イケメン男子は、天然美少女を一途に溺愛中。
けれど、やさしい時間は長くは続かなかった。

ベンチを立って駅へ向かう途中、湊のスマートフォンが震えた。
画面を見た彼の表情が、ほんの少しだけ変わる。

やわらかかった空気が、すっと引いていくのがわかった。

「ごめん。出る」

「うん」

湊は少し離れた場所で電話に出た。
声は低く抑えられていて、内容までは聞こえない。
けれど、短く答えるたびに横顔が固くなっていく。

紬は見ないふりをした。
見てはいけない気がしたからだ。
でも、胸の奥がざわつく。

電話を切って戻ってきた湊は、いつもの顔に戻ろうとしていた。
けれど完全には戻れていなかった。

「ごめん、今日はもう帰る」

「何かあったの」

聞いたあとで、踏み込みすぎたかもしれないと思った。
けれど湊は少し迷ってから、静かに言った。

「弟が熱出したみたいで」

紬は目を見開いた。

「弟くんいるの」

「うん。小学生」

それも初めて知った。
知らないことが、まだたくさんある。
当たり前なのに、それが少しだけ寂しい。

「そっか……大丈夫かな」

「たぶん。母さん今日遅いから、俺が帰る」

紬は、その言葉に小さくうなずいた。
彼の家の事情はわからない。
でも、なんとなく見えてしまうものがある。

帰って世話をする人が必要なこと。
それを当たり前みたいに引き受ける湊がいること。
彼がときどき見せる疲れた影は、そこにつながっているのかもしれないということ。

「朝比奈くん」

「ん?」

「無理しないでね」

そう言うと、湊は一瞬だけ目を伏せた。
そして困ったように笑う。

「白石、それよく言う」

「だって、ほんとだから」

「……うん」

その返事は、妙に頼りなかった。

駅の改札前で別れたあと、紬は何度も振り返りそうになった。
でも振り返ったら、きっともっと心配になってしまう。

家に帰っても、落ち着かなかった。
夕飯の味もよくわからない。
お風呂に入っても、髪を乾かしても、頭に浮かぶのは湊のことばかりだった。

弟が熱を出した。
それだけならいい。
でも、彼の顔はそれだけではない気がした。

前は夢があった。
今はない。
なくした。
慣れてる。
平気なふりが上手くなるだけ。

点だった言葉が、少しずつ線になりはじめている。
でも、その全体はまだ見えない。
見えないからこそ、余計に苦しい。

その夜、紬は短いメッセージを送った。
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