氷の公爵様は、愛を知らない令嬢を離してくれない

第十六話 お義母様と選ぶドレス

 朝食を終えた頃。

「エレノアちゃん!」

 セシリアが弾むような足取りでやってきた。

「今日は予定があるわよ!」

「予定、ですか?」

「ええ!」

 エレノアが首を傾げる。

「何をするのですか?」

「秘密!」

「……?」

 セシリアは楽しそうに笑った。

 その後ろから、レオンハルトがやってくる。

「母上」

「何?」

「昨日言っていた件か?」

「そうよ」

 レオンハルトがエレノアを見る。

「今日は母上と出かけてくるといい」

「どこへ行くのでしょう?」

「それは母上に聞け」

「ふふ。行けば分かるわ」

「はい」

 エレノアは素直に頷いた。

 するとレオンハルトが続ける。

「ただし」

「はい?」

「疲れたらすぐに言うこと」

「はい」

「無理をしない」

「はい」

「昼食はちゃんと食べる」

「はい」

「喉が渇いたら――」

「レオンハルト」

 セシリアが呆れた顔をする。

「あなた、もう十分よ」

「……」

「エレノアちゃんは病人じゃないんだから」

「分かっている」

「本当に?」

「……」

 レオンハルトは黙った。

 エレノアが小さく笑う。

「旦那様」

「何だ?」

「大丈夫です」

「何かあったらすぐに俺へ知らせろ」

「はい」

 セシリアがエレノアの手を取る。

「さあ、行きましょう!」

「はい」

 二人が屋敷を出ていく。

 その姿を見送ったレオンハルトは、しばらく玄関を眺めていた。

「旦那様」

「何だ?」

 隣に立つセバスチャンが静かに言う。

「奥様が心配で仕方がないのでございますね」

「……母上がついている、問題ない」

「左様でございますか」

 セバスチャンは微笑んだ。

「では、なぜまだ玄関を見ておられるので?」

「……」

 レオンハルトは何も答えなかった。




 ◇

「わぁ……」

 馬車が止まった場所を見て、エレノアが目を丸くする。

 そこは王都でも有名な仕立て屋だった。

 大きなガラス窓の向こうには、色とりどりのドレスが並んでいる。

「ここは?」

「ドレスのお店よ」

「ドレス……」

「そう!」

 セシリアは嬉しそうに笑う。

「今日はエレノアちゃんのドレスを見に来たの」

「私の?」

「ええ」

「……どうしてですか?」

「可愛い娘には、可愛い服を着せたいでしょう?」

「……」

 エレノアは少しだけ目を伏せた。

「私は……ドレスを着たことがありません」

「じゃあ、今日が初めてね」

 セシリアは何でもないことのように言った。

「好きなものを選びましょう」

「私が?」

「もちろん」

 その言葉に。

 エレノアは少し戸惑った。




 ◇

 店内。

「こちらはいかがでしょう?」

 店員が淡い桃色のドレスを持ってくる。

 エレノアは鏡の前に立つ。

「まあ……」

 セシリアが嬉しそうな声を上げる。

「可愛い!」

 エレノアは鏡を見る。

 淡い桃色の布。

 細かな刺繍。

 ふわりと広がるスカート。

「……」

「どう?」

「綺麗です」

「でしょう?」

「でも……」

「何?」

「私が着てもいいのでしょうか」

 セシリアの表情が一瞬だけ止まった。

「もちろんよ」

「……」

「エレノアちゃん」

 セシリアは優しく彼女の肩に手を置いた。

「あなたのために作るドレスなのよ」

「……私のため」

「そう」

 エレノアはもう一度、鏡を見る。

「……不思議です」

「何が?」

「自分のために服を選ぶのは、初めてなので」


セシリアは何も言わず、エレノアの髪を撫でた。

「じゃあ、これからいっぱい選びましょう」

「はい」




 ◇

 次は淡い水色。

 その次は白。

 薄紫。

 若草色。

 次々とドレスを試着する。

「これも似合うわ!」

「こちらも素敵!」

「エレノアちゃん、こっちを着てみましょう!」

「はい」

 最初は戸惑っていたエレノアも、少しずつ楽しそうになっていった。

「お義母様」

「どうしたの?」

「このドレスは、少し袖が長いです」

「本当ね。じゃあ直してもらいましょう」

「はい」

「こっちは?」

