いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

第4話 負けず嫌いでマザコン?

昼食を終えると

弟たちは空手の稽古へ出かけていった

さっきまで

あれだけ騒がしかった家が急に静かになる

私は食器を片づけながら

リビングに残っている九条くんを見た

「それで?」

「え?」

「なんで家出なんかしてるの?」

九条くんが少し驚いた顔をする

「聞いてあげるよ」
「相談したいって言ってたじゃん」

九条くんはしばらく私を見たあと

小さく笑った

「ありがとう」
「誰にも相談できなくて」
「困っていたんだ」

「だからって」
「たまたま会った私に白羽の矢を立てるってのも」
「どうかと思うけど」

「たまたまというわけでもないんだけどね」

「九条くんって」
「友達たくさんいるじゃん」
「私なんかより――」

そこで言葉を止めた

九条くんが少しだけつらそうな顔をしていたから

私は手に持っていた皿を置いた

洗い物は後にして

九条くんが座る食卓の方へ歩く

そしてアイロン台を出して床にしゃがみ込んだ

お父さんと湊のワイシャツにアイロンをかけ始める

「まあ」
「私でよければ聞いてあげる」

「ありがとう」

九条くんは少し考えてから口を開いた

「こんな話をしたら」
「馬鹿にされるかもしれないけど」
「大した話じゃないんだ」
「僕の母親は」
「僕が小さい頃に亡くなっていてね」

私は黙って九条くんの話を聞いた

「最近」
「父が再婚すると言って」
「相手の女性を紹介してきたんだ」
「僕は反対した」
「その人が嫌いだったわけじゃない」
「ただ」

九条くんは少し視線を落とした

「母が消えてしまうような気がしたんだ」
「父は譲らなかった」
「それで僕も意地になって」
「家を出た」
「それだけだよ」

九条くんが私を見る

「がっかりさせちゃったかな」
「情けないやつだって思った?」

「うちもさ」

「え?」

「お母さんいないんだよね」

九条くんの目が少し大きくなった

「そうなの?」

「うん」

「でも」
「九条くんの気持ちは正直よく分かんない」

九条くんは何も言わず私を見る

「ねえ」
「九条くんって」
「弟とか妹はいないの?」

「うん」
「いないよ」

「だったら」
「嫌なのも仕方ないって私は思っちゃうかな」

「仕方ない?」

「うちはさ」
「男ならたくさんいるし」

私は指を折りながら数えた

「弟が五人」
「お父さんが一人」
「だから」
「お父さん一人くらい誰かにあげても」
「まだ余ってるもん」

九条くんが本気で戸惑った顔をした

「そ、そういう感じなのかい?」
「なんだろう」
「美緒さんの世界観が想像できないや」

「でも九条くんちは」
「うちみたいに弟が五人もいるわけじゃないでしょ?」

「まあ」
「それはそうだね」

「だったら」
「お父さんが誰かに取られるって思ったら」
「嫌なのも分かるよ」
「私だって」
「この裏切り者!」
「ってなるかも」

九条くんが首を傾げる

「なんとなくだけど」
「美緒さんと僕では」
「何かが根本的に違う気がするのはなぜだろう」
「僕は別に」
「父さんを取られるのが嫌なわけじゃないんだよ」

「なーに格好つけてんの」
「一緒よ」

「一緒なのかい?」

「マザコンかファザコンかの違いでしょ」

「マザコン……」

「お母さんが恋しいから」
「お父さんに新しい人と一緒になってほしくないんでしょ?」
「マザコンじゃない」

九条くんは少し考えた

それから力が抜けたように笑った

「確かに」
「そうなのかもしれない」

「でしょ?」

「美緒さんって」
「面白いね」

「それ」
「褒めてる?」

「もちろん」

九条くんは部屋の中を見回した

「それにね、美緒さん」
「さっきから」
「すごく不思議なことがあるんだ」

「え?」
「なに?」

「この家の空気を吸っていると」
「僕の悩みなんか」
「すごく小さなことに思えてくる」

私は九条くんを見る

「あんなに痛かった胸が」
「今は全然痛くないんだ」
「なんでだと思う?」

「なんでって……」

私はさっきまで弟たちが騒いでいた

