目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~
第23話 好きだと気づいたら、近すぎる
『明日暇?』
昨夜。
陽向から届いたメッセージ。
私は。
何度も。
その画面を見ていた。
暇だよ。
そう返したあと。
陽向から届いたのは。
『じゃあ昼くらいに行く』
それだけ。
いつもと。
何も変わらない。
陽向が来る。
一緒に過ごす。
最近なら。
珍しくもない。
なのに。
「……何着よう」
クローゼットの前で。
もう十分以上。
悩んでいる。
「いや、待って」
私は。
一人で首を振った。
「家だよ?」
デートじゃない。
陽向が。
遊びに来るだけ。
いつもと同じ。
なのに。
昨日。
自分の中にある気持ちを。
少しずつ。
認め始めてしまったから。
全部が。
今までと違って見える。
「……これ?」
ワンピースを手に取る。
いや。
気合い入りすぎ?
「じゃあこっち?」
シンプルなニット。
でも。
ちょっと地味?
「何してるんだろ、私……」
三十四歳。
五人の子どもの母親だった私が。
好きな人が家に来るからって。
服で悩んでいる。
「……好きな人」
口にした瞬間。
私は。
固まった。
「…………え?」
今。
自然に。
言った?
好きな人。
陽向のことを?
「いやいやいや」
まだ。
決めてない。
ちゃんと。
自分の気持ちだって。
確信できるまでは。
そう思っていたのに。
でも。
胸は。
知っているみたいだった。
陽向が来る。
楽しみ。
少しでも。
可愛いと思ってほしい。
「……これ」
私は。
自分の胸に手を当てた。
「もう答え出てるのかな」
でも。
そのとき。
また。
紗良の顔が。
頭に浮かんだ。
――ずっと好きだった。
胸が。
少しだけ。
苦しくなる。
「……」
私は。
鏡を見る。
映っているのは。
一ノ瀬紗良。
どれだけ。
中身が私でも。
陽向が今日見るのは。
この顔。
紗良が。
陽向を好きだった。
その顔。
急に。
怖くなった。
◇◇◇
昼前。
ピンポーン。
心臓が。
跳ねた。
「……来た」
玄関へ向かう。
一度。
深呼吸。
いつも通り。
いつも通りでいい。
ドアを開ける。
「よ」
陽向。
キャップ。
パーカー。
ラフな格好。
いつもの。
陽向。
なのに。
「……」
私は。
固まった。
「何?」
陽向が。
不思議そうに見る。
「……いや」
「また?」
「何でもない」
「それ俺が禁止されてるやつじゃん」
「今日はいいの!」
私が慌てて横を向くと。
陽向が笑う。
「何だよ」
「いいから入って」
「お邪魔しまーす」
靴を脱ぐ。
すぐ近くを。
陽向が通る。
ふわっと。
香水なのか。
柔軟剤なのか。
陽向の匂い。
「……っ」
ドクン。
今まで。
気にしたことなんて。
なかった。
いや。
ファンだった頃なら。
『陽向の匂い!』
なんて。
大騒ぎしていたかもしれない。
でも。
今のこれは。
違う。
男の人。
そう意識してしまう。
「美月?」
「何?」
「ドア閉めないの?」
「あ!」
私は慌てて。
玄関のドアを閉めた。
◇◇◇
陽向にも。
異変が起きていた。
「……」
昨日。
自分の気持ちに気づいた。
美月が。
好き。
認めてしまった。
たったそれだけで。
今日。
全部が。
おかしい。
「陽向、コーヒーでいい?」
「うん」
キッチンに立つ美月。
いつも。
見ている光景。
なのに。
今日は。
無駄に目で追ってしまう。
髪。
横顔。
細い首筋。
「……」
何見てんだ俺。
慌てて。
スマートフォンを見る。
意味もなく。
画面をスクロール。
「はい」
「うおっ!」
目の前に。
マグカップ。
「何その反応」
「いや!」
「びっくりした」
「私ずっとここにいたけど」
「知ってる!」
美月が。
不思議そうに座る。
隣。
いつもと同じ距離。
近い。
「……」
陽向は。
ほんの少し。
身体を反対側へずらした。
「?」
美月が。
