君のとなり 〜約束の168〜

第53章 もう一度、君のとなりへ

文化祭当日。

校内は朝から、いつも以上に賑やかだった。

廊下には色とりどりの装飾が並び、教室からは笑い声が聞こえてくる。

私は友達と一緒に、いくつもの教室を回っていた。

笑って。

話して。

文化祭を楽しもうとしていた。

でも――

心のどこかには、ずっと翔のことがあった。

スマホが震える。

画面を見ると、翔からメールが届いていた。

『今、どこにいる?』

私は画面を閉じた。

まだ、ちゃんと向き合う勇気がなかった。

だから、既読にもせず、そのままポケットにしまった。

*

午前中。

翔は校内を歩き回っていた。

教室を覗いて。

廊下を歩いて。

中庭にも行った。

けれど、瑠夏の姿はどこにもない。

何度もスマホを見る。

既読はつかない。

「……どこにいるんだよ」

小さく呟く。

会って話したい。

メールじゃなくて。

ちゃんと顔を見て伝えたい。

そう思って、ずっと探していた。

そして午後。

廊下の向こうから、聞き慣れた笑い声が聞こえた。

翔が顔を上げる。

いた。

友達と並んで歩いている瑠夏。

その姿を見つけた瞬間、胸が大きく鳴った。

「瑠夏!」

瑠夏が振り返る。

目が合った。

一瞬、瑠夏の表情が揺れる。

でも、翔は迷わなかった。

瑠夏のそばまで歩いていき、その手首をそっと掴む。

「え……翔?」

驚いた瑠夏の顔。

その隣にいた友達が、二人を交互に見る。

翔は少し照れたように笑って、

「ごめん。瑠夏、貰っていい?」

そう言った。

友達は一瞬目を丸くして――

「あっ……」

何かを察したように、ふっと笑う。

「……はい」

「ありがと」

そのやり取りに、瑠夏の頬が少し熱くなる。

「ちょっと、翔……」

言い終わる前に、翔が手を引いた。

「こっち」

「え?」

少し強引。

でも、離したくないという気持ちが、その手から伝わってくる。

人の少ない廊下を進んでいく。

階段を上がり、使われていない教室を見つける。

翔は扉を開けた。

中には誰もいない。

二人だけ。

扉が閉まる。

途端に、文化祭の喧騒が遠くなった。

「ちょっと、翔! 痛いよ!」

翔がハッとする。

握っていた手を、すぐに緩めた。

「……ごめん」

瑠夏を見る。

「瑠夏……ごめん」

その声は、さっきまでとは違っていた。

強引に連れてきた勢いなんて、もう残っていない。

ただ、苦しそうだった。

「俺、ずっと考えてた」

瑠夏は何も言わない。

翔は一度、息を吐いた。

「なんで俺、反対したんだろうって」

窓から差し込む午後の光が、教室の床を照らしている。

「瑠夏がやっと見つけたものなのに」

一歩、瑠夏に近づく。

「俺だって、怪我したときに自分の夢を見つけた。スポーツトレーナーになりたいって、自分で決めた」

瑠夏が静かに翔を見る。

「だから、本当は分かってるんだ。自分で決めた未来を、誰かに反対されたら嫌だってことも」

翔は唇を噛んだ。

「なのに……瑠夏が関東に行くって聞いた瞬間、怖くなった」

その言葉に、瑠夏の瞳が揺れる。

「遠くなるだろ」

「……うん」

「今みたいに会えなくなる。放課後、一緒に帰れなくなる。昼休みに屋上で弁当食べることもできなくなる」

一つ一つ言葉にするたび、翔の声が少しずつ震えていく。

「俺の知らない場所で、瑠夏が新しい生活を始める」

そして――

「そこに俺がいないのが、嫌だった」

瑠夏の目に、涙が浮かぶ。

「……翔」

「情けないよな」

翔は苦笑した。

「瑠夏の夢を応援したいって思うより先に、自分が離れたくないって気持ちが出てきた」

少しの沈黙。

翔はポケットに手を入れた。

取り出したのは――

あの日、瑠夏から返されたハチマキ。

瑠夏の目が大きくなる。

「……持ってたの?」

「ずっと」

翔はハチマキを広げる。

そして、瑠夏の手を取った。

「え……?」

さっき強く引いてしまった手首。

今度は、壊れものに触れるように優しく。

翔はその手首に、ハチマキをそっと巻いた。

そして――

ほどけないように、リボン結びにする。

「俺、瑠夏を応援する」

まっすぐな瞳。

「やっと見つけたんだろ。瑠夏がやりたいこと」

「……うん」

「だったら、俺が一番に応援したい」

涙が、瑠夏の頬を伝った。

翔はその涙を見て、少し困ったように笑う。

「だから……これ、受け取ってくれる?」

瑠夏は自分の手首を見る。

そこには、もう一度結ばれたハチマキ。

体育祭の日。

一度は翔に押し返したもの。

それが今、また自分のもとへ戻ってきた。

瑠夏は涙を拭った。

そして、泣きながら微笑む。

「……うん」

小さく頷いた。

「ありがとう、翔」

翔も笑った。

「……よかった」

二人の間に、ようやく穏やかな空気が戻ってくる。

文化祭の歓声が、遠くから聞こえていた。

まだ、二人の未来がどうなるのかは分からない。

離れてしまう未来も、きっと寂しい。

それでも。

今度は、同じ方向を向いていた。

翔は、ハチマキの結ばれた瑠夏の手をそっと握る。

瑠夏も、その手を握り返した。

もう一度。

二人の手が、繋がった。
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