恋と焦燥のロードマップ
「それで、ハッとしたんだよね。私、拓也といる時は、1ミリも緊張してないなって。もちろん、世界で一番居心地がいいし、大好きなの。でもそれって、恋のドキドキじゃなくて……実家に帰ったときみたいな、家族とか幼馴染の安心感なんだよね」
言いづらそうに、だけど飾らない本音を打ち明けてくれた美月の瞳を見つめながら、俺の脳裏に、これまでのデートの景色が走馬灯のように駆け巡った。
肩が触れ合った瞬間に、無意識に空けた数センチの距離。
どれだけ沈黙が続いても、お互いに「男と女」としてのステップを踏み出そうとせず、ただ幼馴染の距離を正確に守り合っていた時間。
俺たちは、お互いに気づいていたのだ。
この関係が、もう『恋』の引き出しには入らないものだということに。だけど、あの駅のホームでの未練を晴らすため、そしてアプリという戦場から逃げ込むために、二人で優しくその違和感に蓋をして、ハッピーエンドの続きを必死になぞろうとしていた。
美月が勇気を出してその蓋を開けてくれた瞬間、俺の胸の中に湧き上がってきたのは、振られた痛みではなかった。
むしろ、お互いに同じ答えを抱えながら、優しい嘘を突き通そうとしていた長い緊張の糸が、すとんと綺麗に解けていくような、圧倒的な解放感だった。
「……よかった」
思わず口から漏れた言葉に、美月が驚いたように目を見開く。俺はスラックスのポケットから自宅の鍵を引っ張り出し、テーブルの上に置いた。美月のスマホの横で、全く同じように古びた、イニシャル入りのキーホルダーが並ぶ。
「いや、美月が変に気まずそうにするから焦ったけどさ。実は俺も、全く同じこと思ってたんだよ」
「えっ……本当に?」
「ああ。最初の映画館の時から、本当は気づいてた。美月が隣にいてくれて、最高に居心地がいいのに、心臓が驚くほど静かだったから。高校の時みたいに、肩が触れるだけで息ができなくなるような感覚は、もうどこにもないんだなって」
俺の本音を聞いた瞬間、美月の目から張り詰めていた緊張がぷつりと消え、それから、今日一番の、いつもの悪戯っぽい笑顔が戻ってきた。
「なーんだ! 私、めちゃくちゃ緊張しながら切り出したのに! 拓也も同じだったんじゃん!」
「そりゃそうだよ。俺たち、お互いに過去の綺麗な思い出にしがみついて、アプリっていう戦場から、ここに逃げ込んでただけなのかもな」
「逃げ込んでた、か。確かにそうかもね」
美月はそう言って、嬉しそうに目を細めて並んだキーホルダーを見つめた。
十数年という離れた時間が刻まれた、二つの古い革。それは過去に囚われていた俺たちの「棘」ではなく、お互いの人生の最も純粋な一瞬を共有した、世界にたった一人の「戦友」であることの証明に変わっていた。
「よし、じゃあ、お互いの新しい恋活を祝して、もう一回乾杯しよ」
「いいね。次は絶対に、お互いドキドキする相手見つけようね」
カラン、と今度はさっきよりもずっと軽やかな音が、静かな店内に響き渡った。
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