる人々がいるのでしょう」
夫人がそう問うた時、信三はこれまでの経験を思い出しながら静かに答えた。
「私の国にも、目に見えぬものを深く信じる人々がいます。その姿は、あなたがたの信仰と、多くの点で似ているように私には思えます」
その答えに、夫人は驚いたような、しかしどこか嬉しそうな表情を見せた。この対話は、信三にとってこれまで見てきた信じる人たちを改めて統合的な視点から見つめ直す機会となった。
◇第六話
ロンドンでの生活が数ヶ月続いた頃、信三はある教育機関を訪れる機会を得た。それは、幼い子どもたちのための特別な教育の場――キンダーガルテンと呼ばれる施設だった。
この施設との出会いは、極めて偶然のものであった。
信三は、トンプソン夫人の紹介で彼女の教会に集うある婦人と知り合った。その婦人は、慈善活動の一環として貧しい家庭の子どもたちのための幼児教育の施設を運営していたのである。信三の教育への関心を知った婦人は、彼にその施設を一度見学してみるよう勧めてくれた。
その場所を訪れた時、信三はこれまで見たことのない光景に深く心を動かされた。
幼い子どもたちが遊びを通じて数を学び言葉を学び、そして互いに助け合うことを学んでいた。教師たちは、子どもたちを単に教え込むのではなく彼らの内側にある、自然な好奇心を、そっと引き出すように導いていた。
施設の中では子どもたちが色とりどりの積み木を使って様々な形を作ったり、歌を歌いながら簡単な体操をしたりしていた。それらの活動は、一見、単なる遊びのように見えたが、その一つ一つには明確な教育的な意図が込められていた。積み木を組み合わせる中で子どもたちは、形や数量の感覚を自然に学んでいた。
歌と体操の中で彼らは、身体の使い方、そして他の子どもたちとの協調を学んでいた。
その光景を見つめながら、信三の中に忘れていた記憶が鮮明に浮かび上がってきた。
少年時代、彼が抱いた「なぜ」という問い。それを、父は、見えないからこそ尊いという言葉で静かに封じようとした。しかし、この場所の子どもたちはその「なぜ」という問いを封じられることなく、むしろ大切に育てられていた。
「これは、フレーベルという教育者が始めた教育の方法です」
施設の教師の一人が、信三にそう説明した。
「フレーベルは、子どもをまだ何も知らない空っぽの器としては見ていません。子どもは、それぞれ、内側に育つべき種を持っている。教育とは、その種が自然に育つための庭を整えることだと彼は考えました」
その言葉は、信三の胸にこれまで感じたことのない深い衝撃をもって響いた。彼は、その夜、下宿の一室で中村から手渡されたあの書物――フレーベルの教育思想が記された書物を改めて、丁寧に読み直した。
読み進めるうちに信三の中でこれまでの人生の様々な断片、少年時代の疑問、破邪僧としての葛藤、お雪の信仰、そして還俗した後の漂流――それらが一つのまだ完全には見えないが、確かな方向性を持った線として静かに繋がっていくのを感じた。
◇第七話
ある日キンダーガルテンの見学の後、信三は施設の庭で一人の子どもと出会った。その子どもは、庭の隅で蟻の行列をじっと見つめていた。
この時の信三は既に幾度もこの施設を訪れ、その教育の方法について教師たちと深い議論を交わすようになっていた。彼は単なる見学者としてではなく、次第にこの教育の方法をより深く理解し、いつか自分自身の手で実践してみたいという願いを、強く抱くようになっていた。
「何を見ているの」
信三が、覚えたばかりの英語でそっと問いかけると、子どもは顔を上げて無邪気な笑顔を見せた。
「アリさんたちが、どこに行くのか、知りたいの」
その答えに、信三は思わず微笑んだ。それは、かつて彼自身が少年時代に抱いた問いである「なぜ、阿弥陀様は目に見えないのに、いらっしゃると分かるのですか」という本質的に同じ種類の問いだった。
知りたいという純粋な欲求。それを、大人たちがどのように受け止めるかによって、その子どもの人生は大きく変わっていくのかもしれない。
信三は、この子どもに蟻の行列についていくつかの簡単な説明を試みた。しかし、その説明の途中で彼は、ふと自分自身がこの子どもに答えを与えすぎることの危うさに気づいた。彼は説明を止め、代わりに子どもと共にしばらくの間、黙って蟻の行列を見つめ続けることにした。
この選択は、信三にとってフレーベルの教育思想への初めての実践的な理解の一歩であった。子どもの問いに、すぐに答えを与えることは時に、その子ども自身が自分の力で答えを探求する機会を奪ってしまうことになるのかもしれない。信三はこの日、この小さな出来事の中に教育という営みの深い、そして繊細な本質を垣間見たように感じた。
信三は、その日下宿に戻った後、長い間一人で考え込んだ。自分は少年時代、その問いを、父からは十分に受け止めてもらえなかった。しかし智源という老僧、そして、了念、母――それぞれの形で、その問いを大切に扱ってくれる人々もいた。
もし、すべての子どもたちがその問いを大切に育てられる場を持つことができたなら……信三の中にこれまで経験したことのない、静かなしかし強い願いが生まれ始めていた。
◇第八話
英国での生活は二年近くに及んだ。
この間、信三は英語の学問だけでなく西洋の教育思想、そしてキリスト教の思想についても、深く学んだ。彼は、もはや、これらを任務のための観察対象としてではなく、自分自身の内側から生まれる問いへの答えを探すための真剣な学びとして、受け止めていた。
この二年間、信三はキンダーガルテンでの見学だけでなく、フレーベルの著作や他の西洋の教育学者たちの理論についても、幅広く学ぶ機会を得た。
彼は時に、専門の教育学の講義にも聴講生として参加することを許された。そこでは、子どもの発達段階に応じた適切な教育方法についての体系的な理論が講じられていた。
信三は、これらの学びを通じて教育という営みが、単に知識を伝達する行為ではなく一人の人間の内側にある可能性を丁寧にそして、根気強く育てていく営みであることを深く理解するようになっていった。
それは、少年時代に彼が感じてきたことそれらすべての中に、既に幾つもの断片として存在していたものであった。しかし、フレーベルの思想という体系化された枠組みを通じてそれらの断片は、初めて一つの明確な理論として信三の中に統合されていったのである。
留学の終わりが近づく頃、信三はトンプソン夫人に深い感謝の意を述べた。
「あなたは最初にここに来た時よりもずっと、穏やかな目をしています」
夫人がそう言った時、信三は静かに頷いた。
「この国で、私は、多くのことを学びました。特に、幼い子どもたちの教育について、深く心を動かされました」
「それはあなたの国でも、必要とされているものかもしれませんね」
その言葉は、信三の中でまだ形を持たない、しかし確かなこれからの人生の方向性を静かに、しかし力強く指し示すものだった。
◇第九話
帰国の船に乗る前夜、信三はロンドンの街を最後に一人で歩いた。ガス灯の灯りが、石畳の道を静かに照らしていた。
彼は、懐から了念に返してもらった少年時代に書き写した異国の文字の古い紙を取り出した。長い年月を経てその紙は、さらに黄ばみ、折り目もますます深くなっていた。しかし、そこに書かれた拙い文字は、まだはっきりと読み取ることができた。