こちらを見る。
「何?」
「いや」
「狭い?」
「全然!」
「じゃあ何で離れたの?」
「……暑い」
「今日そんな暑くないけど」
「俺暑がりなの!」
苦しい。
自分でも。
分かる。
言い訳が。
苦しすぎる。
◇◇◇
私は。
陽向を横目で見る。
今日。
絶対。
変。
いつもなら。
普通に。
もっと近くに座る。
ソファで。
肩が触れそうなくらい。
それでも。
何とも思っていないような顔をしていた。
なのに今日は。
妙に。
距離を取っている。
「……陽向」
「何?」
「何かあった?」
「ない」
「本当に?」
「本当に」
「私」
少し迷う。
「昨日のことで」
「?」
「何か変なこと言った?」
陽向の顔が。
固まった。
昨日。
好きな人の話をした。
それから。
神崎さんのことも。
陽向。
明らかに。
機嫌が悪かった。
「……私が神崎さんと話してたこと?」
「違う!」
早い。
「まだ何も言ってない」
「言ったじゃん」
「聞いただけ」
「別に神崎くん関係ないし」
「……」
やっぱり。
怪しい。
「もしかして」
私は。
少し笑った。
「嫉妬してた?」
その瞬間。
「は!?」
陽向の声が。
ひっくり返った。
私は。
びっくりして。
目を丸くする。
「え?」
「何で!?」
「いや」
「何でそうなる!?」
「だって昨日」
「嫉妬じゃない!」
「……」
私は。
じっと見る。
顔。
赤い。
「陽向」
「何」
「顔赤いよ」
「暑いから!」
「さっきからそればっかり」
「本当に暑い!」
陽向が。
コーヒーを飲む。
でも。
あまりに勢いよく飲んだせいで。
「熱っ!」
「ほら!」
私は。
思わず笑った。
「もう何してるの!」
「……」
陽向が。
恨めしそうに見る。
でも。
私の中には。
別の感情が。
生まれていた。
――もし。
本当に嫉妬だったら?
胸が。
ドクン。
その可能性を。
想像しただけで。
嬉しい。
「……」
私は。
自分の気持ちに。
また。
一つ。
気づいてしまった。
◇◇◇
「今日、何する?」
私が聞く。
「んー」
陽向が。
少し考える。
「ゲーム」
「また?」
「新しいの持ってきた」
バッグから。
ゲーム機を出す。
「二人でできるやつ」
「私あんまり上手くないよ」
「教える」
「陽向厳しそう」
「優しいって」
「本当?」
「任せろ」
三十分後。
「美月! そっちじゃない!」
「どっち!?」
「右!」
「右行った!」
「それ左!」
「私から見たら右!」
「画面は同じだろ!」
「あっ、落ちた!」
「美月ぃぃぃ!」
「だから無理って言ったじゃん!」
陽向が。
腹を抱えて笑う。
私も。
笑う。
結局。
いつも通り。
そう思った。
そのとき。
ゲームの中で。
二人のキャラクターが。
狭い足場を進む場面になる。
「美月、ここ」
陽向が。
私の手元を見る。
「こうやって」
「え?」
後ろから。
手が伸びる。
陽向の手が。
私の手に重なった。
「スティックこれくらい……」
「……」
「……」
止まった。
二人とも。
同時に。
気づいた。
近い。
ものすごく。
近い。
陽向が。
私のすぐ横にいる。
肩。
腕。
手。
触れている。
「……」
私は。
動けなくなった。
陽向も。
動かない。
心臓の音。
聞こえそう。
「……陽向」
「……うん」
声が。
近い。
私は。
ゆっくり。
顔を向けた。
陽向も。
こっちを見た。
思ったより。
ずっと。
顔が近かった。
目。
鼻。
唇。
全部。
はっきり見える。
陽向の瞳に。
私が映っている。
いや。
紗良の顔が。
映っている。
そう思った瞬間。
胸が。
締めつけられた。
「……っ」
私は。
反射的に。
身体を離した。
「美月?」
「ごめん」
「……」
「ちょっと」
立ち上がる。
「飲み物取ってくる」
逃げるように。
キッチンへ向かった。
◇◇◇
陽向は。
その場に。
動けずにいた。
「……」
今。
もし。
美月が離れなかったら。
自分は。
どうしていた?
