冷徹営業トップは私の限界オタクでした
第14話「あなたが私の推しになりました 。 」
飲み会の最中、陽菜子が愛犬の写真を見せながら楽しそうに話す姿を眺め、神崎はふと思った。
自分はいつから、陽菜子さんをこんなにも特別に思うようになったのだろう。
答えを探すように、神崎は二年前の記憶を辿った。
二年前――。
午後九時、取引先との会食を終えた神崎は、忘れ物を取りに会社へ戻った。
経理部の前を通ると電気が付いていた。
まだ清掃員が残っているのだろうか。
そう思いながら中をのぞくと、経理部には一人、残業をしている社員がいた。
それが春宮陽菜子だった。
最初は、ただ残業をしている経理部の社員としか思わなかった。
また別の日、退勤しようと経理部の前を通った神崎は、陽菜子がほかの社員の仕事を引き受けている場面を目撃した。
なんてお人好しな人なんだろう。
自分が損するだけなのに、なぜ、彼女はそこまでするのか。神崎には疑問だった。
理解できなかった。だからこそ、彼女のことが妙に気にかかった。
いつも笑顔で、誰にでも優しく接する人。
自分とは正反対だった。
ある日、神崎も残業で残っておりトイレに行こうと思うと、陽菜子が目元を押さえながら、女子トイレへ駆け込む姿を見かけた。
静かな廊下には、押し殺した泣き声がわずかに漏れていた。
何があったのかは分からない。ただ、いつもの笑顔からは想像できないほど、彼女は苦しそうだった。」
明るい笑顔の裏で、彼女も苦しんでいたのだと初めて知った。
なぜか、そのまま放っておくことができなかった。
神崎は自分のお気に入りのダークチョコレートを陽菜子の席へ置いた。
『お疲れ様です』と付箋を添えて。
神崎は残業の帰り支度をし、帰るときに経理部の前を通り過ぎた。
陽菜子は付箋を眺め、少しだけ頬を緩めた。
その笑顔を見た瞬間、神崎の胸にも温かなものが広がった。
そのときは、まだ名前さえ知らなかった。それでも彼女は、いつの間にか気になる存在になっていた。
後日、昼間に経理部を通り過ぎると陽菜子の同僚が「陽菜子ー!ランチ行こう」と呼びかけていた。
そのとき初めて、彼女の名前が『陽菜子』だと知った。
それから神崎は、陽菜子が残業中に席を外した隙を見て、小さなお菓子を置くようになった。
些細なことでも、彼女の力になれたらと思った。
退勤時間が重なった日には、最寄り駅のホームで陽菜子を見かけることもあった。
何と話しかければ不審に思われないか考えているうちに、結局何も言えなかった。
それから二年近くが過ぎた。五月初めの金曜日。
その日は仕事を終えたあと、私服に着替えて友人との飲み会へ向かった。
その帰り道、強い香水の匂いをまとった女性に声をかけられた。
しつこく声をかけられたため、「うせろ」と冷たく言い放った。
それが仇となり、女性は知り合いの男たちに『神崎に襲われそうになった』と嘘をついた。神崎は事情を問いただすという名目で夜の公園へ呼び出され、暴行を受けた。
反撃して相手に怪我を負わせれば、自分も暴行を働いたと訴えられるかもしれない。
営業職である以上、会社の信用を傷つけることだけは避けたかった。
男たちが去ったあと、神崎は公園の木の下へ座り込んだ。
そんな所に陽菜子が現れたのだ。
視界がぼんやりしていたうえ、辺りも暗く、最初は陽菜子だと気づかなかった。
こんな時間に、見知らぬ男を放っておけないなんて。まるで、あの経理部の女性のようなお人好しだと思った。
自宅に着き、部屋の明かりをつけたところで、ようやく助けてくれた女性が陽菜子だと分かった。
目の前にいるのが陽菜子だと理解した瞬間、神崎の平静は完全に崩れた。
これ以上そばにいれば平静を保てないと思い、追い返すような形で彼女を帰してしまった。
陽菜子を前に平静を失って、ようやく神崎は、自分が抱えてきた感情の大きさに気づいた。
話したこともない相手へ二年近く差し入れを続け、その笑顔を見るだけで幸せになる。ようやく神崎は、その感情の正体に気づいた。
中学生の頃、一度だけ、好きなアイドルについて熱く語ったことがある。周囲の女子に気味悪がられて以来、誰かを熱烈に応援する気持ちは隠してきた。
推しのために、プレゼントを買い、推しのためにひっそりと支える。
これをファンと呼ばず、なんと呼ぶのだろう。
陽菜子が自分の存在を知らなくても構わない。
ただ、明日も笑って会社へ来てくれれば、それでよかった。