この紙を、信三はこれまでの長崎、横浜、そして、英国への旅の間、常に肌身離さず持ち続けていた。それは彼にとって故郷とのそして了念との消えることのない繋がりの証であった。たとえ、了念との関係があの茶屋での決別によって大きく損なわれたとしてもこの紙が象徴する少年時代のあの純粋な友情の記憶は信三の中で決して消え去ることはなかった。
あの頃の自分は、まだ何も知らなかった。ただ、知らないことへの純粋な飢えだけを抱いていた。今、この地で多くを学んだ自分はその飢えの先に単なる知識だけではなく、一つの、生きる方向性を見出しつつあった。
子どもたちの内側にある育つべき種をそっと育てる庭を整えることがこれから、自分が為すべきことなのかもしれない。信三は、その予感をまだ、完全な確信としては持てていなかった。しかし、それはこれまでの彷徨の中で彼が得た、最も確かな方向性だった。
帰国の船が英国の海岸を離れる時、信三は甲板に立ち遠ざかる陸地をいつまでも見つめていた。この地で得ることができたフレーベルの思想、そして子どもたちの姿への深い感動―を故郷の国にどのように持ち帰り、根付かせることができるのか。
その答えは、まだはっきりとは見えていなかった。
しかし、信三の胸の中にはこれまでのどの時期にもなかった静かで確かな灯りが燃え始めていた。それは、任務のための忠誠でも消えることのない疑問という炎でもなく、これから自分が誰かのために何かを育てていくのだという新しい種類の情熱だった。
船が大海原を進む間、信三は幾度もその灯りを胸の中で確かめた。
故郷に戻った時、この灯りがどのような形を取ることになるのか。それは、まだ彼にも分からなかった。しかし、彼はもう、迷いの中だけに留まってはいなかった。
彼は、初めて自分自身の意志で選んだ一つの方向に向かって進み始めていたのである。
◇第十話
時を少し遡る。
英国に到着してから半年ほど経った頃、信三は同じくロンドンに留学していた他の日本人青年たちとも次第に親交を深めるようになっていった。
彼らの多くは、幕府や諸藩から派遣された若き俊英たちだった。
この留学生仲間たちとの交流は、信三にとって異国での孤独な日々の中で大きな慰めとなるものであった。彼らは、それぞれ異なる藩や異なる背景を持っていたが、共通してこの激動の時代における日本という国の将来について深い関心と強い危機感を抱いていた。
彼らとの交流の場は、時に下宿の一室で、時に街の食堂で様々な形で持たれた。
その中に、山内という信三よりも数歳年下の青年がいた。山内は、開明的な藩の出身で将来は西洋の法制度を学び、国の制度改革に貢献したいという明確な志を持っていた。
山内は、その明確な志ゆえに留学生仲間たちの中でも一種の中心的な存在として皆から頼りにされていた。
「お前は何のために、この国に来たのか」
ある夜、下宿の一室で酒を酌みながら山内が信三にそう問うたことがあった。信三は、その問いにすぐには答えられなかった。
「正直に言えばまだ……はっきりとした目的を持ってはいない」
「それでは、お前は何のためにこの遠い国まで来たのだ」
信三は、しばらく考え込んだ。それから、静かにこれまでの人生の断片を山内に語った。 破邪僧としての任務、お雪との出会いと別れ、了念との決別、そして、還俗という選択を。
この告白は、信三にとってこれまでの人生の中で最も詳細な自己開示の一つであった。彼は、これまで中村に対してもこれほど詳細に自分の過去を語ることはなかった。山内という、同じ時代を、同じ異国の地で生きる若い仲間に対して彼は、なぜかこれまでの重い経験を、より率直に語ることができたのである。
山内は、その話を驚きながらも真剣に聞いていた。
「お前の人生は、俺たちのような藩から与えられた明確な使命を持つ者とはまるで違う。お前は、幾度も拠り所を失いながらそれでも歩き続けてきたのだな」
「拠り所を失うことは、恐ろしいことだ」
「だが、お前はその恐ろしさの中で何を見つけたのだ」
その問いに、信三はこの時、まだ明確な答えを持っていなかった。しかし、山内とのこの対話そのものが彼の中で少しずつ答えへの道筋を整えていくことになった。
◇第十一話
留学生仲間たちとの交流の中で信三はまた、日本という国の未来について幾度も熱い議論を交わす機会を得た。
多くの留学生たちは西洋の軍事技術、法制度、そして産業の仕組みに強い関心を寄せていた。それらは、確かにこれからの日本にとって重要な学びであるように信三にも思えた。この時期の日本は既に戊辰戦争へと向かう政治的な激動の中にあり、留学生たちの間でも故郷から届く断片的な情報を通じてその緊張が絶えず話題となっていた。
しかし、信三自身の関心は次第により地味で、しかし、より根源的な人間そのものの育ちという問題に向かっていった。
「お前はなぜ、そんなにも子どもの教育などに興味を持つ?」
山内が、そう問うたことがあった。
その口調には、わずかな戸惑いが混じっていた。当時の留学生たちの多くにとって、幼い子どもの教育という分野は国家の未来を左右する軍事や法制度に比べて、あまりに小さな問題に見えたのだろう。
信三は、その問いに静かに答えた。
「俺は、これまでの人生で幾度も自分の中の『なぜ』という問いを大人たちから、封じられそうになった。もし、その問いが幼い頃から大切に育てられていたなら俺の人生は違う道を歩んでいたかもしれない」
「それが国の未来とどう関わるのだ」
「一人の子どもの中に育つ問いが、いずれ、その子どもが大人になった時に国の形を作っていくのではないか。俺には、そう思えるのだ」
山内は、その答えにすぐには納得しなかったようだった。
しかし、信三の言葉の中にある静かな確信を無視することもできなかったようだった。
「お前らしい考え方だ。だが、その考えが本当に実を結ぶかどうかは、まだ誰にも分からない」
「分からない。だが俺は、その分からないものに賭けてみたいと思う」
彼は、常に目に見える確実な道よりもまだ、はっきりとは見えない、しかし、自分の内側から強く求める道を選び続けてきた。この選択の一貫性を信三は、この時、改めて自覚するようになっていた。
◇ 第十二話
留学の後半、信三はフレーベルの思想についてより体系的に学ぶ機会を得た。ロンドンの書店でフレーベルの著作の英訳を入手し、下宿の一室で夜を徹して読み進めた。
この時期、信三は自らの英語の読解力が大きく向上していることを実感するようになっていた。留学の初期には、辞書を頼りに一文一文を苦労しながら読み進めていた彼がこの頃には、フレーベルの時に複雑な哲学的な文章を比較的、流暢に読み進めることができるようになっていた。この成長は信三にとって、これまでの地道な学びの日々が確かな成果として結実していることの具体的な証であった。
フレーベルの思想の核心には子どもを単に知識を注ぎ込むべき空の器としてではなく、それぞれが、内側に自ら育つ力を持つ種として捉える深い人間観があった。教育者の役割はその種を、無理に急かして育てることではなく種が自然に育つための適切な環境――フレーベルの言葉を借りれば庭を整えることにある。
