喪失の夜に、あなたがいた
しばらくのあいだ、明莉は毛布を握りしめたまま動けなかった。
身体の奥に残っている痛みが、呼吸のたびにじわりと広がる。
胸の奥が空洞になったようで、何を考えようとしても思考が霧散していく。

楓は少し離れた場所で、静かに明莉の様子を見守っていた。
その距離は、触れようと思えば触れられるほど近いのに、
壊れた心に踏み込まないための、絶妙な遠さだった。

「気分は……どうですか」

楓の声は、まるで薄い布越しに聞こえるように柔らかかった。
明莉は返事をしようとしたが、言葉が喉の奥でほどけてしまう。

ただ、首を横に振った。

楓はそれ以上何も言わず、視線をそっと落とした。
責めるでもなく、慰めるでもなく、
ただ明莉の壊れた心が落ち着くのを待つような沈黙だった。

明莉は毛布を胸に抱えたまま、ゆっくりと息を吸った。
そのたびに、昨日の記憶が胸の奥で軋む。

(……佑輔……)

名前を思い浮かべただけで、視界が滲む。
涙は出ない。
泣く力すら残っていない。

ただ、胸の奥が静かに痛む。

「水、少しだけ飲みますか」

楓がそっと差し出したコップは、
触れたら壊れてしまいそうなほど慎重に持たれていた。

明莉はゆっくりと手を伸ばした。
指先がコップに触れた瞬間、
自分の手がまだ震えていることに気づく。

少しだけ水を口に含むと、
冷たさが喉を通り、胸の奥まで落ちていった。

それだけで、ほんの少しだけ呼吸が楽になった。

「……ありがとうございます」

かすれた声でそう言うと、
楓は驚いたように目を瞬かせ、
そして静かに微笑んだ。

「ゆっくりでいいです。何も急がなくていい」

その言葉は、明莉の胸の奥にそっと触れた。
壊れた心の表面を、優しく撫でるような温度だった。
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