私のことを嫌いなはずの幼なじみが、 未来から結婚指輪を持ってきた

第1話 大嫌いな幼なじみと、未来の旦那様

「俺、お前のこと嫌いだから」
高校に入って一週間目。幼なじみの朝倉湊は、私の目も見ずにそう言った。
だから当然。
私だって、あいつのことなんて大嫌いだ。
……たぶん。

「紗奈、また朝倉くん見てる」
「見てない!」
昼休み。
向かいの席に座っている親友の美月に言われて、私は慌てて窓際から顔を逸らした。
「いや、めちゃくちゃ見てたけど」
「たまたま視界に入っただけ」
「三十秒くらい?」
「窓を見てたの」
「朝倉くん、窓なの?」
「美月」
「はいはい」
美月が楽しそうに笑う。
私は不機嫌そうに頬杖をついた。
視線の先。
教室の窓際では、男子数人が集まって話している。
その中心にいるのが――朝倉湊。
同じ二年三組。
そして、生まれたときから家が隣同士の幼なじみ。
黒い髪。
少しだけ目つきが悪くて、無愛想。
黙っていればかなり格好いい。
……というのが女子たちからの評価らしい。
私には、物心つく前から見てきた顔だ。格好いいかどうかなんて、今さらよく分からない。――少なくとも、そういうことにしている。
「朝倉くんって、ほんと人気あるよね」
美月が言った。
「そう?」
「昨日も一年生に告白されたんでしょ?」
「知らない」
「紗奈、幼なじみなのに?」
「幼なじみだからって、なんでも知ってるわけじゃないし」
私はストローで紙パックのジュースを強く吸った。
昔は知っていた。
好きな食べ物。
嫌いな食べ物。
好きなゲーム。
苦手な教科。
寝起きが悪いこと。
雨の日は頭痛がすること。
緊張すると右耳を触る癖。
湊についてなら、きっと誰よりも詳しかった。
少なくとも――中学までは。
「でもさ」
美月が頬杖をつく。
「なんで仲悪くなったの?」
「……別に」
「小学校の写真とか見ると、めちゃくちゃ仲良かったじゃん」
「昔の話」
「中三までは毎朝一緒に登校してたんでしょ?」
「高校からやめた」
「なんで?」
「……」
答えなかった。
本当は、私にもよく分からない。
きっかけらしいきっかけはなかった。
高校に入って。
湊は急に私を避けるようになった。
朝、一緒に行こうと家の前で待っていたら、
「もう待たなくていい」
そう言われた。
学校でも話しかければ、
「用事ないなら話しかけんな」
と返された。
それでも最初のうちは、何か怒らせたのかと思っていた。
だから聞いた。
「私、何かした?」
すると湊は少し黙ってから――言ったのだ。
『俺、お前のこと嫌いだから』
たったそれだけ。
理由を聞いても教えてくれなかった。
だから私も決めた。
そんなやつ、こっちから願い下げだ。
嫌いだと言われてまで、昔みたいに追いかけるほど私は惨めじゃない。
――それなのに、朝になると隣の家のドアが開く音を気にしてしまう自分だけは、どうしても止められなかった。
「朝倉くーん!」
教室の入口から女子の声がした。
湊が振り返る。
一年生らしい女の子が二人、廊下から手招きしていた。
湊は友達に何か言ってから、教室を出ていく。
「また告白だったりして」
美月が言う。
「へえ」
「気にならない?」
「全然」
「ほんとに?」
「ほんとに」
私はジュースを飲む。
ズズズッ。
空だった。
「あ」
「めっちゃ動揺してるじゃん」
「してない!」
自分でも嫌になる。
もう関係ないのに。
誰に告白されようが。
誰と付き合おうが。
私には関係ない。
なのに。
胸の奥に、飲み込めない小さな棘みたいなものが残る。
――最悪。