この思想を読み進めるうちに、信三の中で、少年時代からの、様々な記憶が、新しい光の中で、再び、姿を現してきた。
父が「見えないからこそ尊い」と語った時その言葉は、少年の中の「なぜ」という種を育てるものではなく、むしろその種の上に重い石を置くようなものだったのかもしれない。
しかし智源という老僧は、その種を咎めることなくむしろ面白がるように見守ってくれた。母は、理由の分からないことをそのまま受け入れるもう一つの知恵を静かに示してくれた。了念は疑うことのない温かい眼差しで少年を見守ってくれた。
これらすべての人々に、少年の種を抑えつけ時に、それを育てようとした彼らの姿が、フレーベルの思想という新しい枠組みの中で信三の中に統合されていくように感じられた。
「俺は、少年の頃からずっと、この問いを育ててくれる庭を探し続けていたのかもしれない」
信三は、そう静かに、自分自身に呟いた。そして、今、自分が見出しつつあるのは、その庭を、自分自身の手でこれから誰かのために作っていくという新しい使命なのかもしれないと、彼は次第にはっきりと感じ始めていた。
◇第十三話
帰国が近づく頃、中村から一通の手紙が届いた。それは、信三の留学の成果を気遣う簡潔な内容だったがその最後にこう記されていた。
【お前がこの留学で何を学び何を持ち帰るのか、わしは楽しみにしている。学問とは、遠い異国の知識をそのまま持ち帰ることではない。その知識を、この国の土壌にどのように植え直すかそれこそが、真の学問の力だ】
この手紙を受け取った時、信三は深い感慨に包まれた。
中村との出会いから、既に二年近くの時が経っていた。その間、中村は直接、信三の学びを見守ることはできなかったが遠い異国にいる彼のことを、常に気にかけ続けていたのだろう。
この手紙の言葉には、単なる師としての気遣いだけでなく中村自身が長年幕府の学者としてそして、新しい学問の伝道者として生きてきた経験から得た深い知恵が込められているように信三には感じられた。
その言葉は、信三の中のフレーベルの庭という概念と、静かにしかし強く共鳴した。彼が、これから為すべきことは単に英国で見た教育の方法をそのまま日本に移すことではない。日本の子どもたち、日本の風土、日本の人々の心――それらに合った新しい庭を丁寧に作り上げていくことなのだろう。
この植え直すという比喩は、信三にとってこれからの人生における重要な指針となった。彼は、これまでの留学の日々の中で多くの新しい知識と思想を吸収してきた。しかし、それらをそのままの形で日本に持ち込むことはおそらく、うまくいかないだろうということを彼は、既に留学生仲間たちとの議論の中で幾度も感じ取っていた。
西洋の思想や技術を日本という異なる文化的土壌の中に、どのように丁寧に根付かせていくか。それはこれからの日本にとって、そして、信三自身にとって極めて重要な課題であった。
その使命の大きさに信三は、時に圧倒されるような感覚を覚えた。しかし、その圧倒感の中にもこれまでの彷徨の日々にはなかった静かな、しかし確かな充実感があった。
◇第十四話
帰国の準備の間、信三はこれまで留学中に書き溜めていた幾冊もの手記を改めて読み返す時間を持った。その手記にはキンダーガルテンで見た子どもたちの姿、フレーベルの思想への考察、そして、留学生仲間たちとの議論の記録が丁寧に記されていた。
これらの手記を読み返す作業は、信三にとってこれまでの二年間の学びを、体系的に振り返るための貴重な機会であった。彼は、それぞれの手記の記述の中で自分自身の理解が時間とともに、どのように深まっていったのかを辿ることができた。留学の初期に書かれた断片的な、そして、時に混乱した記述と留学の後半に書かれた、より整理された体系的な考察――それらの間の変化は信三自身のこの二年間の確かな成長の証であった。
その手記の中で信三は、ある一節を見つけた。それは留学の初期、まだ言葉の壁に苦しんでいた頃に書き記したものだった。
【この国では、私は、誰でもない。猶龍でも、安藤劉太郎でも、関信三でもない、ただの、言葉を学ぶ一人の青年に過ぎない。しかし、その誰でもないという状態の中で私は初めて自分自身の本当の姿に向き合えているのかもしれない」
その一節を読み返しながら、信三は静かに微笑んだ。名前を持たない状態、それは当初、彼にとって不安の源であった。しかし今、振り返ればその状態こそが彼が、これまでの幾重にも積み重なった名前の下に隠れていた本当の自分自身と向き合うための貴重な機会だったのかもしれない。
この発見は、信三にとって帰国を前にした重要な心の整理であった。彼は、これからまた、日本という国に戻り関信三という名前を再び纏うことになる。しかし、その名前はもはや、単に還俗した後に便宜的に選んだ名前ではなく、この英国での深い自己と向き合う日々を経て、より確かな彼自身のものとして再定義されつつあった。
◇ 第十五話
帰国前、信三はトンプソン夫人と最後の夕食を共にした。夫人は、信三のために日本風の料理を自分なりに工夫して、用意してくれていた。その不器用な、しかし温かい心遣いに、信三は、深く胸を打たれた。
トンプソン夫人が用意してくれた料理は実際には日本の料理とは、大きく異なるものであった。米は西洋風に、バターと共に調理され、魚は日本の調理法とはまったく異なる方法で焼き上げられていた。しかし、その不完全な、しかし心を込めた再現の中に信三は夫人の深い愛情をはっきりと感じ取ることができた。
「あなたは、この国で多くのことを学ばれました」
夫人はそう言った。
「あなたが、この国で見つけたものをあなたの国に、持ち帰ってください。そしてそれを、あなたの国の土壌に合った新しい形に育てていってください」
信三は夫人の手を取り、深く感謝の意を示した。
「あなたの親切を、私は、決して、忘れません。この国で受けた、あらゆる優しさを、私は、これから、日本の子どもたちに、返していきたいと思います」
夫人は、その言葉に静かに涙を浮かべた。
「あなたのような方に出会えたことは、私にとっても、大きな恵みでした」
この夜、信三はトンプソン夫人との二年間にわたる静かな交流を、改めて振り返った。
夫人は、信三にとって単なる下宿の主人ではなく、この異国の地で彼を母のような温かさで見守ってくれた貴重な存在であった。
夫人とのこの最後の夕食は、信三にとって英国での日々の一つの美しい終わりの象徴であった。
帰国の船に乗り込んだ朝、信三はロンドンの港で最後に山内と他の留学生仲間たちと別れの言葉を交わした。山内はまだ、しばらく、英国での学びを続けるという。
この別れの場には、信三がこの二年間、共に学び共に議論を重ねてきた幾人もの留学生仲間たちが集まっていた。彼らはそれぞれ、これからの人生において異なる道を歩んでいくことになるだろう。しかし、この異国の地で共に過ごした日々の記憶は彼ら全員にとって、決して消えることのない貴重な財産となるはずであった。
「お前はいよいよお前の道を歩み始めるのだな」
山内がそう言った。
「まだ、はっきりとした形は見えていない。しかし、俺はこの国で見つけた一つの確信を日本に持ち帰ろうと思う」
「その確信とは」
「子どもたちの中にある、育つべき種を大切にすること。それを、俺はこれから日本で実践していきたい」
