王宮奇恋怪異譚

エピローグ. 北の塔

 ◆
 
 ああ、よう、こっちだ。久しぶりだな。俺か? まあ家の仕事を手伝ってるよ。鉄を打つのもやっと慣れてきたってもんだ。
 
 お前はどうなんだ?うまくやってるのか?
 
 え?
 
 そりゃあお気の毒にな。
 
 じゃあお前もトンズラこいてきたってわけだ。
 
 だよなあ、あんなところで働けたもんじゃあねえよ。おっかない……。
 
 で、お前は何をみたんだ?
 
 え、俺か?
 
 まあそうだな……よし、じゃあ酒を奢ってくれるなら話してやるぜ。
 
 ・
 ・
 ・
 
 はあ、もう北の塔の事なんて思い出したくもねえんだけどな。まあいい、酒のためだ。

 俺は三ヶ月やったぜ。

 お前は一ヶ月だっけか。いや、責めてるわけじゃねえよ。むしろ正解だったんじゃねえかと今は思ってる。

 給金は良かったよな。お前も覚えてんだろ? 王宮付きの三割増し。月四日の休みも保証。元王太子殿下の世話係なんて肩書きは経歴にも箔がつく。条件だけ見りゃ文句のつけようがねえ。お前だってそれで引き受けたクチだろ。

 だが──寒いんだ。

 いや、お前も知ってるか。知ってるよな、あの寒さは。

 北の塔ってのは丘の上に建ってる石造りの古い塔でな、元は国境監視の砦だったのを改修して使ってるらしい。冬が寒いのは当たり前だ。石の壁ってのは冷気を溜め込むもんで、暖炉を焚いたって熱が壁に吸われて消える。まあ分かる。分かるんだが──

 夏になっても寒いんだよ。

 お前がいた頃はまだ冬だったから気づかなかっただろうが──あれ、夏になっても変わらねえんだ。

 王都じゃあ雪なんか欠片も残ってねえ頃だぜ? だのに俺は塔の階段を上りながら自分の息が白いのに気づいた。外は陽が差してる。突っ立ってるだけで汗がにじむような暑さだ。なのに塔の中だけが冬のまんま取り残されてやがる。

 春頃は石壁のせいだろうと思った。分厚い石は温まるのに時間がかかるんだ、春の陽気が壁の内側まで届くにはもう一月二月かかるんだろうと。

 だが四月になっても寒い。五月も。六月も。

 そして七月だ──外じゃ麦の穂が風に揺れて、丘の斜面に野花が咲き乱れてる頃だぜ? 俺はそん中を厚手の外套着て階段上ってんだ。息は白い。壁に触りゃ指先から熱が持ってかれる。

 おかしいだろ。

 おかしいんだが、誰に言っても取り合ってもらえねえ。交代の看守に「寒くねえか」って訊いたら「まあ石造りですからね」だと。お前もそう言うか? ──だよな、言わねえよな。お前はあそこの空気を知ってるもんな。

 ……まあいい。寒さは我慢しゃあいい。外套重ねりゃいい。手袋すりゃいい。

 そもそも一番の問題は寒さじゃねえんだから。

 お前が辞めた理由もそっちだろ? ……ああ、まあ、順を追って話すからよ。聞いてくれ。

 ◆

 殿下の房は塔の最上階にある。お前も知っての通りだ。

 鉄格子の向こうに寝台が一つ、机が一つ、椅子が二脚。窓は東向きに一つあって、飛び降り防止の太い鉄格子が嵌まってる。暖炉は小さいがまあ一応ある。幽閉先としちゃ悪くねえ造りだろう。

 格子の下のほうに小さな差し入れ口がある。飯の盆を通す為のもんだ。仕事の中身はお前もやってたから分かるよな。日に三度そこから盆を差し入れて、前の盆を引き取って、殿下の様子を格子越しに確かめて記録する。月に一度、それを王宮に報告。まあ楽な仕事だよ──()()()()()仕事だ。