放課後。
私は一人で学校を出た。
美月は委員会。
湊は――知らない。
最近は一緒に帰ることもない。
六月の空はどんより曇っていた。
天気予報では夕方から雨。
傘を持ってくればよかったと後悔しながら、私は駅とは反対方向へ歩いていく。
うちまでは徒歩で二十分ほど。
途中には、小さな神社がある。
子どもの頃。
私と湊がよく遊んだ場所だ。
「……懐かしい」
なんとなく足を止める。
古びた鳥居。
境内に続く石段。
小学生の頃は、この階段がとても長く感じた。
湊と競争して登って。
いつも私が負けて。
悔しくて泣いたら、湊が途中まで戻ってきてくれた。
『じゃあ次は紗奈が勝つまでやる』
それから少し大きくなって、二人で絵馬にふざけて願い事を書いたこともある。
何を書いたかは、もう覚えていない。
ただ、書いた後、二人で顔を見合わせて、妙に照れくさそうに笑った記憶だけが残っている。
生意気だけど、優しかった。
「……何思い出してんだろ」
私は自分の頬を軽く叩いた。
そのときだった。
ポツ。
鼻先に冷たいものが落ちた。
「あ」
ポツ、ポツ。
次の瞬間。
ザァァァァァッ!
「うそでしょ!?」
突然の大雨。
私は慌てて神社の境内へ走った。
屋根のある小さな休憩所に逃げ込む。
「最悪……」
制服の肩が濡れてしまった。
スマホで雨雲レーダーを見る。
しばらく止みそうにない。
「お母さんに迎え――」
その瞬間。
ドンッ!
低い音が境内に響いた。
「きゃっ!」
雷?
いや。
空は光っていない。
音がしたのは――神社の奥。
「……なに?」
怖い。
怖いけれど。
人間は、怖いものほど確認したくなるらしい。
私は恐る恐る休憩所から顔を出した。
雨の向こう。
本殿の横にある大きな御神木。
その根元に――。
誰か倒れていた。
「え?」
男の人。
黒っぽい服。
雨の中、仰向けに倒れている。
「ちょ、ちょっと!」
私は駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
返事がない。
二十代くらいだろうか。
黒髪。
背が高い。
黒いジャケットのようなものを着ている。
顔を覗き込んだ、その瞬間。
「……え?」
心臓が止まるかと思った。
知っている。
この顔。
毎日のように見ている。
ただし。
私の知っている彼より、大人だ。
輪郭が少し鋭くなっている。
髪も今より少し長い。
それでも間違えるはずがない。
「……湊?」
朝倉湊だった。
でも。
そんなはずはない。
私と同じ十七歳じゃない。
目の前にいる湊は、どう見ても二十代半ばくらいだ。
「なに、これ……」
震える手を伸ばした。
その瞬間。
ガシッ。
「ひっ!」
腕を掴まれた。
男の目が開いた。
「……紗奈」
「え……?」
目の前にいる湊は、どう見ても二十代半ばくらいだ。見慣れた顔なのに、頬の線も、目の奥に沈んだ疲れも、私の知る十七歳の湊にはない。
どうして。
「紗奈……!」
いきなり身体を起こした男に、強く抱きしめられた。
「ちょ、ちょっと!?」
「よかった……」
耳元で声が震えている。
「間に合った」
「離してください!」
必死に胸を押した。
男はハッとして、私を離す。
そして私の顔を凝視した。
「……若い」
「は?」
「制服……」
「制服ですけど」
男の顔から血の気が引いていく。
「何年だ」
「え?」
「今、何年だ!?」
いきなり肩を掴まれた。
「二、二〇二六年!」
日付まで答える。
男は黙った。
「……七年前」
「はい?」
小さく呟く。
私は完全に混乱していた。
「あなた……誰なんですか?」
男が私を見る。
悲しそうな顔だった。
それから――少し笑った。
その笑い方。
知っている。
昔。
湊が私にだけ見せていた顔だった。
「朝倉湊」
「……」
「二十四歳」
「……」
「お前の知ってる朝倉湊の、七年後だ」
私は数秒、何も言えなかった。
雨音だけが響いている。
「……病院行きましょう」
「信じてないな」
「信じるわけないでしょ!」
「だよな」
大人の湊は苦笑した。
そして。
「じゃあ、これは?」
そう言って、自分の左手を見せる。
薬指。
そこには銀色の指輪がはまっていた。
シンプルなデザイン。
内側に小さな文字が刻まれている。
男は指輪を外した。
「見てみろ」
「……」
受け取る。
内側には。
二つの名前。
**MINATO & SANA**
「……え」
私の名前。
湊の名前。
そして日付。
六年後の日付だった。
「なに、これ」
声が震えた。
男――未来の湊は静かに答えた。
「結婚指輪」
そう答える直前、未来の湊の視線がほんの一瞬だけ揺れた。
私はその意味に、まだ気づかなかった。
「誰と誰の?」
「俺とお前の」
「…………は?」
雨音が、一瞬消えたような気がした。
「いやいやいやいや!」
私は思わず立ち上がった。
「ない! 絶対ない!」
「なんで」
「なんでって、今の湊、私のこと大嫌いなんですよ!?」
男が黙る。
「本人に言われたんです! 『お前のこと嫌いだから』って!」
「……あいつ」
未来の湊が額を押さえた。
「マジで言ったのか」
「言いました!」
「殴りてぇ」
「自分ですよ!?」
「高校時代の俺は別人扱いでいい」
「よくない!」
未来の湊は大きくため息をついた。
私は指輪を見る。
偽物。
絶対偽物。
こんなのネットで簡単に作れる。
名前だって調べられる。
「信じませんから」
「だろうな」
「第一、なんで未来のあなたがここにいるんですか?」
「それを説明しに来た」
さっきまで少し笑っていた未来の湊の表情が変わった。
真剣な目。
冷たい雨が地面を叩いている。
「俺は、お前を助けるために来た」
「私を?」
「ああ」
「何から?」
未来の湊は答えなかった。
しばらく私を見つめる。
その顔があまりにも苦しそうで。
胸がざわついた。
「……未来で何かあるんですか?」
「ああ」
「私たち、結婚するんですよね?」
「ああ」
「じゃあ……何を助けるんですか?」
男は拳を握った。
そして。
信じられない言葉を口にした。
「紗奈」
「……はい」
「お前は――」
雨が強くなる。
「十八歳の誕生日に死ぬ」
「…………え?」
世界が止まった。
私の誕生日。
十月二十日。
あと――四か月。
「俺は、それを止めに来た」
未来の湊が言う。
「今度こそ絶対に、お前を死なせない」
「待って……」
頭が追いつかない。
「でも……」
私は震える声で聞いた。
「私が十八歳で死ぬなら……」
指輪を見る。
刻まれているのは、六年後の日付。
「この結婚指輪は、なんなんですか?」
未来の湊は何も言わなかった。
その沈黙で分かった。
これは単純な話じゃない。
「湊」
初めて。
目の前の男をそう呼んだ。
彼は目を閉じた。
そして、小さく言った。
「それを説明すると――未来が変わる」
「もう来た時点で変わってるでしょ!」
「……そうだな」
未来の湊が笑った。
ひどく寂しそうに。
「だから一つずつ話す」
そして彼は私の手から指輪を取ると。
なぜか――私の左手の薬指にはめた。
「ちょっ……!」
ぴったりだった。
気持ち悪いくらい。
私の指に。
「返しておく」
「何を!?」
「お前の指輪だから」
「私まだ高校生なんですけど!?」
「知ってる」
「しかも今の湊とは絶賛絶交中!」
「それも知った」
「だったら!」
未来の湊は、私の言葉を遮った。
「紗奈」
真っ直ぐに私を見る。
「今の俺を、絶対に一人にするな」
「……え?」
「嫌われてもいい。喧嘩してもいい。付き合わなくてもいい」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、あいつから離れるな」
胸が大きく鳴った。
「それが、お前を生かすために必要なことだ」

