愛が全てじゃないけれど
「お手洗い、お借りします」

 ミノリさんが店の奥のトイレを手で示す。

「ゆっくり化粧を直してくるわ」

 ふふっと意味ありげに微笑み、バッグを持って奥に行く。


 変な気を回しちゃって。


「美空さん」

 峰濱さんが椅子を回転させて、身体を私に向けた。

 前を向いていればさほど気にならない隣との距離が、横を向かれるとぐっと近くなる。

「あの後、どうした?」

「え?」


 あの後?


「恋人と」

「……ああ」

 峰濱さんのスコッチが差し出され、彼が一口飲んだ。

 私も自分のグラスを空にし、ミノリさんにジントニックを注文する。

「別れました」

「え?」

「さっきも、あの時の子が会社まで来てました」

「まさか」

 私はアーモンドを一粒口に入れ、ゆっくりと噛む。

「さすがに困ってましたけど、私がさよならを言っても、彼女を振り解いて追いかけてきたりはしませんでした」

「……ごめん」

「? なにがですか?」

「あの時、仕返しに……とか無神経なことを言った」

「ああ。気にしてません」

「……」

 峰濱さんが本当に申し訳なさそうに、いや、悲しそうに目を伏せてグラスに口をつける。

 そんなことを気にして急いで来たの? と思った。

 合コンの時は、自分に自信のある人に見えた。

 男女の駆け引きも慣れているように。


 あれ? でも、私たちが店にいると知って来たわけではないわよね。


「きみが帰った後、少しして彼たちも店から出て来たんだけど、次の店に行こうと盛り上がってる中できみの彼は帰ろうとしていたよ」

「え?」

「結局、押し切られて行ったみたいだけど」

「そう……」


 じゃあ、電話をしてきたのは二次会の後だったの……。


 だからどう、というわけではないけれど、小花ちゃんと二人きりの二次会じゃなかったとわかって、少しだけ胸のモヤモヤが晴れた気がする。

「本当に、いいの?」

「え?」

「キスは……確かに裏切りだけど」

「それだけが理由じゃないんです。だから、今回のことは、なんていうか、なるべくしてそうなった……って感じです」

「そうか……」

 また、だ。

 また、峰濱さんが、まるで自分が恋人に裏切られ中のように、落ち込んだ表情(かお)でスコッチをあおる。

「なんか……すみません。峰濱さんは出会いを求めて来られたのに、台無しにしてしまって。あ! 元々合コンするはずの子は私より若くて可愛い感じの――」

「――その子に会う気はないよ」

「え?」

「そ! もう出会いはいらないんだ」

 すぐ真横に、うっかり顔を傾けたら鼻先が触れそうな近さに、神海さんが現れる。

「吉良、近い」

 峰濱さんが神海さんの顔を手で押し離す。

「神海さん」

「こんばんは、美空ちゃん。なっちゃんは?」

「なっちゃん?」

 奈都のことのようだが、いつの間に『なっちゃん』なんて呼ぶほど親しくなったのかと不思議に思う。

「奈都はお手洗いに――」

 ゆっくりとは言っていたけれど、それにしても遅い。

「――あ、いた」

 神海さんの視線の先を見ると、奈都がテーブル席から私たちを眺めている。頬杖をついて、なにやら楽しそうに。

 いつの間に注文したのか、テーブルにはグラス。

 神海さんは奈都の隣に座ると、ミノリさんにビールを注文した。

「そういえば、峰濱さんも神海さんも入って来たのに気がつきませんでした」
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