 最初の一ヶ月は──まあ、酷かった。お前もいた頃だから知ってるだろう。

 殿下は壁に向かって怒鳴り散らしてた。誰もいねえ壁に向かって「来るな」だの「触るな」だの「許してくれ」だのと叫んでおられた。飯は半分も手をつけねえ。寝台の上で膝抱えて震えてる事もあった。

 お前が辞めたのはあの頃だったな。──いや、分かってるって。あれを毎日聞かされりゃ誰だってどうにかなる。俺だって正直きつかった。かつての王太子がこんな姿になるもんかと。

 だがな、二ヶ月目に入ると怒鳴り声が止んだんだ。

 ぴたりと止んだ。

 お前がいなくなった後の話だからな、これは。

 盆を差し入れ口に通して格子越しに覗くと、殿下は椅子に座って窓の外を眺めておられた。穏やかな顔だった。怒鳴ってた頃の血走った目はなくて、表情には──何つうか、諦めとはまた違う何か──うまく言えねえんだがな。

「ありがとう」

 盆を受け取りながら、殿下にそう言われた。殿下の口からまともな言葉が出たのは二ヶ月で初めてだった。声は掠れてたが、穏やかなもんだった。

 良くなってんのかもしれねえ──そう思った。

 思ったんだが。

 ◆

 三ヶ月目の話だ。

 おかしい事に気がついた。

 寝台だよ。

 寝具の交換は三日に一度、差し入れ口から畳んだ替えを入れて、使用済みのを引き取る。殿下がご自分で取り替える仕組みだ。お前もやってたろ。

 引き取った寝具を階段の踊り場で畳み直してた時──手が止まった。

 敷布が濡れてたんだ。

 汗じゃねえ。冷てえんだよ。冬の結露に似た、あの嫌な冷たさだ。しかも敷布の片側だけじゃなかった。殿下が横になるであろう右半分は乾いてる。だが左半分──寝台の壁側にあたる半分が、びっしょりと湿ってた。

 人の形に。

 仰向けに寝た人間の背中から腰にかけて、水が染み出したような──いや、びしょ濡れの誰かが隣に横たわってたとしか思えねえ濡れ方だった。

 窓から雨が吹き込んだのかもしれねえ。壁の亀裂から染み出したのかもしれねえ。何とでも説明はつく。

 だが次の交換の日も同じだった。その次もだ。毎回、左半分だけが冷たく濡れてる。毎回、()()()()

 格子越しに殿下の寝台を見ると、掛布が二人分の膨らみを作ってるように見える事がある。殿下は右側で寝ておられる。左側は──何もねえはずだ。何もねえのに、掛布の皺の寄り方が、一人で寝てる人間のそれじゃあねえんだよ。

 ……おい、そんな顔すんなよ。お前だって似たようなモン見たからやめたんだろうが。

 ◆

 ある日の昼過ぎ、盆持って階段上ってた時の事だ。

 最上階に近づくにつれ、声が聞こえてきた。

 殿下の声だ。低く、穏やかな声。怒鳴り声じゃねえ。かつて王宮で臣下に語りかけていたであろう、あの落ち着いた声色だった。

 だが独り言じゃなかった。話して、間を置いて、また話す。誰かと()()()()んだ。だが誰と? 最上階には殿下しかいねえ。看守は一階だし、そもそも連中は最上階に近づきたがらねえ。あ、それはお前のほうが先に気づいてたか? あいつら、交代の時間になるとそそくさと降りてくるもんな。