山内は、その言葉に静かに頷いた。
「かつては、俺にはお前の考えがよく分からなかった。しかし、この二年お前がその考えを、深めていく姿を俺はそばで見てきた。今は、お前の道が確かに意味のあるものだと、俺は信じられる」
二人は、固く握手を交わした。船が港を離れる時、信三は甲板から遠ざかっていく英国の陸地をいつまでも見つめていた。この地で得た多くの学びと出会い……それらを、彼はこれから故郷の国で一つ一つ、丁寧に実らせていかねばならない。
江戸に着いた信三は、藤田の紹介状を手に中村正直の私塾を訪ねた。私塾は表向きは静かな武家屋敷の一角にあったが、中に入るとそこにはこれまで信三が見たことのない種類の熱気があった。若者たちが机を並べ英語の書物を音読しており、時には激しく議論を交わしている。
江戸という町そのものも、信三にとってこれまで見てきたどの土地とも異なる圧倒的な規模を持っていた。横浜という開港地は、異国の文化と日本の文化が直接的に接触するいわば実験場のような町であった。
しかし江戸は、幕府の政治の中心として長い歴史の蓄積を持つ巨大な都市であった。信三は、その町の広さとそこに息づく人々の多様さにまず、圧倒された。
私塾の中では、様々な出自の若者たちが共に机を並べていた。武士の子弟だけでなく、商人の息子、そして信三のように複雑な過去を持つ者も少なくないようだった。それぞれが、この国の将来に対する強い危機感と同時に新しい学問への、抑えきれない渇望を共有していた。
中村正直という人物は信三が想像していたよりも、ずっと穏やかな佇まいをしていた。眼鏡の奥の目は、常に何かを静かに観察しているような深い落ち着きを持っていた。中村は、幕府の洋学の教授として既に広く知られた人物であった。
しかし、その名声にもかかわらず彼の物言いには、権威を誇示するような様子は、まったく見られなかった。
「藤田殿の紹介とのことだが、お前は、これまで、何を学んできたのか」
中村にそう問われた時、信三はこれまでの経緯をどこまで語るべきか、一瞬迷った。しかし、この人物の前では偽ることに意味がないように感じられた。彼は僧としての過去、任務としての潜入、そして、還俗に至る経緯をかいつまんで語った。
この告白は、信三にとってこれまでの人生の中で、最も率直な自己開示の一つであった。彼は、これまで了念やお雪、そしてバラにさえ自分の過去のすべてを、完全に開示することはなかった。しかし、この初めて会った学者を前にして彼はなぜか、これまでの経緯をできる限り正直に語りたいという、強い欲求に駆られていた。それは、おそらく中村という人物が彼自身、幕府の学者としての立場と西洋の新しい学問への傾倒というある種の矛盾を抱えながら生きてきた人物であることを、信三が直感的に感じ取っていたからかもしれなかった。
中村は、その話を驚くほど静かに聞いていた。話が終わった後、中村はしばらく黙考してから口を開いた。
「お前は、多くのものを失ってきたようだ。しかし、失うことを恐れなかった者だけが本当に新しいものを手に入れることができる。お前には、その資質があるようにわしには見える」
その言葉は、信三の胸に深く響いた。これまでの自分の彷徨が、単なる失敗の連続ではなく、何かへ向かうための必要な過程であったのかもしれないと、初めてそう思わせてくれる言葉だった。
中村は、さらに続けて自分自身の若い頃の経験について簡潔に語った。彼もまた、幕府の学者としての保守的な立場と蘭学、そして後に英学への傾倒との間で幾度も内的な葛藤を経験してきたのだという。
「わしもまた、これまでの人生の中で幾度もこれまでの自分を捨てねばならなかった」
そう言った中村の言葉は、信三にとってこれまでの自分の経験が決して、特異なものではなくこの激動の時代を生きる者たちに、共通する経験の一つであることを静かに示すものであった。
◇第二話
中村の私塾での日々は、信三にとって久しく忘れていた純粋な学びの喜びに満ちていた。英語の文法や西洋の歴史、そして西洋の思想をそれらを学ぶ度に信三は、かつて寺の書庫で蘭学の書物を盗み見ていた少年の頃の感覚を鮮明に思い出した。
私塾での学びは、体系的で厳格なものであった。信三は、これまで独学で断片的に学んできた英語の知識を、初めて正式な形で整理し直す機会を得た。文法の規則、単語の正確な発音、そして文章の構成のそれらを、一つ一つ丁寧に学び直していった。
この過程は、時にこれまでの独学で得た不完全な知識を修正しなければならないという幾分痛みを伴うものであった。しかし、信三はその痛みをむしろ喜びとして受け入れることができた。それは、彼が正しい理解へと確実に近づいていることの証であったからである。
私塾には、他にも様々な背景を持つ若者たちが集まっていた。彼らとの交流の中で、信三は、これまでの長崎や横浜での日々とは異なる新しい種類の知的な刺激を得ることができた。
彼らの多くは、この国の将来について熱い議論を交わし、時には激しく対立することもあった。しかし、その対立の根底には共通してこの国をより良くしたいという切実な願いがあった。
しかし、学びが深まるにつれ信三の中には新たな問いも生まれていった。西洋の思想の根底には、しばしばキリスト教の教えが深く根を張っていた。かつて、任務としてそして、お雪やバラとの関わりの中で個人的に触れてきたその教えに、今度は学問というまったく異なる角度から再び向き合うことになったのである。
この再会は、信三にとって複雑な感情を伴うものであった。横浜での日々で彼は、ヤソ教徒たちの信仰の在り方に深く心を動かされながらも、その信仰が幕府や宗門にとって危険視される対象であることを、常に意識せざるを得なかった。だが、この私塾ではキリスト教の思想はむしろ、西洋の学問の重要な背景として当たり前のように議論の対象となっていた。この違いは、信三に時代がどれほど急速に変化しつつあるのかを改めて実感させるものであった。
「先生は、西洋の学問を学ぶ上でキリスト教の教えをどのように捉えておられますか」
ある日、信三は中村にそう問うた。中村は、静かに答えた。
「学問と信仰は、別のものだ。しかし、西洋の学問の多くはキリスト教という土壌の上に育った木の実だ。木の実だけを取って、土壌を無視することはできぬ。学ぶ者は、その土壌の性質も理解せねばならぬ」
その言葉は、信三の中でこれまでの経験、それらすべてをより広い視野の中で位置づけ直すきっかけを与えてくれた。彼は、これまでそれぞれの信仰や思想を、いわば個別の独立した経験として自分の内側に留めてきた。しかし、中村の言葉はそれらをより大きな比較の視野の中で捉えるための、新しい枠組みを彼に与えてくれたのである。
◇第三話
慶応の末、中村正直の推薦により信三は、幕府の派遣する留学生の一員として英国へ渡る機会を得た。
これは、彼の人生における最も大きな転機の一つだった。
この推薦を受けた時、信三は深い驚きと同時に大きな不安を感じた。幕府の派遣する留学生という立場は、通常藩や幕府から明確な期待と将来の役割を与えられた俊英たちに与えられるものであった。
