怪盗は二度盗む
第二章 寂しがり屋は予告する
「先生! 昨日の夜に怪盗が出たって本当?」
午後の光が差し込む、ハーロウ家の広々としたプレイルーム。子どもたちは家庭教師を見上げる。
「本当よ。でも心配しないで。この家は大人が守ります」
「すごーい! じゃあ、おやつは盗まれない?」
「それは見張らないといけないわね。さあ、おやつの時間にしましょう」
子どもたちを奥の部屋に送り出し、家庭教師は一息ついた。
午後の陽射しはおだやかで、屋敷の中には焼き菓子の甘い匂いが満ちている。
昨日の夜に怪盗が忍び込んだとは思えないほど明るかった。
けれど、机の引き出しの中には一枚のカードがある。
『あなたの一番大切なものをいただきます。怪盗3X』
思い出しただけで胸がざわつく。
家庭教師が何気なくテラスへ目を向けると、欄干に腰をかけた男がこちらを見て笑った。
「お見事!子供のあつかいもお手の物だな」
整えられた髪、射抜くような緑の双眸、誰の目をもうばう顔。怪盗3X、ディオン・オブライエンだ。
無防備な素顔で姿を現したのは、あの気高い瞳を自分に向けたかったからに他ならない。
男は軽やかに歩み寄ってきた。
「やあ元気かい」
彼女は知らず身構えていた。この男は真っ昼間なのに、あまりにも堂々としている!
「泥棒さん、ほんとうに来たのね」
ディオンは昨夜変装した警備員の地味な顔と声ではない。
いくら予告したといっても、女は一目で「昨夜の男」だと見抜いていた。
――鋭すぎるだろ。だけど、そう来なくっちゃね!
「怪盗だよ、か・い・と・う!」
「どちらでも同じよ」
ディオンは笑った。
「今日も驚かないんだな」
「先ぶれが机にありましたもの。『あなたの一番大切なものをいただきます』って」
「予告状だよ」
「ずいぶん親切ね」
ディオンは笑いながら一歩近づく。
女はその場を動かない。逃げたくなかったし、逃げれば負ける気がした。
「予告もしたのに、警察がいないなんて拍子抜けだ」
「その価値があるか、考えているところよ」
「ふうん?」
緑の目が、愉快そうに細められる。
昨夜と違って、今日はお互いの顔がよく見えた。相手がどんな顔で何を言うのか、逃げ場なく突きつけられる距離だ。
「エリーゼ」
「……名乗った覚えはありません」
「読ませてもらったからね」
ディオンは昨日盗み出した紙のはしをちらりと見せた。
「エリーゼ・フォン・ツェーリンゲン。
とっくに死んだはずの、亡国の王女様だ」
エリーゼの胸では動揺が渦巻いていた。が、顔には出さない。
「人の素性を勝手に暴くなんて趣味が悪いわ。
ディオンはストーカーの才能もおありね」
「知りたくなる相手っているだろ」
「私はいないわよ」
「いやあ、冷たいなー。あんなに熱い夜を過ごした仲じゃないか」
言葉とは裏腹に、ディオンは棘を向けられることすら喜んでいる。
「最近は王政復古派も新政府派も落ち着かなくてさ。
あんたみたいな証拠が転がり出たら、街ひとつ燃えかねない。あの紙切れはまさに『爆弾』だ」
ディオンは楽しげに言う。
「まさかハーロウ家の金庫の底に眠ってるとは思わなかったな」
「それを売るなら相手は選ぶべきね、ディオン。
うかつな相手に見せて回れば、あなたは消される」
エリーゼは低く言った。
脅すべき相手だ。遠ざけるべき相手。なのに。
「俺の心配?」
ディオンの胸の鼓動が少しだけ早くなる。
「いいえ、死なれては気分が悪いでしょう」
「即答か」
笑う声が、少し低くなる。
「そんな顔で言われると期待するな」
「失望しても責任は取らないから」