リビングを見回した

「そんなの……」
「分かんないよ」

そう言った直後だった

外から腹の底に響くような

低いバイクのエンジン音が聞こえてきた

ドドドドドド

九条くんが窓の外を見る

「すごい音だね」

「あ」
「お父さん帰ってきた」

「お父さん?」

玄関の前でエンジン音が止まる

数秒後

ガチャ

玄関が開いた

「ただいまー!」

家中に響く大きな声

それからすぐにリビングへ入ってきたのは

黒いTシャツ姿の大柄な男だった

短く刈った黒髪に日に焼けた肌

顔もそこそこ怖いけど

何より目につくのはその体だ

分厚い胸板に太い腕

近所の子供たちからは

ハルクって呼ばれている

本人はわりと気に入っているらしい

この男が私の父

高梨剛志

格闘技道場とトレーニングジムを経営する元格闘家

通勤にはハーレーを使っている

本人いわく

「男なら一度は乗るだろ」

らしい

「美緒!」
「道着を忘れ――」

父が九条くんを見た瞬間

その言葉が止まった

九条くんも父を見る

父が私を見る

もう一度

九条くんを見る

それからまた私を見る

嫌な予感しかしない

「美緒」

「なに?」

父の顔がみるみる険しくなった

「お前」
「男を連れ込んだのか?」

「違う!」

九条くんが慌てて立ち上がって深く頭を下げた

「初めまして」
「九条伊織と申します」
「誤解しないでください」
「僕は美緒さんとは」
「そういう関係ではありません」

父は九条くんを頭の先から足の先まで見る

「美緒さん?」
「下の名前で呼んでるのか?」

「お父さん、違うから!?」

「美緒」
「いつからだ」
「どこまでいってる?」

「だから違うって!」

九条くんがもう一度頭を下げる

「本当に違うんです」
「今日は」
「少し相談に乗ってもらっていて」

「相談?」

父の目が細くなる

「家に上がりこんで」
「二人きりで相談か?」

「違うってば!」
「晴だっているでしょ!?」

しかし晴はソファーで眠ってしまっていた

「すみませんでした」

九条くんがすぐに鞄を手に取った

「誤解を招いてしまったようなので」
「僕はこれで失礼します」

「九条くん?」

「美緒さん」
「今日はありがとう」

九条くんは父にもう一度頭を下げた

「お邪魔しました」

そして玄関へ向かう

父はその背中をじっと見ていた

数歩

九条くんが玄関へ近づいたところで

父が口を開いた

「おい」

九条くんが振り返る

「はい?」

父は腕を組んだ

「女を置いて逃げんのか?」

「え?」

「腰抜け」

九条くんの足が止まった

「ちょっと!」
「お父さん!」

父は私を見ない

九条くんだけを見ている

「男なら」
「言いたいことがあるなら」
「俺の目を見て言え」

九条くんは父を見つめた

さっきまでの穏やかな顔とは違う

少しずつその目つきが変わっていく

そして玄関へ向けていた体を

父へ向け直した

「分かりました」

「九条くん?」

九条くんは父の前まで戻る

そしてまっすぐ父の目を見た

「僕は!」
「腰抜けなんかじゃない!」

父の眉がわずかに上がった

「ほお」

「さっきの言葉」
「取り消してください」

私は九条くんを見る

怒ってる

学校ではいつも涼しい顔をしている九条伊織が

明らかに怒っている

父は口の端を上げた

「嫌だね」

「なら」
「訂正させます」

「どうやって?」

「それを決めるのは」
「あなたでしょう?」

父がにやりと笑った

「いい目してんじゃねえか」

「ちょっと!」
「何二人で勝手に盛り上がってるのよ!」

父は私を無視して

九条くんを指さした

「道場まで来い」
「すぐ近くだ」
「そこで」
「お前が腰抜けじゃねえってところを見せてみろ」

「分かりました」

「九条くんも即答しないで!」

私は二人を交互に見る

「そもそも」
「なんでこうなってるの!?」

父が豪快に笑った

「はっはっは!」
「面白えじゃねえか!」

「私は全然面白くない!」


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