信三のような複雑な過去を持ち、明確な藩の後ろ盾も持たない人物がこの機会を得ることは極めて稀なことであった。中村は、この人選にあたって信三のこれまでの経験――特に蘭学や英学への独学での深い理解、そして異文化との接触における柔軟な適応力を高く評価したのだという。
出発の前夜、信三は中村のもとを訪れてこれまでの学びへの感謝を述べた。
中村は、信三に一冊の書物を手渡した。
「これは、わしが英国で学んだ折に得た書物だ。西洋の教育についての考察が記されている。今のお前には、まだ必要のないものかもしれぬ。しかし、いつかお前の中でこの書物の意味がはっきりと分かる日が来るだろう」
信三は、その書物を丁重に受け取った。しかし、この時、彼はその書物の中に記された思想――フリードリヒ・フレーベルという教育者の名とその幼児教育の理念が後の彼の人生を、大きく方向づけることになるとはまだ想像していなかった。
彼は、その書物を他の荷物と共に丁寧に、旅行鞄の中にしまい込んだ。
横浜港から、英国へ向かう船に乗り込んだ信三の胸にはこれまでのどの旅立ちとも異なる感覚があった。
故郷を出た時の恐れと興奮、長崎から横浜へ向かった時の使命感、そして、還俗した後の、拠り所のない漂流感……それら全てとは違う、静かなしかし確かな期待が彼の中にあった。
横浜の港に立ち、これから乗る船を見つめながら信三はこれまでのこの港との深い縁を静かに思い返していた。
かつて、名を変え任務を負ってこの港から様々な場所へと動いた日々。お雪との出会いと別れがこの港の近くで静かに展開していった日々。
そして今、この港からこれまでで最も遠い地へ新しい目的を持って旅立とうとしている。この巡り合わせの中で信三は、自分の人生のある種の円環的な性質を、感じ取っていた。
第四話
英国への船旅は、長く、そしてこれまでの人生のどの旅よりも、信三に深い孤独を強いるものだった。何ヶ月もの間、彼は見知らぬ海の上で見知らぬ言葉を話す人々に囲まれながら過ごさねばならなかった。
この長い船旅の間、信三は同乗する他の留学生たちと次第に交流を深めていった。しかし船旅の初期、彼は多くの時間を一人で過ごすことを選んだ。それは、これまでの人生のあまりに多くの出来事をまだ、完全には整理できていなかったからであった。
彼は、船室の狭い空間の中で幾度もこれまでの日々を振り返り、そしてこれから向かう未知の地への期待と不安とを静かに噛み砕いていった。
船上で信三はしばしば甲板に立ち、変わりゆく星空を見上げた。故郷の三河で見た星空、長崎や横浜で見た星空……それらと、今、目の前に広がる星空は同じものであるはずだった。しかし、見る場所が変わるごとに星々の並びは、微妙にその姿を変えていった。
この星空の変化は、信三にとって単なる天文学的な現象を超えた、深い象徴的な意味を持つものであった。彼は幾夜も甲板に立ち、この星空の変化をじっと観察し続けた。同じ夜空でありながら、見る場所によってその配置が変わっていくその事実は、彼自身のこれまでの人生の在り方と驚くほど重なり合うものであった。
「星さえも場所によって違う顔を見せる」
信三は、そう独り言のように呟いたことがあった。その言葉には、猶龍、安藤劉太郎、そして関信三と、幾度も名を変えてきた自分自身への静かな自己言及が込められていた。
同じ一つの魂が置かれる場所によって異なる名前、異なる姿を纏う。それでも、その奥にある何かは、変わらずにそこに在り続けているのだろうか。
信三は、その問いへの答えをまだ見出せてはいなかった。
船旅の中盤、船は幾つかの港に寄港した。それらの港――上海、シンガポール、そして、様々な異国の地で、信三はこれまで想像もしなかった多様な人々の姿と文化の在り方を目の当たりにした。
それぞれの土地にはそれぞれの土地の言葉、それぞれの土地の信仰、それぞれの土地の生活の知恵があった。この多様性の実感は、信三の中でこれまで日本という国の中だけで培われてきた、彼の世界観を大きく広げるものであった。
◇第五話
英国に到着した信三を待っていたのは、これまで想像もしなかった圧倒的な異文化の洪水だった。
ロンドンの街並み、蒸気で動く機械の群れ、そして整然と活気に満ちた人々の生活それらすべてが信三の目に新鮮な一方、時に、耐え難いほどの衝撃を与えた。
ロンドンという都市の規模は、信三がこれまで見てきたどの都市とも、比較にならないものであった。江戸の広大さ、横浜の異国情緒それらは信三にとって既に大きな驚きをもたらすものであった。
ロンドンの規模とその産業化の進展は、それらすべてをさらに大きく超えるものであった。街を行き交う馬車の数、工場の煙突から立ち上る煙、そして、ガス灯によって照らされる夜の街並み――それらは信三にとってこの国がこれまで想像していたよりも遥かに進んだ文明を持つ国であることを痛感させるものであった。
言葉の壁は、彼が想像していたよりも遥かに高かった。
中村の私塾で学んだ英語は、実際の生活の中ではほとんど役に立たないことも多かった。市場で品物を買うことすら、最初の数ヶ月は大きな苦労を伴った。私塾で学んだ文語的あるいは、教科書的な英語と実際の街の人々が話す生き生きとした一方、時に極めて崩れた発音の英語との間には大きな隔たりがあった。
信三は、この隔たりを日々の生活の中で一つ一つ実践的に埋めていかねばならなかった。
しかし、信三はこの困難の中にむしろある種の解放感を見出していた。ここでは、彼は猶龍でも安藤劉太郎でもそして、関信三としてのこれまでの重い経験を知る者も、誰一人いない。彼は、ただ、一人の言葉を学ぶ異国の青年としてこの街を歩くことができた。
この匿名性は、信三にとってこれまでの人生の中で経験したことのない種類の静かな安らぎをもたらすものであった。
この匿名性の中で信三は、初めて自分自身のこれまでの様々な立場を思い出すきっかけにもなった。住職の息子や僧、任務者、そして還俗した青年としてではなく、ただ一人の学ぶ意欲を持った人間として見つめ直すことができるようになった。
それは、彼にとってこれまでの重い過去を完全に忘れ去ることを意味するものではなかった。しかし、その過去の重みから少しの間に距離を置くことができるという事実は彼の心に、これまでにない静かな余裕をもたらした。
下宿先の主人であるトンプソン夫人は、信三に親切に接してくれた。
夫人は、敬虔なキリスト教徒であり日曜には信三を教会の礼拝に誘った。トンプソン夫人は、夫を早くに亡くしており一人でこの下宿を営んでいる初老の女性であった。彼女には、子どもがいなかったこともあり、彼女は信三のことをまるで遠い異国から来た自分の息子のように細やかに気にかけてくれた。
「あなたの国にも、神を信じる人々がいるのでしょう」
夫人がそう問うた時、信三はこれまでの経験を思い出しながら静かに答えた。
「私の国にも、目に見えぬものを深く信じる人々がいます。その姿は、あなたがたの信仰と、多くの点で似ているように私には思えます」
その答えに、夫人は驚いたような、しかしどこか嬉しそうな表情を見せた。この対話は、信三にとってこれまで見てきた信じる人たちを改めて統合的な視点から見つめ直す機会となった。
◇第六話