「……好きです」

「!」

 セシリアが嬉しそうに笑った。

「もう一度言って?」

「……好きです」

「まあ!」

 ぎゅっと抱きしめられる。

「……?」

 エレノアは不思議そうに首を傾げた。

 でも。

 セシリアが嬉しそうなので。

 エレノアも嬉しくなった。




 ◇

 しばらくして。

 エレノアは一着のドレスの前で足を止めた。

 淡い青。

 派手すぎない装飾。

 細い腰からふんわりと広がるスカート。

 胸元には、小さな花の刺繍。

「……」

 エレノアはじっと見つめている。

「気に入った?」

 セシリアが尋ねる。

「……はい」

「じゃあ、着てみましょう」

「はい」

 着替え終わる。

 鏡の前に立つ。

「……」

 エレノアは自分の姿を見つめた。

 今まで。

 自分のことを綺麗だと思ったことなどなかった。

 けれど。

「……綺麗」

 思わず呟く。

 セシリアは微笑んだ。

「そうでしょう?」

「はい」

「このドレスが一番好き?」

「……はい」

「じゃあ、これにしましょう」

 セシリアは笑った。

「あなたはもう、誰かに決めてもらわなくていいのよ」

「……」

「自分が好きなものを、自分で選んでいいの」

 エレノアは鏡を見る。

 そして。

「……はい」

 小さく笑った。

「これが好きです」




 ◇

 帰りの馬車。

 エレノアは大切そうに小さな袋を抱えていた。

 中には髪飾りが入っている。

 小さな青い花の髪飾り。

「可愛いわね」

「はい」

「今度、レオンハルトに見せましょうね」

「はい」

 エレノアは髪飾りを見ながら笑った。

「旦那様、喜んでくださるでしょうか」

「絶対喜ぶわ」

 セシリアは確信していた。




 ◇

 夕方。

 屋敷に戻る。

「ただいま戻りました」

「おかえり」

 レオンハルトが玄関まで迎えに来ていた。

 エレノアは駆け寄る。

「旦那様」

「どうだった?」

「楽しかったです」

「そうか」

「お義母様とドレスを見ました」

「……ドレス?」

「はい」

 エレノアが嬉しそうに頷く。

「これも買っていただきました」

 青い花の髪飾りを見せる。

 レオンハルトはそれを見て微笑んだ。

「似合っている」

「本当ですか?」

「ああ」

「嬉しいです」

 エレノアが少し嬉しそうに続ける。

「好きなドレスを見つけました」

「……そうか」

「淡い青色です」

「君らしいな」

「そうでしょうか?」

「ああ」

 レオンハルトは自然に答えた。

「きっと似合う」

 エレノアが嬉しそうに笑う。

「ありがとうございます、旦那様」

 その一言に。

 レオンハルトの表情が少し緩んだ。

「……どういたしまして」




 ◇

 その夜。

 セシリアがレオンハルトの部屋を訪れた。

「レオンハルト」

「何だ?」

「今日ね、エレノアちゃんが自分でドレスを選んだの」

「そうか」

「『これが好き』って言ったのよ」

「……そうか」

「嬉しかったわ」

「ああ」

「あなたも見たかったでしょう?」

「……見たかった」

 セシリアは笑った。

「じゃあ、今度はあなたが一緒に選んであげなさい」

「もちろんだ」

 迷いのない返事だった。

 セシリアは息子を見る。

「あなた、本当にエレノアちゃんが好きなのね」

「……ああ」

 レオンハルトはもう否定しなかった。

「好きだ」

 静かに。

 けれど、はっきりと。

 その言葉を口にした。



 ◇

 その頃。

 エレノアは部屋で、今日買ってもらった髪飾りを眺めていた。

「……」

 青い花。

 綺麗。

 そして。

「旦那様、似合っているって言ってくださいました」

 思い出すと。

 なぜか嬉しくなる。

「……ふふ」

 エレノアは小さく笑った。

 自分でも気づかないほど自然に。

 もう。

 以前の人形のような少女ではなかった。

 誰かに笑ってもらうためではなく。

 自分が嬉しいから、笑う。

 そんな当たり前のことを。

 エレノアは少しずつ覚え始めていた。
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