「──うむ、そうだな。あの庭園の薔薇はもう咲いたかもしれんな」

 間。

「ふふ、お前は薔薇より野の花のほうが好きだったか。そうだったな」

 間。

「──ああ。すまなかった。本当に、すまなかった」

 間。

「だが──こうしてお前がいてくれるだけで、私は。ああそうだ、愛している。真実の愛が何か、()()なって初めて分かった気がする」

 俺はわざと足音を立てた。声が止まった。差し入れ口に盆を通しながら、格子越しに中を見た。

 殿下は椅子に座っておられた。で──向かいの椅子、普段は壁際に寄せてあるもう一脚が、卓を挟んで殿下の正面に引き出されてた。

 誰も座ってねえ。

 座ってねえんだが──座面の布地にわずかな窪みがある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

「食事をお持ちしました」

「ああ、ありがとう」

 殿下の目が格子越しに俺を見た。おかしい様子はねえ。

 だがその目が俺から離れた時、向かいの椅子のほうをちらっと見たんだ。見て──かすかに微笑んだ。

 背中を大量の、凍った蟻が這ってるような、そんな気分だった。

 前の日の盆を引き取って、何も訊かずにその場を離れた。

 で──階段を三段ほど降りたところで、背後から笑い声が聞こえた。殿下の声と──もう一つ。

 高い、()()()が混じった気がした。

 気のせいだ。

 そうだ、あそこには殿下しかいねえ。

 聞こえんのは殿下の声だけのはずだ。

 ──本当に? 

 俺はそんな自問を敢えて無視した。お前も覚えがあるんじゃねえか? あの塔にいると、考えちゃいけねえ事を考えそうになる瞬間がある。で、考えたが最後、もう()()()()()()()()()()()。だから考えねえ。考えねえのが正解なんだ。お前が一ヶ月でやめたのは、そこの見切りが早かったからだろ。

 ◆

 最後の日の話をするぜ。

 塔の出口まで降りると大分冷え込みも収まった。夏らしい暑さがもどってきた。

 まともな世界ってやつだ。

 俺はさっさとその場から退散しようとおもったね。

 で、何を思ったのか、途中でなんとなく振り返って塔を見上げた。

 この時にゃもう辞めると決めてたからな。だから最後に一目見とこうと思ったかもな。お前だって最後の日はなんとなく振り返ったりしなかったか? ──しなかった? そうか。そっちが正解だな。

 最上階の窓──太い鉄格子が嵌まったあの窓に殿下の背中が見えた。格子に背を預けるようにして立ってる。こっちに背を向けてるから表情は分からねえ。

 だが様子がおかしかった。

 殿下の両手が動いてんだ。身振りだ。何かを語りかけるみてえに、時おり手を広げたり、指を動かしたりしてる。一人で窓の外を眺めてんじゃねえ。房の()に向かって──奥にいる()()に向かって、話しかけてる。

 俺は足を止めて見てた。見ちゃいけねえと思いながら目が離せなかった。

 殿下の手が止まった。何かに応えるみたいに頷いて、それから小さく笑ったようだった。背中越しでも分かる。肩が揺れたからだ。

 そして──殿下が格子に背を預けたまま、首だけを動かした。

 肩は動かねえ。背を見せたまま──首だけが、こっちを。

 分かるか? 

 ぐりっとよ、首が──。

 俺は叫んだ。

 自分の喉からどんな声が出たか覚えてねえ。叫んで、走った。丘の斜面を転がるみてえに駆け下りて、草を踏んで、石に足を取られて、それでも走った。

 俺はもう二度とあの丘にゃ登らねえだろうよ。

 あの塔にも近づきたくねえ。

 給金がいくら良かろうが知った事じゃあねえ。

 ・
 ・
 ・

 まあ、そういう事だ。

 酒──もう一杯頼んでいいか? 

 っし……ああ、まずい。安酒ってのはどうしてこう、変な薬みてェな味がするのかねえ?

 でも今は金にもそこまで余裕がねえからなあ。

 ……そういえば、ふと思い出したんだけどよ、殿下の表情がよ……ん? そうそう、首がぐりっとな、回ってこっちを見てたあの時の表情な。

 なんか笑ってたような気がしたんだよなあ。

 幸せそうだったっていうか……。

 いや、それが逆に不気味だって向きもあるンだろうけどな。

 まあいいや、じゃあ次はお前の話を聞かせてくれよ。 

(了)
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