半魔との恋は前途多難 ーヒスイ編ー
第2話「反抗期」
「何の話かわかるよね?」
開口一番にそう聞かれ、ヒスイは明後日の方向を見た。
「…さあ?」
「さっきさあ、彼が来たんだよね。ほら、新しく作る結界監視科の教師になってもらう…」
「…雫くんですか?」
「そうそう。朝一番にボクのとこ来てさあ、ヒスイせんせ貰います、って謎に宣言されちゃった」
「……子供の戯言ですよ」
「それはないでしょ。だってあの子、キミ追いかけてウチに来たんだから」
「……変な交換条件つけてるくせに」
「あ、聞いちゃった? そうなんだよ〜どうしてもウチに欲しい人材で。ごめんね、キミをダシにしちゃった」
「……舌打ちの仕方教えてもらっていいですかね」
「キミなんで僕にはそんなに当たり強いんだろうねぇ。一応ボク、育てのお父さんなんだけど」
「……」
明後日を見つめるヒスイの眉間に大量に皺が寄った。
授業が始まるよりもずいぶん早く、校長室に呼ばれた。嫌な予感はしていたがまさか…。
(なんで雫くんこの人に変なこと言ってるんだよ〜…)
目の前にいるのが当学園の校長である。長い白髭と垂れ下がった白眉がトレードレーマークだ。
「育ての親ってだけじゃないですか。拾ってくださいなんて僕は一言も口にしていない」
「う〜ん、でもねぇ、キミをあのまま放っておくこともできなかったしねぇ。ていうかなんか最近反抗期だよね、ボクに対して。思春期?」
「…」
「あ〜ごめんごめん、睨まないで」
「…用がないなら失礼します。雫くんに関してなら何もないので大丈夫です」
「あ、そのことなんだけど、いいんじゃないの?」
「…何が」
「雫くんとそういう仲なんでしょ? なんか宣戦布告されたし」
「……まさか」
「ボクはいいと思うけどねえ。キミも色んな経験すべきだよ。そうやって殻に閉じこもっていないで」
「…僕を拾ったことに感謝もしていませんし僕にそのような経験は必要ありません」
もう出て行こうと向けた背に「見栄っ張り〜」と校長の言葉が追いかけてきたけれど、構わず校長室を出て行った。
防犯のための扉を二つ潜り抜け、一番重厚な最後の三つ目の扉にもたれかかる。
「あ〜……しんど……」
この向こう側は廊下だから、人と鉢合わせる前にしばし休憩したい。
年齢が上がれば上がるほど、校長との話が面倒になる。
これでも一応、育ててもらった恩がないこともない。…と思いたい。
ヒスイは盛大にため息を吐いた。
「僕って遅れてきた思春期なのかなあ…」
「だと思う」
「ぎゃんっ!」
聞き慣れた声に思わず飛び上がると、目の前に雫がいた。しかも天井から逆さに生えている。
「な、な、なにしてんの…」
「監視」
「へ?」
「俺の専門、結界監視って言っただろ?」
そう言うと天井から落ちてきた。華麗に一回転して着地を決める。
「結界張った内側を監視してんだよ。場所のいくつかにマークしてあるから、ワープして来れる」
「ワープって、雫くんそんなことできるの!? すごいね!」
少なくともこの学園内でできる人は見たことがない。さすが元エリート大学出身である。
手放しで褒めたと思ったのに、ニマアと笑われては無理だと悟った。
「話聞いたぜ?」
「え、え〜…なにを…」
「ヒスイせんせって校長の前じゃあすげー反抗的じゃん。俺の前とじゃ全然違う」
校長室には誰もいなかったはずだし扉も三重である、聞き耳を立てるなんて不可能で…。
「監視してるって言ったじゃん。結界張った内側なら大体見える」
「…それ違法だよね」
「理由許可なく結界を張ることは禁止されてるなあ」
「……理由も許可もあるんだよね」
「趣味」
「…立派なご趣味をお持ちで」
「ヒスイせんせが昨日のグラタン皿ぺろぺろ舐めてるのも見てないし、鍋の中にオニオンスープが残ってないか何回も確認してんのも知らないし」
「なんで知って…!」
