初めて聞いた音IIあの夏の続き
第1話 「音の距離」

あの日から。

信先輩に距離を置かれている。

学校ではほとんど話さなくなった。

それどころか、部活にも一切来なくなった。

「んー。」

晴先輩は机に頬杖をつきながら唸った。

「信来ないと、曲決められないなー。」

「勝手に決めるのもねー。」

スマホを確認して、ため息をつく。

「連絡も返って来ないし。」

「透はなんか聞いてないの?」

「何も。」

透先輩は静かに答えた。

「信、学校終わるとすぐ帰るから。」

「そっかー……。」

私は何も言えなかった。

多分。

原因は分かってる。

あの日。

私が信先輩に、去年の夏のことを話した日からだ。

あれから信先輩は、私と目すら合わせてくれなくなった。

「鈴ちゃんは?」

晴先輩が私を見る。

「寮、一緒でしょ?」

「あ、はい。」

私は少し言いづらそうに答えた。

「声かけても……無視されます。」

「えぇー。」

晴先輩は呆れたように声を上げる。

「信の奴。」

「カッコつけて『こいつには俺が教える!』とか言ってたギターも、そっちのけかー。」

「……。」

改めて言われると、少し胸が痛くなった。

「そしたら。」

美月先輩が口を開く。

「暁寮行って、信の部屋にカチコミしに行く?」

「え?」

私は思わず美月先輩を見る。

「美月ったら物騒。」

晴先輩は苦笑いしながら言った。

「だって、このままじゃ文化祭の練習も始められないじゃん。」

「それはそうだけどぉー。」

「カチコミって言い方が怖いのよ。」

「じゃあ話し合い。」

「最初からそう言ってよぉー。」

「それに。」

晴先輩は困ったように頭をかいた。

「早くしないとテスト期間始まるからなー。」

「今回、テストの点悪いのはちょっと……。」

「進学に関わるんだよなー。」

「それはまずいね。」

美月先輩も少し真面目な顔になる。

みんなでどうするか考えていると。

ガラガラ。

突然、部室の扉が開いた。

「あ。」

入ってきたのは。

ここ最近、ずっと姿を見せなかった信先輩だった。

「信!」

晴先輩が勢いよく立ち上がる。

「お前!」

「何してたんだよ!」

「連絡も返さないし!」

「部活も来ないし!」

だけど信先輩は、晴先輩の言葉なんて聞こえていないみたいに。

じーっと私を見ていた。

「……?」

なんだろう。

私、何かした?

「あ、あの……。」

「信先輩?」

「お、おい!」

信先輩が突然声を上げた。

「す、鈴!」

「ちょ、ちょっと来い!」

「え?」

「……あ、え?」

「はい!」

勢いに押されるまま立ち上がる。

「あれれぇー?」

晴先輩がニヤニヤしながら信先輩を見る。

「信ちゃん。」

「急に鈴呼びですかなぁ?」

「晴先輩ウザいっす。」

信先輩は面倒くさそうに言った。

「一旦こいつ借ります。」

「はーい。」

晴先輩の言葉で、私は初めて気がついた。

今。

信先輩、私のこと。

鈴って呼んだ?