見返りなどいらない。ただ幸せでいてほしい。
春宮陽菜子は、神崎にとって誰にも代えられない人生最推しになった。
自分はいつから、陽菜子さんをこんなにも特別に思うようになったのだろう。
答えを探すように、神崎は二年前の記憶を辿った。
二年前――。
午後九時、取引先との会食を終えた神崎は、忘れ物を取りに会社へ戻った。
経理部の前を通ると電気が付いていた。
まだ清掃員が残っているのだろうか。
そう思いながら中をのぞくと、経理部には一人、残業をしている社員がいた。
それが春宮陽菜子だった。
最初は、ただ残業をしている経理部の社員としか思わなかった。
また別の日、退勤しようと経理部の前を通った神崎は、陽菜子がほかの社員の仕事を引き受けている場面を目撃した。
なんてお人好しな人なんだろう。
自分が損するだけなのに、なぜ、彼女はそこまでするのか。神崎には疑問だった。
理解できなかった。だからこそ、彼女のことが妙に気にかかった。
いつも笑顔で、誰にでも優しく接する人。
自分とは正反対だった。
ある日、神崎も残業で残っておりトイレに行こうと思うと、陽菜子が目元を押さえながら、女子トイレへ駆け込む姿を見かけた。
静かな廊下には、押し殺した泣き声がわずかに漏れていた。
何があったのかは分からない。ただ、いつもの笑顔からは想像できないほど、彼女は苦しそうだった。」
明るい笑顔の裏で、彼女も苦しんでいたのだと初めて知った。
なぜか、そのまま放っておくことができなかった。
神崎は自分のお気に入りのダークチョコレートを陽菜子の席へ置いた。
『お疲れ様です』と付箋を添えて。
神崎は残業の帰り支度をし、帰るときに経理部の前を通り過ぎた。
陽菜子は付箋を眺め、少しだけ頬を緩めた。
その笑顔を見た瞬間、神崎の胸にも温かなものが広がった。
そのときは、まだ名前さえ知らなかった。それでも彼女は、いつの間にか気になる存在になっていた。
後日、昼間に経理部を通り過ぎると陽菜子の同僚が「陽菜子ー!ランチ行こう」と呼びかけていた。
そのとき初めて、彼女の名前が『陽菜子』だと知った。
それから神崎は、陽菜子が残業中に席を外した隙を見て、小さなお菓子を置くようになった。
些細なことでも、彼女の力になれたらと思った。
退勤時間が重なった日には、最寄り駅のホームで陽菜子を見かけることもあった。
何と話しかければ不審に思われないか考えているうちに、結局何も言えなかった。
それから二年近くが過ぎた。五月初めの金曜日。
その日は仕事を終えたあと、私服に着替えて友人との飲み会へ向かった。
その帰り道、強い香水の匂いをまとった女性に声をかけられた。
しつこく声をかけられたため、「うせろ」と冷たく言い放った。
それが仇となり、女性は知り合いの男たちに『神崎に襲われそうになった』と嘘をついた。神崎は事情を問いただすという名目で夜の公園へ呼び出され、暴行を受けた。
反撃して相手に怪我を負わせれば、自分も暴行を働いたと訴えられるかもしれない。
営業職である以上、会社の信用を傷つけることだけは避けたかった。
男たちが去ったあと、神崎は公園の木の下へ座り込んだ。
そんな所に陽菜子が現れたのだ。
視界がぼんやりしていたうえ、辺りも暗く、最初は陽菜子だと気づかなかった。
こんな時間に、見知らぬ男を放っておけないなんて。まるで、あの経理部の女性のようなお人好しだと思った。
自宅に着き、部屋の明かりをつけたところで、ようやく助けてくれた女性が陽菜子だと分かった。
目の前にいるのが陽菜子だと理解した瞬間、神崎の平静は完全に崩れた。
これ以上そばにいれば平静を保てないと思い、追い返すような形で彼女を帰してしまった。
陽菜子を前に平静を失って、ようやく神崎は、自分が抱えてきた感情の大きさに気づいた。
話したこともない相手へ二年近く差し入れを続け、その笑顔を見るだけで幸せになる。ようやく神崎は、その感情の正体に気づいた。
中学生の頃、一度だけ、好きなアイドルについて熱く語ったことがある。周囲の女子に気味悪がられて以来、誰かを熱烈に応援する気持ちは隠してきた。
推しのために、プレゼントを買い、推しのためにひっそりと支える。
これをファンと呼ばず、なんと呼ぶのだろう。
陽菜子が自分の存在を知らなくても構わない。
ただ、明日も笑って会社へ来てくれれば、それでよかった。
見返りなどいらない。ただ幸せでいてほしい。
春宮陽菜子は、神崎にとって誰にも代えられない人生最推しになった。