ハッとしてももう遅い。雫の笑顔が濃くなる。
「俺の作ったメシ、うまい?」
「…」
「うまい?」
髪の毛を掴まれ無理やり上を向かされる。
「キミ結構暴力的だよね…」
「素直にならねえヒスイせんせが悪い。俺のメシうまい?」
「…おいしいです」
「毎日食いたい?」
「…食べたいです」
「しょうがねえなあ、今日も作りに行ってやるよ。ヒスイせんせのために」
「押し付けがましい…」
ぎろりと睨まれたので慌てて遠くを見つめると、チャイムが鳴った。
「もう授業始まるよ?」
「二週間もすれば卒業式だから、もう俺が受ける授業はない」
「あ、そっか」
もう三月に入り、七年生である雫は下旬に迎える卒業式を待つだけだった。
そんな時期だねぇと感慨に耽っていると、腕を引っ張られた。
さっき強く髪の毛を引っ張ったというのにすごい温度差だなぁと顔を上げると、いつになく真剣な表情を浮かべる雫と出会った。
「俺、卒業式で代表で卒業証書受け取るんだけど…ヒスイせんせ見に来てくれるか?」
「見に行っていいの?」
「できればヒスイせんせに見てもらいたい」
「いいけど」
「っしゃあ!」
大きくガッツポーズを取られるも、首を傾ぐばかりだ。
なんでそんなに来てもらいたいんだろう?
「そりゃ学生最後の大舞台だからな。好きな人には一番かっこいい姿見てほしいだろ」
「すきなひと…」
雫がヒスイを指差す。それが何を意味するのかわかった瞬間、ボッと顔が真っ赤に染まった。
「す、す、す、…」
「ヒスイせんせ今日ヒマ?」
「し、し、しごと…」
「明日は? 休み? じゃあ明日俺とデートしような」
にっこりと満面の笑顔で言われた。
「サーカス見にいこう」
「すごかった…!」
ヒスイは目をキラキラさせて思い出す。
「サーカスってすごいんだね…! あんな大きなクマがボールに乗るなんて、今時のクマって魔法使えるんだね!」
「さすがにクマは魔法使えねえよ。あれ自力でやってんの」
「そうなの!?」
「訓練と調教でできるようになるんだろ」
「ほへー…。あれ、じゃあもしかしてあの人間がブランコに乗って、ぽーん、ってするあれも!?」
「空中ブランコか? あれも魔法使ってねえよ。そもそも今日見たやつ全部魔法ナシ」
「ええー!? すごいっ、すごすぎるっ!」
先ほど見たサーカスの内容を思い出しながら興奮気味に喋る。
昨日約束した通り、二人は町外れにやってきたサーカスを見にきた。
「ネコちゃんもすごかった! あんな綺麗に一列になって合図したら鳴いて…あ! ライオン! ライオンもびっくりしたよ! 火の輪っかくぐってたよ!? 僕が魔法使ってもあんなちっちゃな輪っかくぐれる自信ないかも! しかも火がついてたんだよ!? すごいよねっ!」
サーカスのテントから少し離れた森の入り口に座り込むも、ヒスイの興奮はなかなか冷めやらない。
「人間が大きな輪っかぐるぐるしてたのもすごかったし、ぺたーってすごい角度に曲がってたのもびっくりした!」
「はは、もう何のこと言ってんのかわかんねえ」
ケラケラ笑いながら雫が頭を撫でてくる。その手を取ったヒスイは、自分の頬へそっと当てた。
「ありがとね、雫くん。連れてきてくれて。……え、なにその顔」
「ヒスイせんせってナチュラルにそういうことするんだなって思って」
「??」
頬に当てる指先で、むにむに、とつままれる。
「くすぐったいよ」
「じゃあこれは?」
顔が近づき、目を閉じる暇もなく頬に柔らかな感触。
「ファーストキス奪ったあとで何ですが、口はダメ?」
「…ダメです。キミまだ学生なんだから」
「そこは、付き合ってもいないんだから、じゃねえんだな」
「はっ…しまった! 間違えた!」
「ふーん」
ニマニマ顔がさらに近づき慌てて目を逸らす。
「もしかして俺さあ、結構ヒスイせんせに意識させてる?」
「っ」
「ねえ、ヒスイせんせー…」
