追放聖女の帰還
 激しく咳き込むサーシャを見たアズレイトは、慌ててサーシャの背後に回る。

「サーシャ様、大丈夫ですか?!」

 背中を優しくさすられても、サーシャの咳はなかなか治まらない。

 よほど痛々しかったのだろう。アズレイトは切羽詰まった声で、近くにいる騎士に向かって「水だ、水!急いで持ってこい!!」と叫ぶ。

 一方サーシャは、その水をアズレイトにぶっかけてやりたくなる。

(こうなったの、全部あなたのせいじゃん!!)

 ナチュラルに、下ネタ吐きやがって。人は見かけによらないとは、まさにこのことだ。

 そんなふうに怒り心頭なサーシャだが、アズレイトを幻滅できない自分に嫌気がさす。

「サーシャ様、お水です。ゆっくり飲んでください」

 騎士から乱暴に水を受け取ったアズレイトは、サーシャを己の腕に抱きかかえると、そっとサーシャの口元にコップを近づける。

 その水をサーシャは、大人しく水を飲んだ。だってむせ過ぎて、喉が限界だったから。

 ──それからしばらくして。

「サーシャ様、まだ顔色が悪いです。すぐ馬車に戻って横になりましょう。さぁ、わたくしの首に腕を回してください」

 やっと息が整ったサーシャは、そんなことを言うアズレイトの胸に手を当て、グイッと押す。

「結構です。あなたにそんなことをされたら、妊娠してしまいます」

 目には目を。下ネタには下ネタを。

 そんなノリでサーシャが渾身の嫌みを言った途端、アズレイトはぷっと噴き出した。

「ご冗談を。このようなことで、子などできませぬ」
 
 恥を偲んで精一杯この下ネタ男に合う嫌みを口にしたというのに、真面目に返答されてしまった。

(貴様、ぶっとばす!!) 

 この気持ちをどこへ向ければ良いのだろうか。そんなもの考える必要などない。こいつ(アズレイト)だ。

「お黙りなさい。このタンポポ野郎」
「は……?」

 目を丸くするアズレイトは、明らかにサーシャが何を言いたかったのかわかっていない。

 だからサーシャは、すぐそばに咲いているタンポポを指差して、懇切丁寧に説明をしてあげた。

「これまでのあなたの発言から、私はあなたが、タンポポの綿毛のようにあっちゃこっちゃ種を撒き散らす男だと認定しました。私は、そんな人に触られたくありません!!」

 サーシャはキッと睨み付けながらそう言うと、プイッと横を向いた。

 でもすぐに、口に何かが触れた。それは、アズレイトの人差し指だった。

「まったく、貴方様は女の子なんですからそんなことを言ってはダメですよ」
「なっ……なん……!!」

 アズレイトの発言は、100人が聞いたなら100人が「お前が言うな」と突っ込みを入れたくなるものだ。

 しかし、これまでずーっとサーシャとアズレイトのやり取りを傍観していた騎士達は、うんうんと頷き合っている。なんか腑に落ちない。

 露骨にへそを曲げたサーシャに、アズレイトは目を細める。まるでそこに太陽があるかのように。

「そろそろ……風も強くなってきましたね」
「っ……!」

 急に視界が高くなって、サーシャは身を固くする。一拍置いて、アズレイトがサーシャを抱いたまま立ち上がったことに気づいた。

「ちょっと、降ろして。私、自分で歩きます」
「あはははは」

 しらじらしい笑い声をあげたアズレイトは、サーシャの訴えを無視して馬車へと向かう。

 それはそれは大切そうにサーシャを抱えて。


 馬車に戻ってからもサーシャは不機嫌だった。
 いや、馬車に戻ってからの方がはるかに不機嫌になっていた。

 無理もない。言いたくもない下ネタで精一杯の不快を伝えたのに、雑にあしらわれたのだ。

(けっ、なにさ。大人ぶって!)

 上品な口調で下品なことばっかり言っているくせに。と、不満タラタラのサーシャだが、ここでふと疑問がわいた。

 サーシャは、アズレイトの年齢を知らない。

 見たところ20代前半に見えるが、いったい幾つなのだろう。

「あのう……」
「なんでしょう?サーシャ様」

 ムスッとしていたサーシャから突然話しかけられたアズレイトは、ものすごく嬉しそうに身を乗り出した。

「あなた、年いくつなの?」
「はて。あなたとは、どなたのことでしょう」

 いちいち、めんどうくさいなぁ。もう。

 正直そこまで知りたいことではないので、もういいやとサーシャは思ってしまった。

 だが、今まさにボールを投げようとするご主人を見つめる犬のような顔でアズレイトに見つめられてしまえば、やっぱナシは言いにくい。

「アズさんの」
「アズとお呼びください」
「ちっ……!アズはおいくつなんですか?」

 随分と遠回りをして質問をすれば、アズレイトは嬉しそうに目を細めて答えた。

「今年で25にございます」
「あ……そう」

 ほぼほぼ予想通りだったので、サーシャはこれといったリアクションを返すことができない。

 ただ自分より7つ上ということは、当たり前だが自分より7年長く生きていることになる。

 その日暮らしをしていたサーシャにとって7年後の自分は全く想像もつかなかった。

「……アズは、さ」
「なんでしょう」
「いっぱい経験しているのね」
「いえ、それほどでは」

 短い返事の中、アズレイトの緑を含んだグレーの瞳が次第に陰り始めた。

(あ、なんかマズイこと言ってしまったのかも)

 これまで王族ということをすっかり忘れて、ずいぶん失礼な事を言ってきた自覚はある。

 流石に我慢の限界が来たのかも。普段温厚な人ほどキレると怖いことをサーシャは知っている。

 何を隠そうサーシャの母親がそうだった。

 母の逆鱗に触れてしまった過去を思い出した途端、サーシャはの背中にぞわりと冷たいものが走る。

「あの、えっと……」

 とりあえず謝ろう。どれが悪かったかは、いまいちわかってはいないが、それでも謝って損することはない。

 そう思ってサーシャが謝罪の言葉を紡ごうとしたけれど、それよりも先にアズレイトが口を開いた。まるでサーシャの言葉を遮るように。

「サーシャ様、わたくしは確かに経験はしております。そして種馬ではありますが、あなた様が先程申されたような、タンポポの綿毛のように見境なく種を撒き散らすようなことはしておりません」
「.へぇー」
 
 この男に申し訳ないと思った自分の気持ちを返してほしいと思うサーシャの目は死んでいた。

 ただこの無駄なやり取りで、一つわかったことがある。

 どうやらこの男(アズレイト)は、躾の行き届いたタンポポらしい。
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