ドクン。

心臓が大きく鳴った。

だけど、そんなことを聞ける雰囲気でもなくて。

私はただ黙って信先輩の後ろをついて行った。

廊下を歩いている間も、信先輩は何も話さない。

私も何を話せばいいのか分からなかった。

しばらく歩いて。

信先輩が一つの扉の前で足を止めた。

ガチャ。

扉を開けると、風が一気に吹き込んできた。

「ここって……。」

見覚えのある場所だった。

「そう。」

信先輩は振り返る。

「屋上だ。」

「そ、それで。」

私は少し緊張しながら信先輩を見る。

「信先輩、何ですか?」

「いや。」

信先輩は少し気まずそうに頭をかいた。

「最近。」

「俺、お前のこと避けてるなーって思ってさ。」

「あの!」

私は勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい!」

「え?」

「へ?」

二人で顔を見合わせる。

「いや、違うからな?」

信先輩は少し困ったように笑った。

「なんで避けてたかの話したくて。」

「はい。」

私はゆっくり顔を上げる。

「だから。」

「私が変なこと言ったから、怒ってるんですよね?」

「え?」

信先輩は一瞬きょとんとして。

「あー。」

「違う、違う。」

笑いながら手を横に振った。

「やっぱり勘違いしてたかー。」

「え?」

「蓮先輩にも言われたんだよ。」

信先輩は思い出したように苦笑する。

「『お前、なんで鈴のこと避けてんだ?』って。」

「それから。」

信先輩は少し声を低くして、お兄ちゃんの真似をする。

「『もし鈴泣かせたら、ギター弾けなくさせるぞ?』って。」

「お、お兄ちゃん……。」

私は思わず頭を抱えた。

「普通に怖かったぞ。」

信先輩は笑いながら続ける。

「でも俺。」

「全然避けてるつもりなくて。」

「去年の二月から学校休んでただろ?」

「その分、取り戻したくて。」

「学校終わったら部屋籠って、ずっと勉強してただけなんだよ。」

「で、でも!」

私は納得できずに信先輩を見る。

「私、信先輩に話しかけたら無視したじゃないですか!」

「あー。」

信先輩は何か思い出したように頷いた。

「多分そん時の俺。」

「くっそ目つき悪かったろ?」

「はい!」

「即答すんなよ。」

信先輩は笑った。

「そん時、めっちゃ頭使っててさー。」

「甘いもん欲しすぎて。」

「頭ん中それしかなかった。」

「……。」

私は信先輩をじーっと見る。

「じゃあ。」

「私のこと無視したんじゃなくて。」

「甘いもののことで頭いっぱいだったんですか?」

「……そういうことになるな。」

「私。」

「甘いものに負けたんですか?」

「なんの勝負だよ。」

「な、なら!」

私は信先輩を見上げる。

「透先輩に言えば良かったじゃないですか!」

「晴先輩の連絡も返さないし!」

「え?」

信先輩は不思議そうに首を傾げた。

「俺、透に言ったぞ?」

「しばらく勉強したいから部活行けないって。」

「連絡も返せないかもって言ったし。」

「え?」

今度は私が首を傾げる。

「でも。」

「透先輩、何も知らないって……。」

「……あいつ。」

信先輩は呆れたようにため息をついた。

「またか。」

「え?」

「たまにやるんだよなー。」

「多分、部室戻って説明したら。」

信先輩は透先輩の真似をするように、少し低い声で言った。

「『わりー、忘れてた。』って。」

「えぇ……。」

私は思わず肩を落とした。

じゃあ。

私がここ数日ずっと悩んでたのって一体……。

「あ!」

「ん?」

「もう一個、質問が!」

「なんだよ。」

私は少し照れながら、信先輩を見る。

「あ、あの……。」

「な、なんで急に。」

「鈴呼びなんですか?」

「……。」

信先輩は一瞬黙った。

そして少しだけ照れたように顔を逸らす。

「そ、それはだな……。」

「はい。」

「蓮先輩に。」

信先輩はまたお兄ちゃんの真似をする。

「『そろそろ鈴のこと黒川って呼ぶな!俺も反応するから!』って。」

「……。」

一瞬で恥ずかしさが吹き飛んだ。

「もー!」

私は思わず声を上げる。

「お兄ちゃんのバカ!」

信先輩はそんな私を見て、楽しそうに笑っていた。

「とりあえず!」

私は信先輩を指差した。

「信先輩には説明する義務があるので!」

「一緒に部室戻ります!」

「お、おう。」

そう言って、私たちは部室へ向かった。

「お、おい。」

後ろから信先輩の声がする。

「鈴。」

「そんなプンプンすんなよ。」

「してないです!」

「してるじゃんかよ。」

「してません!」

「いや、してるだろ。」

そんなことを話しているうちに部室へ着いた。

私は勢いよく扉を開ける。

バン!