ヒスイのエメラルドグリーンの瞳に映る雫は、真昼の太陽に照らされいつもよりキラキラ光っていた。
金色の髪の毛も、金色の瞳も、まるで星空が瞬くかのように輝いている。
ーーもっと早くにこの色を知りたかった。
闇に近い色しか知らない。木々の隙間から見えた太陽も月も、今よりもっと彩度は低い。
(…違う)
確かにもっと昔に知りたかった、けど、もっと違う言葉がある。
あの日、義眼を外してしまったがために起きた事件。この子ひとりの人生を狂わせてしまったかもしれない。
でもーーヒスイは微笑んだ。
(僕を見つけてくれて嬉しいよ)
なぜか雫の眉間に大量に皺が寄る。
「あ? 今キスする流れじゃなかったか?」
「へ?」
「…ヒスイせんせのそういう空気の読めなさも好きだけど」
よく意味がわからずにはてなマークが大量に浮かんだ。
そういえばと、雫が思い出したように言った。
「この先の森にサタンが出るって噂、昔からあるよな」
「そうなの?」
「魔族はたまに出るらしい。よくあの骨の犬が出てきて討伐隊が対処してる。いざ出てきたらどうするべきか…俺、戦闘向きの魔法使えねえからな…いざとなったらヒスイせんせ抱っこして逃げるしか…」
「僕がなんとかできるから大丈夫だけど」
さらりと言うと、冷たい目で見下ろされた。
「俺にもカッコつけさろや」
「え、なんで僕いま怒られたの? ていうかその噂、僕のことだと思う」
「は?」
「僕、校長先生に拾われるまでこの先の森にいたから」
ヒスイが指差す先には薄暗い森。
「このずっと向こうの向こう。母親に捨てられてから四年…五年かな? ひとりであの森にいたから」
「その話初めて聞くんですけど!?」
急に両腕を掴まれてびっくりするも、見上げた先の雫も驚いた顔だった。
「え、は…!? 捨てられたってどういうことだ!? 校長に拾われたのは知ってるけど、でもそれは誇張してるだけじゃ…」
「んーん。生まれてすぐに父親に捨てられて、七歳…だったかな? それぐらいの時に母親にも捨てられたんだよ。ちなみに名前も付けられなかったから、ヒスイって名前は校長先生から貰った」
「…っ」
ごくりと雫が唾を飲む仕草で、これは本当に知らなかったっぽいなぁと悟った。
「聞いて、も…大丈夫か? ヒスイせんせのことすげー聞きたいけど、さすがに、その…」
「別に大丈夫だよ。ただの事実だもん」
にこ、とヒスイは笑った。
少し雲が陰り始めた。
「サタンの父親と人間の魔法使いの母親の間に生まれたんだけど、母親が言うには僕が生まれたのを見たら父親はいなくなったみたい。それから母親と暮らしてたけど、七歳の時だと思う。あの森の中で、さようなら、って言われたの覚えてる。顔は全く覚えてないんだけど、あの人はすごく笑顔だったって記憶はある。あ、これ捨てられたな、ってすぐにわかった。母親と暮らしてた時ってずっと男の人の家を転々としてたから、その時よりはマシな暮らしだったかな。左目がないから魔族ってバレないようにずっと眼帯してた。そこからあとはずっと、こんな風に横になって過ごしたよ」
ヒスイは草の上に寝転んだ。
雲の動きが早い。あれだけ白かった雲が灰色だらけになっている。
「暇、って言う感覚もなかったなぁ。あの森の中ってそんなに空が見えないんだけど、日が昇って沈むのを目でずっと追いかけてた。魔族ってごはん食べなくても平気だから、お腹も空かないしすることもないし。あ! でもキミの作るごはんはおいしいから食べてるんだよ?」
決して惰性で食べてません、と威張ってやった。
「四年か五年後ぐらいにたまたま校長先生がここに来たんだ。片眼のない子供がいる、って町で噂があったみたいで、調査…かな? そのとき僕ね、もうしばらく声だしてないし耳も衰えちゃってたからなに言ってんのかぜーんぜんわかんなかった。それでも校長先生は毎日来て僕に話しかけて、ようやく喋ることと聞くことを思い出した時に言われたよ。人間になろう、って。で、この義眼をもらったんだ」