ディオンは不敵な笑みを浮かべ、さらに近づいた。
エリーゼは一歩退き、欄干に背をあてる。逃げ場がない。
顔が近い。
昨夜は闇と霧に紛れていたのに、昼の光の下ではなにもかもが隠れようもなかった。
彼のまなざしも、口元の笑みも、整いすぎている。それよりも分かりやすい表情が、妙に憎めなかった。
「――あいにく俺は、危険な火遊びほど燃える性質(たち)でね」
怖いわけではない。だが、落ち着かない。艷やかな声が近すぎる。
エリーゼは視線をそらさないで言い放った。
「手のかかる子ね」
「俺のことを言ってるのか?」
「予告状を出して、真昼間に現れて、自分を見つけて欲しがってる」
彼の顔をまっすぐ見上げた。
「寂しがり屋で、目立ちたがり屋で、誰かに強く覚えていてほしい。
あなたは愛に飢えた子供みたい」
ディオンがわずかにひるむ。
エリーゼはそのひびを見逃さない。
「図星?」
「……ひどい女だな、あんた」
「窓から来て言う言葉かしら?」
「思ったより、ずっと興味がわいたよ」
ディオンはゆっくり笑った。
だが、その笑みはさっきまでより危うく、熱を含んでいる。
「あとで泣いても知らないわよ」
ディオンは一拍遅れて笑った。
「泣くどころか、笑いながらあんたをさらいに来るさ」
強がりめいた声だった。
エリーゼは黙っていた。
追い払うべきなのに、その目を見ると完全には拒みきれない。
この男が本気で自分の前に立っていると知るほど、簡単に視線を切れない。
ディオンがささやく。
「そんな目であおるなよ。理性が仕事をしなくなるだろ」
「怪盗の理性なんて、信用できないわ」
「手厳しいな」
「堪えていないでしょう」
沈黙が落ちる。
だが気まずくはない。むしろ、ひりつくほど熱い。
風がテラスを吹き抜け、エリーゼの髪を揺らした。
その毛先を追うディオンの視線は、無遠慮で、静かだった。
無礼で危険で最悪だ。
この男も、この再会も、その先も。
なのに、エリーゼの肩の力は抜けていた。
次に彼が来たとして、自分は扉を閉ざせるだろうか。
その答えを、まだ彼女は知らない。
午後の光が差し込む、ハーロウ家の広々としたプレイルーム。子どもたちは家庭教師を見上げる。
「本当よ。でも心配しないで。この家は大人が守ります」
「すごーい! じゃあ、おやつは盗まれない?」
「それは見張らないといけないわね。さあ、おやつの時間にしましょう」
子どもたちを奥の部屋に送り出し、家庭教師は一息ついた。
午後の陽射しはおだやかで、屋敷の中には焼き菓子の甘い匂いが満ちている。
昨日の夜に怪盗が忍び込んだとは思えないほど明るかった。
けれど、机の引き出しの中には一枚のカードがある。
『あなたの一番大切なものをいただきます。怪盗3X』
思い出しただけで胸がざわつく。
家庭教師が何気なくテラスへ目を向けると、欄干に腰をかけた男がこちらを見て笑った。
「お見事!子供のあつかいもお手の物だな」
整えられた髪、射抜くような緑の双眸、誰の目をもうばう顔。怪盗3X、ディオン・オブライエンだ。
無防備な素顔で姿を現したのは、あの気高い瞳を自分に向けたかったからに他ならない。
男は軽やかに歩み寄ってきた。
「やあ元気かい」
彼女は知らず身構えていた。この男は真っ昼間なのに、あまりにも堂々としている!
「泥棒さん、ほんとうに来たのね」
ディオンは昨夜変装した警備員の地味な顔と声ではない。
いくら予告したといっても、女は一目で「昨夜の男」だと見抜いていた。
――鋭すぎるだろ。だけど、そう来なくっちゃね!
