青春再テスト
最初の土曜日、二人は午前中に図書館前で待ち合わせをすると、冷房の効いている自習スペースに入って並んで座った。
広枝は融通が利くうえに、至極親切で丁寧だった。泰士が、テスト範囲の単元のもっと前の単元すら危ういとなると、そこまで戻って、本当に基礎から説明してくれた。わざわざ一年生の数学の教科書と問題集を持ってきてくれており、理解するのに必要な問題をピックアップして、習得の手助けをしてくれた。おかげで泰士は、以前つまずいたところをすっかり解消できた。
十二時の鐘が鳴ったところで、二人は勉強道具を片付けると、図書館から少し離れた場所にあるファストフード店に入った。そして、ハンバーガー一つとオレンジジュースだけの広枝の食事量に、泰士は目を真ん丸にした。
「それで足りんの?」
「え、うん……あ、でも、あとでおやつは食べちゃうかも」
泰士の友人であるダンス部の女子たちは、曲がりなりにもダンスをしていて日々の運動量があるからなのか、ほぼ全員がかなり食べるほうだ。しかし広枝は、「ハムスターかよ」と思わずにはいられない少量を、ちみちみと食べる。自分の周りにはあまりいないタイプなので、泰士はなんだか珍生物を見ているような気持ちになった。
それから二人は図書館に戻り、公式の確認、計算練習、問題演習を繰り返した。午後三時頃には集中力が切れたので、おやつタイムという名の休憩時間にする。広枝は持ってきていた小さなチョコレート粒の菓子を、パクパクと美味しそうに頬張った。
広枝は基本的に声が小さい。笑い方も、なんだか遠慮しているように慎ましい。だが、眼鏡の下に浮かべるその笑みは、なんとなく強い印象に残った。
最後に、自習として解くとよい問題をいくつか教わって、泰士は広枝と別れた。
そして次の勉強時間である水曜日の放課後、学校の図書館に二人は集合した。面倒見の良い広枝は、細やかな気遣いをしてくれるだけでなく、異常なほど早く、泰士がどこをどんなふうに理解できなくて苦戦しているのかを見抜いた。「なんでわかるんだよ」と、泰士は思わず険しい表情で尋ねていた。
「私もそこでつまずいたから……かな」
広枝は少し恥ずかしそうに、そう答えて笑った。
D組の泰士からすると、成績の良い生徒が集まるA組に在籍している広枝が勉強でつまずいていたなんて、嘘だろと思ってしまう。
「A組のお前でも、わかんなかった時があったのかよ」
「うん、たくさんあったよ。少ない勉強時間でトップの成績をとる人もいるけど、私はそういうタイプじゃないんだ。私も今の金成くんみたいに、何度も基礎を確認して、公式を暗記して、必死に練習して、それでやっと、少しできるようになったの。えっと……金成くんはダンス部だよね? 私はダンスのことはわからないけど、ダンスもそうじゃない? 不得意だった頃があったでしょ? でも練習を頑張ったから、今はできるでしょ? ね、それと同じ」
同じかねぇ、と泰士は思いつつも、広枝は天才型なわけではなく、地道な努力を重ねたからこそ勉強ができるのだ、という当たり前のことが理解できた。
その次の土曜日も、二人は地区図書館にこもった。初対面の時はびくびくしていた広枝だったが、おやつ休憩の会話では、すっかりリラックスして話してくれるようになっていた。
「えっ、金成くんって、お兄さんがいるの?」
「ああ、いま大学生だ」
「ちょっと意外……弟か妹がいて、お兄ちゃんって呼ばれていそうなのに」
「むしろ、俺が弟なんだよ。そういうお前こそ、弟がいるんじゃねぇの」
「よくわかるね! そうなの、弟がいるよ。いま、小学校四年生」
「結構年が離れてんな」
「うん、最近生意気になってきたけど、それでもかわいいよ」
弟の話をする広枝は「お姉ちゃん」の顔をしていた。なるほど、この面倒見の良さは長女ゆえに培われたものなのだろう。
