いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

第7話 我が名は高梨美緒!

夕食を食べ終えた頃

九条くんが父に声を掛けた

「師匠」

「なんだ?」

「明日」
「一度家へ戻ってもいいですか?」

「構わんが」
「どうした?」

「着替えなど」
「必要な荷物を取ってきたいんです」

父が九条くんの服を見る

湊から借りた白いTシャツは

どう見ても小さい

「そうだな」
「その格好で過ごすわけにもいかんか」

「はい」

父は腕を組んだ

「明日は」
「門下生の昇級審査がある」
「俺は道場を空けられねえな」

「一人で大丈夫です」

「そういうわけにはいかん」

父は私を見た

「美緒」

「なに?」

「お前が一緒に行け」

「なんで私が!?」

「預かる側の人間が」
「一度くらい顔を出しておくのが筋だ」

「だったら」
「お父さんが後日行けばいいじゃん」

「伊織の親父さんとは電話で話した」
「挨拶に行くと言ったが必要ないと言われた」
「会えたらでいい」
「挨拶だけしてこい」
「明日は祝日で学校は休みだろう」

「そうだけど……」

「美緒」
「高梨家の姉としての心構えを忘れたか」
「まずは挨拶だ」

「勝手に決めて来たくせに……」

「勝手に家に入れたのは美緒だろ」

「う……」

痛いところを……

「美緒さん」
「僕一人で行けるから」

九条くんが申し訳なさそうに俯いた

また……

捨てられた犬みたいな……

それ絶対ずるいからね

こっちの気も知らないで

私は小さく息を吐いた

「九条くん」
「別に嫌ってわけじゃないから」
「本当に、私も一緒に行ってもいいの?」

……それに

こんな格好でウロウロされては困る

「うん、もちろん」

父が満足そうに頷く

「頼んだぞ」

「頼まれたわ!」

九条くんが嬉しそうに笑った

「ありがとう」

その笑顔を見ただけで

また胸が少し騒がしくなる

私は慌てて目を逸らした

明日になれば大丈夫

ちゃんと自分に合った服に着替えれば

きっと大丈夫なんだから

翌日の朝

私は九条くんと一緒に

彼の自宅へ向かった

九条家はうちからそれほど遠くないらしい

家を出てしばらく歩くと

やがて高い塀が見えてきた

どこまで続いているのか分からないほど

長い塀だった

「まさか」
「あれじゃないよね?」

「あれだよ」

九条くんが大きな門の前で立ち止まる

「ここが僕の家だ」
「玄関まではもう少しあるけどね」

「覚悟はしてたけど……」
「時代劇に出てくるお屋敷みたいね」

門をくぐると

その先には立派な日本庭園が広がっていた

綺麗に手入れされた松

大きな庭石

池には何匹もの鯉

石畳の道はさらに奥まで続いている

「九条くん」
「あれはないの?」

「あれ?」

「ほら、竹に水が溜まってコーンってなるやつ」

「ししおどしのこと?」
「うちには無いよ」

「なーんだ、ないのか」

九条くんが私に向けて小さく笑った

そのあと

すぐにまた正面を向いて元の顔に戻る

その横顔を見て少し違和感を覚えた

昨日とは何かが違う

背筋は真っ直ぐに伸び

目には感情らしいものが見えない

近づきがたい冷たい雰囲気

学校で何度も見てきた

貴族様の九条伊織に見えた

玄関へ着くと

内側から扉が開いた

「お帰りなさいませ」
「伊織様」

現れたのは

私と同じくらいの年に見える女の子だった

腰まで伸びた艶のある黒い髪

白い肌に切れ長の大きな目

整った顔立ちはどこか凛としている

背は私より少し高いくらい

細身で姿勢が綺麗だった

黒いワンピースの上に

白いエプロンを身につけている

本物の……メイド?

九条くんは表情を変えないまま答えた

「ただいま」

私はドキリとして九条くんを横目で見た

声まで違う

家ではこんな話し方をするんだ

「そちらが」
「高梨様でございますね」

女の子が私に頭を下げる

「お待ちしておりました」

「あ」
「はい」
「高梨美緒です」
「お邪魔します」

私も慌てて頭を下げた

靴を脱いで屋敷へ上がる

磨き上げられた廊下は

自分の顔が映りそうなほど光っている

私は足元を見た

よりによって

今日の靴下

少し毛玉ができてるんだけど

もっといい靴下を履いてくればよかった

いや

そんな靴下持ってたっけ?

こういう時のために弟たちの分も買っておこう

私はそう心に決めた

女の子に案内され

長い廊下を歩いていく

通されたのは大きな和室だった

何畳あるのか見当もつかない

部屋の中央には

座布団が二枚並べられていた

そこから遥か遠くにも

一枚だけ座布団が置かれている

なんで

あんなに離れてるの?

