見積もりには書けないもの
第八話 『名刺入れから』
初めてのレザークラフトは、もう何年も前のことだ。
記憶も、もう薄らとしか残っていない。
始めたきっかけも、
「これだ」
というものがあったわけじゃない。
ただ、見よう見まねで作って。
また作って。
気づけば、ずっと続けていた。
忙しくなるにつれて、革に触れる機会も少しずつ減っていった。
それでも、一番最初に作った私物がこの名刺入れだったことだけは覚えている。
黒と茶色のツートン。
表にはスタッズをLの字に並べた。
お世辞にも上手いとは言えない縫い目。
まだマチを作ることもできなかった。
使い勝手だって、決して良くはない。
それでも、コバ磨きだけは徹底的に頑張った。
だから俺は、そのツルッとしたコバの触り心地が好きだった。
指でなぞるたび、
「ここだけは上手くできた」
そんな小さな満足感があった。
……森下さん、気づいてくれたんだ。
そう思った瞬間、忘れていた記憶が、喜びと一緒に一気に蘇ってきた。
革の匂い。
手で縫った感触。
何度も何度も磨いたコバ。
忙しさの中で、いつの間にか置き去りにしていたものだった。
そして、それと同時に――
俺は、あの手帳がなぜ森下さんの手元にあるのかが気になってきた。
『森下さんと、その手帳の出会いが気になって』
そう聞くと、森下さんは少し笑いながら、二杯目のアイスコーヒーを作り始めた。
氷をグラスに入れる。
カラン。
……またか。
思わず笑いそうになった。
『これね、妹がくれたんです』
森下さんは、アイスコーヒーを作りながら話を続けた。
『もらった瞬間、やっぱり妹は私のことをよく知ってるなって感じました』
そう言って、少し照れくさそうに笑う。
『ほんとはね、私もデニムが好きで。いつもはもっとカジュアルなんです』
「へぇ……」
思わず声が出た。
森下さんの今までの印象からは、少し意外だった。
『だから、えみちゃんのお店で会った時に、この人ならって思ったのかもしれない』
そう言いながら、森下さんは二杯目のアイスコーヒーをコースターの上に置いてくれた。
俺は一口いただいた。
そして――
ふと、リビングを見渡した。
ソファー。
壁に残るボールの跡。
絵の裏に隠された穴。
キッチンからリビングを見ていた森下さん。
そして、今はもう誰もいないこの場所。
息子さんがいた頃の景色。
森下さんがこれから作りたい景色。
頭の中で、それまでバラバラだったものが、突然ひとつに繋がった。
気づけば、口が動いていた。
『森下さん……』
『このダイニングとリビングの間に、ちょっとした壁、作りません?』
言ってから、自分でも思った。
……いきなり話が飛びすぎた。
でも、後から気づいた。
頭の中にビビッと閃いた発想を、俺は口にせずにはいられなかったんだ。
まだ説明できるほど、形になっていない。
でも――
これなら。
このリビングなら。
森下さんなら。
何かが変わる気がした。
記憶も、もう薄らとしか残っていない。
始めたきっかけも、
「これだ」
というものがあったわけじゃない。
ただ、見よう見まねで作って。
また作って。
気づけば、ずっと続けていた。
忙しくなるにつれて、革に触れる機会も少しずつ減っていった。
それでも、一番最初に作った私物がこの名刺入れだったことだけは覚えている。
黒と茶色のツートン。
表にはスタッズをLの字に並べた。
お世辞にも上手いとは言えない縫い目。
まだマチを作ることもできなかった。
使い勝手だって、決して良くはない。
それでも、コバ磨きだけは徹底的に頑張った。
だから俺は、そのツルッとしたコバの触り心地が好きだった。
指でなぞるたび、
「ここだけは上手くできた」
そんな小さな満足感があった。
……森下さん、気づいてくれたんだ。
そう思った瞬間、忘れていた記憶が、喜びと一緒に一気に蘇ってきた。
革の匂い。
手で縫った感触。
何度も何度も磨いたコバ。
忙しさの中で、いつの間にか置き去りにしていたものだった。
そして、それと同時に――
俺は、あの手帳がなぜ森下さんの手元にあるのかが気になってきた。
『森下さんと、その手帳の出会いが気になって』
そう聞くと、森下さんは少し笑いながら、二杯目のアイスコーヒーを作り始めた。
氷をグラスに入れる。
カラン。
……またか。
思わず笑いそうになった。
『これね、妹がくれたんです』
森下さんは、アイスコーヒーを作りながら話を続けた。
『もらった瞬間、やっぱり妹は私のことをよく知ってるなって感じました』
そう言って、少し照れくさそうに笑う。
『ほんとはね、私もデニムが好きで。いつもはもっとカジュアルなんです』
「へぇ……」
思わず声が出た。
森下さんの今までの印象からは、少し意外だった。
『だから、えみちゃんのお店で会った時に、この人ならって思ったのかもしれない』
そう言いながら、森下さんは二杯目のアイスコーヒーをコースターの上に置いてくれた。
俺は一口いただいた。
そして――
ふと、リビングを見渡した。
ソファー。
壁に残るボールの跡。
絵の裏に隠された穴。
キッチンからリビングを見ていた森下さん。
そして、今はもう誰もいないこの場所。
息子さんがいた頃の景色。
森下さんがこれから作りたい景色。
頭の中で、それまでバラバラだったものが、突然ひとつに繋がった。
気づけば、口が動いていた。
『森下さん……』
『このダイニングとリビングの間に、ちょっとした壁、作りません?』
言ってから、自分でも思った。
……いきなり話が飛びすぎた。
でも、後から気づいた。
頭の中にビビッと閃いた発想を、俺は口にせずにはいられなかったんだ。
まだ説明できるほど、形になっていない。
でも――
これなら。
このリビングなら。
森下さんなら。
何かが変わる気がした。