「女は馬鹿」と言った婚約者の観察日記を答え合わせしたら、正解が全部「お前が好きだ」でした
『7歳。わたくしの婚約者は、顔合わせでこう仰いました。「女は男よりも馬鹿ってことだ!」』

ニーア・ファミリアン伯爵令嬢の観察日記は、この一行から始まっている。

婚約者の名は、デアトロ・ギルジストン伯爵子息。両家の領地の境を流れる川には橋が架かっていて、その修繕費と通行税で曽祖父の代から揉め続けている。それを終わらせるための政略の婚約だと、ニーアは7歳にして正しく理解していた。

避けられない婚約ならば、この人と幸せになる未来を考えるべきだ。そのためには、まず未来の旦那様を知らなければならない。知らなければ、お支えすることも出来ないのだから。

以来11年、婚約者の生態観察は続き、日記は14冊目に入っている。



卒業を3ヶ月後に控えた、月に一度の婚約者の茶会。

紅茶が冷めていくのにも気づかないまま、二人は同時に顔を上げた。

「ニーア、」
「デアトロ様、」

声が重なった。

「⋯⋯⋯⋯お先にどうぞ、デアトロ様」

「いや、お前から言え」

「では」

ニーアは膝の上で指を揃えて、真っ直ぐにデアトロを見た。

「わたくし、デアトロ様のことを、もっと知りたいのです」

デアトロは、持ち上げかけたティーカップを受け皿に戻した。

「⋯⋯⋯⋯俺も今、それを言おうとしていた」

「まあ」

この日最初の「まあ」は、いつも通りの声量だった。

「お前が何を考えているのか、ずっと知りたかった」

ニーアは、ぱちりと一度だけ瞬きをした。

「わたくしもです。7歳のあの日から、婚約者様のことを知らなければ、お支えすることも出来ないと思っておりますわ。ですから、ずっと貴方を拝見しておりました」

デアトロの頬がじわりと赤くなった。

嫁ぐ前に、11年分の観察記録とご本人のお答えを突き合わせておきたい。それが、妻としてお支えする最初の一歩になるはずだ。

「では早速、11年分の答え合わせを致しましょう」

「⋯⋯⋯⋯へっ?」

11年前、薔薇の庭園で聞いたのとまったく同じ返事だった。ニーアは構わず脳内メモを開いた。推理の横には、正解欄を一つずつ空けてある。

「まず、7歳の顔合わせの日。『女は男よりも馬鹿』と仰ったのは、将来のご自分の可能性を捨てねばならない苛立ちから、でしたわね?」

「っ違う!」

即答だった。デアトロは背筋を伸ばした。

「あ、いや⋯⋯本当は、俺がお前を誰よりも幸せにする、と言いたかった。余計な一言をつけて台無しにした。⋯⋯⋯⋯あの時は、すまなかった」

ニーアはあの日を思い出した。『馬鹿ってことだ』の後にも、彼はまだ何か言っていた。分かったつもりになって、その続きを聞かなかったのは自分の方だ。

あの日のニーアは、この人と幸せになる未来を考えようと決めた。同じ日に、同じ7歳の婚約者は『誰よりも幸せにする』と決意していたのだ。

「⋯⋯⋯⋯まあ」

ニーアの目が、ほんの少しだけ丸くなった。

「謝っていただくことなど、ございませんわ。あの日のお言葉のおかげで、わたくし、11年間ちっとも退屈しませんでしたもの」

褒められたのかどうか分からない顔で、デアトロが頬を掻いた。

「次に、初対面で一度も目を合わせてくださらなかった件ですが。政略の縁談ですもの、乗り気でなくて当然ですわ。ですから、全身でそう表明なさっていたのだと」

「見たら死ぬと思った」

「⋯⋯まさかご持病が?」

「ない。ないが、2度目に薔薇の庭園でお前を見た時は、不整脈を起こした」

「⋯⋯⋯⋯まあ」

今度の「まあ」は、さっきより少しだけ小さかった。観察記録のどこにも、不整脈の記述はない。

「では、そのお誘いのお手紙。あれは『婚約者へのお誘い第7巻』24ページ目の、”初めてのお誘い~無難編~”の文言でしたわね」

「なぜ知っている!?」

デアトロが椅子ごと後ろへ下がった。