左目を押さえた。
本来の力を抑える役割もあるけれど、ヒスイはあんまり信じちゃいなかった。ただの気休めだ、と。
「そこから学園の用務員としてあの小屋に住んでるんだ。校長先生は忙しいからあまり会ってなかったし、学校に行こうって誘われたけど断った。人とあんまり関わりたくなかったしね。…雫くん? どうしたの? どこか痛いの?」
見下ろす雫は険しい顔をしている。ヒスイは慌てて起き上がり、その長めの前髪をかき上げた。
少し、目が赤い?
「どうしたの、って…それはお前のほうだろ」
「え?」
「泣いてる」
指摘されて初めて、涙がこぼれていることに気づいた。
頬に触れる。落としたばかりの大粒の涙が指先に乗っている。
あはは、と笑った。
「なんでだろうね。別に辛いことでもなんでもないのに…僕にとってはただの事実だし…」
視界が歪む。なんでこんなに泣いてるんだろう?
辛かった過去じゃない、絶対に。
雫の腕が伸びる。ヒスイに届く前にぴたっと止まった。
「…抱きしめてもいいか?」
「いつもは聞かないのに?」
「いま何も聞かないで抱きしめたら俺の押し付けになる。……ヒスイせんせはどうされたい? 泣きたいんだったら泣いたらいいし、見られたくないんだったら後ろ向く。抱きしめていいんだったら、抱きしめたい。選べ」
はは、と笑ったヒスイはうなだれた。ぽとりと、涙が草の上に落ちる。
「ずるいね、キミ……こういうときは僕に選ばせるって……。あーあ、これでも僕、キミより年上なんだけどなあ…。ーーじゃあお願いしてもいい?」
ヒスイは顔を上げた。
さっきまでの薄暗い雲が少し先の空へと流れたようで、また明るい色へと変化している。
涙で溢れるこの目でもしっかりわかる、雫のキラキラ光る綺麗な金色の髪の毛と瞳。
瞳は…心配している。
伸ばしかけた腕が、どうするべきかと考えあぐねている。
「後ろ向いて」
「……そっちかよ」
「そのままこっち見ないでね」
「わかった」
背中を向けられたヒスイはその広い背中にこつんと額をくっつける。
「キミの背中あったかいね」
「そうか? 俺としてはお前の涙で結構冷たい」
「あはは……泣きたくないなあ」
「なんで?」
「だって悔しいじゃん。僕は捨てられて悲しいです、って言ってるようなものだよ」
「それでいいじゃん」
「よくないよ」
「ヒスイせんせは見栄っ張りだな。さみしいならさみしいって言えや」
「やだよ…」
「文字は書けなくても喋れるだろ。思いは声に出さないと伝わらねえ」
「……」
「黙んな」
「キミは手厳しいねえ」
「早よ言えや」
「……い」
「聞こえん」
「……い」
「聞こえん」
「さみしい!!」
ビリビリと空気が振動する。森の方角から、バサバサとカラスが数匹飛び立った。
「さみしい! さみしい! さみしい! さみしいっ!!」
金色の瞳とぶつかった。
いつの間にこっちを向いたんだろう? ヒスイは、む、と唇を尖らせる。
「あっち向いてって言ったのに」
「ちゃんと言えるじゃん。で、何してほしい?」
「……ぎゅってしてほしいです」
「よく言えた!」
嬉しそうに笑った雫に迷うことなく抱きしめられた。
開口一番にそう聞かれ、ヒスイは明後日の方向を見た。
「…さあ?」
「さっきさあ、彼が来たんだよね。ほら、新しく作る結界監視科の教師になってもらう…」
「…雫くんですか?」
「そうそう。朝一番にボクのとこ来てさあ、ヒスイせんせ貰います、って謎に宣言されちゃった」
「……子供の戯言ですよ」
「それはないでしょ。だってあの子、キミ追いかけてウチに来たんだから」
「……変な交換条件つけてるくせに」
「あ、聞いちゃった? そうなんだよ〜どうしてもウチに欲しい人材で。ごめんね、キミをダシにしちゃった」