顔が。
近かった。
あと。
ほんの少し。
美月が動いていたら。
「……何考えてんだよ」
両手で。
顔を覆う。
キス。
その言葉が。
頭をよぎった。
美月に。
キスしたい。
それを。
初めて。
はっきり。
思ってしまった。
でも。
同時に。
胸が痛んだ。
あの顔は。
紗良。
三十四年。
見続けてきた。
幼なじみの顔。
なのに。
さっき。
自分が見ていたのは。
紗良ではなかった。
美月。
完全に。
美月だった。
それが。
怖いくらい。
自然だった。
◇◇◇
キッチン。
私は。
冷蔵庫を開けたまま。
固まっていた。
何を取りに来たんだっけ。
「……」
陽向。
近かった。
手。
触れた。
顔。
近かった。
それだけで。
ドキドキして。
そして。
一瞬。
本当に一瞬。
もっと近づいてほしい。
そう思った。
「……私」
胸に。
手を当てる。
これは。
誰の気持ち?
問いかける。
でも。
今日は。
答えが。
少し違った。
さっき。
紗良の記憶は。
何も出てこなかった。
頭の痛みも。
映像も。
感情の流れ込みも。
何もない。
ただ。
高瀬美月として。
陽向とゲームをして。
触れられて。
ドキドキした。
「……私の」
小さく。
呟く。
「気持ち……?」
嬉しい。
でも。
怖い。
私は。
冷蔵庫を閉めた。
◇◇◇
「ごめん」
リビングへ戻る。
陽向が。
ソファに座っている。
さっきより。
距離がある。
「何が?」
「急に離れて」
「別に」
「……」
私は。
ソファの端に座る。
しばらく。
沈黙。
ゲームの画面だけが。
止まっている。
「美月」
「何?」
「俺」
陽向が。
ゆっくり。
口を開く。
「聞いていい?」
「……うん」
「さっき」
少し。
言いにくそうに。
「俺が触ったから嫌だった?」
「違う」
すぐに答えた。
陽向が。
こちらを見る。
「じゃあ?」
「……」
私は。
膝の上で。
手を握った。
逃げたくない。
陽向は。
いつも。
私の本音を。
聞こうとしてくれた。
だから。
「怖かった」
「俺が?」
「違う」
首を振る。
「自分が」
「……」
「陽向に触られて」
胸に手を置く。
「嬉しかったから」
陽向の目が。
大きくなる。
「……」
言った。
言ってしまった。
顔。
熱い。
「それで」
「うん」
「もっと」
声が。
小さくなる。
「近くても」
「嫌じゃないって」
「……」
「思っちゃったから」
陽向が。
完全に。
黙った。
「でも」
私は続ける。
「この顔」
自分の頬に。
触れる。
「紗良さんだから」
「……」
「陽向が」
「私を見てるのか」
「この顔を見てるのか」
怖い。
また。
同じところへ戻る。
でも。
陽向は。
少し黙ったあと。
言った。
「俺も」
「え?」
陽向が。
真っ直ぐ。
こちらを見る。
「さっき」
「美月に」
一度。
息を飲む。
「……キスしたいって思った」
「……」
時間が。
止まった。
「え?」
自分の声が。
かすれる。
陽向も。
顔が赤い。
「だから」
頭を掻く。
「俺もビビった」
「何で……」
「分かんない」
「……」
「いや」
陽向が。
首を振る。
「本当は」
「分かってる」
胸が。
ものすごい速さで。
鳴り始める。
陽向が。
何かを。
言おうとしている。
でも。
そのとき。
私の頭に。
昨夜読んだ。
紗良の日記が。
浮かんだ。
――触れたい。
――抱きしめたい。
――好き。
私は。
息を呑んだ。
「……待って」
陽向の言葉を。
止める。
「美月?」
「今は」
私は。
陽向を見る。
「言わないで」
「……」
何を。
なんて。
言わなくても。
きっと。
分かっている。
陽向の表情が。
少しだけ。
寂しそうになる。
でも。
「……分かった」
それ以上。
言わなかった。
◇◇◇
「ごめん」