私と九条くんが並んで座布団に座る

しばらくすると正面の襖が開いた

着物姿の男性が部屋へ入ってくる

九条くんとよく似た整った顔立ち

けれど

九条くん以上に近寄りがたい雰囲気がある

九条くんのお父さんは

遠くに置かれた座布団に座った

親子なのに

顔を見るのにも困るくらい離れている

「おかえり」
「伊織」

「ただいま」
「父さん」

「心配したぞ」

「申し訳ありません」

九条くんのお父さんが私を見る

「そちらが」
「高梨さんの娘さんか」

「は、はい!」

私は慌てて背筋を伸ばした

「高梨美緒です」

「伊織がお世話になっています」

九条くんのお父さんが頭を下げる

私も慌てて深々と頭を下げた

「こちらこそ!」
「九条くんには」
「弟たちとも仲良くしてもらってます!」

九条くんのお父さんがゆっくりと頭を上げる

その表情は少しも変わっていない

なにかが……変だ

言葉は間違っていない

心配していたと言った

お世話になっているとも言った

それなのに

全く心が伝わってこない

まるで必要なやり取りを

順番にこなしているようだった

「伊織」

「はい」

「高梨さんの道場へ」
「弟子入りするそうだな」

「はい」
「師匠のもとで」
「武道を学ばせていただきます」

「そうか」

九条くんのお父さんが頷く

「我が家は」
「源氏の流れをくむ家だ」
「武を修めるのはよい」
「励みなさい」

「はい」

源氏……って言ったわね

歴史の授業で習ったやつだわ……

九条くんのお父さんは

ゆっくりと立ち上がった

「必要なものは」
「すべて持っていきなさい」
「何かあれば」
「いつでも頼りなさい」

「はい」
「ありがとうございます」

九条くんのお父さんが部屋を出ようとする

九条くんがその背中に声を掛けた

「父さん」

九条くんのお父さんが足を止める

けれど

振り返りはしなかった

「どうか」
「ご息災で」

「ああ」
「お前もな」

それだけ言うと

九条くんのお父さんは部屋から出ていった

襖が静かに閉まる

広い部屋に私と九条くんだけが残された

なんだったんだろう

今の会話

二人とも相手を気遣っているはずなのに

どうして

こんなに冷たく聞こえるの?

九条くんは正座したまま

閉じた襖を見つめていた

「九条くん?」

九条くんがゆっくりと私を見る

「美緒さん」

「なに?」

「実は」
「お願いしたかったことがあるんだ」

「うん」
「なに?」

九条くんは私の目を真っ直ぐに見つめた

「僕のことを」
「九条と呼ばないでほしい」

「え?」

「これからは――」

その時襖が開いた

「伊織様」

先ほどのメイドが部屋へ入ってきた

九条くんの表情が元へ戻る

「なんだ?」

「お荷物をまとめる準備が」
「整っております」

女の子は私に視線を向けた

「高梨様のお相手は私が務めます」

九条くんの声が低くなる

「なんの真似だ?」

「伊織様のお部屋で」
「若い男女を二人きりにするわけにはまいりません」
「我が家の決まりでございます」

九条くんは少しだけ目を伏せた

「そうだったな」

九条くんが立ち上がる

小さな笑顔を私に向けた

「ごめん」
「美緒さん」
「荷物をまとめてくるから」
「お茶菓子でも食べて」
「待っていてくれる?」

「う、うん」
「分かった」

九条くんの後ろに立っていた女の子が

一瞬

歯を食いしばったように見えた

九条くんは女の子の横を通り

一人で部屋を出ていった

その背中を見送る

結局

なんて呼べばいいのか聞けなかった

女の子は小さな卓を私の横へ置いた

その上には

温かいお茶と綺麗な和菓子が載っている

淡い桃色の花をかたどった

上品なお菓子だった

「おお!」
「なんかすごい!」
「美味しそう!」

思わず声が出た

顔を上げると

女の子が私の真正面へ正座していた

じっと

私を見つめている

ん?

なんで正面に座ってるの?

しかもすごく見られてる

なに?

こういうものなの?

まさか

食べ方を確認されてる?

マナー審査的な?

どうしよう

マナーなんて私にあるはずがないわ

お菓子は手で食べていいの?

お茶が先?

それともお菓子?

変な食べ方したら

出入り禁止になったりしないよね?

色々と考えているうちに

女の子が口を開いた

「高梨様」
「一つ」
「お願いがございます」

「お願い?」

女の子は真っ直ぐに私を見つめた

「伊織様には」
「必要以上に近づかないでいただけますか」

「はい?」

この子……なにを言ってるの?