「怪盗だよ、か・い・と・う!」
「どちらでも同じよ」
ディオンは笑った。
「今日も驚かないんだな」
「先ぶれが机にありましたもの。『あなたの一番大切なものをいただきます』って」
「予告状だよ」
「ずいぶん親切ね」
ディオンは笑いながら一歩近づく。
女はその場を動かない。逃げたくなかったし、逃げれば負ける気がした。
「予告もしたのに、警察がいないなんて拍子抜けだ」
「その価値があるか、考えているところよ」
「ふうん?」
緑の目が、愉快そうに細められる。
昨夜と違って、今日はお互いの顔がよく見えた。相手がどんな顔で何を言うのか、逃げ場なく突きつけられる距離だ。
「エリーゼ」
「……名乗った覚えはありません」
「読ませてもらったからね」
ディオンは昨日盗み出した紙のはしをちらりと見せた。
「エリーゼ・フォン・ツェーリンゲン。
とっくに死んだはずの、亡国の王女様だ」
エリーゼの胸では動揺が渦巻いていた。が、顔には出さない。
「人の素性を勝手に暴くなんて趣味が悪いわ。
ディオンはストーカーの才能もおありね」
「知りたくなる相手っているだろ」
「私はいないわよ」
「いやあ、冷たいなー。あんなに熱い夜を過ごした仲じゃないか」
言葉とは裏腹に、ディオンは棘を向けられることすら喜んでいる。
「最近は王政復古派も新政府派も落ち着かなくてさ。
あんたみたいな証拠が転がり出たら、街ひとつ燃えかねない。あの紙切れはまさに『爆弾』だ」
ディオンは楽しげに言う。
「まさかハーロウ家の金庫の底に眠ってるとは思わなかったな」
「それを売るなら相手は選ぶべきね、ディオン。
うかつな相手に見せて回れば、あなたは消される」
エリーゼは低く言った。
脅すべき相手だ。遠ざけるべき相手。なのに。
「俺の心配?」
ディオンの胸の鼓動が少しだけ早くなる。
「いいえ、死なれては気分が悪いでしょう」
「即答か」
笑う声が、少し低くなる。
「そんな顔で言われると期待するな」
「失望しても責任は取らないから」
ディオンは不敵な笑みを浮かべ、さらに近づいた。
エリーゼは一歩退き、欄干に背をあてる。逃げ場がない。
顔が近い。
昨夜は闇と霧に紛れていたのに、昼の光の下ではなにもかもが隠れようもなかった。
彼のまなざしも、口元の笑みも、整いすぎている。それよりも分かりやすい表情が、妙に憎めなかった。
「――あいにく俺は、危険な火遊びほど燃える性質(たち)でね」
怖いわけではない。だが、落ち着かない。艷やかな声が近すぎる。
エリーゼは視線をそらさないで言い放った。
「手のかかる子ね」
「俺のことを言ってるのか?」
「予告状を出して、真昼間に現れて、自分を見つけて欲しがってる」
彼の顔をまっすぐ見上げた。
「寂しがり屋で、目立ちたがり屋で、誰かに強く覚えていてほしい。
あなたは愛に飢えた子供みたい」
ディオンがわずかにひるむ。
エリーゼはそのひびを見逃さない。
「図星?」
「……ひどい女だな、あんた」
「窓から来て言う言葉かしら?」
「思ったより、ずっと興味がわいたよ」
ディオンはゆっくり笑った。
だが、その笑みはさっきまでより危うく、熱を含んでいる。
「あとで泣いても知らないわよ」
ディオンは一拍遅れて笑った。
「泣くどころか、笑いながらあんたをさらいに来るさ」
強がりめいた声だった。
エリーゼは黙っていた。
追い払うべきなのに、その目を見ると完全には拒みきれない。
この男が本気で自分の前に立っていると知るほど、簡単に視線を切れない。
ディオンがささやく。
「そんな目であおるなよ。理性が仕事をしなくなるだろ」
「怪盗の理性なんて、信用できないわ」
「手厳しいな」
「堪えていないでしょう」
沈黙が落ちる。
だが気まずくはない。むしろ、ひりつくほど熱い。
風がテラスを吹き抜け、エリーゼの髪を揺らした。
その毛先を追うディオンの視線は、無遠慮で、静かだった。
無礼で危険で最悪だ。
この男も、この再会も、その先も。
なのに、エリーゼの肩の力は抜けていた。
次に彼が来たとして、自分は扉を閉ざせるだろうか。
その答えを、まだ彼女は知らない。