京都弁男子に執着されています

 毎日仕事に追われながらそれなりに楽しく生活を送っていた篠原寧々は、恋人である拓也からメッセージが来たことに気づいたが、今は仕事中なのでメッセージを確認することはできない。
 もう少しでお昼休憩の時間になるので、その時確認しよう。

 それから一時間ほどが経ちお昼休憩になったので、寧々は伸びをして身体をほぐした。
 机にあるボトルのストローを口に含み、二、三口飲んで喉を潤す。

 スマホを確認すると拓也の他に友人も来ていたが、仕事中にメッセージを送ってくることが珍しいので、寧々はそちらを優先して読むことにした。
 すると、衝撃的な一文にガンと頭を殴られたような錯覚に陥った。あまりの驚きにスマホを落としそうになるが、理性をどうにか働かせてぐっと堪える。

 何かの見間違いかもしれない。そう思いもう一度おそるおそるスマホへと視線を向ける。
 しかし、残念なことに見間違いなどではなかった。
 そして、はっきりとこう書いてあったのだ。

【俺達、別れよう】と。

 たった一言だけでは納得がいかない寧々は、拓也に理由を聞いた。
 それからほどなくして返信が返ってきた。
 なんと、浮気をしていたことを吐かれ、最悪なことに相手の女性は妊娠したという。責任を取るため、寧々とは別れてその女性と結婚するのだそうだ。

 相手の女性は寧々より若く、接客業もやっているから見た目に気をつかってる、寧々とは大違いとまで言われた。

 ひどい言葉を投げつけられ、最後にはブロックされてしまい既読すらつかない。
 寧々だってみすぼらしく見えないよう化粧しているし、二十八という年齢を考えて美容にも気をつかっている。

 それなのに、ただ寧々より若くて可愛らしいからというしょうもない理由で振られたのが悲しくて、また腹立たしい。

 お昼ご飯を食べる前にとんでもないメッセージを見てしまったせいで、空腹もどこかに消えてなくなってしまった。

 泣きたくても職場では泣けない。悲しい、悔しい!

 その後、同僚が心配してくれてどうにかおかずだけ胃の中に入れ、午後の業務がスタートした。
 仕事をしようにも目が滑るし何より集中できない。あのバカ男のせいである。本当に腹立たしい!

 寧々はろくに集中できなかったが、社会人として数年経った癖のようなものなのか、一時間もすれば仕事モードに入りどうにか今日の分の業務を終わらせることができた。
 もはや社畜根性が悲しくなってくる。

 少し残業してタイムカードを切れば、寧々のプライベートの時間がやってくる。
 今日は金曜日だし、バーにでも行って飲んでやる! と、以前友達に誘われて断ったバーへと向かうことにした。

 メッセージアプリを開き、トーク履歴を遡ってバーのリンクを踏むと、地図アプリが起動し場所を確認する。
 どうやら三駅先にお目当てのバーがあるらしい。
 寧々はバッグの紐をぎゅっと掴み、深呼吸をひとつするとお目当てのバーまで歩き出した。

 帰宅ラッシュの時間ということもあり、駅構内は混雑していた。これからおしゃれなバーに行くので、トイレの化粧直しスペースで色を重ねていく。

 寧々は電車に揺られながら過ぎ去っていく窓の景色をぼうっと眺め、目的地に着くまで椅子に座っていた。

 アナウンスが流れ、目的の駅で降りる。
 人はやはり多く、人並みに逆らいながら改札口を目指した。

 地図アプリを開き、十分もしないうちに目的のバーに辿り着いた寧々は、まだ何もしていないというのにどっと疲れたが、今日はたくさん飲むと決めたので意を決してドアを開ける。

 一人寂しくカウンターに座り、全くお酒が飲めない寧々はアルコールの低いドリンクを頼んで肘を付いた。

 今日は華の金曜日ということもあり、夜に飲み込まれたい大人達はそこそこ集まっていた。

 何をするでもなく、一人で度数の低いジュースのようなアルコールをちびちびと飲んでいると、隣に誰かが座ったみたいでそちらが気になった。

 隣に座ったのは男のようだ。ほかに空いている席はあるのにわざわざ隣に座るくらいだ、これはナンパかもしれない。

 ちらりと隣の男を見ると、こちらの視線に気づいたようでばっちりと目が合った。
 すると、男は人好きのする笑顔を浮かべ、「こんばんは」と挨拶をしてきた。

「こんばんは」

 男は寧々の挨拶に満足したらしく、にこにこしている。暗がりで最初は気づかなかったが、よく見るとかなりの美男子だ。センターパートの髪がよく似合うこと。

 じろじろ見るのはさすがに失礼だと分かっているから、ちらりと覗き見するだけに留める。

 隣の男もアルコールを注文したようで、飲み物が届くまで話をしようと言われた。

「君、名前はなんていうん?」
「寧々。篠原寧々」
「寧々ちゃんね。俺は清水伊織。伊織って呼んで」

 いきなり名前で呼ばれた。しかも、ちゃんづけである。

「清水さんね」
「寧々ちゃんってばいけずやわあ。伊織って呼んでや、寧々ちゃん」

 伊織、清水さん、伊織、清水さんというやり取りを数回した後、寧々が名字呼びしかしないことを悟ったらしく、伊織は「今はそれでええわ」と苦笑した。
 それからすぐに伊織の前にグラスが置かれ、二人は乾杯をして酒を飲み始めた。

「清水さんは関西の人だよね? どうして東京に来たの?」
「そんなん決まってるわ、寧々ちゃんに会うためや」
「ええ? なにそれ」

 口説き文句を言われているのだと気づき、寧々はなんだか面白くなった。
 そもそもここに来たのだって、振られた腹いせで立ち寄っただけであって、それ以上の考えはない。

 以前ならこういう場は恋人だった拓也がいたから誘われても乗らなかった。
 でも、それも今日でおしまいである。若くて綺麗で浮気女を妊娠させたからというクソみたいな理由で振られた寧々は、目頭がツンとしてきた。

「寧々ちゃん、どうしたん? どっか痛い?」
「ううん、違うの」

 寧々は首を振ることしかできない。今にも泣きそうな寧々を見て、伊織はそっとハンカチを差し出した。

「ほら、これ使ってええから。可愛い子ぉに涙は似合わんよ」
「なにそれ」

 今のは寧々を宥めるための冗談だということが分かっている。
 それでも、沈んだ心は優しさに触れて今にも溢れそうだ。
 それは、涙となって寧々の気持ちはあふれ出る。

「よしよし、つらいことは忘れて今日は飲もか」
「……うん」

 それからというもの、伊織は軽快にトークをするものだからその話術に引っ張られた寧々はくすくすと笑みを浮かべた。

「なあ、連絡先教えてくれへん?」
「いいよ」
「寧々ちゃん、今フリー?」
「フリーになったところ」
「へえ、そうなんや」
「清水さんは?」
「内緒」
「うわ、いけず」

 深くは聞いてこないのが今の寧々にはありがたかった。
 メッセージアプリの連絡先を交換し、寧々は試しにスタンプを送ってみた。
 すぐに既読がついて、同じくスタンプが送られてくる。その何気ないやり取りがなんだか心地よくて、寧々は自然と笑みを浮かべることができたのだった。
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