ロンドンでの生活が数ヶ月続いた頃、信三はある教育機関を訪れる機会を得た。それは、幼い子どもたちのための特別な教育の場――キンダーガルテンと呼ばれる施設だった。
この施設との出会いは、極めて偶然のものであった。
信三は、トンプソン夫人の紹介で彼女の教会に集うある婦人と知り合った。その婦人は、慈善活動の一環として貧しい家庭の子どもたちのための幼児教育の施設を運営していたのである。信三の教育への関心を知った婦人は、彼にその施設を一度見学してみるよう勧めてくれた。
その場所を訪れた時、信三はこれまで見たことのない光景に深く心を動かされた。
幼い子どもたちが遊びを通じて数を学び言葉を学び、そして互いに助け合うことを学んでいた。教師たちは、子どもたちを単に教え込むのではなく彼らの内側にある、自然な好奇心を、そっと引き出すように導いていた。
施設の中では子どもたちが色とりどりの積み木を使って様々な形を作ったり、歌を歌いながら簡単な体操をしたりしていた。それらの活動は、一見、単なる遊びのように見えたが、その一つ一つには明確な教育的な意図が込められていた。積み木を組み合わせる中で子どもたちは、形や数量の感覚を自然に学んでいた。
歌と体操の中で彼らは、身体の使い方、そして他の子どもたちとの協調を学んでいた。
その光景を見つめながら、信三の中に忘れていた記憶が鮮明に浮かび上がってきた。
少年時代、彼が抱いた「なぜ」という問い。それを、父は、見えないからこそ尊いという言葉で静かに封じようとした。しかし、この場所の子どもたちはその「なぜ」という問いを封じられることなく、むしろ大切に育てられていた。
「これは、フレーベルという教育者が始めた教育の方法です」
施設の教師の一人が、信三にそう説明した。
「フレーベルは、子どもをまだ何も知らない空っぽの器としては見ていません。子どもは、それぞれ、内側に育つべき種を持っている。教育とは、その種が自然に育つための庭を整えることだと彼は考えました」
その言葉は、信三の胸にこれまで感じたことのない深い衝撃をもって響いた。彼は、その夜、下宿の一室で中村から手渡されたあの書物――フレーベルの教育思想が記された書物を改めて、丁寧に読み直した。
読み進めるうちに信三の中でこれまでの人生の様々な断片、少年時代の疑問、破邪僧としての葛藤、お雪の信仰、そして還俗した後の漂流――それらが一つのまだ完全には見えないが、確かな方向性を持った線として静かに繋がっていくのを感じた。
◇第七話
ある日キンダーガルテンの見学の後、信三は施設の庭で一人の子どもと出会った。その子どもは、庭の隅で蟻の行列をじっと見つめていた。
この時の信三は既に幾度もこの施設を訪れ、その教育の方法について教師たちと深い議論を交わすようになっていた。彼は単なる見学者としてではなく、次第にこの教育の方法をより深く理解し、いつか自分自身の手で実践してみたいという願いを、強く抱くようになっていた。
「何を見ているの」
信三が、覚えたばかりの英語でそっと問いかけると、子どもは顔を上げて無邪気な笑顔を見せた。
「アリさんたちが、どこに行くのか、知りたいの」
その答えに、信三は思わず微笑んだ。それは、かつて彼自身が少年時代に抱いた問いである「なぜ、阿弥陀様は目に見えないのに、いらっしゃると分かるのですか」という本質的に同じ種類の問いだった。
知りたいという純粋な欲求。それを、大人たちがどのように受け止めるかによって、その子どもの人生は大きく変わっていくのかもしれない。
信三は、この子どもに蟻の行列についていくつかの簡単な説明を試みた。しかし、その説明の途中で彼は、ふと自分自身がこの子どもに答えを与えすぎることの危うさに気づいた。彼は説明を止め、代わりに子どもと共にしばらくの間、黙って蟻の行列を見つめ続けることにした。
この選択は、信三にとってフレーベルの教育思想への初めての実践的な理解の一歩であった。子どもの問いに、すぐに答えを与えることは時に、その子ども自身が自分の力で答えを探求する機会を奪ってしまうことになるのかもしれない。信三はこの日、この小さな出来事の中に教育という営みの深い、そして繊細な本質を垣間見たように感じた。
信三は、その日下宿に戻った後、長い間一人で考え込んだ。自分は少年時代、その問いを、父からは十分に受け止めてもらえなかった。しかし智源という老僧、そして、了念、母――それぞれの形で、その問いを大切に扱ってくれる人々もいた。
もし、すべての子どもたちがその問いを大切に育てられる場を持つことができたなら……信三の中にこれまで経験したことのない、静かなしかし強い願いが生まれ始めていた。
◇第八話
英国での生活は二年近くに及んだ。
この間、信三は英語の学問だけでなく西洋の教育思想、そしてキリスト教の思想についても、深く学んだ。彼は、もはや、これらを任務のための観察対象としてではなく、自分自身の内側から生まれる問いへの答えを探すための真剣な学びとして、受け止めていた。
この二年間、信三はキンダーガルテンでの見学だけでなく、フレーベルの著作や他の西洋の教育学者たちの理論についても、幅広く学ぶ機会を得た。
彼は時に、専門の教育学の講義にも聴講生として参加することを許された。そこでは、子どもの発達段階に応じた適切な教育方法についての体系的な理論が講じられていた。
信三は、これらの学びを通じて教育という営みが、単に知識を伝達する行為ではなく一人の人間の内側にある可能性を丁寧にそして、根気強く育てていく営みであることを深く理解するようになっていった。
それは、少年時代に彼が感じてきたことそれらすべての中に、既に幾つもの断片として存在していたものであった。しかし、フレーベルの思想という体系化された枠組みを通じてそれらの断片は、初めて一つの明確な理論として信三の中に統合されていったのである。
留学の終わりが近づく頃、信三はトンプソン夫人に深い感謝の意を述べた。
「あなたは最初にここに来た時よりもずっと、穏やかな目をしています」
夫人がそう言った時、信三は静かに頷いた。
「この国で、私は、多くのことを学びました。特に、幼い子どもたちの教育について、深く心を動かされました」
「それはあなたの国でも、必要とされているものかもしれませんね」
その言葉は、信三の中でまだ形を持たない、しかし確かなこれからの人生の方向性を静かに、しかし力強く指し示すものだった。
◇第九話
帰国の船に乗る前夜、信三はロンドンの街を最後に一人で歩いた。ガス灯の灯りが、石畳の道を静かに照らしていた。
彼は、懐から了念に返してもらった少年時代に書き写した異国の文字の古い紙を取り出した。長い年月を経てその紙は、さらに黄ばみ、折り目もますます深くなっていた。しかし、そこに書かれた拙い文字は、まだはっきりと読み取ることができた。
この紙を、信三はこれまでの長崎、横浜、そして、英国への旅の間、常に肌身離さず持ち続けていた。それは彼にとって故郷とのそして了念との消えることのない繋がりの証であった。たとえ、了念との関係があの茶屋での決別によって大きく損なわれたとしてもこの紙が象徴する少年時代のあの純粋な友情の記憶は信三の中で決して消え去ることはなかった。
