恋と焦燥のロードマップ
その言葉を聞いた瞬間、さっきまで普通にしていたはずなのに、急に緊張が戻ってきた。
「……わかった」
雫を見る。彼女は何も言わず、ただ俺の顔を見て、小さく頷いた。
「行ってきて」
その一言に背中を押されるように、こんなにも緊張するものなのかと思う。
一度だけ息を吐いてから、扉を開けた。
「……久しぶり」
親父が顔を上げる。
「おう」
それだけだった。昔と変わらない声だった。向かいに座ってからもしばらく何を話せばいいのかわからなかった。
仕事のこと、母さんのこと、旅館のこと。話せることはいくらでもあるはずなのに、最初の一言だけがどうしても出てこない。やがて親父が、俺の顔を見ながら言った。
「……元気そうだな」
「うん。親父も」
「まだまだ元気だ」
その言葉に、少しだけ笑ってしまった。話しているうちに、昔のことも、俺が家を出たときもことも、少しずつ出てきた。
親父は、俺が俳優になったことも責めてこなかった。
旅館を継がなかったことについても、昔のように何か言うことはなかった。
ただ、最近の仕事のことを聞いてきた。どんな作品に出ているのか。忙しいのか。ちゃんとご飯食べてるのか。その何気ないことばかりだった。
その聞き方があまりに普通だったから、俺はそこで初めて、親父が俺のことを何も見ていなかったわけじゃなかったのだと気づいた。
「……俺さ」
しばらく話したあと、ずっと頭の中にあったことを口にしようと思った。
「もし、親父が旅館を続けるのがキツくなったら、その時は俺が継ぐよ」
親父はすぐには答えなかった。しばらくして親父は重い口を開いた。
「……旅館を継ぐってのは、そう簡単なことじゃないぞ」
「うん」
「お前は今まで、こっちの仕事をしてきたわけじゃない。お客さんのことも、従業員みんなのことも、旅館を続けていることがどういうことなのかも、まだ知らないだろ」
「……そうだね」
言われてみれば、その通りだった。
子どもの頃からここで暮らしていたから、旅館のことを何も知らないわけじゃない。けれど、家族の仕事として見ていたのと、自分が背負うものとして考えるのとでは、きっと全然違う。
親父は少し間を置いてから、続けた。
「だから、今すぐ継ぐなんて考えなくていい」
「うん」
「……わかった」
雫を見る。彼女は何も言わず、ただ俺の顔を見て、小さく頷いた。
「行ってきて」
その一言に背中を押されるように、こんなにも緊張するものなのかと思う。
一度だけ息を吐いてから、扉を開けた。
「……久しぶり」
親父が顔を上げる。
「おう」
それだけだった。昔と変わらない声だった。向かいに座ってからもしばらく何を話せばいいのかわからなかった。
仕事のこと、母さんのこと、旅館のこと。話せることはいくらでもあるはずなのに、最初の一言だけがどうしても出てこない。やがて親父が、俺の顔を見ながら言った。
「……元気そうだな」
「うん。親父も」
「まだまだ元気だ」
その言葉に、少しだけ笑ってしまった。話しているうちに、昔のことも、俺が家を出たときもことも、少しずつ出てきた。
親父は、俺が俳優になったことも責めてこなかった。
旅館を継がなかったことについても、昔のように何か言うことはなかった。
ただ、最近の仕事のことを聞いてきた。どんな作品に出ているのか。忙しいのか。ちゃんとご飯食べてるのか。その何気ないことばかりだった。
その聞き方があまりに普通だったから、俺はそこで初めて、親父が俺のことを何も見ていなかったわけじゃなかったのだと気づいた。
「……俺さ」
しばらく話したあと、ずっと頭の中にあったことを口にしようと思った。
「もし、親父が旅館を続けるのがキツくなったら、その時は俺が継ぐよ」
親父はすぐには答えなかった。しばらくして親父は重い口を開いた。
「……旅館を継ぐってのは、そう簡単なことじゃないぞ」
「うん」
「お前は今まで、こっちの仕事をしてきたわけじゃない。お客さんのことも、従業員みんなのことも、旅館を続けていることがどういうことなのかも、まだ知らないだろ」
「……そうだね」
言われてみれば、その通りだった。
子どもの頃からここで暮らしていたから、旅館のことを何も知らないわけじゃない。けれど、家族の仕事として見ていたのと、自分が背負うものとして考えるのとでは、きっと全然違う。
親父は少し間を置いてから、続けた。
「だから、今すぐ継ぐなんて考えなくていい」
「うん」