「また謝ってる」
「だって」
「美月」
陽向は。
少し笑った。
「俺が言いたかっただけ」
「……」
「美月が今聞けないなら」
「今じゃなくていい」
胸が。
痛む。
優しい。
だから。
余計に。
好きになりそうになる。
いや。
もう。
好きなのかもしれない。
「陽向」
「ん?」
「私」
「うん」
「ちゃんと」
言葉を選ぶ。
「自分の気持ちが」
「私だけのものだって」
「分かってから」
「……」
「聞きたい」
陽向は。
しばらく。
私を見ていた。
そして。
「うん」
頷いた。
「じゃあ待つ」
「……ありがとう」
「でも」
「?」
少し。
悪戯っぽく。
陽向が笑う。
「一個だけ」
「何?」
「神崎くんと」
「?」
「楽しそうにしすぎないで」
「……え?」
陽向は。
言ったあと。
自分で。
しまった。
という顔をした。
私は。
数秒。
意味を理解する。
そして。
「それ」
口元が。
勝手に緩む。
「やっぱり嫉妬じゃん」
「違っ……」
「今の完全に嫉妬だよ!」
「うるさい!」
「陽向、顔真っ赤!」
「美月もだろ!」
「私は今関係ない!」
「ある!」
「何で!」
二人で。
言い合って。
結局。
笑ってしまった。
でも。
胸の奥は。
ずっと。
熱いままだった。
◇◇◇
その夜。
陽向が帰ったあと。
私は。
一人。
白いマグカップを持ちながら。
ソファに座っていた。
――俺も、さっき美月にキスしたいって思った。
思い出す。
顔が。
熱くなる。
「……無理」
マグカップで。
顔を隠す。
嬉しい。
はっきり。
嬉しい。
陽向が。
私に。
触れたいと思った。
それが。
嬉しかった。
紗良ではなく。
美月に。
そう言った。
そして。
私は。
もう。
分かり始めていた。
この気持ちは。
紗良のものだけではない。
紗良の記憶を知らなかったときから。
陽向に。
救われて。
笑わせてもらって。
見つけてもらって。
少しずつ。
一人の男性として。
好きになった。
「……私」
胸に。
手を当てる。
「陽向のこと」
その続きを。
今日も。
まだ。
声にはしなかった。
でも。
もう。
答えは。
すぐそこまで。
来ていた。
そして。
同じ頃。
帰宅した陽向は。
自宅のベッドへ。
顔から倒れ込んでいた。
「……言いかけた」
枕に。
顔を埋める。
「危な……」
『好き』
言いかけた。
でも。
美月に止められた。
嫌われたわけじゃない。
それは。
分かる。
むしろ。
『触られて嬉しかった』
なんて。
言われた。
「……無理だろ」
陽向は。
布団の上で。
転がった。
「そんなこと言われて待てって」
でも。
待つ。
美月が。
自分の気持ちに。
ちゃんと答えを出すまで。
紗良の恋ではなく。
高瀬美月として。
自分を見てくれるまで。
「……待つけどさ」
天井を見る。
「俺、もう」
小さく笑う。
「めちゃくちゃ好きなんだけど」
その夜。
二人は。
別々の場所で。
同じ相手のことを考えながら。
なかなか。
眠ることができなかった。
昨夜。
陽向から届いたメッセージ。
私は。
何度も。
その画面を見ていた。
暇だよ。
そう返したあと。
陽向から届いたのは。
『じゃあ昼くらいに行く』
それだけ。
いつもと。
何も変わらない。
陽向が来る。
一緒に過ごす。
最近なら。
珍しくもない。
なのに。
「……何着よう」
クローゼットの前で。
もう十分以上。
悩んでいる。
「いや、待って」
私は。
一人で首を振った。
「家だよ?」
デートじゃない。
陽向が。
遊びに来るだけ。
いつもと同じ。
なのに。
昨日。
自分の中にある気持ちを。
少しずつ。
認め始めてしまったから。
全部が。
今までと違って見える。
「……これ?」
ワンピースを手に取る。
いや。
気合い入りすぎ?