その後、過去単元の復習と基礎固めが終わったので、いよいよ再テスト範囲の勉強に入った。
再テストは、前回のテストとまったく同じ問題も出されるが、異なる数字の問題も出されると聞いている。最も重要な公式の暗記と、少しばかりの応用テクニックをおさえておけば、確実に七十点はとれるはずだ。
「大問が全部で五つあるけど、大問四は後回しで、最悪、諦めたほうがいいと思うの」
「は? なんで?」
「とても難しいから……そこの配点は捨てて、ほかのところで満点をとれるようにしたほうがいいと思うんだ」
「それって、逆にハードル高くね?」
「大丈夫。基礎はしっかりと確認したし、ほかの問題は、基本の応用だけだから。大問四は、これ、先生が意地悪で作った問題だと思う。解けなくもないけど、時間内に解き終わるには、まだ授業でやっていない解き方を使わなきゃいけないから」
「え、そうなん? つーか、なんで藤島がンなことを知ってんだ?」
「私、ここがわからなくて……でも山崎先生に訊くのが悔しくて、休み時間中もずっと考えていたら、クラスの時田くんが教えてくれたの。時田くんね、すごいんだよ。この問題も、さらっと解いちゃったんだって」
「ふーん……」
その時泰士は、胸の中にざわりとした風が渦巻いたのを感じた。自慢げに――いや、尊敬して憧れているかのようにクラスの男子の名前を出す広枝が、なぜだかやけにムカついた。自分は勉強ができないから、勉強のできるA組の時田に嫉妬しているのかとも思ったが、そうではない。広枝が、自分の知らない男の名前を口にしていることが、なんだかもやもやとしたのだ。
「大問四を全部捨てても、ほかのところを満点にすれば七十点は超えるから、きっと大丈夫。再テスト、頑張ろうね、金成くん」
「ああ……」
胸中の苛立ちもほどほどに、泰士は数式とにらめっこを始める。
考え込んで思わず眉間に皺を寄せた泰士を見て、広枝は小さく笑った。
◆◇◆◇◆
広枝は融通が利くうえに、至極親切で丁寧だった。泰士が、テスト範囲の単元のもっと前の単元すら危ういとなると、そこまで戻って、本当に基礎から説明してくれた。わざわざ一年生の数学の教科書と問題集を持ってきてくれており、理解するのに必要な問題をピックアップして、習得の手助けをしてくれた。おかげで泰士は、以前つまずいたところをすっかり解消できた。
十二時の鐘が鳴ったところで、二人は勉強道具を片付けると、図書館から少し離れた場所にあるファストフード店に入った。そして、ハンバーガー一つとオレンジジュースだけの広枝の食事量に、泰士は目を真ん丸にした。
「それで足りんの?」
「え、うん……あ、でも、あとでおやつは食べちゃうかも」
泰士の友人であるダンス部の女子たちは、曲がりなりにもダンスをしていて日々の運動量があるからなのか、ほぼ全員がかなり食べるほうだ。しかし広枝は、「ハムスターかよ」と思わずにはいられない少量を、ちみちみと食べる。自分の周りにはあまりいないタイプなので、泰士はなんだか珍生物を見ているような気持ちになった。
それから二人は図書館に戻り、公式の確認、計算練習、問題演習を繰り返した。午後三時頃には集中力が切れたので、おやつタイムという名の休憩時間にする。広枝は持ってきていた小さなチョコレート粒の菓子を、パクパクと美味しそうに頬張った。
広枝は基本的に声が小さい。笑い方も、なんだか遠慮しているように慎ましい。だが、眼鏡の下に浮かべるその笑みは、なんとなく強い印象に残った。
最後に、自習として解くとよい問題をいくつか教わって、泰士は広枝と別れた。
そして次の勉強時間である水曜日の放課後、学校の図書館に二人は集合した。面倒見の良い広枝は、細やかな気遣いをしてくれるだけでなく、異常なほど早く、泰士がどこをどんなふうに理解できなくて苦戦しているのかを見抜いた。「なんでわかるんだよ」と、泰士は思わず険しい表情で尋ねていた。
