ベンチから始まる怪談譚
プロローグ
坂を上る。
目の前には、どこまでも続く青空。その下には、おもちゃのようなビルが肩を寄せ合うように建ち並んでいる。
僕が住んでいるこの町は、東京の郊外にある、いわゆるベッドタウンだ。
人々はここから、それぞれの戦地へ向かい、夕暮れには翼を休めるように帰ってくる。
高台にあるこの坂を八割ほど登ると、町を見下ろせる場所にベンチが一つ置かれている。
学校帰り、僕はそこへ腰を下ろし、スマホを取り出す。
中学生の頃から、この場所でWeb小説を書くのが日課になっていた。
もうニ年も書き続けているのに、読者はほとんど増えない。
それでも、頭の中で膨らんだ物語が文字になっていく時間だけは、誰にも譲れない楽しみだった。
「うーん……」
連載していた作品を書き終えたばかりで、さて次は何を書こうかと頭を悩ませる。
「やぁ。進んでる?」
聞き慣れた声に振り向くと、ストレートの長い黒髪を風になびかせた雫が立っていた。
ここで小説を書き始めてから出会った、僕の数少ない友達の一人だ。
「ネタ切れだよ。何を書けばいいのか、全然浮かばない」
「この前の話は? 終わったの?」
「うん」
僕はスマホを操作し、雫から見えるように少し傾けた。
雫は髪を右耳にかけると、僕の隣から画面を覗き込む。
その横顔を見ていると、不思議と周りの音が遠ざかっていく。
時間だけがゆっくり流れ、この世界には僕たち二人しかいなくなってしまったような気がした。
画面を追う雫の視線だけが、静かに左右へ動いている。
やがて読み終えると、小さく笑った。
「ふむ。なかなか上達しないんだな、君は」
そう言って、今日の青空のような笑顔を向けてくる。
「余計なお世話だよ」
僕は口を尖らせながら、スマホを自分のほうへ戻した。
「ごめん、ごめん。怒った?」
「いや。本当のことだから」
傷つきはしない。
雫は毎日のようにここへ来て、僕の書いた小説を読んでくれる。
そんな読者は、今のところ彼女しかいないのだから。
雫は空を見上げ、目を細めた。
「今日は、よく晴れたね」
「うん。暑すぎてこのまま溶けそうだよ」
僕は手を額にかざしながら笑う。
「そろそろ来る時間を遅らせないと、熱中症になっちゃうよ」
「そうだね」
僕も空を見上げた。
夏は、まだ始まったばかりだった。
「ねぇ、夏だしさ、ホラーなんてどう?」
雫が、夏の風物詩ともいえる怪談話を勧めてきた。
「ホラーねぇ……。僕、今まで怪奇現象とか幽霊とかで怖い思いをしたことないんだよなぁ」
クラスで流行る怪談話や、夏になると放送される怪談特集は見たことがある。
だけど、夜中にトイレへ行けなくなるほど怖い思いは、まだ一度も味わったことがなかった。
「手伝うよ。私が情報収集してくる」
坂を吹き抜ける風に、雫の白いワンピースがふわりと揺れた。
目の前には、どこまでも続く青空。その下には、おもちゃのようなビルが肩を寄せ合うように建ち並んでいる。
僕が住んでいるこの町は、東京の郊外にある、いわゆるベッドタウンだ。
人々はここから、それぞれの戦地へ向かい、夕暮れには翼を休めるように帰ってくる。
高台にあるこの坂を八割ほど登ると、町を見下ろせる場所にベンチが一つ置かれている。
学校帰り、僕はそこへ腰を下ろし、スマホを取り出す。
中学生の頃から、この場所でWeb小説を書くのが日課になっていた。
もうニ年も書き続けているのに、読者はほとんど増えない。
それでも、頭の中で膨らんだ物語が文字になっていく時間だけは、誰にも譲れない楽しみだった。
「うーん……」
連載していた作品を書き終えたばかりで、さて次は何を書こうかと頭を悩ませる。
「やぁ。進んでる?」
聞き慣れた声に振り向くと、ストレートの長い黒髪を風になびかせた雫が立っていた。
ここで小説を書き始めてから出会った、僕の数少ない友達の一人だ。
「ネタ切れだよ。何を書けばいいのか、全然浮かばない」
「この前の話は? 終わったの?」
「うん」
僕はスマホを操作し、雫から見えるように少し傾けた。
雫は髪を右耳にかけると、僕の隣から画面を覗き込む。
その横顔を見ていると、不思議と周りの音が遠ざかっていく。
時間だけがゆっくり流れ、この世界には僕たち二人しかいなくなってしまったような気がした。
画面を追う雫の視線だけが、静かに左右へ動いている。
やがて読み終えると、小さく笑った。
「ふむ。なかなか上達しないんだな、君は」
そう言って、今日の青空のような笑顔を向けてくる。
「余計なお世話だよ」
僕は口を尖らせながら、スマホを自分のほうへ戻した。
「ごめん、ごめん。怒った?」
「いや。本当のことだから」
傷つきはしない。
雫は毎日のようにここへ来て、僕の書いた小説を読んでくれる。
そんな読者は、今のところ彼女しかいないのだから。
雫は空を見上げ、目を細めた。
「今日は、よく晴れたね」
「うん。暑すぎてこのまま溶けそうだよ」
僕は手を額にかざしながら笑う。
「そろそろ来る時間を遅らせないと、熱中症になっちゃうよ」
「そうだね」
僕も空を見上げた。
夏は、まだ始まったばかりだった。
「ねぇ、夏だしさ、ホラーなんてどう?」
雫が、夏の風物詩ともいえる怪談話を勧めてきた。
「ホラーねぇ……。僕、今まで怪奇現象とか幽霊とかで怖い思いをしたことないんだよなぁ」
クラスで流行る怪談話や、夏になると放送される怪談特集は見たことがある。
だけど、夜中にトイレへ行けなくなるほど怖い思いは、まだ一度も味わったことがなかった。
「手伝うよ。私が情報収集してくる」
坂を吹き抜ける風に、雫の白いワンピースがふわりと揺れた。
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