「伊織様がお戻りになるまで」
「お世話をしていただくことには感謝しております」

女の子の表情は少しも変わらない

「伊織様が背負っている重責は」
「高梨様には」
「想像もできないものでございます」
「あなたには」
「伊織様のおそばに立つ役目は」
「務まりません」

女の子の目が鋭くなる

「そのことを」
「努々お忘れなきよう」

私はしばらく女の子を見つめた

言い方は丁寧だけど

要するに――

「私に」
「九条くんへ近づくなって言ってる?」

「そのように」
「ご理解いただいて構いません」

本気で……

言ってるわね

「あの」

「はい」

「名前を聞いてもいい?」

女の子の眉がわずかに動いた

「榊千鶴と申します」

「じゃあ」
「千鶴さん」

「はい」

「急にそんなことを言われても」
「私にはよく分からないけどさ」

私は千鶴さんを見る

「それって」
「九条く――」

九条くんの言葉を思い出した

『九条と呼ばないでほしい』

私は言い直した

「伊織くんからそう言えって頼まれたの?」

千鶴さんの表情が

ほんの少し固くなった

「いいえ」

「じゃあ」
「千鶴さんが勝手に決めてるんだ」

千鶴さんの目つきが

一気に鋭いものになった

「私には九条家に仕える者として」
「伊織様をお守りする責務がございます」

「だから」
「伊織くんに近づく女の子を」
「こうやって脅してるってこと?」

千鶴さんの口元がわずかに引きつる

その目には怒りが見えた

「私は……」
「伊織様を守っているだけです」

「なに怒ってるの?」
「後ろめたいことでもある?」

「なんですって……」

「自分でも」
「分かってるんでしょ?」

私は千鶴さんから目を逸らさない

「伊織くんの気持ちも聞かないで」
「勝手に近づく人を追い払うなんて」
「そんなの」
「伊織くんが可哀想じゃない」

「私は!」

千鶴さんの声が大きくなった

すぐに小さく咳払いして

元の口調に戻った

「私は伊織様を」
「お守りしているだけです」

「それを決めるのは」
「千鶴さんじゃなくて」
「伊織くんでしょ?」

千鶴さんが俯く

しばらく何も言わなかった

やがて小さく息を吐く

「分かりました」

「ん?」

千鶴さんが立ち上がった

そのまま私の前まで歩いてくる

「なによ」

私の前で足を止める

そして

ぐいっ!

「うわっ!」

千鶴さんの左手が私の胸倉をつかんだ

「ちょっと!」

そのまま強引に引っ張り上げられる

立ち上がった拍子に

私の膝が

横に置かれていた小さな卓へぶつかった

がたん!

卓がひっくり返る

湯呑みが畳の上を転がり

さっきまで綺麗だった和菓子が無残に崩れた

「あっ!」

思わずそっちを見る

その瞬間

ぱしっ!

頬に鋭い衝撃が走った

「え……」

叩かれた?

一瞬

何をされたのか分からなかった

頬がじんじんと熱い

「高梨様には」
「少し痛い目にあっていただかなければ」
「ご理解いただけないようですね」

「はあ!?」

千鶴さんがもう一度右手を振り上げた

今度は見えている

ぱしっ!

私はその手首をつかんだ

千鶴さんの目がわずかに見開かれる

私は千鶴さんの手首をつかんだまま睨んだ

「黙って叩かれると思った?」

「お離しください」

千鶴さんはまだ私の胸倉をつかんでいる

「そっちが先でしょ」
「離しなさいよ」

「いいですよ」

次の瞬間

千鶴さんが胸倉をつかんでいた手を離した

同時に私につかまれていた右腕をひねる

するりと私の手から抜けた

「っ!」

そのまま一歩踏み込んでくる

今度は平手じゃない

顔へ向かって

真っ直ぐ掌底を突き出してきた

ばしっ!

私はそれを腕で払い落とした

千鶴さんの目が

また少しだけ見開かれる

「高梨様」
「あなたは……」

「いい加減にしなさいよ」

次の瞬間

千鶴さんがもう一度踏み込んできた

速い

でも

お父さんより遅い

私は半歩横へずれた

千鶴さんの掌底が私の頬すれすれを抜ける

その懐へ入る

腰を落として千鶴さんの胸元へ

掌底を打ち込んだ

ドンッ!

「っ!」

千鶴さんの体が後ろへ吹き飛んだ

それでも千鶴さんは倒れなかった

胸元を押さえながら

畳を滑るように後ろへ下がり

両足で踏みとどまる

やっぱり

この子も何かやってる

私は両拳を握った

その時

お父さんの声が頭の中に蘇った

『高梨家の家訓』
『喧嘩はするな』
『だけど』
『家族を守る時は』
『絶対に……』
『退くな!』

家族――

お父さんや弟たちの顔が浮かぶ

その中に

なぜか伊織くんの顔もあった

私は千鶴さんを真っ直ぐに見た

「伊織くんは」

「高梨家の七人目の男よ」

千鶴さんが目を見開く

「高梨家の男はね……」
「私が面倒を見てるの」
「あんたみたいに」
「伊織くんの気持ちを無視する性悪女は」
「私が認めません!」

私は両拳を腰へ引き

静かに構えた

千鶴さんを真っ直ぐに睨む

「高梨剛志が長女! 美緒!」

「この立ち合い」

「受けたわ!!」



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