「……舌打ちの仕方教えてもらっていいですかね」
「キミなんで僕にはそんなに当たり強いんだろうねぇ。一応ボク、育てのお父さんなんだけど」
「……」
明後日を見つめるヒスイの眉間に大量に皺が寄った。
授業が始まるよりもずいぶん早く、校長室に呼ばれた。嫌な予感はしていたがまさか…。
(なんで雫くんこの人に変なこと言ってるんだよ〜…)
目の前にいるのが当学園の校長である。長い白髭と垂れ下がった白眉がトレードレーマークだ。
「育ての親ってだけじゃないですか。拾ってくださいなんて僕は一言も口にしていない」
「う〜ん、でもねぇ、キミをあのまま放っておくこともできなかったしねぇ。ていうかなんか最近反抗期だよね、ボクに対して。思春期?」
「…」
「あ〜ごめんごめん、睨まないで」
「…用がないなら失礼します。雫くんに関してなら何もないので大丈夫です」
「あ、そのことなんだけど、いいんじゃないの?」
「…何が」
「雫くんとそういう仲なんでしょ? なんか宣戦布告されたし」
「……まさか」
「ボクはいいと思うけどねえ。キミも色んな経験すべきだよ。そうやって殻に閉じこもっていないで」
「…僕を拾ったことに感謝もしていませんし僕にそのような経験は必要ありません」
もう出て行こうと向けた背に「見栄っ張り〜」と校長の言葉が追いかけてきたけれど、構わず校長室を出て行った。
防犯のための扉を二つ潜り抜け、一番重厚な最後の三つ目の扉にもたれかかる。
「あ〜……しんど……」
この向こう側は廊下だから、人と鉢合わせる前にしばし休憩したい。
年齢が上がれば上がるほど、校長との話が面倒になる。
これでも一応、育ててもらった恩がないこともない。…と思いたい。
ヒスイは盛大にため息を吐いた。
「僕って遅れてきた思春期なのかなあ…」
「だと思う」
「ぎゃんっ!」
聞き慣れた声に思わず飛び上がると、目の前に雫がいた。しかも天井から逆さに生えている。
「な、な、なにしてんの…」
「監視」
「へ?」
「俺の専門、結界監視って言っただろ?」
そう言うと天井から落ちてきた。華麗に一回転して着地を決める。
「結界張った内側を監視してんだよ。場所のいくつかにマークしてあるから、ワープして来れる」
「ワープって、雫くんそんなことできるの!? すごいね!」
少なくともこの学園内でできる人は見たことがない。さすが元エリート大学出身である。
手放しで褒めたと思ったのに、ニマアと笑われては無理だと悟った。
「話聞いたぜ?」
「え、え〜…なにを…」
「ヒスイせんせって校長の前じゃあすげー反抗的じゃん。俺の前とじゃ全然違う」
校長室には誰もいなかったはずだし扉も三重である、聞き耳を立てるなんて不可能で…。
「監視してるって言ったじゃん。結界張った内側なら大体見える」
「…それ違法だよね」
「理由許可なく結界を張ることは禁止されてるなあ」
「……理由も許可もあるんだよね」
「趣味」
「…立派なご趣味をお持ちで」
「ヒスイせんせが昨日のグラタン皿ぺろぺろ舐めてるのも見てないし、鍋の中にオニオンスープが残ってないか何回も確認してんのも知らないし」
「なんで知って…!」
ハッとしてももう遅い。雫の笑顔が濃くなる。
「俺の作ったメシ、うまい?」
「…」
「うまい?」
髪の毛を掴まれ無理やり上を向かされる。
「キミ結構暴力的だよね…」
「素直にならねえヒスイせんせが悪い。俺のメシうまい?」
「…おいしいです」
「毎日食いたい?」
「…食べたいです」
「しょうがねえなあ、今日も作りに行ってやるよ。ヒスイせんせのために」
「押し付けがましい…」
ぎろりと睨まれたので慌てて遠くを見つめると、チャイムが鳴った。
「もう授業始まるよ?」
「二週間もすれば卒業式だから、もう俺が受ける授業はない」
「あ、そっか」
