地下蝦
地下蝦
地下蝦
『地球崩壊予測時刻まで、あと10日となりました』
テレビから、聞き慣れた声が流れている。
『政府は改めて、地球に残っているすべての方に避難を呼びかけています。指定された宇宙港へ速やかに移動してください』
画面の隅には、赤い数字が表示されていた。
あと10日。
人類が地球を離れるまでではない。
地球が、人類の住める星ではなくなるまでの時間だ。
『なお、地球上からのテレビ放送は本日をもって終了いたします』
キャスターは淡々と原稿を読み上げた。
当たり前だ。
地球が滅亡するのだから、このキャスターも、カメラマンも、番組ディレクターも、放送を終えれば避難を始めるに違いない。
ここまで警告して、それでも地球に残る人間については自己責任だとでも言いたいのだろう。
実際のところ、私もそう思う。
私は避難しない。
これは責任なのだ。
なぜなら、地球がこうなった原因は私の一族にある。
*
237年前。
深海探査中の無人潜水艇が、海底に奇妙な模様を発見した。
無数の小さな穴。
その下に広がっていたのは、正六角形を連ねた網目状の構造だった。
自然にできたものとは考えにくいほど規則正しい。
調査の結果、それが巣穴であることまでは分かった。
しかし、誰が作ったのか。
そして、何のために作ったのか。
その2つは分からなかった。
謎の海底構造は研究者だけでなく、世界中の人々の興味を引いた。
だが、その正体が判明するまで、それほど長い時間はかからなかった。
ある日、海底探査ロボットが構造の一部を周囲の泥ごと採取した。
研究所へ持ち帰られた泥の中には、六角形の一辺を掘り進めている最中だったと思われる生物が残されていた。
なんてことはない。
1匹の、小さなエビだった。
その生態から、人類はこのエビを「地下蝦」と名付けた。
研究が進むにつれて、地下蝦の生活も明らかになっていった。
地下蝦は海底の地下に六角形の巣を掘る。
巣の内部では微生物を培養し、それを餌として生活していた。
六角形なら、平面を隙間なく埋めることができる。
限られた深さの海底で餌場を広げるには、都合のいい形だったのだろう。
地下蝦は、遥か昔から同じ巣を作り続けていた。
六角形。
ただ、六角形だけを。
ここで登場するのが、私の祖先である。
できることなら一度会ってみたい。
宇宙開発よりタイムマシンの研究が先に進んでいれば、人類は地球を捨てずに済んだかもしれない。
私の祖先を1発殴って、実験を止めればいいのだから。
祖先は地下蝦に、人工的に作った巣を与える実験を行っていた。
六角形の巣。
地下蝦は問題なく利用した。
形を少し崩した巣。
地下蝦は自分で修正した。
では、別の多角形を与えたらどうなるのか。
いくつかの実験の末、祖先は1つの構造物を作った。
六角形の中に、五角形を混ぜたのである。
平面に並び続けていた六角形の網目は、五角形を1つ加えることで曲がった。
さらに五角形を加える。
網目はもっと曲がった。
やがてそれは平面ではなく、立体になった。
祖先はその構造物を地下蝦に与えた。
地下蝦はしばらく、その中を歩き回った。
それだけだった。
実験は終了し、地下蝦は海へ戻された。
その後、学者たちは驚くことになる。
地下蝦が、五角形を作ったのである。
そしてその周囲へ六角形を作った。
網目は曲がった。
地下へ向かって伸びた。
さらに五角形が作られた。
巣は再び曲がった。
そうして地下蝦は、人類に見せられた構造を自分の巣に取り入れた。
平面だった地下蝦の巣が、立体になった。
学者たちは大いに喜んだ。
地下蝦には学習能力がある。
しかも、人類がそれを引き出したのだ。
それは生物学史に残る大発見となった。
立体構造には、地下蝦にとって大きな利点があった。
平面の巣では、利用できる面積に限界がある。
だが地下へ立体的に伸ばせば、同じ海底面積でもはるかに広い巣を作ることができる。
微生物を培養できる面積も増えた。
餌が増えた。
地下蝦が増えた。
さらに研究者を驚かせたのは、立体化した巣の中で複数の地下蝦が共生するようになったことだった。
巣は大きくなった。
