花詠み ―雪中花―

第六話

 その晩も、香苗はあの少女の夢を見た。
 少女は首筋に、肌に白粉をはたいていた。
 姿は以前よりも成長していたものの、若く、まだあどけない顔立ち。
 豪奢な重たい着物を身に纏い、口元に紅を引いた。
 そうして姿見に映る少女は天女のように美しい。

「姐さん、首筋が痛い……」
「明日、医者に見て貰いな」

 化粧の乗らない首筋。そこには小さな影が寄り集まっていた。
 香苗にはそれが海底の石に空いた無数のくぼみのように見えた。
 少女は香苗に背を向けたまま、裾を引きずり、手を引かれて去って行く。
 香苗はハッと目を開く。
 微かに漂う水仙の花の匂い。
 それと重なるように、独特の香りが後から香った。
 身体が硬直したように動かない。声も出せない。
 金縛りだと、すぐにわかったものの、夜明けまで天井の節を見つめ続けた。
 その節はあの少女のつぶらな目にとても良く似ていた。

 -*-

 明け方になってようやく金縛りが解けた後、電池が切れたように本能が意識を奪った。
 拓真が出かけたのにも、優斗が学校へ行ったことにも気が付かなかった。
 居間のテーブルには、夫からのメッセージが書かれていた。

『お疲れさま。寝坊は気にするなよ』

 拓真の優しい気遣いに、香苗は顔をほころばせる。
 ふと見上げた天井には、以前見た足の長い蜘蛛が大きな巣を張っていた。

「朝蜘蛛は縁起がいいんだっけ。益虫というしね……」

 たまたま変な夢を見ただけだと、深く考えないように自分に言い聞かせた。
 ゴミを出すために庭を通ると、まだ水仙が咲いている。
 しかもすべての水仙が寝室に向かって咲いていた。
 水仙の花の香りが異様に鼻についた。

「この家、なにか因縁でもあるの……?」

 香苗はふとそんなことを思った。
 今まで心地よく住んできた家が、途端に不気味に思えて仕方がなかった。

 -*-

 その日の夜、香苗は寝苦しさを感じ、夜中に目が覚めた。
 拓真は横でいびきをかいて熟睡していた。
 トイレへと向かった後、香苗は優斗が眠る部屋へいく。
 お腹を出して寝ている優斗をみて、香苗はタオルケットを掛けた。
 大丈夫だ、もう安心だ。
 そう思い直し、寝室へと戻るその途中――、ピチャンと水の滴る音が聞こえた。
 台所かと思うと和室から聞こえる。
 電気をつけて確認すると、中央の畳が湿っている。

「どうして……」

 急いで洗面所から雑巾を持ってきて、濡れている個所を拭く。
 するとその雑巾からは異様な匂いがした。
 潮の匂いではなかった。
 海の底の匂い、もっと暗く、もっと深い……陽光の届かない水のような。
 突如、寒気を感じた。雑巾を手早く洗い、再び寝室へ戻る。

 翌朝。
 和室の畳を確認すると、和室の畳は濡れてはいなかった。
 昨夜の妙な匂いはすっかり消えている。
 天井を見ると、蜘蛛の巣が一回り小さくなっていた。
 そんな蜘蛛の糸に、蛾が引っかかっていた。
 蜘蛛の姿はない。
 蛾の翅の模様が香苗を見つめる眼に見え、背筋に悪寒が走った。
< 7 / 16 >

この作品をシェア

pagetop