もう三月に入り、七年生である雫は下旬に迎える卒業式を待つだけだった。
そんな時期だねぇと感慨に耽っていると、腕を引っ張られた。
さっき強く髪の毛を引っ張ったというのにすごい温度差だなぁと顔を上げると、いつになく真剣な表情を浮かべる雫と出会った。
「俺、卒業式で代表で卒業証書受け取るんだけど…ヒスイせんせ見に来てくれるか?」
「見に行っていいの?」
「できればヒスイせんせに見てもらいたい」
「いいけど」
「っしゃあ!」
大きくガッツポーズを取られるも、首を傾ぐばかりだ。
なんでそんなに来てもらいたいんだろう?
「そりゃ学生最後の大舞台だからな。好きな人には一番かっこいい姿見てほしいだろ」
「すきなひと…」
雫がヒスイを指差す。それが何を意味するのかわかった瞬間、ボッと顔が真っ赤に染まった。
「す、す、す、…」
「ヒスイせんせ今日ヒマ?」
「し、し、しごと…」
「明日は? 休み? じゃあ明日俺とデートしような」
にっこりと満面の笑顔で言われた。
「サーカス見にいこう」
「すごかった…!」
ヒスイは目をキラキラさせて思い出す。
「サーカスってすごいんだね…! あんな大きなクマがボールに乗るなんて、今時のクマって魔法使えるんだね!」
「さすがにクマは魔法使えねえよ。あれ自力でやってんの」
「そうなの!?」
「訓練と調教でできるようになるんだろ」
「ほへー…。あれ、じゃあもしかしてあの人間がブランコに乗って、ぽーん、ってするあれも!?」
「空中ブランコか? あれも魔法使ってねえよ。そもそも今日見たやつ全部魔法ナシ」
「ええー!? すごいっ、すごすぎるっ!」
先ほど見たサーカスの内容を思い出しながら興奮気味に喋る。
昨日約束した通り、二人は町外れにやってきたサーカスを見にきた。
「ネコちゃんもすごかった! あんな綺麗に一列になって合図したら鳴いて…あ! ライオン! ライオンもびっくりしたよ! 火の輪っかくぐってたよ!? 僕が魔法使ってもあんなちっちゃな輪っかくぐれる自信ないかも! しかも火がついてたんだよ!? すごいよねっ!」
サーカスのテントから少し離れた森の入り口に座り込むも、ヒスイの興奮はなかなか冷めやらない。
「人間が大きな輪っかぐるぐるしてたのもすごかったし、ぺたーってすごい角度に曲がってたのもびっくりした!」
「はは、もう何のこと言ってんのかわかんねえ」
ケラケラ笑いながら雫が頭を撫でてくる。その手を取ったヒスイは、自分の頬へそっと当てた。
「ありがとね、雫くん。連れてきてくれて。……え、なにその顔」
「ヒスイせんせってナチュラルにそういうことするんだなって思って」
「??」
頬に当てる指先で、むにむに、とつままれる。
「くすぐったいよ」
「じゃあこれは?」
顔が近づき、目を閉じる暇もなく頬に柔らかな感触。
「ファーストキス奪ったあとで何ですが、口はダメ?」
「…ダメです。キミまだ学生なんだから」
「そこは、付き合ってもいないんだから、じゃねえんだな」
「はっ…しまった! 間違えた!」
「ふーん」
ニマニマ顔がさらに近づき慌てて目を逸らす。
「もしかして俺さあ、結構ヒスイせんせに意識させてる?」
「っ」
「ねえ、ヒスイせんせー…」
ヒスイのエメラルドグリーンの瞳に映る雫は、真昼の太陽に照らされいつもよりキラキラ光っていた。
金色の髪の毛も、金色の瞳も、まるで星空が瞬くかのように輝いている。
ーーもっと早くにこの色を知りたかった。
闇に近い色しか知らない。木々の隙間から見えた太陽も月も、今よりもっと彩度は低い。
(…違う)
確かにもっと昔に知りたかった、けど、もっと違う言葉がある。
あの日、義眼を外してしまったがために起きた事件。この子ひとりの人生を狂わせてしまったかもしれない。
でもーーヒスイは微笑んだ。
(僕を見つけてくれて嬉しいよ)
なぜか雫の眉間に大量に皺が寄る。