個体数はさらに増えた。
1つの巣と別の巣がつながった。
やがてそれは巣ではなく、コロニーと呼ばれるようになった。
地下蝦のコロニーは、ゆっくりと海底を広がっていった。
人類もまた、その間に進歩した。
地下蝦の発見から237年。
人類は地球以外の惑星へ移住できるほどの科学技術を手に入れた。
そして地下蝦もまた、237年間、その巣を拡張し続けた。
海底から地下へ。
地下からさらに深く。
1つの海から別の海へ。
大陸の下へ。
そして現在。
地下蝦のコロニーは、ほぼ地球全体を覆っている。
そこで問題が発覚した。
地下蝦が作る1つ1つの巣は小さい。
1本1本の空洞も、地球全体から見れば取るに足らない。
だが、それが237年間積み重なれば話は違う。
地球の地殻には、無数の空洞が作られていた。
地下蝦のコロニーが地球全体を覆ったとき、空洞化した地殻は自重を支えられなくなる。
そんな学説が発表された。
当初、それを信じる者は少なかった。
だが、コロニーが地球の8割を覆ったころから、世界各地で小規模な地震が断続的に発生するようになった。
9割を超えると、地震は日常になった。
そして計算の結果、地殻全体が一斉にわずか数センチ崩れるだけでも、放出されるエネルギーは人類が経験したどの地震とも比較できないことが分かった。
人類の生存は保証できない。
世界各国は地球外惑星への避難を開始した。
そして今日。
ほとんどの人間が、地球を離れた。
*
テレビでは、キャスターが最後の挨拶をしている。
まもなく、この放送も終わる。
私も先祖代々、学者をしてきた。
あの地下蝦に五角形を教えた男も学者だった。
そして私も学者だ。
私の一族が始めたことだ。
だから私は、この星に残る。
誰かに頼まれたわけではない。
そうするべきだと、私が思っているだけだ。
テレビの画面が切り替わった。
最後にもう一度、大きな数字が表示される。
『地球崩壊予測時刻まで、あと10日』
私はそれを見て、ため息をついた。
テレビではあと10日とあるが、私の見立てではその日は17日後だ。
『地球崩壊予測時刻まで、あと10日となりました』
テレビから、聞き慣れた声が流れている。
『政府は改めて、地球に残っているすべての方に避難を呼びかけています。指定された宇宙港へ速やかに移動してください』
画面の隅には、赤い数字が表示されていた。
あと10日。
人類が地球を離れるまでではない。
地球が、人類の住める星ではなくなるまでの時間だ。
『なお、地球上からのテレビ放送は本日をもって終了いたします』
キャスターは淡々と原稿を読み上げた。
当たり前だ。
地球が滅亡するのだから、このキャスターも、カメラマンも、番組ディレクターも、放送を終えれば避難を始めるに違いない。
ここまで警告して、それでも地球に残る人間については自己責任だとでも言いたいのだろう。
実際のところ、私もそう思う。
私は避難しない。
これは責任なのだ。
なぜなら、地球がこうなった原因は私の一族にある。
*
237年前。
深海探査中の無人潜水艇が、海底に奇妙な模様を発見した。
無数の小さな穴。
その下に広がっていたのは、正六角形を連ねた網目状の構造だった。
自然にできたものとは考えにくいほど規則正しい。
調査の結果、それが巣穴であることまでは分かった。
しかし、誰が作ったのか。
そして、何のために作ったのか。
その2つは分からなかった。
謎の海底構造は研究者だけでなく、世界中の人々の興味を引いた。
だが、その正体が判明するまで、それほど長い時間はかからなかった。
ある日、海底探査ロボットが構造の一部を周囲の泥ごと採取した。
研究所へ持ち帰られた泥の中には、六角形の一辺を掘り進めている最中だったと思われる生物が残されていた。
なんてことはない。
1匹の、小さなエビだった。
その生態から、人類はこのエビを「地下蝦」と名付けた。
研究が進むにつれて、地下蝦の生活も明らかになっていった。
地下蝦は海底の地下に六角形の巣を掘る。
巣の内部では微生物を培養し、それを餌として生活していた。
六角形なら、平面を隙間なく埋めることができる。