「じゃあこっち?」
シンプルなニット。
でも。
ちょっと地味?
「何してるんだろ、私……」
三十四歳。
五人の子どもの母親だった私が。
好きな人が家に来るからって。
服で悩んでいる。
「……好きな人」
口にした瞬間。
私は。
固まった。
「…………え?」
今。
自然に。
言った?
好きな人。
陽向のことを?
「いやいやいや」
まだ。
決めてない。
ちゃんと。
自分の気持ちだって。
確信できるまでは。
そう思っていたのに。
でも。
胸は。
知っているみたいだった。
陽向が来る。
楽しみ。
少しでも。
可愛いと思ってほしい。
「……これ」
私は。
自分の胸に手を当てた。
「もう答え出てるのかな」
でも。
そのとき。
また。
紗良の顔が。
頭に浮かんだ。
――ずっと好きだった。
胸が。
少しだけ。
苦しくなる。
「……」
私は。
鏡を見る。
映っているのは。
一ノ瀬紗良。
どれだけ。
中身が私でも。
陽向が今日見るのは。
この顔。
紗良が。
陽向を好きだった。
その顔。
急に。
怖くなった。
◇◇◇
昼前。
ピンポーン。
心臓が。
跳ねた。
「……来た」
玄関へ向かう。
一度。
深呼吸。
いつも通り。
いつも通りでいい。
ドアを開ける。
「よ」
陽向。
キャップ。
パーカー。
ラフな格好。
いつもの。
陽向。
なのに。
「……」
私は。
固まった。
「何?」
陽向が。
不思議そうに見る。
「……いや」
「また?」
「何でもない」
「それ俺が禁止されてるやつじゃん」
「今日はいいの!」
私が慌てて横を向くと。
陽向が笑う。
「何だよ」
「いいから入って」
「お邪魔しまーす」
靴を脱ぐ。
すぐ近くを。
陽向が通る。
ふわっと。
香水なのか。
柔軟剤なのか。
陽向の匂い。
「……っ」
ドクン。
今まで。
気にしたことなんて。
なかった。
いや。
ファンだった頃なら。
『陽向の匂い!』
なんて。
大騒ぎしていたかもしれない。
でも。
今のこれは。
違う。
男の人。
そう意識してしまう。
「美月?」
「何?」
「ドア閉めないの?」
「あ!」
私は慌てて。
玄関のドアを閉めた。
◇◇◇
陽向にも。
異変が起きていた。
「……」
昨日。
自分の気持ちに気づいた。
美月が。
好き。
認めてしまった。
たったそれだけで。
今日。
全部が。
おかしい。
「陽向、コーヒーでいい?」
「うん」
キッチンに立つ美月。
いつも。
見ている光景。
なのに。
今日は。
無駄に目で追ってしまう。
髪。
横顔。
細い首筋。
「……」
何見てんだ俺。
慌てて。
スマートフォンを見る。
意味もなく。
画面をスクロール。
「はい」
「うおっ!」
目の前に。
マグカップ。
「何その反応」
「いや!」
「びっくりした」
「私ずっとここにいたけど」
「知ってる!」
美月が。
不思議そうに座る。
隣。
いつもと同じ距離。
近い。
「……」
陽向は。
ほんの少し。
身体を反対側へずらした。
「?」
美月が。
こちらを見る。
「何?」
「いや」
「狭い?」
「全然!」
「じゃあ何で離れたの?」
「……暑い」
「今日そんな暑くないけど」
「俺暑がりなの!」
苦しい。
自分でも。
分かる。
言い訳が。
苦しすぎる。
◇◇◇
私は。
陽向を横目で見る。
今日。
絶対。
変。
いつもなら。
普通に。
もっと近くに座る。
ソファで。
肩が触れそうなくらい。
それでも。
何とも思っていないような顔をしていた。
なのに今日は。