「あ? 今キスする流れじゃなかったか?」
「へ?」
「…ヒスイせんせのそういう空気の読めなさも好きだけど」
よく意味がわからずにはてなマークが大量に浮かんだ。
そういえばと、雫が思い出したように言った。
「この先の森にサタンが出るって噂、昔からあるよな」
「そうなの?」
「魔族はたまに出るらしい。よくあの骨の犬が出てきて討伐隊が対処してる。いざ出てきたらどうするべきか…俺、戦闘向きの魔法使えねえからな…いざとなったらヒスイせんせ抱っこして逃げるしか…」
「僕がなんとかできるから大丈夫だけど」
さらりと言うと、冷たい目で見下ろされた。
「俺にもカッコつけさろや」
「え、なんで僕いま怒られたの? ていうかその噂、僕のことだと思う」
「は?」
「僕、校長先生に拾われるまでこの先の森にいたから」
ヒスイが指差す先には薄暗い森。
「このずっと向こうの向こう。母親に捨てられてから四年…五年かな? ひとりであの森にいたから」
「その話初めて聞くんですけど!?」
急に両腕を掴まれてびっくりするも、見上げた先の雫も驚いた顔だった。
「え、は…!? 捨てられたってどういうことだ!? 校長に拾われたのは知ってるけど、でもそれは誇張してるだけじゃ…」
「んーん。生まれてすぐに父親に捨てられて、七歳…だったかな? それぐらいの時に母親にも捨てられたんだよ。ちなみに名前も付けられなかったから、ヒスイって名前は校長先生から貰った」
「…っ」
ごくりと雫が唾を飲む仕草で、これは本当に知らなかったっぽいなぁと悟った。
「聞いて、も…大丈夫か? ヒスイせんせのことすげー聞きたいけど、さすがに、その…」
「別に大丈夫だよ。ただの事実だもん」
にこ、とヒスイは笑った。
少し雲が陰り始めた。
「サタンの父親と人間の魔法使いの母親の間に生まれたんだけど、母親が言うには僕が生まれたのを見たら父親はいなくなったみたい。それから母親と暮らしてたけど、七歳の時だと思う。あの森の中で、さようなら、って言われたの覚えてる。顔は全く覚えてないんだけど、あの人はすごく笑顔だったって記憶はある。あ、これ捨てられたな、ってすぐにわかった。母親と暮らしてた時ってずっと男の人の家を転々としてたから、その時よりはマシな暮らしだったかな。左目がないから魔族ってバレないようにずっと眼帯してた。そこからあとはずっと、こんな風に横になって過ごしたよ」
ヒスイは草の上に寝転んだ。
雲の動きが早い。あれだけ白かった雲が灰色だらけになっている。
「暇、って言う感覚もなかったなぁ。あの森の中ってそんなに空が見えないんだけど、日が昇って沈むのを目でずっと追いかけてた。魔族ってごはん食べなくても平気だから、お腹も空かないしすることもないし。あ! でもキミの作るごはんはおいしいから食べてるんだよ?」
決して惰性で食べてません、と威張ってやった。
「四年か五年後ぐらいにたまたま校長先生がここに来たんだ。片眼のない子供がいる、って町で噂があったみたいで、調査…かな? そのとき僕ね、もうしばらく声だしてないし耳も衰えちゃってたからなに言ってんのかぜーんぜんわかんなかった。それでも校長先生は毎日来て僕に話しかけて、ようやく喋ることと聞くことを思い出した時に言われたよ。人間になろう、って。で、この義眼をもらったんだ」
左目を押さえた。
本来の力を抑える役割もあるけれど、ヒスイはあんまり信じちゃいなかった。ただの気休めだ、と。
「そこから学園の用務員としてあの小屋に住んでるんだ。校長先生は忙しいからあまり会ってなかったし、学校に行こうって誘われたけど断った。人とあんまり関わりたくなかったしね。…雫くん? どうしたの? どこか痛いの?」
見下ろす雫は険しい顔をしている。ヒスイは慌てて起き上がり、その長めの前髪をかき上げた。
少し、目が赤い?