「兄の部屋で読みましたの。4歳の時に」

「4歳!?」

「ベッドの下にございましたので、箒を伸ばして」

「そういう話じゃない!」

「無難編でしたので、婚約者の務めを無難に済ませたかったのだと思っておりましたわ」

「⋯⋯一週間、書き直したんだ」

デアトロは額を押さえた。

「何通書いても、ニーアに嫌われる気しかしなかった。本の通りにすれば、少なくとも失敗はしないだろうと⋯⋯第7巻が、王都で一番売れていたんだ」

「⋯⋯⋯⋯まぁ」

「薔薇の庭園では、わたくしのドレスに『それ、良いのではないか?』と。あれは、生地の丈夫さへのご評価で」

「似合ってた」

「『光ってるな』は、日差しの強さのご報告」

「陽に透けた髪が、綺麗だったんだ」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ま」

「あ」がどこかへ行ってしまった。

ニーアはティーカップを持ち上げて、飲まずに戻し、脳内メモの頁を急いでめくった。

「と、図書館へのお誘いは。わたくしとしては本棚とはその人の頭の中身を露呈する物と思っておりまして、わたくしが見るべきではないと思いましたの。ほら、そういうお年頃の」

「デ、デートがしたかった」

「貴族院の送り迎えは」

「お前と一緒にいたかった」

「休み時間のたびに、わたくしの教室の殿方を睨んでいらしたのは、その、やんちゃな方面への」

「お前に近づく男が、嫌だっただけだっ。というか、そういう細かい所に気づくのに何故そうなる!?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

とうとう「ま」も出なかった。

答え合わせは、全問不正解だった。11年分、見事に一つも当たっていない。呆然と見つめるしかないニーアの前で、デアトロが堪えきれずに吹き出した。

「ニーア、本当に何一つ当たってないな」

「デアトロ様こそ、一度も仰ってくださらなかったではありませんか」

「言ったぞ。言い方が悪かっただけで」

「それは、言っていないのと同じですわ」

デアトロはぐっと詰まった。それから笑うのをやめて、真っ直ぐにニーアを見た。

「⋯⋯なら、ちゃんと言う。お前が好きだ。7歳の時から、ずっとだ」

ニーアは脳内メモの正解欄に目を落とした。

幸せにしたかった。見たら死ぬ。嫌われたくなかった。似合っていた。髪が綺麗だった。デートがしたかった。一緒にいたかった。近づく男が嫌だった。

11年分の正解は、言い方が違うだけで、全部「お前が好きだ」だった。

ニーアはティーカップを持ち上げて、口をつけないまま受け皿に戻した。



✤デアトロside



ニーアがまたカップを持ち上げて、飲まずに戻した。これで3度目だ。

11年、俺はこの婚約者の考えを一度も読めたことがない。だが、今のは分かる。俺の答えは、たぶん届いた。

だったら、今度は俺の番だ。

「ニーア、俺にも答え合わせをさせてくれ。お前の言うことは、11年間ずっと意味不明だった」

「存じております。毎回、そう仰っていましたもの」

「『そっちもそっちで、数年後には髪を毟りたくなる程込み上げて来ますわよ』。あれは、俺の髪が将来薄くなるという予言だろう。おかげでこの3年、毎晩欠かさず頭皮を揉んでいる」

騎士科の兜は、とにかく蒸れるのだ。

「⋯⋯⋯⋯良いご習慣だと思いますわ」

「違うのか」

「数年後に恥ずかしさが込み上げてくる、という意味ですわ。殿方を睨んで回るのは、やんちゃな方面へのご転向かと思いましたので」

「だから、あれは君が他の男に取られるのが嫌でっ」

俺は咳払いをして、最初までさかのぼった。

「そもそも薔薇の庭園で、お前は言った。『妄想だけに留めておかれるのが、デアトロ様にとって布団から出てこれなくなる事態を食い止められる唯一だと思いますわ』。あれは、あの日の失言は許さない、という意味だろう」