翌朝。
「……」
私は学校の昇降口で立ち尽くしていた。
昨夜のことが夢だったのか。
何度も考えた。
でも。
制服のポケットには――あの指輪がある。
さっきから、そこにある重みを何度も確かめてしまう。
夢じゃない。
そして靴箱の向こう。
「……」
朝倉湊がいた。
十七歳の。
私の知っている湊。
私に気づいて。
露骨に目を逸らす。
「……おはよ」
珍しく私から声をかけた。
湊の足が止まった。
「なに」
冷たい声。
昨日までなら腹が立っていた。
でも今は。
この男が七年後。
私のために泣きそうな顔をしていたことを知っている。
しかも。
私と結婚するらしい。
…………いや。
「無理無理無理無理」
「は?」
「なんでもない!」
「朝からうるせぇな」
湊はそのまま歩いていく。
私はその背中を見る。
未来の湊の言葉が蘇る。
――あいつから離れるな。
「……待って!」
「は?」
私は湊を追いかけた。
「今日、一緒に帰ろ」
「嫌だ」
即答。
「なんで!?」
「嫌だから」
「私のこと嫌いだから?」
「……」
湊が一瞬だけ黙った。
そして。
また右耳を触った。
緊張したときの癖。
私は思わず目を見開く。
「なに見てんだよ」
「……別に」
湊は気づいていない。
でも私は知っている。
こいつは昔から。
嘘をつくときも、右耳を触る。
「……ふーん」
「なんだよ」
「なんでもない」
「気持ち悪」
「誰が!」
前を歩く湊を追いかけながら。
私は少しだけ思った。
もしかして。
本当に。
ほんの少しだけ。
――こいつ、私のこと嫌いじゃないんじゃない?
そしてこのときの私は、まだ知らなかった。
未来から来た湊が、いちばん大切なことだけを隠していたことを。
六年後の日付が刻まれた、私と湊の結婚指輪。
けれど――
その指輪が作られた日。
**私はもう、この世界にいない。**
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