短編集・桜
懐かしく思うこと

それはとある日の午後、関東でも有名な、大型ショッピングモールを祖母の手を引いて歩いている時――

「すみません、アンケートよろしいですか?」

スタッフ、と胸元に書かれたジャケットを着た女性に、そう声をかけられた。

「今、スマホの機種についてアンケートをしているんです。お時間ありましたらーー」

「ないです」

「あ、時間が、ですか……?」

「スマホ、誰も持ってないです」

「あ、そう、ですか……失礼しました」

そう言って女性は身を引いた。

「ばっぱ、行くよー」

「……」

私が手を引こうと差し出すと、何だか意気消沈してしまっている女性の方を見ている。

でもあのお姉さん、なんかチラチラこっちを見てくるような気も……

「なんか……可哀想だねえ」

ぽつり、と祖母が言った。

「ん〜、わかった。お母さんとちょっと待ってて」

そう言って、近くのベンチに祖母を座らせ、合流するためにちょうどやってきた母にその旨を伝えてさっきのジャケットのお姉さんのところへ戻った。

「あの」

「? あ、はいーーな、何かありましたか……?」
 
スタッフの女性は目に見えて動揺していた。

そらそうだ。このご時世にスマホ持ってないと言い切利ながらモールに遊びにきてる女、ちょっとビビるだろう。

「すみません、さっきは持ってないって咄嗟に言いましたけど、持ってます。ばっぱーーばあちゃんが気になるって言うんで、戻ってきました」

「え! あ、ありがとうございますっ、今日まだ一件もアンケート頂けてなくて〜」

と、本当に涙が滲んでいるスタッフの女性。

時刻は十一時半。このショッピングモールは十時開店だから、それなりにやばいなの成果だろう。

キャンペーンの特設コーナーの椅子を勧められて、私はまず言った。

「すみません、以前この手のやつでタッカイ浄水器契約させられそうになって……以来こういうのにはヤバい奴装ってたんで、つい……」

「そういうのありますよね〜。こちらは本当アンケートだけです。大学の調査なので」

私はこういったお仕事をやったことがないのでわからないけれど、スペースを持つだけでもお金払わないといけないんじゃないかな? そして本当にアンケートだけかどうかは、疑って最後まで聞いた方がいいな。

大学って、何を調査しているんだろうという好奇心もある。

女性は机を挟んで私の向かいに座って、机に紙を置いた。

「えっと……まず、ご年齢と住んでいる市をご記入いただいてもいいですか? 市区町村名だけで、詳しい住所は大丈夫です」

問われたのは年齢と在住の市。

名前や電話番号を聞かなかったことから、まあこの一回だけのアンケートなのだろう、と推察する。

「市区町村名……」

私はそこで少し考えてしまった。

私が住んでいるのは、このモールがある市だ。だが、そうでないとも言える感情になってしまう。

借りたペンを持ったまま、在住場所を書かずに固まっている私を見て、お姉さんは首を傾げた。

「海外にお住まい……とかですか?」

「あ、いえ……ココなんですけど、ココではないと言いますか……」

「何か書けない理由がありましたら、県名だけでも……」

大丈夫ですよ? とお姉さんは言ってくれた。

「そんな大したことじゃないんですけど……その、先月合併してこの市になったばかりなので……」

何となく、生まれ育った町の名前に愛着があるだけだ。

「そういえば令和の大合併に含まれていましたね、ココ」

そう、お姉さんは大きく頷きながら言ってくれた。と言うことは、お姉さんはこの市の人ではないようだ。

大きな市だ。お正月に初詣の中継が入るような歴史ある神社が二つもあって、住宅地や商業施設の開発も多くされ、国内外問わず観光客が多い。

――その、隣の小さな町が、私が生まれ育った町だ。

目立った観光場所はない、農家の多い畑と田んぼの町。

吸収合併され大きな市を住所で名乗るようになったけど、消えてしまった町名への郷愁はある。

いや、立地的には何も変わらないし、むしろ市バスが通るようになって、ご高齢の方たちも、買い物や病院に行きやすくなっている。 

だと言うのに。

まだ合併して一ヶ月だから、とか、言い訳はできるけど。

生まれ育った町の名前がなくなるだけで寂しいと思うのだから、さまざまな理由で生まれ故郷自体がなくなってしまう人は、どれだけ辛いのだろう。

ダムを作るとか行政上の理由とか、自分を落ち着かせるための言い訳はたくさん作らないとやっていけないんじゃないかな。

……ん? ってことは私も自分への言い訳をたくさん作っていいんじゃない? 私より辛い人いるからといって、私が辛くないわけじゃないし、辛く思うな、なんて言ってくる奴はただのクズだと言える匙加減は持っている。心の中に。

「……」

私は、しっかりと書いた。

県名を。

この郷愁につける蹴りは、もうちょっと先で。

ちなみにその後お姉さんと少し喋ったのだけど、大学はこの市内にあるところで、お姉さんは福島県ご出身らしい。

私が祖母のことを『ばっぱ』と呼んだことが気になっていたと言っていた。

私は知らなかったのだけど、それは福島の方でのおばあちゃんの呼び方なんだとか。

帰宅してからそのことを母に話すと、亡くなった祖父の両親が福島出身ということがわかった。

祖父の残した、郷愁だったのかもしれない。
 
 

End.

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