一か月だけの契約妻のはずが、恋愛経験ゼロの私を社長が溺愛してきます

2 恋愛経験なしからの偽り婚?

 絶望感を背負いながら、私は叔父が経営するバー・ヴェインへ向かった。
 落ち込んだときも、嬉しいことがあったときも、何かあると私はここへ来る。
 なんてったって、姪っ子価格で酒が飲めるのだ。こんないい店、ほかにはない。
 店へ向かう道すがらも、頭の中は今日、社長から言われたことばかりだった。
 一か月。
 たった一か月で、存在しない旦那を用意しなければならない。
 考えれば考えるほど、途方もない話に思えてくる。
 そもそも私は、結婚するつもりなどなかった。
 それなのに、まさか自分の「架空の旦那」が原因で、こんなことになるなんて。
 ため息をつきながら、私は見慣れた店の前で足を止めた。
 ここへ来れば、少なくとも話くらいは聞いてもらえる。
 そんな甘えにも似た安心感が、私の足を自然とこの場所へ向かわせていた。
 扉を開けると、カランとベルが鳴った。
「おう。来たんか」
 カウンターの向こうから、低く渋い声が飛んでくる。
 私の叔父、橘川達夫。五十歳。
 私からは「たっちゃん」と呼んでいる。
 東京生まれの東京育ちだったが、二十歳から二十年間、大阪で暮らしていた。すっかり関西人になった叔父の口から出るのは、今では生粋の大阪人と変わらない大阪弁だ。
 そして、もうひとつ。
 たっちゃんは、五十歳には見えない。
 肩にかかるくらいまで伸ばした髪を無造作に後ろへ流し、ところどころ白いものが混じった髪と、少し日焼けした顔。切れ長の目に整った顔立ち。大人の男にしか出せない、どこか色気のある雰囲気をまとっている。
 昔から女性にはよくモテたらしい。
 本人はそれを鼻にかけることもないけれど、私からすれば、ちょっと格好いいだけの叔父さんだ。
 口は悪いし、余計なこともよく言う。
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