「うわぁ!」

晴先輩が肩を跳ねさせた。

「びっくりしたぁー。」

「鈴ちゃんと信、おかえり。」

「ただいまです!」

私は信先輩の方を振り返る。

「ほら!」

「信先輩からちゃんと説明と謝罪お願いします!」

「あ、はい。」

信先輩は少し押され気味に頷いた。

それから信先輩は、ここ数日部活に来なかった理由を全部説明した。

去年休んでいた分の勉強を取り戻したかったこと。

テストが近いから、しばらく部活を休むつもりだったこと。

そのことは透先輩に伝えていたこと。

全部聞き終わった晴先輩と美月先輩は、ゆっくり透先輩を見る。

「……。」

「……。」

「透?」

晴先輩が笑顔で名前を呼ぶ。

透先輩は少し考えてから。

「あ。」

「忘れてた。」

「やっぱり!」

信先輩が大声を上げた。

「言っただろ俺!」

「ごめん。」

「お前のせいで俺、めちゃくちゃ怒られてんだけど!」

「それは信が連絡返さないのも悪い。」

「正論で返すな!」

「とりあえず。」

晴先輩がニコッと笑った。

「今日は透に色々言わないとだから。」

「解散でいいかな?」

笑ってはいる。

だけど、目は全く笑っていなかった。

「そうね。」

美月先輩も笑顔で透先輩を見る。

「私も透に言いたいことが出来たから。」

「二人も先帰ってていいよ?」

美月先輩もかなりお怒りだった。

透先輩はいつも通り無表情だったけど。

なんとなく、これから大変なことになるのだけは分かった。

「はい。」

私はすぐに頷く。

「そうします。」

そして隣にいた信先輩を見る。

「ほら!」

「信先輩!」

「帰りますよ!」

「は、はーい。」

信先輩は少ししゅんとしながら返事をした。

私と信先輩は二人で部室を出た。

しばらく廊下を歩いていると。

「あ、あのー。」

信先輩が恐る恐る声をかけてくる。

「鈴さん?」

「何ですか?」

「信先輩?」

「……。」

少し間が空いた。

「まだ怒ってらっしゃいますかねー?」

「別に!」

「もう怒ってないですよ!」

下駄箱から靴を取り出す。

バンッ!