ニーアが、ぱちりと瞬いた。

「許す、とは?」

「怒っていたんじゃないのか」

「いいえ。後から恥ずかしくなって、デアトロ様がお布団から出てこられなくなったら、お気の毒だと思いまして」

7歳の俺は、7歳のニーアに引きこもりの可能性を心配されていたらしい。許すも何も、最初から怒ってなどいなかったのだ。

「なら、『是非とも寮にお入り下さいませ』は。俺と一緒に通うのが嫌で、遠回しに断られたんだと思っていた」

あの晩は悔しくて、剣の素振りを千回した。おかげで俺は、騎士科で上級生にも勝てていたのだ。

「黒歴史を分かち合うお仲間を、と申し上げましたの」

「⋯⋯⋯⋯」

心当たりしかない。寮の同室の奴とは、入寮したての頃に互いが披露した痛い話を、二人ともなかったことにしてふわっと避けて通っている。

「図書館の時もだ。『お一人で。人払いをして。こっそりと。夜中に読むのが最善だと思います』。あれは、密談の作法を教えてくれたんだと思っていた」

おかげで大事な書状は、今でも夜中に人払いをしてから読んでいる。騎士科の課題もだ。

「人に見られたくない本は、夜中にお一人で読むものですわ」

「俺の本棚に、見られて困る本などない」

「第7巻は」

「⋯⋯⋯⋯」

あった。

ニーアの推理は一つも当たらないくせに、予言と俺の本棚の中身だけは、やけに当たる。

「最後に、これだけはどうしても分からなかった。『あの男性はきっと、第2巻を熟読しておりますわ』」

ニーアの動きがぴたりと止まった。

「⋯⋯なぜ、それを。わたくしがそれを口にしたのは、一度きりですわ。デアトロ様とお会いする前、侍女と街に出た時に。焼き菓子の屋台でお菓子を買っていた殿方のお誘い文句が、第2巻のそれそのままでしたので」

「あ⋯⋯、ンンッ!とにかく騎士物語か何かの第2巻だと思っていた。おかげで、王都の本屋にある第2巻はほとんど読んだ」

「『婚約者へのお誘い』の第2巻ですわ。”屋台でのお誘い~さりげなく編~”」

「またそれか!」

第7巻しか持っていない俺に、分かるわけがなかった。

「そうではなくて、デアトロ様。なぜ、あの屋台でのことをご存じなのです」

薄緑の瞳が、真っ直ぐに俺を見ている。11年前は、この目を見たら死ぬと思った。今も少し思う。

「⋯⋯見てたんだ。母上と街を歩いていて、屋台の前のお前を見つけた。焼き菓子も食べないで、隣の二人をじっと見ていた。何を言っているのかは分からなかったが、声まで可愛かった。それで、縁談は俺から頼んだ」