妙に。
距離を取っている。
「……陽向」
「何?」
「何かあった?」
「ない」
「本当に?」
「本当に」
「私」
少し迷う。
「昨日のことで」
「?」
「何か変なこと言った?」
陽向の顔が。
固まった。
昨日。
好きな人の話をした。
それから。
神崎さんのことも。
陽向。
明らかに。
機嫌が悪かった。
「……私が神崎さんと話してたこと?」
「違う!」
早い。
「まだ何も言ってない」
「言ったじゃん」
「聞いただけ」
「別に神崎くん関係ないし」
「……」
やっぱり。
怪しい。
「もしかして」
私は。
少し笑った。
「嫉妬してた?」
その瞬間。
「は!?」
陽向の声が。
ひっくり返った。
私は。
びっくりして。
目を丸くする。
「え?」
「何で!?」
「いや」
「何でそうなる!?」
「だって昨日」
「嫉妬じゃない!」
「……」
私は。
じっと見る。
顔。
赤い。
「陽向」
「何」
「顔赤いよ」
「暑いから!」
「さっきからそればっかり」
「本当に暑い!」
陽向が。
コーヒーを飲む。
でも。
あまりに勢いよく飲んだせいで。
「熱っ!」
「ほら!」
私は。
思わず笑った。
「もう何してるの!」
「……」
陽向が。
恨めしそうに見る。
でも。
私の中には。
別の感情が。
生まれていた。
――もし。
本当に嫉妬だったら?
胸が。
ドクン。
その可能性を。
想像しただけで。
嬉しい。
「……」
私は。
自分の気持ちに。
また。
一つ。
気づいてしまった。
◇◇◇
「今日、何する?」
私が聞く。
「んー」
陽向が。
少し考える。
「ゲーム」
「また?」
「新しいの持ってきた」
バッグから。
ゲーム機を出す。
「二人でできるやつ」
「私あんまり上手くないよ」
「教える」
「陽向厳しそう」
「優しいって」
「本当?」
「任せろ」
三十分後。
「美月! そっちじゃない!」
「どっち!?」
「右!」
「右行った!」
「それ左!」
「私から見たら右!」
「画面は同じだろ!」
「あっ、落ちた!」
「美月ぃぃぃ!」
「だから無理って言ったじゃん!」
陽向が。
腹を抱えて笑う。
私も。
笑う。
結局。
いつも通り。
そう思った。
そのとき。
ゲームの中で。
二人のキャラクターが。
狭い足場を進む場面になる。
「美月、ここ」
陽向が。
私の手元を見る。
「こうやって」
「え?」
後ろから。
手が伸びる。
陽向の手が。
私の手に重なった。
「スティックこれくらい……」
「……」
「……」
止まった。
二人とも。
同時に。
気づいた。
近い。
ものすごく。
近い。
陽向が。
私のすぐ横にいる。
肩。
腕。
手。
触れている。
「……」
私は。
動けなくなった。
陽向も。
動かない。
心臓の音。
聞こえそう。
「……陽向」
「……うん」
声が。
近い。
私は。
ゆっくり。
顔を向けた。
陽向も。
こっちを見た。
思ったより。
ずっと。
顔が近かった。
目。
鼻。
唇。
全部。
はっきり見える。
陽向の瞳に。
私が映っている。
いや。
紗良の顔が。
映っている。
そう思った瞬間。
胸が。
締めつけられた。
「……っ」
私は。
反射的に。
身体を離した。
「美月?」
「ごめん」
「……」
「ちょっと」
立ち上がる。
「飲み物取ってくる」
逃げるように。
キッチンへ向かった。
◇◇◇
陽向は。
その場に。
動けずにいた。
「……」
今。
もし。
美月が離れなかったら。
自分は。
どうしていた?