「どうしたの、って…それはお前のほうだろ」
「え?」
「泣いてる」
指摘されて初めて、涙がこぼれていることに気づいた。
頬に触れる。落としたばかりの大粒の涙が指先に乗っている。
あはは、と笑った。
「なんでだろうね。別に辛いことでもなんでもないのに…僕にとってはただの事実だし…」
視界が歪む。なんでこんなに泣いてるんだろう?
辛かった過去じゃない、絶対に。
雫の腕が伸びる。ヒスイに届く前にぴたっと止まった。
「…抱きしめてもいいか?」
「いつもは聞かないのに?」
「いま何も聞かないで抱きしめたら俺の押し付けになる。……ヒスイせんせはどうされたい? 泣きたいんだったら泣いたらいいし、見られたくないんだったら後ろ向く。抱きしめていいんだったら、抱きしめたい。選べ」
はは、と笑ったヒスイはうなだれた。ぽとりと、涙が草の上に落ちる。
「ずるいね、キミ……こういうときは僕に選ばせるって……。あーあ、これでも僕、キミより年上なんだけどなあ…。ーーじゃあお願いしてもいい?」
ヒスイは顔を上げた。
さっきまでの薄暗い雲が少し先の空へと流れたようで、また明るい色へと変化している。
涙で溢れるこの目でもしっかりわかる、雫のキラキラ光る綺麗な金色の髪の毛と瞳。
瞳は…心配している。
伸ばしかけた腕が、どうするべきかと考えあぐねている。
「後ろ向いて」
「……そっちかよ」
「そのままこっち見ないでね」
「わかった」
背中を向けられたヒスイはその広い背中にこつんと額をくっつける。
「キミの背中あったかいね」
「そうか? 俺としてはお前の涙で結構冷たい」
「あはは……泣きたくないなあ」
「なんで?」
「だって悔しいじゃん。僕は捨てられて悲しいです、って言ってるようなものだよ」
「それでいいじゃん」
「よくないよ」
「ヒスイせんせは見栄っ張りだな。さみしいならさみしいって言えや」
「やだよ…」
「文字は書けなくても喋れるだろ。思いは声に出さないと伝わらねえ」
「……」
「黙んな」
「キミは手厳しいねえ」
「早よ言えや」
「……い」
「聞こえん」
「……い」
「聞こえん」
「さみしい!!」
ビリビリと空気が振動する。森の方角から、バサバサとカラスが数匹飛び立った。
「さみしい! さみしい! さみしい! さみしいっ!!」
金色の瞳とぶつかった。
いつの間にこっちを向いたんだろう? ヒスイは、む、と唇を尖らせる。
「あっち向いてって言ったのに」
「ちゃんと言えるじゃん。で、何してほしい?」
「……ぎゅってしてほしいです」
「よく言えた!」
嬉しそうに笑った雫に迷うことなく抱きしめられた。