星屑の絆-月下の導きと九尾の約束ー

プロローグ 白き導き

昔から、夜は嫌いじゃなかった。

昼間より静かで、人の声も、街の音も、少しだけ遠くなる。

誰にも何も求められない時間。

だから私は、仕事帰りに一人で歩くこの道が好きだった。

イヤホンから流れる音楽を聞きながら、見慣れた街を歩く。

コンビニの明かり。
遠くを走る車。
信号機の青。

いつもと同じ夜だった。

――あれを見るまでは。

「……狐?」

道の向こう側。

街灯の真下に、一匹の白い狐がいた。

犬……ではない。

細い鼻先に、大きな耳。

そして、身体と同じくらい大きな一本の尾。

真っ白な毛が街灯を受けて、ぼんやりと浮かび上がっている。

こんな街中に狐なんている?

そう思って立ち止まった瞬間だった。

狐が、こちらを見た。

青い瞳。

綺麗だと思った。

不自然なくらいに。

「……おいで?」

なぜそんな言葉が出たのか、自分でも分からない。

狐は動かなかった。

ただ私を見つめている。

「迷子?」

返事なんてあるはずもないのに、私はもう一度声をかけた。

すると狐は、くるりと背を向けた。

数歩進んで――止まる。

振り返る。

「……ついてこいって?」

狐の耳が、ぴくりと動いた。

「いやいやいや」

思わず笑った。

「知らん狐について行くほど、私もアホちゃうから」

帰ろう。

そう思って歩き出した。

三歩。

……。

五歩。

……気になる。

振り返る。

まだいる。

「…………」

狐はじっとこちらを見ていた。

「その顔やめてくれる?」

仕方なく近づくと、狐はまた歩き出した。

「ちょっとだけやで?」

私は知らなかった。

その一歩が、この世界で踏み出す最後の一歩になることを。



気づけば、知らない道を歩いていた。

「……ここ、どこ?」

さっきまで確かに住宅街だった。

なのに。

建物がない。

街灯もない。

目の前には、木々に囲まれた細い道だけが続いている。

「いや待って待って……」

スマホを取り出す。

圏外。

「嘘やろ?」

狐は少し先を歩いている。

「ちょっと!」

呼ぶと、狐が振り返った。

「どこまで行くん?」

答えるはずもない。

それなのに。

――こっち。

そんな声が聞こえた気がした。

「……え?」

狐は再び歩き始める。

怖い。

帰ったほうがいい。

頭では分かっているのに、不思議と足は止まらなかった。

やがて木々が途切れた。

その先にあったものを見て、私は言葉を失った。

巨大な鳥居。

古びているのに、月明かりを浴びて淡く青く輝いている。

そしてその向こうには――

何もなかった。

正確には。

空間そのものが、水面のように揺れていた。

「……何、これ」

狐が鳥居の前に座る。

一本の尾を身体に巻きつけ、こちらを見る。

その瞳だけが、さっきよりも強い青色に輝いていた。

「まさか……ここ、入れって言ってる?」

狐は目を細めた。

「無理無理無理!」

私は後ずさった。

「帰る! さすがにこれは帰る!」

踵を返す。

――道がなかった。

「…………え?」

さっきまで歩いてきたはずの森が消えている。

あるのは暗闇だけ。

「ちょ……」

心臓が大きく鳴った。

「どういうこと……?」

振り返る。

白い狐はまだそこにいた。

でも。

その姿が、一瞬だけ。

本当に一瞬だけ――

九つの巨大な尾を持つ何かに見えた。

「……っ!」

瞬きをする。

そこにはまた、小さな一尾の狐。

「今の……何?」

その瞬間。

鳥居の向こうから、青い光が溢れた。

風が吹く。

髪が舞い、身体が引っ張られる。

「え、ちょっと待って!」

踏ん張ろうとしても足が滑る。

「待って待って待って! 私まだ行くって――!」

狐が立ち上がった。

そして初めて。

その口が動いた。

『――ようやく、見つけた。』

低く、静かな声。

「…………は?」

次の瞬間。

足元が消えた。

「はあああああああ!?」

身体が宙へ投げ出される。

青い光。

無数の星。

知らない空。

遠くで響く鐘の音。

落ちながら、私は見た。

鳥居の向こう。

白い狐がこちらを見下ろしている。

その周囲に、青い炎が一つ、また一つと灯っていく。

そして――

狐は確かに、笑った。

「お前ぇぇぇぇ!!」

私の叫び声だけが、星空へ吸い込まれていった。



このときの私は、まだ知らなかった。

あの白狐の名が――朔であることも。

この世界に散らばった星の欠片が、人々の心から生まれたものであることも。

その欠片を集めるたび、朔が失った力を取り戻していくことも。

そして。

私を待っている二つの出会い。

誰よりも寡黙で、誰よりも強く私を守る魔狼――ロルフ。

そして、翼をぱたぱたさせながら私の頭上を飛び回り、

「だいじょーぶだよぉ! たぶん!♡」

などという、まったく信用ならない励まし方をしてくる霊猫――ちゃっぴー。

私はまだ、何も知らなかった。

ただ一つだけ。

後になっても変わらなかったことがある。

私を異世界へ落としたあの白狐を見つけたら――

絶対に一発どつく。

そう心に決めた。

こうして。

星の欠片を巡る私たちの物語は――

一匹の、とんでもなく説明不足な白狐から始まった。
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