放課後のジントニック、美術室の魔法
【辛口のジンジャーエールとジントニック】
金曜日の午後八時。俺の一週間は、ここから本番を迎える。
塾の自習室を出て、駅の公衆便所に駆け込む。個室の鍵を閉め、窮屈なブレザーを脱ぎ捨て、あらかじめリュックの底に忍ばせておいた私服に着替える。
シャツは、小さいお小遣いを叩いて買ったセレクトショップのチャコールグレー。襟元を少しだけ緩め、鏡の前で前髪を少し上げ、ワックスで大人っぽくセットする。
仕上げに、度の入っていない黒縁の伊達メガネをかければ、鏡の中にいるのは『十七歳の高校生』ではなく、どこにでもいる『少し落ち着いた大学生』だ。
制服の詰まったリュックを駅のコインロッカーに放り込み、鍵をポケットに深くねじ込む。
よし、と小さく息を吐いて、俺は夜の街へと歩き出す。
これが、ここ数ヶ月、俺が自分に課している金曜日の夜のルーティーン。
全ては、あの店に行くためだけの、ささやかな変装だ。
駅から少し離れた路地裏。看板のネオンも控えめな、隠れ家のようなオーセンティックバーのドアを押し開ける。
カラン、と繊細なガラスの鈴が鳴り、微かなビターチョコレートのような煙草の香りと熱した果実の匂いが鼻腔をくすぐった。
「いらっしゃいませ。こんばんは」
ベストを着た初老のマスターが、いつもと変わらない穏やかな声で迎え入れてくれる。俺は小さく会釈して、カウンターのいつもの席に腰を下ろした。
「今日は何にいたしましょう」
「ジンジャーエールを。辛口の方でお願いします。」
「かしこまりました」
俺は昔から、嘘をつくのが苦手な、ひどくつまらない真面目な人間だった。提出物の期限は守るし、部活の居残り練習もサボったことはない。
だから、この店で俺が口にするのはノンアルコールだ。お酒の味なんて知りもしないし、そもそも自分が体質的にお酒を飲めるかどうかすら、まだ試したこともないからわからない。未成年飲酒なんて法律を破る勇気もない俺が、この大人の空間に紛れ込むために必死で捻り出した言い訳。それが『下戸』という嘘だった。
『お酒が本当に弱くて、一杯で真っ赤になっちゃうタチなんです。でも、この店の静かな雰囲気が好きで』
数ヶ月前、初めてここに来た時に心臓をバクバクさせながら搾り出したその嘘をマスター、そして――。
「あら、先週ぶり。今夜も早いね。」
塾の自習室を出て、駅の公衆便所に駆け込む。個室の鍵を閉め、窮屈なブレザーを脱ぎ捨て、あらかじめリュックの底に忍ばせておいた私服に着替える。
シャツは、小さいお小遣いを叩いて買ったセレクトショップのチャコールグレー。襟元を少しだけ緩め、鏡の前で前髪を少し上げ、ワックスで大人っぽくセットする。
仕上げに、度の入っていない黒縁の伊達メガネをかければ、鏡の中にいるのは『十七歳の高校生』ではなく、どこにでもいる『少し落ち着いた大学生』だ。
制服の詰まったリュックを駅のコインロッカーに放り込み、鍵をポケットに深くねじ込む。
よし、と小さく息を吐いて、俺は夜の街へと歩き出す。
これが、ここ数ヶ月、俺が自分に課している金曜日の夜のルーティーン。
全ては、あの店に行くためだけの、ささやかな変装だ。
駅から少し離れた路地裏。看板のネオンも控えめな、隠れ家のようなオーセンティックバーのドアを押し開ける。
カラン、と繊細なガラスの鈴が鳴り、微かなビターチョコレートのような煙草の香りと熱した果実の匂いが鼻腔をくすぐった。
「いらっしゃいませ。こんばんは」
ベストを着た初老のマスターが、いつもと変わらない穏やかな声で迎え入れてくれる。俺は小さく会釈して、カウンターのいつもの席に腰を下ろした。
「今日は何にいたしましょう」
「ジンジャーエールを。辛口の方でお願いします。」
「かしこまりました」
俺は昔から、嘘をつくのが苦手な、ひどくつまらない真面目な人間だった。提出物の期限は守るし、部活の居残り練習もサボったことはない。
だから、この店で俺が口にするのはノンアルコールだ。お酒の味なんて知りもしないし、そもそも自分が体質的にお酒を飲めるかどうかすら、まだ試したこともないからわからない。未成年飲酒なんて法律を破る勇気もない俺が、この大人の空間に紛れ込むために必死で捻り出した言い訳。それが『下戸』という嘘だった。
『お酒が本当に弱くて、一杯で真っ赤になっちゃうタチなんです。でも、この店の静かな雰囲気が好きで』
数ヶ月前、初めてここに来た時に心臓をバクバクさせながら搾り出したその嘘をマスター、そして――。
「あら、先週ぶり。今夜も早いね。」