あなたをみてる
捜査は続いていた。
沖島真司が殺害されてから、警察は事件に関係する人間の行動を一つずつ確認していた。
真司の妻、かの子。
真司と関係を持っていた、ゆかり。
ゆかりと交際している、奏。
そして、事件当夜、現場にいた哲平。
事情聴取は何度も繰り返された。
防犯カメラの映像。
通話記録。
ホテルの利用記録。
オンラインゲームの記録。
証言。
一つずつ確認されていく。
それでも、事件を直接示す決定的なものは見つかっていなかった。

「……どう思います?」
森刑事が資料を見ながら尋ねた。
向かいに座る堀田刑事は、すぐには答えなかった。
机の上には、事件に関する資料が並んでいる。
「かの子さんからは、今のところ新しいものは出ていません」
「ああ」
「鮎田ゆかりについても、山崎奏についても同じです」
堀田は黙って資料をめくる。
森が続けた。
「武藤哲平は、沖島さんに解雇されている」
一枚。
「店内で暴力沙汰を起こしている」
もう一枚。
「事件当夜、ゲーム仲間に『ちょっと出てくる』と言ってログアウト。その後のアリバイはない」
防犯カメラの画像。
「そして、現場にいた」
堀田が画像を見る。
店へ入っていく哲平。
その後、慌てた様子で店から出ていく哲平。
「遺体を発見したにもかかわらず、通報せず逃げた」
森が資料を置いた。
「状況だけを見れば……」
「武藤だな」
堀田が言った。
森が黙る。
しばらくして、堀田は椅子にもたれた。
「でもな、森」
「はい」
「状況が怪しいことと、そいつがやったことは同じじゃない」
「……はい」
「俺たちが欲しいのは、犯人らしい人間じゃない」
堀田は資料を閉じる。
「犯人だ」
森は小さく頷いた。

それからも捜査は続いた。
哲平の事件当夜の行動は、さらに細かく調べられた。
ゲームを終えた時刻。
自宅を出たと考えられる時間。
店までの距離。
防犯カメラに姿を現した時刻。
店から逃げるように立ち去った時刻。
そして、真司との関係。
一つの事実だけなら、偶然かもしれない。
しかし、それらを重ねるほど――
疑いは、哲平へ集まっていった。

「また俺かよ」
取調室に入った哲平は、椅子に座るなり吐き捨てた。
堀田が向かいに座る。
森も隣にいる。
「武藤さん。もう一度だけ聞きます」
「何回目だよ、それ」
「事件当夜、沖島さんの店へ行った」
「行ったよ」
「沖島さんと話をするため?」
「そうだ」
「解雇を取り消してほしかった」
「ああ」
「沖島さんに腹を立てていた?」
哲平が堀田を見る。
「……立ててたよ」
「鮎田さんのことでも?」
哲平の表情が変わる。
「それ、関係あんのかよ」
「答えてください」
「……気に入らなかった」
「何が?」
「店長が、ゆかりと……」
哲平は言葉を止めた。
「とにかく、気に入らなかったんだよ」
「沖島さんを恨んでいた?」
「だからって殺さねえよ」
堀田は哲平を見つめる。
「店に着いたとき、沖島さんは?」
「死んでた」
「本当に?」
哲平が机を叩いた。
「何回言わせんだよ!」
森がわずかに身体を動かす。
堀田は動かなかった。
「俺じゃねえ!」
哲平が声を上げる。
「俺が店に行ったときには、店長はもう死んでたんだよ!」
「では、なぜ逃げた?」
「怖かったからだよ!」
「何が怖かった?」
「俺が疑われると思ったんだよ!」
哲平は息を切らしながら二人を見る。
「店長にクビにされて、喧嘩もして……そんな俺が死体の横にいたら、どうなると思う?」
誰も答えない。
哲平は俯いた。
「だから逃げた」
静かな声だった。
「それだけだよ」
堀田はしばらく哲平を見ていた。

数日後。
堀田は一枚の書類を前にしていた。
森が隣に立っている。
「……行きますか」
堀田は答えなかった。
以前、自分が口にした言葉が頭に残っていた。
思い込みで犯人を決めたら、俺たちが犯人を作ることになる。
それでも。
捜査で積み重なったものは、一人の男へ向かっていた。
堀田は書類を手に取った。
「行こう」
「はい」

玄関のチャイムが鳴った。
哲平が扉を開ける。
そこに堀田と森が立っていた。
「……またあんたらかよ」
堀田が哲平を見る。
「武藤哲平さん」
その声に、哲平の表情が変わる。
「沖島真司さん殺害の容疑で、逮捕します」
哲平の顔から血の気が引いた。
「……は?」
森が一歩前へ出る。
哲平が後ずさった。
「ちょっと待てよ」
「武藤さん」
「待てって!」
哲平の声が響く。
「俺じゃねえ!」
堀田は黙っている。
「俺じゃねえって言ってんだろ!」
哲平の声が震えた。
「俺は……店長を殺してねえ!」
その言葉を最後まで、堀田は聞いていた。

その日の夕方。
奏はスマートフォンに表示されたニュースを見つめていた。
《コンビニ店長殺害事件 元従業員の男を逮捕》
隣にいたゆかりが、奏の画面を見る。
「……哲平、くん?」
奏は答えなかった。
記事を読む。
容疑者は、容疑を否認している。
事件当夜、現場にいたこと。
被害者との間にトラブルがあったこと。
警察が詳しい経緯を調べていること。
奏はスマートフォンを下ろした。
「……ほんとに、哲平だったのかな」
ゆかりは何も言わなかった。

かの子も、自宅で同じニュースを見ていた。
画面に表示される事件の記事。
逮捕。
その文字を、何度も目で追う。
「……武藤くん」
事件の夜。
店から飛び出してきた哲平の姿が蘇る。
あのとき、自分は確かに見た。
それでも――
「本当に……武藤くんなの?」
答えは返ってこなかった。
静かな部屋に、時計の音だけが響いていた。

数日後。
奏とゆかりは並んで歩いていた。
「なんか久しぶりな気がする」
ゆかりが言う。
「何が?」
「普通に歩くの」
「この前も歩いただろ」
「あのとき、尾行されてたじゃん」
「ああ……」
奏が顔をしかめる。
「思い出させんなよ」
「ふふっ」
「ホテル出たところで刑事に声かけられるとか、最悪だからな」
「奏くん、すごい顔してた」
「ゆかりは笑ってただろ」
「だって、おかしかったんだもん」
「俺は恥ずかしかったの」
ゆかりが奏の腕に抱きつく。
「じゃあ今日は?」
「ん?」
「今日は、誰も見てないかな」
奏が周囲を見回す。
「たぶん」
「ほんと?」
「警察いたら知らん」
ゆかりが笑った。
「もう尾行されてないよ」
「だといいけど」
二人はそのまま歩いていく。
「奏くん」
「ん?」
「次、どこ行く?」
「またホテル?」
「もう」
ゆかりが奏の腕を軽く叩く。
「奏くんのエッチ」
「冗談だよ」
「ほんとかなぁ」
「じゃあ、ゆかりが決めて」
「うーん……」
ゆかりは考えながら、奏の腕に頬を寄せた。
二人の笑い声が、人混みの中へ消えていった。
事件が、少しずつ遠ざかっていくように。
そんな日常が、戻り始めていた。


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