あの頃の自分は、まだ何も知らなかった。ただ、知らないことへの純粋な飢えだけを抱いていた。今、この地で多くを学んだ自分はその飢えの先に単なる知識だけではなく、一つの、生きる方向性を見出しつつあった。
子どもたちの内側にある育つべき種をそっと育てる庭を整えることがこれから、自分が為すべきことなのかもしれない。信三は、その予感をまだ、完全な確信としては持てていなかった。しかし、それはこれまでの彷徨の中で彼が得た、最も確かな方向性だった。
帰国の船が英国の海岸を離れる時、信三は甲板に立ち遠ざかる陸地をいつまでも見つめていた。この地で得ることができたフレーベルの思想、そして子どもたちの姿への深い感動―を故郷の国にどのように持ち帰り、根付かせることができるのか。
その答えは、まだはっきりとは見えていなかった。
しかし、信三の胸の中にはこれまでのどの時期にもなかった静かで確かな灯りが燃え始めていた。それは、任務のための忠誠でも消えることのない疑問という炎でもなく、これから自分が誰かのために何かを育てていくのだという新しい種類の情熱だった。
船が大海原を進む間、信三は幾度もその灯りを胸の中で確かめた。
故郷に戻った時、この灯りがどのような形を取ることになるのか。それは、まだ彼にも分からなかった。しかし、彼はもう、迷いの中だけに留まってはいなかった。
彼は、初めて自分自身の意志で選んだ一つの方向に向かって進み始めていたのである。
◇第十話
時を少し遡る。
英国に到着してから半年ほど経った頃、信三は同じくロンドンに留学していた他の日本人青年たちとも次第に親交を深めるようになっていった。
彼らの多くは、幕府や諸藩から派遣された若き俊英たちだった。
この留学生仲間たちとの交流は、信三にとって異国での孤独な日々の中で大きな慰めとなるものであった。彼らは、それぞれ異なる藩や異なる背景を持っていたが、共通してこの激動の時代における日本という国の将来について深い関心と強い危機感を抱いていた。
彼らとの交流の場は、時に下宿の一室で、時に街の食堂で様々な形で持たれた。
その中に、山内という信三よりも数歳年下の青年がいた。山内は、開明的な藩の出身で将来は西洋の法制度を学び、国の制度改革に貢献したいという明確な志を持っていた。
山内は、その明確な志ゆえに留学生仲間たちの中でも一種の中心的な存在として皆から頼りにされていた。
「お前は何のために、この国に来たのか」
ある夜、下宿の一室で酒を酌みながら山内が信三にそう問うたことがあった。信三は、その問いにすぐには答えられなかった。
「正直に言えばまだ……はっきりとした目的を持ってはいない」
「それでは、お前は何のためにこの遠い国まで来たのだ」
信三は、しばらく考え込んだ。それから、静かにこれまでの人生の断片を山内に語った。 破邪僧としての任務、お雪との出会いと別れ、了念との決別、そして、還俗という選択を。
この告白は、信三にとってこれまでの人生の中で最も詳細な自己開示の一つであった。彼は、これまで中村に対してもこれほど詳細に自分の過去を語ることはなかった。山内という、同じ時代を、同じ異国の地で生きる若い仲間に対して彼は、なぜかこれまでの重い経験を、より率直に語ることができたのである。
山内は、その話を驚きながらも真剣に聞いていた。
「お前の人生は、俺たちのような藩から与えられた明確な使命を持つ者とはまるで違う。お前は、幾度も拠り所を失いながらそれでも歩き続けてきたのだな」
「拠り所を失うことは、恐ろしいことだ」
「だが、お前はその恐ろしさの中で何を見つけたのだ」
その問いに、信三はこの時、まだ明確な答えを持っていなかった。しかし、山内とのこの対話そのものが彼の中で少しずつ答えへの道筋を整えていくことになった。
◇第十一話
留学生仲間たちとの交流の中で信三はまた、日本という国の未来について幾度も熱い議論を交わす機会を得た。
多くの留学生たちは西洋の軍事技術、法制度、そして産業の仕組みに強い関心を寄せていた。それらは、確かにこれからの日本にとって重要な学びであるように信三にも思えた。この時期の日本は既に戊辰戦争へと向かう政治的な激動の中にあり、留学生たちの間でも故郷から届く断片的な情報を通じてその緊張が絶えず話題となっていた。
しかし、信三自身の関心は次第により地味で、しかし、より根源的な人間そのものの育ちという問題に向かっていった。
「お前はなぜ、そんなにも子どもの教育などに興味を持つ?」
山内が、そう問うたことがあった。
その口調には、わずかな戸惑いが混じっていた。当時の留学生たちの多くにとって、幼い子どもの教育という分野は国家の未来を左右する軍事や法制度に比べて、あまりに小さな問題に見えたのだろう。
信三は、その問いに静かに答えた。
「俺は、これまでの人生で幾度も自分の中の『なぜ』という問いを大人たちから、封じられそうになった。もし、その問いが幼い頃から大切に育てられていたなら俺の人生は違う道を歩んでいたかもしれない」
「それが国の未来とどう関わるのだ」
「一人の子どもの中に育つ問いが、いずれ、その子どもが大人になった時に国の形を作っていくのではないか。俺には、そう思えるのだ」
山内は、その答えにすぐには納得しなかったようだった。
しかし、信三の言葉の中にある静かな確信を無視することもできなかったようだった。
「お前らしい考え方だ。だが、その考えが本当に実を結ぶかどうかは、まだ誰にも分からない」
「分からない。だが俺は、その分からないものに賭けてみたいと思う」
彼は、常に目に見える確実な道よりもまだ、はっきりとは見えない、しかし、自分の内側から強く求める道を選び続けてきた。この選択の一貫性を信三は、この時、改めて自覚するようになっていた。
◇ 第十二話
留学の後半、信三はフレーベルの思想についてより体系的に学ぶ機会を得た。ロンドンの書店でフレーベルの著作の英訳を入手し、下宿の一室で夜を徹して読み進めた。
この時期、信三は自らの英語の読解力が大きく向上していることを実感するようになっていた。留学の初期には、辞書を頼りに一文一文を苦労しながら読み進めていた彼がこの頃には、フレーベルの時に複雑な哲学的な文章を比較的、流暢に読み進めることができるようになっていた。この成長は信三にとって、これまでの地道な学びの日々が確かな成果として結実していることの具体的な証であった。
フレーベルの思想の核心には子どもを単に知識を注ぎ込むべき空の器としてではなく、それぞれが、内側に自ら育つ力を持つ種として捉える深い人間観があった。教育者の役割はその種を、無理に急かして育てることではなく種が自然に育つための適切な環境――フレーベルの言葉を借りれば庭を整えることにある。
この思想を読み進めるうちに、信三の中で、少年時代からの、様々な記憶が、新しい光の中で、再び、姿を現してきた。
父が「見えないからこそ尊い」と語った時その言葉は、少年の中の「なぜ」という種を育てるものではなく、むしろその種の上に重い石を置くようなものだったのかもしれない。
しかし智源という老僧は、その種を咎めることなくむしろ面白がるように見守ってくれた。母は、理由の分からないことをそのまま受け入れるもう一つの知恵を静かに示してくれた。了念は疑うことのない温かい眼差しで少年を見守ってくれた。