ニーアの目がまん丸になった。

「⋯⋯⋯⋯わたくしたちの婚約は、橋の通行税を終わらせるための、政略では」

「橋?」

そういえば、そんな話もあった気がする。7歳の俺の頭には、橋が入る隙間などなかった。

「つまり俺も、全問不正解だな」

「わたくしなど、前提から外しておりましたわ」

「お互い様だ」

「ええ。お互い様、ですわね」

ニーアが笑った。口元を押さえて、肩を震わせて、声を立てて笑っている。つられて俺も吹き出した。

意味は一つも分からなかったが、ニーアの隣で退屈した日は、11年で一日もない。

ひとしきり笑ってから、俺は少しだけ真面目な顔になった。

「じゃあ、最後の一問だ。お前は、どうして11年も、あー⋯⋯、そこまで俺のことを気にかけてくれたんだ」

「婚約者様を知らなければ、お支え出来ませんもの」

淀みのない、いつもの答えだった。

「それは、婚約者だからか?」

ニーアは答えようとして、口を開いたまま止まった。

白い頬に、じわじわと赤みがのぼっていく。表情は少しも変わらないのに、赤みだけが耳の先まで広がった。

11年見てきて、こんな顔は初めてだ。

「⋯⋯⋯⋯その問いの答えは、少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「いくらでも待つ」

俺は、笑った。

「俺たち、これからずっと一緒なんだろう。答え合わせなら、いくらでも付き合う」

ニーアは小さく頷いて、それきり、しばらく顔を上げなかった。



✤



その夜、女子寮の一室でニーアは観察日記の1冊目を開いた。

『7歳。わたくしの婚約者は、顔合わせでこう仰いました。「女は男よりも馬鹿ってことだ!」』

ここから14冊分、11年分の推理は、今日一つ残らず外れた。

残っているのは、最後の一問だけだ。

『婚約者だから』と答えるつもりだった。けれど実兄の観察記録は、3頁で終わっている。仮面の裏が分かった時点で、見続ける理由がなくなったからだ。婚約者の生態を知るだけなら、デアトロの記録も1冊あれば足りたはずだった。

ニーアは頁をめくった。

『本日のデアトロ様。寝癖あり。お可愛らしい』
『貴族院に入学。デアトロ様、また背が伸びる。見上げると首が疲れる。悪くない』
『騎士科の模擬戦にて、上級生に勝利。格好良い』
『休み時間に4度来訪。教室の殿方を睨む。やんちゃ方面か。でも少し嬉しい』

観察記録に、所感は要らない。それなのに14冊のどの頁にも、書く必要のない一言が添えてあった。

いちばん多いのは『観察中、また笑ってしまいました。要反省』で、数えてみると214回あった。デアトロのいない場所では、一度も書いていない。

「まあ」

誰もいない部屋で、今日いちばん大きな「まあ」が出た。

ニーアは新しい頁を開き、少しだけ迷ってから、一行を書きつけた。

『18歳。答え合わせ、全問不正解。ただし、わたくしがデアトロ様を知りたかった理由だけは、ようやく分かりました』

観察日記は、この頁で終わりにする。これからは、分からないことは本人に聞けばいい。

それから便箋を一枚取り出した。『婚約者へのお誘い』は、勿論どの巻も開きはしない。



翌日の最初の休憩時間に、ニーアは初めて自分から階段を2階分下りた。

騎士科の教室がどよめいた。

「白薔薇の君だ」

「なんで騎士科に」

「ニ、ニーア!? どうした、俺に会いに来たのか♪」

「昨日の問いの答えですわ」

差し出した封筒を、デアトロは両手で受け取った。

「⋯⋯早くないか。少々って」

「少々、と申し上げましたわ。それから、お一人で。人払いをして。こっそりと。夜中に読むのが最善だと思います」

「⋯⋯わ、かった」

(今日は、語尾が上がりませんのね)

ニーアは踵を返した。頬が熱いのは、これから階段を2階分上るせいにしておいた。



夜になるのを待って、デアトロ・ギルジストンは言いつけ通り同室の友人を廊下へ追い出し、封を切った。

そして、布団の住人となった。

頭まで布団を被ったまま、朝まで出てこなかった。時折、扉越しに唸り声と髪を掻き毟る音が聞こえたと、廊下で一夜を明かした同室の友人は証言している。この夜の話も、二人でふわっと避けて通る話の一つに加わったそうだ。

7歳のニーアの予言は、11年越しに当たった。髪も黒歴史も、ついでに全部当たった。ただし理由だけは、今回も不正解だった。

便箋には、一行だけ、こう書いてあった。

『答え合わせの結果、わたくしの正解も、全部「デアトロ様が好き」でした』



FIN

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前作『「女は男よりも馬鹿」と言った婚約者を生態観察していたら、私への溺愛を拗らせていただけでした』は、作者ページ(シリーズ)からお読みいただけます。
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