限られた深さの海底で餌場を広げるには、都合のいい形だったのだろう。
地下蝦は、遥か昔から同じ巣を作り続けていた。
六角形。
ただ、六角形だけを。
ここで登場するのが、私の祖先である。
できることなら一度会ってみたい。
宇宙開発よりタイムマシンの研究が先に進んでいれば、人類は地球を捨てずに済んだかもしれない。
私の祖先を1発殴って、実験を止めればいいのだから。
祖先は地下蝦に、人工的に作った巣を与える実験を行っていた。
六角形の巣。
地下蝦は問題なく利用した。
形を少し崩した巣。
地下蝦は自分で修正した。
では、別の多角形を与えたらどうなるのか。
いくつかの実験の末、祖先は1つの構造物を作った。
六角形の中に、五角形を混ぜたのである。
平面に並び続けていた六角形の網目は、五角形を1つ加えることで曲がった。
さらに五角形を加える。
網目はもっと曲がった。
やがてそれは平面ではなく、立体になった。
祖先はその構造物を地下蝦に与えた。
地下蝦はしばらく、その中を歩き回った。
それだけだった。
実験は終了し、地下蝦は海へ戻された。
その後、学者たちは驚くことになる。
地下蝦が、五角形を作ったのである。
そしてその周囲へ六角形を作った。
網目は曲がった。
地下へ向かって伸びた。
さらに五角形が作られた。
巣は再び曲がった。
そうして地下蝦は、人類に見せられた構造を自分の巣に取り入れた。
平面だった地下蝦の巣が、立体になった。
学者たちは大いに喜んだ。
地下蝦には学習能力がある。
しかも、人類がそれを引き出したのだ。
それは生物学史に残る大発見となった。
立体構造には、地下蝦にとって大きな利点があった。
平面の巣では、利用できる面積に限界がある。
だが地下へ立体的に伸ばせば、同じ海底面積でもはるかに広い巣を作ることができる。
微生物を培養できる面積も増えた。
餌が増えた。
地下蝦が増えた。
さらに研究者を驚かせたのは、立体化した巣の中で複数の地下蝦が共生するようになったことだった。
巣は大きくなった。
個体数はさらに増えた。
1つの巣と別の巣がつながった。
やがてそれは巣ではなく、コロニーと呼ばれるようになった。
地下蝦のコロニーは、ゆっくりと海底を広がっていった。
人類もまた、その間に進歩した。
地下蝦の発見から237年。
人類は地球以外の惑星へ移住できるほどの科学技術を手に入れた。
そして地下蝦もまた、237年間、その巣を拡張し続けた。
海底から地下へ。
地下からさらに深く。
1つの海から別の海へ。
大陸の下へ。
そして現在。
地下蝦のコロニーは、ほぼ地球全体を覆っている。
そこで問題が発覚した。
地下蝦が作る1つ1つの巣は小さい。
1本1本の空洞も、地球全体から見れば取るに足らない。
だが、それが237年間積み重なれば話は違う。
地球の地殻には、無数の空洞が作られていた。
地下蝦のコロニーが地球全体を覆ったとき、空洞化した地殻は自重を支えられなくなる。
そんな学説が発表された。
当初、それを信じる者は少なかった。
だが、コロニーが地球の8割を覆ったころから、世界各地で小規模な地震が断続的に発生するようになった。
9割を超えると、地震は日常になった。
そして計算の結果、地殻全体が一斉にわずか数センチ崩れるだけでも、放出されるエネルギーは人類が経験したどの地震とも比較できないことが分かった。
人類の生存は保証できない。
世界各国は地球外惑星への避難を開始した。
そして今日。
ほとんどの人間が、地球を離れた。
*
テレビでは、キャスターが最後の挨拶をしている。
まもなく、この放送も終わる。
私も先祖代々、学者をしてきた。
あの地下蝦に五角形を教えた男も学者だった。
そして私も学者だ。
私の一族が始めたことだ。
だから私は、この星に残る。
誰かに頼まれたわけではない。
そうするべきだと、私が思っているだけだ。
テレビの画面が切り替わった。
最後にもう一度、大きな数字が表示される。
『地球崩壊予測時刻まで、あと10日』
私はそれを見て、ため息をついた。
テレビではあと10日とあるが、私の見立てではその日は17日後だ。
