花詠み ―雪中花―
第十五話
拓真と香苗は、家の前の坂を下り、ある寺を探した。
そこは裏手に墓地が広がる、歴史ある寺だ。
「家に女性の幽霊が現れまして、供養をお願いしたいです」
庭を箒で掃いていた若い僧は、仏間にふたりを案内した。
そこにいたのは黒の袈裟を着た、老いた僧が座って読経をあげていた。
それを二人は静かに見守る。
そうして老いた僧が二人に振り向き、声を掛けた。
「……どこから来なすった?」
「高台にある平屋の住宅に住んでいます」
香苗はあの遊女の話を始めた。
それを聞いた僧は、香苗たちにある話を始めた。
この地はかつて漁業と貿易で栄えた大きな街であったことと、かつて平屋の辺りには大きな遊郭があったことだ。
「遊郭……」
香苗の声が震えた。
拓真が香苗の手にそっと自分の手を重ねる。
僧は話を続けた。
明治の中頃、この街は遊郭で起きた火災で多くの遊女たちが亡くなった。
寺の墓地にはその供養塔があるそうだ。
「しかし火災が起きた時、もしかしたら行方不明になった遊女がいたかもしれません」
僧はもう一冊の古い帳簿をみながら、告げた。
「それはなぜですか?」
香苗の質問に、拓真が息を呑む。
「……少しお待ちくだされ」
僧はスッと立ち上がり、仏間の奥から何かを探し始めた。
そして古い桐の箱を持って、再び座る。
「記録によれば、明治の中頃でございました。ある浜にエビス様が打ち上げられたのです」
「エビス様……?」
「この地方での信仰です」
この地方では、海からの漂着死体を祟りとして恐れると同時に、丁寧に供養をすれば大漁をもたらす寄り神――エビス様として扱うことがあったという。
「そのエビス様は、かつて遊女だった痕跡があったと記録があります。詳しくは――」
身元不明の白骨の亡骸には、もつれた黒髪と水仙の簪がしっかりと絡みつき、ボロボロの赤い襦袢の布切れがまとわりついていたそうだ。
「その簪がこちらです」
僧は先ほど持ってきた、桐の箱を開く。
それは水仙の花があしらわれた、2本の豪華な飾り簪だった。
下には、流麗な綴りで書かれた和歌が添えられていた。
『潮満ちて 咲く雪中華 かの人を 想ひて焦がれ 袖ぞ濡れゆく』
2本ある簪のうち、1本はこの和歌と共に供養のためにとこの寺に届けられたものだという。
そして数年後、亡骸と一緒に同じ簪がこの寺に届けられた。
だからこの簪と和歌はこの遊女の物だろうと伝えられている。
「行方不明になった遊女の名前は、わかりますか?」
「そこまでは記録にないものでしてな……」
水仙の花の簪。
だから水仙の花に彼女は憑いていたのだろうか。
香苗の意識の中にこびり付いていた何かが消えていくような気がした。
僧が窓から差し込む陽光を見上げた。
「人の想いは人を襲うこともあるが、癒すのもまた人の想い……」
その言葉に香苗と夫もまた、窓を見つめる。
淡く穏やかな光が、水仙の飾り簪に降り注ぐ。
「来世こそは、幸せになると良いですね」
肩を拓真に抱かれた香苗が、願いを込めてそう呟いた。
寺を出た二人が外を出たとき――、見上げた空は、澄み切った青が広がっていた。
同じ頃。
優斗は小さな灯台が立つ岸壁に立っていた。
その波間に、手に持っていた白と黄色の水仙を2本、投げ入れた。
「もう会えないね」
みやの姿も声も、もう優斗には捉えることができない。
それでもいつかまた彼女に会いたいと思いながら、手を合わせる。
海は空の青を映したまま、穏やかな波を浮かべ輝いていた。
完
そこは裏手に墓地が広がる、歴史ある寺だ。
「家に女性の幽霊が現れまして、供養をお願いしたいです」
庭を箒で掃いていた若い僧は、仏間にふたりを案内した。
そこにいたのは黒の袈裟を着た、老いた僧が座って読経をあげていた。
それを二人は静かに見守る。
そうして老いた僧が二人に振り向き、声を掛けた。
「……どこから来なすった?」
「高台にある平屋の住宅に住んでいます」
香苗はあの遊女の話を始めた。
それを聞いた僧は、香苗たちにある話を始めた。
この地はかつて漁業と貿易で栄えた大きな街であったことと、かつて平屋の辺りには大きな遊郭があったことだ。
「遊郭……」
香苗の声が震えた。
拓真が香苗の手にそっと自分の手を重ねる。
僧は話を続けた。
明治の中頃、この街は遊郭で起きた火災で多くの遊女たちが亡くなった。
寺の墓地にはその供養塔があるそうだ。
「しかし火災が起きた時、もしかしたら行方不明になった遊女がいたかもしれません」
僧はもう一冊の古い帳簿をみながら、告げた。
「それはなぜですか?」
香苗の質問に、拓真が息を呑む。
「……少しお待ちくだされ」
僧はスッと立ち上がり、仏間の奥から何かを探し始めた。
そして古い桐の箱を持って、再び座る。
「記録によれば、明治の中頃でございました。ある浜にエビス様が打ち上げられたのです」
「エビス様……?」
「この地方での信仰です」
この地方では、海からの漂着死体を祟りとして恐れると同時に、丁寧に供養をすれば大漁をもたらす寄り神――エビス様として扱うことがあったという。
「そのエビス様は、かつて遊女だった痕跡があったと記録があります。詳しくは――」
身元不明の白骨の亡骸には、もつれた黒髪と水仙の簪がしっかりと絡みつき、ボロボロの赤い襦袢の布切れがまとわりついていたそうだ。
「その簪がこちらです」
僧は先ほど持ってきた、桐の箱を開く。
それは水仙の花があしらわれた、2本の豪華な飾り簪だった。
下には、流麗な綴りで書かれた和歌が添えられていた。
『潮満ちて 咲く雪中華 かの人を 想ひて焦がれ 袖ぞ濡れゆく』
2本ある簪のうち、1本はこの和歌と共に供養のためにとこの寺に届けられたものだという。
そして数年後、亡骸と一緒に同じ簪がこの寺に届けられた。
だからこの簪と和歌はこの遊女の物だろうと伝えられている。
「行方不明になった遊女の名前は、わかりますか?」
「そこまでは記録にないものでしてな……」
水仙の花の簪。
だから水仙の花に彼女は憑いていたのだろうか。
香苗の意識の中にこびり付いていた何かが消えていくような気がした。
僧が窓から差し込む陽光を見上げた。
「人の想いは人を襲うこともあるが、癒すのもまた人の想い……」
その言葉に香苗と夫もまた、窓を見つめる。
淡く穏やかな光が、水仙の飾り簪に降り注ぐ。
「来世こそは、幸せになると良いですね」
肩を拓真に抱かれた香苗が、願いを込めてそう呟いた。
寺を出た二人が外を出たとき――、見上げた空は、澄み切った青が広がっていた。
同じ頃。
優斗は小さな灯台が立つ岸壁に立っていた。
その波間に、手に持っていた白と黄色の水仙を2本、投げ入れた。
「もう会えないね」
みやの姿も声も、もう優斗には捉えることができない。
それでもいつかまた彼女に会いたいと思いながら、手を合わせる。
海は空の青を映したまま、穏やかな波を浮かべ輝いていた。
完


