生き神様
第一章、生き神様
翌日。
カタクリの言った通りに日が高く昇った頃、神職の人達に連れられて一人の旅人が社を訪れた。
神託を授けるため、厳かな空気が満ちる拝殿に向かうと、神職達の前に一人の男性がぽつんと座っている。
見たことのない服。
見たことのない荷物。
そして、私が今まで見たことのないような遠い場所を知っている目。
彼が、カタクリの言う『マレビト』なのだろう。
「彼はマレビトです。今晩は山に留まってください」
事前にカタクリから教えられていた言葉を、私は神託としてそのまま反復する。
神職達は「承知いたしました」と深く平伏し、何も知らずに困惑している旅人を静かに奥へと連れて行った。
✳✳✳
「……旅人さんは大丈夫なの?」
自分の部屋に戻り、文机の横に腰を下ろすと、お供え物を物色していたカタクリに尋ねた。
私が部屋に戻る直前、様子を見てくると言って旅人のところへ向かっていたのだ。
「無理に下山しようとして神社から出られなくなっていた。……多分、大丈夫だろう」
カタクリはお供え物の干し柿をもぐもぐと食べながら素っ気なく答える。
……それって、本当に大丈夫と言えるのだろうか?
微妙に噛み合わない彼の答えに、私は苦笑いするしかなかった。
「お前も食うか?多少腹は膨れる」
「私は大丈夫」
「そうか」
カタクリは差し出していた干し柿を巾着の中に入れた。
私はさっき夕餉を食べたばかりだし、何より緊張で胸がいっぱいで、お腹なんて空いていなかった。
「さて……お前も分かっている通り、お前が外を出歩くことを歓迎する奴はいないよ」
「うん……」
「まずは明日の用意でまだ残っている神職達を帰すんだ。そうしないと社から出ることもできないだろう。……余計なこと言うなよ」
「うん、分かった」
(余計なことを言わないように気をつけないと)
真っ白な白衣から覗く深紅色の掛衿、下は同じ色の緋袴。上には千早と呼ばれる白く無地の羽織り。
白と赤を基調としたこれは巫女装束と呼ばれる服装だと、昔カタクリが言っていた。
背中まで伸びた黒髪は、軽くひとつに結っている。
そこに飾っているのは、淡い桜の髪飾り。
七歳の誕生日に、カタクリが贈ってくれたものだ。
桜には祝福の意味があるらしく、七歳まで無事に生きてくれたお礼らしい。
本物の桜なら、社の裏手に一本だけ大きな木がある。
春になれば、毎年綺麗な花を咲かせる。
深く息を吸い込み、文机の上に置いてあった赤い紐が付いている鈴を手に取った。
チリンチリンと澄んだ音を響かせて、一人の若い巫女を呼び寄せる。
「生き神様、いかがされましたか」
「あの、明日の準備が済んだのならみんな村にお帰りください」
「はい。わたくしめ、明日の確認を済ませてから帰らせて頂きます」
巫女は深く深く頭を下げると、祈りを捧げるように両手を胸の前で固く重ね合わせた。
「生き神様、どうか末永くこの村をお守り下さい」
「……はい」
胸の奥が痛みにきしむ。
偽りの返事が、喉の奥につっかえて上手く声にならない。
巫女はもう一度一礼し、静かに部屋を後にした。
足音が廊下の奥へと消えていく。
その音が完全に聞こえなくなるまで、私は息をひそめてじっと待っていた。
「本当に……いいのかな」
思わず口をついて出た言葉に、カタクリは小さく息を吐いた。
「ここに残るか?お前の意志で決めたのなら、オレは構わない」
「……」
「よく考えるんだ。時間はまだある、急いで決めるものでもないよ」
その言葉に、私はぎゅっと着物の袖を握りしめた。
「私、私は……ここに残るべきだって思う。そのために生きてきたから。でも……外の世界を見てみたい気持ちは変わらないよ」
「そうか。……念のため、神職達が本当に全員帰ったか見てくる。お前はここで待っていろ」
カタクリの足音が静かに遠ざかり、広々とした部屋には私ひとりが残された。
冷たい文机におでこを押しつけるようにして突っ伏し、一人で考える。
『生き神様、どうか末永くこの村をお守り下さい』
さっきの巫女の言葉が、頭の中で何度も響く。
村人達の期待と安堵の笑顔が思い浮かぶたび、胸がギューッと締めつけられた。
私はずっと、彼らの希望だった。
でもこの社を出てしまえば、神託は途絶え、村人達は路頭に迷うのかもしれない。
そう思うと、差し出された自由への鍵が、ひどく重いものに思えた。
(私は……本当に、自分勝手なのかな)
カタクリの言った通りに日が高く昇った頃、神職の人達に連れられて一人の旅人が社を訪れた。
神託を授けるため、厳かな空気が満ちる拝殿に向かうと、神職達の前に一人の男性がぽつんと座っている。
見たことのない服。
見たことのない荷物。
そして、私が今まで見たことのないような遠い場所を知っている目。
彼が、カタクリの言う『マレビト』なのだろう。
「彼はマレビトです。今晩は山に留まってください」
事前にカタクリから教えられていた言葉を、私は神託としてそのまま反復する。
神職達は「承知いたしました」と深く平伏し、何も知らずに困惑している旅人を静かに奥へと連れて行った。
✳✳✳
「……旅人さんは大丈夫なの?」
自分の部屋に戻り、文机の横に腰を下ろすと、お供え物を物色していたカタクリに尋ねた。
私が部屋に戻る直前、様子を見てくると言って旅人のところへ向かっていたのだ。
「無理に下山しようとして神社から出られなくなっていた。……多分、大丈夫だろう」
カタクリはお供え物の干し柿をもぐもぐと食べながら素っ気なく答える。
……それって、本当に大丈夫と言えるのだろうか?