これらすべての人々に、少年の種を抑えつけ時に、それを育てようとした彼らの姿が、フレーベルの思想という新しい枠組みの中で信三の中に統合されていくように感じられた。
「俺は、少年の頃からずっと、この問いを育ててくれる庭を探し続けていたのかもしれない」
信三は、そう静かに、自分自身に呟いた。そして、今、自分が見出しつつあるのは、その庭を、自分自身の手でこれから誰かのために作っていくという新しい使命なのかもしれないと、彼は次第にはっきりと感じ始めていた。
◇第十三話
帰国が近づく頃、中村から一通の手紙が届いた。それは、信三の留学の成果を気遣う簡潔な内容だったがその最後にこう記されていた。
【お前がこの留学で何を学び何を持ち帰るのか、わしは楽しみにしている。学問とは、遠い異国の知識をそのまま持ち帰ることではない。その知識を、この国の土壌にどのように植え直すかそれこそが、真の学問の力だ】
この手紙を受け取った時、信三は深い感慨に包まれた。
中村との出会いから、既に二年近くの時が経っていた。その間、中村は直接、信三の学びを見守ることはできなかったが遠い異国にいる彼のことを、常に気にかけ続けていたのだろう。
この手紙の言葉には、単なる師としての気遣いだけでなく中村自身が長年幕府の学者としてそして、新しい学問の伝道者として生きてきた経験から得た深い知恵が込められているように信三には感じられた。
その言葉は、信三の中のフレーベルの庭という概念と、静かにしかし強く共鳴した。彼が、これから為すべきことは単に英国で見た教育の方法をそのまま日本に移すことではない。日本の子どもたち、日本の風土、日本の人々の心――それらに合った新しい庭を丁寧に作り上げていくことなのだろう。
この植え直すという比喩は、信三にとってこれからの人生における重要な指針となった。彼は、これまでの留学の日々の中で多くの新しい知識と思想を吸収してきた。しかし、それらをそのままの形で日本に持ち込むことはおそらく、うまくいかないだろうということを彼は、既に留学生仲間たちとの議論の中で幾度も感じ取っていた。
西洋の思想や技術を日本という異なる文化的土壌の中に、どのように丁寧に根付かせていくか。それはこれからの日本にとって、そして、信三自身にとって極めて重要な課題であった。
その使命の大きさに信三は、時に圧倒されるような感覚を覚えた。しかし、その圧倒感の中にもこれまでの彷徨の日々にはなかった静かな、しかし確かな充実感があった。
◇第十四話
帰国の準備の間、信三はこれまで留学中に書き溜めていた幾冊もの手記を改めて読み返す時間を持った。その手記にはキンダーガルテンで見た子どもたちの姿、フレーベルの思想への考察、そして、留学生仲間たちとの議論の記録が丁寧に記されていた。
これらの手記を読み返す作業は、信三にとってこれまでの二年間の学びを、体系的に振り返るための貴重な機会であった。彼は、それぞれの手記の記述の中で自分自身の理解が時間とともに、どのように深まっていったのかを辿ることができた。留学の初期に書かれた断片的な、そして、時に混乱した記述と留学の後半に書かれた、より整理された体系的な考察――それらの間の変化は信三自身のこの二年間の確かな成長の証であった。
その手記の中で信三は、ある一節を見つけた。それは留学の初期、まだ言葉の壁に苦しんでいた頃に書き記したものだった。
【この国では、私は、誰でもない。猶龍でも、安藤劉太郎でも、関信三でもない、ただの、言葉を学ぶ一人の青年に過ぎない。しかし、その誰でもないという状態の中で私は初めて自分自身の本当の姿に向き合えているのかもしれない」
その一節を読み返しながら、信三は静かに微笑んだ。名前を持たない状態、それは当初、彼にとって不安の源であった。しかし今、振り返ればその状態こそが彼が、これまでの幾重にも積み重なった名前の下に隠れていた本当の自分自身と向き合うための貴重な機会だったのかもしれない。
この発見は、信三にとって帰国を前にした重要な心の整理であった。彼は、これからまた、日本という国に戻り関信三という名前を再び纏うことになる。しかし、その名前はもはや、単に還俗した後に便宜的に選んだ名前ではなく、この英国での深い自己と向き合う日々を経て、より確かな彼自身のものとして再定義されつつあった。
◇ 第十五話
帰国前、信三はトンプソン夫人と最後の夕食を共にした。夫人は、信三のために日本風の料理を自分なりに工夫して、用意してくれていた。その不器用な、しかし温かい心遣いに、信三は、深く胸を打たれた。
トンプソン夫人が用意してくれた料理は実際には日本の料理とは、大きく異なるものであった。米は西洋風に、バターと共に調理され、魚は日本の調理法とはまったく異なる方法で焼き上げられていた。しかし、その不完全な、しかし心を込めた再現の中に信三は夫人の深い愛情をはっきりと感じ取ることができた。
「あなたは、この国で多くのことを学ばれました」
夫人はそう言った。
「あなたが、この国で見つけたものをあなたの国に、持ち帰ってください。そしてそれを、あなたの国の土壌に合った新しい形に育てていってください」
信三は夫人の手を取り、深く感謝の意を示した。
「あなたの親切を、私は、決して、忘れません。この国で受けた、あらゆる優しさを、私は、これから、日本の子どもたちに、返していきたいと思います」
夫人は、その言葉に静かに涙を浮かべた。
「あなたのような方に出会えたことは、私にとっても、大きな恵みでした」
この夜、信三はトンプソン夫人との二年間にわたる静かな交流を、改めて振り返った。
夫人は、信三にとって単なる下宿の主人ではなく、この異国の地で彼を母のような温かさで見守ってくれた貴重な存在であった。
夫人とのこの最後の夕食は、信三にとって英国での日々の一つの美しい終わりの象徴であった。
帰国の船に乗り込んだ朝、信三はロンドンの港で最後に山内と他の留学生仲間たちと別れの言葉を交わした。山内はまだ、しばらく、英国での学びを続けるという。
この別れの場には、信三がこの二年間、共に学び共に議論を重ねてきた幾人もの留学生仲間たちが集まっていた。彼らはそれぞれ、これからの人生において異なる道を歩んでいくことになるだろう。しかし、この異国の地で共に過ごした日々の記憶は彼ら全員にとって、決して消えることのない貴重な財産となるはずであった。
「お前はいよいよお前の道を歩み始めるのだな」
山内がそう言った。
「まだ、はっきりとした形は見えていない。しかし、俺はこの国で見つけた一つの確信を日本に持ち帰ろうと思う」
「その確信とは」
「子どもたちの中にある、育つべき種を大切にすること。それを、俺はこれから日本で実践していきたい」
山内は、その言葉に静かに頷いた。
「かつては、俺にはお前の考えがよく分からなかった。しかし、この二年お前がその考えを、深めていく姿を俺はそばで見てきた。今は、お前の道が確かに意味のあるものだと、俺は信じられる」
二人は、固く握手を交わした。船が港を離れる時、信三は甲板から遠ざかっていく英国の陸地をいつまでも見つめていた。この地で得た多くの学びと出会い……それらを、彼はこれから故郷の国で一つ一つ、丁寧に実らせていかねばならない。