少し強めに扉を閉めた。

「……。」

「……。」

「怒ってるじゃん。」

「怒ってません!」

「いや、絶対怒ってるだろ。」

「怒ってません!」

信先輩は困ったように頭をかいた。

そして少し考えてから。

「あ、あの。」

「はい?」

「お詫びに。」

信先輩は私の顔を覗き込む。

「甘いもの、食べに行きませんか?」

「……。」

私は少しだけ信先輩を見る。

「奢りですか?」

「……奢ります。」

「なら行きます。」

「切り替え早っ。」

「そしたら。」

信先輩は少し笑った。

「今日行くか!」

「あ……。」

私は思い出して足を止める。

「今日は悠と約束が……。」

「そっか。」

信先輩は少し考えてから。

「じゃあ明日。」

「土曜日だし、明日行くか。」

「はい。」

私は頷いた。

「明日なら大丈夫です。」

「じゃあ決まりな。」

「はい!」

さっきまで怒っていたはずなのに。

気づけば、そんなことはすっかり忘れていた。

「髪の毛よし。」

鏡を見ながら髪を整える。

「洋服よし。」

もう一度、全身を確認した。

「準備完了!」

私は部屋を出て、食堂へ向かった。

今日は暁寮の食堂で信先輩と待ち合わせになっている。

食堂に入ると、先にいた悠が私を見るなり首を傾げた。

「あれ?」

「すー、今日オシャレさんやな。」

「どっか行くん?」

「うん。」

私は何も考えずに答える。

「今日、信先輩と甘いもの食べに行くの。」

「……はぁ!?」

悠が勢いよく立ち上がった。

「それデートやん!」

「すーがデートするって、蓮にぃ知っとるん!?」

「でーと?」

私は首を傾げる。

デート。

信先輩と。

二人で。

甘いものを食べに行く。

「……。」

頭の中で昨日の約束がぐるぐると回り始める。

「い、いや!」

急に恥ずかしくなって、慌てて首を横に振った。

「これはお詫びなだけで!」

「デートじゃないから!」

「……。」

悠はじーっと私を見る。

「な、何?」

「すー。」

「今の今までデートするなんて考えてなかったって顔しとるで?」

「……。」

「そ、そんな顔してない!」

「しとる、しとる。」

悠は呆れたように笑った。

「顔真っ赤やで。」

「う、うるさい!」

私は恥ずかしくなって悠から顔を逸らした。

「別にデートじゃないって言ってるでしょ!」

「二人で休みの日にオシャレして甘いもん食べに行くんやろ?」

悠はニヤニヤしながら言う。

「それを世間ではデートって言うんやで?」

「だから違うって!」

「何がデートだって?」

「……。」

「……。」

聞き覚えのある声に、私と悠の動きが同時に止まった。

ゆっくり振り返る。

そこにはお兄ちゃんが立っていた。

「……鈴。」

「はい。」

「デートすんの?」

「し、しないよ!」

私は勢いよく首を横に振る。

「悠が勝手に言ってるだけ!」

「いやいや。」

悠がすかさず口を挟む。

「すー今日、信先輩と二人で甘いもん食べに行くらしいで。」

「悠!」

「……信?」

お兄ちゃんの声が一段低くなった。

「ち、違うの!」

私は慌てて説明する。

「昨日のことのお詫びで!」

「信先輩が甘いもの奢ってくれるって!」

「二人で?」

「……はい。」

「休みの日に?」

「……はい。」

「オシャレして?」

「これは普通の服!」

「すー、さっきめっちゃ気合い入れてたやん。」

「悠は黙ってて!」

「……。」

お兄ちゃんは腕を組んだまま、じーっと私を見る。

「まあ。」

「鈴も高校生だしな。」

「え?」

意外な言葉に私は目を丸くした。

「別に男と二人で出かけるくらい……。」

その時。

ガチャ。

食堂の扉が開いた。

「鈴。」

「準備できたか?」

「……。」

「……。」

「……。」

信先輩は何も知らずに食堂へ入ってきた。

「あれ?」

信先輩が私たちを見る。

「なんすか、この空気。」

「信。」

お兄ちゃんがニコッと笑った。

「はい?」

「ちょっとこっち来い。」

「……。」

信先輩の顔が引きつる。

「俺、なんかしました?」

「いいから来い。」

「え、怖っ。」

「お、お兄ちゃん!」

私が止めようとすると、悠は隣で楽しそうに笑っていた。

「信先輩。」

「ご愁傷さまやな。」

「お前、絶対なんか言っただろ!」

「俺は事実しか言ってへんでー。」

「何の事実だよ!」

信先輩は何がなんだか分からないまま、お兄ちゃんに連れて行かれた。

「……。」

私はその後ろ姿を見つめる。

「もう!」

「悠のせいだからね!」

「ええやん。」

悠は楽しそうに笑う。

「ちゃんと蓮にぃに挨拶してからデート行けるやん。」

「デートじゃない!」

数分後。

食堂の扉がゆっくり開いた。

ガチャ。

「……。」

信先輩が無言で戻ってきた。

「信先輩!」

私はすぐに駆け寄る。

「何言われたんですか?」

「……行くぞ。」

「え?」

信先輩はそのまま玄関へ向かって歩き始めた。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

私も慌てて後を追う。

「何言われたんですか?」

「聞くな。」

「えぇ?」

靴を履きながら信先輩は深いため息をついた。

「あと。」

「はい?」

「門限聞かれた。」

「門限!?」

私は思わず大きな声を出した。

「暁寮に一緒に帰ってくるのに!?」

「俺もそう言ったよ!」

信先輩は少し疲れた顔で私を見る。

「そしたら。」

信先輩はお兄ちゃんの真似をするように声を低くした。

「『一緒に帰って来るから言ってんだよ。』って。」

「意味分かんないですよ!」

「俺も分かんねぇよ!」

「それから。」

信先輩は指を折りながら数え始める。

「暗くなる前に帰って来い。」

「変なところ連れて行くな。」

「鈴に酒飲ませるな。」

「いや、それは当たり前です!」

「あと手ぇ出すな。」

「……。」

「……。」

私と信先輩は同時に黙った。

「て……。」

「手?」

言葉の意味を理解した瞬間。

一気に顔が熱くなった。

「お、お兄ちゃんのバカ!」

「俺に言うなよ!」

「だって!」

「俺だってめちゃくちゃ気まずかったんだからな!」

その時、食堂の方から悠の声が聞こえてきた。

「すー!」

「デート楽しんで来るんやでー!」

「悠!」

私は勢いよく振り返る。

「デートじゃないから!」

「はよ行かんと門限間に合わんでー!」

「誰のせいだと思ってるの!」

隣を見ると、信先輩が肩を震わせていた。

「……。」

「信先輩?」

「いや。」

信先輩は口元を押さえながら笑う。

「お前ん家、大変だな。」

「他人事みたいに言わないでください!」

「他人だよ!」

「もう!」

私は少し怒りながら玄関を出る。

「ほら、行きますよ!」

「はいはい。」

信先輩も笑いながら後ろをついてくる。

暁寮を出て少し歩いたところで、信先輩が口を開いた。

「で。」

「何食いたい?」

「え?」

「甘いもの。」

「あ。」

そうだった。

お兄ちゃんと悠のせいで、すっかり忘れていた。

「んー……。」

私は少し考える。

「パンケーキ食べたいです!」

「パンケーキ?」

「はい!」

「めちゃくちゃ甘いやつ!」

「太るぞ。」

「……帰ります。」

「嘘!嘘!」

信先輩は笑いながら私の腕を掴んだ。

「奢るって。」

「本当ですか?」

「本当。」

「じゃあ行きます。」

「お前、甘いものになると切り替え早いな。」

「信先輩がお詫びするって言ったんですからね!」

「分かった、分かった。」

信先輩は笑いながら歩き出した。

私もその隣を歩く。

昨日まで。

避けられていると思っていた人が、今日は隣にいる。

それだけなのに。

なんだか、いつもより少しだけ。

信先輩との距離が近く感じた。
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