顔が。
近かった。
あと。
ほんの少し。
美月が動いていたら。
「……何考えてんだよ」
両手で。
顔を覆う。
キス。
その言葉が。
頭をよぎった。
美月に。
キスしたい。
それを。
初めて。
はっきり。
思ってしまった。
でも。
同時に。
胸が痛んだ。
あの顔は。
紗良。
三十四年。
見続けてきた。
幼なじみの顔。
なのに。
さっき。
自分が見ていたのは。
紗良ではなかった。
美月。
完全に。
美月だった。
それが。
怖いくらい。
自然だった。
◇◇◇
キッチン。
私は。
冷蔵庫を開けたまま。
固まっていた。
何を取りに来たんだっけ。
「……」
陽向。
近かった。
手。
触れた。
顔。
近かった。
それだけで。
ドキドキして。
そして。
一瞬。
本当に一瞬。
もっと近づいてほしい。
そう思った。
「……私」
胸に。
手を当てる。
これは。
誰の気持ち?
問いかける。
でも。
今日は。
答えが。
少し違った。
さっき。
紗良の記憶は。
何も出てこなかった。
頭の痛みも。
映像も。
感情の流れ込みも。
何もない。
ただ。
高瀬美月として。
陽向とゲームをして。
触れられて。
ドキドキした。
「……私の」
小さく。
呟く。
「気持ち……?」
嬉しい。
でも。
怖い。
私は。
冷蔵庫を閉めた。
◇◇◇
「ごめん」
リビングへ戻る。
陽向が。
ソファに座っている。
さっきより。
距離がある。
「何が?」
「急に離れて」
「別に」
「……」
私は。
ソファの端に座る。
しばらく。
沈黙。
ゲームの画面だけが。
止まっている。
「美月」
「何?」
「俺」
陽向が。
ゆっくり。
口を開く。
「聞いていい?」
「……うん」
「さっき」
少し。
言いにくそうに。
「俺が触ったから嫌だった?」
「違う」
すぐに答えた。
陽向が。
こちらを見る。
「じゃあ?」
「……」
私は。
膝の上で。
手を握った。
逃げたくない。
陽向は。
いつも。
私の本音を。
聞こうとしてくれた。
だから。
「怖かった」
「俺が?」
「違う」
首を振る。
「自分が」
「……」
「陽向に触られて」
胸に手を置く。
「嬉しかったから」
陽向の目が。
大きくなる。
「……」
言った。
言ってしまった。
顔。
熱い。
「それで」
「うん」
「もっと」
声が。
小さくなる。
「近くても」
「嫌じゃないって」
「……」
「思っちゃったから」
陽向が。
完全に。
黙った。
「でも」
私は続ける。
「この顔」
自分の頬に。
触れる。
「紗良さんだから」
「……」
「陽向が」
「私を見てるのか」
「この顔を見てるのか」
怖い。
また。
同じところへ戻る。
でも。
陽向は。
少し黙ったあと。
言った。
「俺も」
「え?」
陽向が。
真っ直ぐ。
こちらを見る。
「さっき」
「美月に」
一度。
息を飲む。
「……キスしたいって思った」
「……」
時間が。
止まった。
「え?」
自分の声が。
かすれる。
陽向も。
顔が赤い。
「だから」
頭を掻く。
「俺もビビった」
「何で……」
「分かんない」
「……」
「いや」
陽向が。
首を振る。
「本当は」
「分かってる」
胸が。
ものすごい速さで。
鳴り始める。
陽向が。
何かを。
言おうとしている。
でも。
そのとき。
私の頭に。
昨夜読んだ。
紗良の日記が。
浮かんだ。
――触れたい。
――抱きしめたい。