「私もそこでつまずいたから……かな」
広枝は少し恥ずかしそうに、そう答えて笑った。
D組の泰士からすると、成績の良い生徒が集まるA組に在籍している広枝が勉強でつまずいていたなんて、嘘だろと思ってしまう。
「A組のお前でも、わかんなかった時があったのかよ」
「うん、たくさんあったよ。少ない勉強時間でトップの成績をとる人もいるけど、私はそういうタイプじゃないんだ。私も今の金成くんみたいに、何度も基礎を確認して、公式を暗記して、必死に練習して、それでやっと、少しできるようになったの。えっと……金成くんはダンス部だよね? 私はダンスのことはわからないけど、ダンスもそうじゃない? 不得意だった頃があったでしょ? でも練習を頑張ったから、今はできるでしょ? ね、それと同じ」
同じかねぇ、と泰士は思いつつも、広枝は天才型なわけではなく、地道な努力を重ねたからこそ勉強ができるのだ、という当たり前のことが理解できた。
その次の土曜日も、二人は地区図書館にこもった。初対面の時はびくびくしていた広枝だったが、おやつ休憩の会話では、すっかりリラックスして話してくれるようになっていた。
「えっ、金成くんって、お兄さんがいるの?」
「ああ、いま大学生だ」
「ちょっと意外……弟か妹がいて、お兄ちゃんって呼ばれていそうなのに」
「むしろ、俺が弟なんだよ。そういうお前こそ、弟がいるんじゃねぇの」
「よくわかるね! そうなの、弟がいるよ。いま、小学校四年生」
「結構年が離れてんな」
「うん、最近生意気になってきたけど、それでもかわいいよ」
弟の話をする広枝は「お姉ちゃん」の顔をしていた。なるほど、この面倒見の良さは長女ゆえに培われたものなのだろう。
その後、過去単元の復習と基礎固めが終わったので、いよいよ再テスト範囲の勉強に入った。
再テストは、前回のテストとまったく同じ問題も出されるが、異なる数字の問題も出されると聞いている。最も重要な公式の暗記と、少しばかりの応用テクニックをおさえておけば、確実に七十点はとれるはずだ。
「大問が全部で五つあるけど、大問四は後回しで、最悪、諦めたほうがいいと思うの」
「は? なんで?」
「とても難しいから……そこの配点は捨てて、ほかのところで満点をとれるようにしたほうがいいと思うんだ」
「それって、逆にハードル高くね?」
「大丈夫。基礎はしっかりと確認したし、ほかの問題は、基本の応用だけだから。大問四は、これ、先生が意地悪で作った問題だと思う。解けなくもないけど、時間内に解き終わるには、まだ授業でやっていない解き方を使わなきゃいけないから」
「え、そうなん? つーか、なんで藤島がンなことを知ってんだ?」
「私、ここがわからなくて……でも山崎先生に訊くのが悔しくて、休み時間中もずっと考えていたら、クラスの時田くんが教えてくれたの。時田くんね、すごいんだよ。この問題も、さらっと解いちゃったんだって」
「ふーん……」
その時泰士は、胸の中にざわりとした風が渦巻いたのを感じた。自慢げに――いや、尊敬して憧れているかのようにクラスの男子の名前を出す広枝が、なぜだかやけにムカついた。自分は勉強ができないから、勉強のできるA組の時田に嫉妬しているのかとも思ったが、そうではない。広枝が、自分の知らない男の名前を口にしていることが、なんだかもやもやとしたのだ。
「大問四を全部捨てても、ほかのところを満点にすれば七十点は超えるから、きっと大丈夫。再テスト、頑張ろうね、金成くん」
「ああ……」
胸中の苛立ちもほどほどに、泰士は数式とにらめっこを始める。
考え込んで思わず眉間に皺を寄せた泰士を見て、広枝は小さく笑った。
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