独占愛は夜より深く。

第九章

深夜二時。
湾岸の倉庫街は、昼とはまるで別の場所みたいだった。

潮のにおいを含んだ風が、静かな道路をすべっていく。
人気はない。
けれど、静かすぎるその空気が逆に何かを隠しているようで、胸の奥が落ち着かなかった。

少し離れた場所に車を止め、月影は予定どおり二手に分かれる。
恒一と碧が表側。
伊織は通信の補助。
そして私と要は、二階の外階段から中を探る役だった。

「行く前に」

低い声で呼ばれて振り向く。

他のみんなが準備に意識を向けている隙に、要が私の手首をそっと引いた。
建物の影。
外灯の届きにくい暗がり。
ふたりだけが切り取られたみたいな小さな空間だった。

「要……?」

「少しだけ」

またその言い方。
短いのに逆らえない。

要は私を見下ろしたまま、少しだけ眉を寄せる。

「顔が強がってる」

「そんなの見たらわかるの」

「おまえのは全部わかる」

さらっと言われて、胸が熱くなる。
でも今は照れている場合じゃない。

「大丈夫だよ」

そう言ってみても、要は納得しなかった。

「大丈夫でも、怖いなら怖いって思っとけ」

静かな声。
責めるような強さじゃなくて、受け止めるための言い方だった。

「無理に平気なふりするな」

そのひと言に、張りつめていたものが少しだけ緩む。

「……怖いよ」

やっと本音が落ちた。
夜も、倉庫も、黒幕も。
兄の真実に近づくことさえ、正直怖い。

「でも行きたい」

要の目が、まっすぐ私を見つめる。

「知りたいから」

「うん」

「要と一緒に」

言い終わった瞬間、自分で顔が熱くなるのがわかった。
こんなときに言うことじゃないかもしれない。
でも、これも本音だった。

要は一瞬だけ息を止めて、それからひどく甘い目をした。

「今、そういうこと言うな」

「え」

「連れて帰りたくなる」

低くこぼれたその声に、心臓が強く鳴る。

次の瞬間、要の手が私の頬に触れた。
ひんやりした夜の中で、その指先だけが熱い。

「終わったら」

要がゆっくり言う。

「今日はちゃんと、返事の続き聞く」

「続きって……」

「まだ足りない」

真顔で言うから、余計にどきどきする。

「おまえがどこまで俺を好きになってるのか、ちゃんと聞く」

そんなの、今ここで言われたらまともに呼吸もできない。

「要ってほんと……」

「ずるい?」

「うん」

「知ってる」

少し笑ったあと、要はそっと額にキスを落とした。
やさしい。
でもそのやさしさが、逆に離れがたくなる。

「行くぞ」

短く言って、要は手を差し出す。
私は迷わずその手を取った。

建物の外階段は古く、ひと足ごとに小さく軋んだ。
夜の静けさの中では、それさえ大きく響く気がする。
私は要の少し後ろを歩きながら、手すりではなく彼の背中を見つめていた。

頼りたい。
守られたい。
でも同時に、ちゃんと隣に立てる自分でいたい。

二階の通路に上がると、要が片手を上げて合図する。
止まれ。
私は息を止めて足を止めた。

奥の窓から、かすかに灯りが漏れている。
人の気配。
誰かいる。

通信機から小さく伊織の声が入る。

「表側にも動きありです。予定どおり中に人がいます」

恒一の低い声が続く。

「こっちは注意引く。そっちは見つかるなよ」

要は短く了解を返し、私のほうを振り向く。
その目が暗がりの中で鋭く光る。

「俺の後ろ」

小さくうなずくと、要は私の手を一度だけ強く握ってから離した。
その一瞬で、大丈夫だと言われた気がした。

窓の近くまで、足音を殺して進む。
中をそっとのぞくと、広い倉庫の一角に机があり、数人の男たちが資料を広げていた。

その中心にいるのは、年上の男。
整ったスーツ姿。
冷たい横顔。
画面で見た人物と同じ雰囲気をまとっている。

月城蓮司。

思わず息が止まる。
兄の最期につながる男。
要の叔父。
そして、この闇の中心にいる人間。

その隣に、もう一人立っていた。

帽子を深く被っていて顔は見えにくい。
でも体格。
動き方。
映像に映っていた影と似ている。

私は思わず要の袖をつかんだ。
要がすぐに目だけで問い返す。

私は小さくうなずく。
たぶん、あの人だ。

そのときだった。

下のほうで、わずかに物音がした。
表側だ。
恒一たちが動いたのか、それとも相手が気づいたのか。

倉庫内の空気が一気に変わる。
月城蓮司が顔を上げた。

「……来たか」

低い声が、窓越しに届く。

知っていたみたいな言い方に、背筋が冷たくなる。

次の瞬間、帽子の男がこちらを向いた。
暗がりの中でも、その視線だけははっきり感じる。

見つかった。

要がすぐに私の肩を抱き寄せる。

「下がれ」

耳元の声は低いのに、ひどく落ち着いていた。
でもその腕には、隠しきれない強さがこもっている。

倉庫の扉が内側から開く音。
足音。
夜が、一気にこちらへ迫ってくる。

けれど私は、要の腕の中で目をそらさなかった。
逃げないと決めたから。
この先にある真実を、自分の目で見ると決めたから。

そして要もまた、私を守りながら前を向いていた。
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