微妙に噛み合わない彼の答えに、私は苦笑いするしかなかった。
「お前も食うか?多少腹は膨れる」
「私は大丈夫」
「そうか」
カタクリは差し出していた干し柿を巾着の中に入れた。
私はさっき夕餉を食べたばかりだし、何より緊張で胸がいっぱいで、お腹なんて空いていなかった。
「さて……お前も分かっている通り、お前が外を出歩くことを歓迎する奴はいないよ」
「うん……」
「まずは明日の用意でまだ残っている神職達を帰すんだ。そうしないと社から出ることもできないだろう。……余計なこと言うなよ」
「うん、分かった」
(余計なことを言わないように気をつけないと)
真っ白な白衣から覗く深紅色の掛衿、下は同じ色の緋袴。上には千早と呼ばれる白く無地の羽織り。
白と赤を基調としたこれは巫女装束と呼ばれる服装だと、昔カタクリが言っていた。
背中まで伸びた黒髪は、軽くひとつに結っている。
そこに飾っているのは、淡い桜の髪飾り。
七歳の誕生日に、カタクリが贈ってくれたものだ。
桜には祝福の意味があるらしく、七歳まで無事に生きてくれたお礼らしい。
本物の桜なら、社の裏手に一本だけ大きな木がある。
春になれば、毎年綺麗な花を咲かせる。
深く息を吸い込み、文机の上に置いてあった赤い紐が付いている鈴を手に取った。
チリンチリンと澄んだ音を響かせて、一人の若い巫女を呼び寄せる。
「生き神様、いかがされましたか」
「あの、明日の準備が済んだのならみんな村にお帰りください」
「はい。わたくしめ、明日の確認を済ませてから帰らせて頂きます」
巫女は深く深く頭を下げると、祈りを捧げるように両手を胸の前で固く重ね合わせた。
「生き神様、どうか末永くこの村をお守り下さい」
「……はい」
胸の奥が痛みにきしむ。
偽りの返事が、喉の奥につっかえて上手く声にならない。
巫女はもう一度一礼し、静かに部屋を後にした。
足音が廊下の奥へと消えていく。
その音が完全に聞こえなくなるまで、私は息をひそめてじっと待っていた。
「本当に……いいのかな」
思わず口をついて出た言葉に、カタクリは小さく息を吐いた。
「ここに残るか?お前の意志で決めたのなら、オレは構わない」
「……」
「よく考えるんだ。時間はまだある、急いで決めるものでもないよ」
その言葉に、私はぎゅっと着物の袖を握りしめた。
「私、私は……ここに残るべきだって思う。そのために生きてきたから。でも……外の世界を見てみたい気持ちは変わらないよ」
「そうか。……念のため、神職達が本当に全員帰ったか見てくる。お前はここで待っていろ」
カタクリの足音が静かに遠ざかり、広々とした部屋には私ひとりが残された。
冷たい文机におでこを押しつけるようにして突っ伏し、一人で考える。
『生き神様、どうか末永くこの村をお守り下さい』
さっきの巫女の言葉が、頭の中で何度も響く。
村人達の期待と安堵の笑顔が思い浮かぶたび、胸がギューッと締めつけられた。
私はずっと、彼らの希望だった。
でもこの社を出てしまえば、神託は途絶え、村人達は路頭に迷うのかもしれない。
そう思うと、差し出された自由への鍵が、ひどく重いものに思えた。
(私は……本当に、自分勝手なのかな)