――好き。
私は。
息を呑んだ。
「……待って」
陽向の言葉を。
止める。
「美月?」
「今は」
私は。
陽向を見る。
「言わないで」
「……」
何を。
なんて。
言わなくても。
きっと。
分かっている。
陽向の表情が。
少しだけ。
寂しそうになる。
でも。
「……分かった」
それ以上。
言わなかった。
◇◇◇
「ごめん」
「また謝ってる」
「だって」
「美月」
陽向は。
少し笑った。
「俺が言いたかっただけ」
「……」
「美月が今聞けないなら」
「今じゃなくていい」
胸が。
痛む。
優しい。
だから。
余計に。
好きになりそうになる。
いや。
もう。
好きなのかもしれない。
「陽向」
「ん?」
「私」
「うん」
「ちゃんと」
言葉を選ぶ。
「自分の気持ちが」
「私だけのものだって」
「分かってから」
「……」
「聞きたい」
陽向は。
しばらく。
私を見ていた。
そして。
「うん」
頷いた。
「じゃあ待つ」
「……ありがとう」
「でも」
「?」
少し。
悪戯っぽく。
陽向が笑う。
「一個だけ」
「何?」
「神崎くんと」
「?」
「楽しそうにしすぎないで」
「……え?」
陽向は。
言ったあと。
自分で。
しまった。
という顔をした。
私は。
数秒。
意味を理解する。
そして。
「それ」
口元が。
勝手に緩む。
「やっぱり嫉妬じゃん」
「違っ……」
「今の完全に嫉妬だよ!」
「うるさい!」
「陽向、顔真っ赤!」
「美月もだろ!」
「私は今関係ない!」
「ある!」
「何で!」
二人で。
言い合って。
結局。
笑ってしまった。
でも。
胸の奥は。
ずっと。
熱いままだった。
◇◇◇
その夜。
陽向が帰ったあと。
私は。
一人。
白いマグカップを持ちながら。
ソファに座っていた。
――俺も、さっき美月にキスしたいって思った。
思い出す。
顔が。
熱くなる。
「……無理」
マグカップで。
顔を隠す。
嬉しい。
はっきり。
嬉しい。
陽向が。
私に。
触れたいと思った。
それが。
嬉しかった。
紗良ではなく。
美月に。
そう言った。
そして。
私は。
もう。
分かり始めていた。
この気持ちは。
紗良のものだけではない。
紗良の記憶を知らなかったときから。
陽向に。
救われて。
笑わせてもらって。
見つけてもらって。
少しずつ。
一人の男性として。
好きになった。
「……私」
胸に。
手を当てる。
「陽向のこと」
その続きを。
今日も。
まだ。
声にはしなかった。
でも。
もう。
答えは。
すぐそこまで。
来ていた。
そして。
同じ頃。
帰宅した陽向は。
自宅のベッドへ。
顔から倒れ込んでいた。
「……言いかけた」
枕に。
顔を埋める。
「危な……」
『好き』
言いかけた。
でも。
美月に止められた。
嫌われたわけじゃない。
それは。
分かる。
むしろ。
『触られて嬉しかった』
なんて。
言われた。
「……無理だろ」
陽向は。
布団の上で。
転がった。
「そんなこと言われて待てって」
でも。
待つ。
美月が。
自分の気持ちに。
ちゃんと答えを出すまで。
紗良の恋ではなく。
高瀬美月として。
自分を見てくれるまで。
「……待つけどさ」
天井を見る。
「俺、もう」
小さく笑う。
「めちゃくちゃ好きなんだけど」
その夜。
二人は。
別々の場所で。
同じ相手のことを考えながら。
なかなか。
眠ることができなかった。