モテ男とデキ女の奥手な恋
家に着くと、コートとジャケットをハンガーにかけ、橘にもハンガーを渡した。
家は1DK。背の高い机はないので、ダイニングには座卓とテレビだけがある。
あまり物を増やしたくないので、あとは奥の部屋にベッドと、室内干し用のハンガーラックくらいだ。殺風景だと言われることもある。
暖房を入れ、座卓の上にリモコンを置いた。橘からコートを受け取り、壁際にかける。
「テレビでも見てて」
「ありがと」
柔らかい絨毯の上に橘を座らせると、ネクタイを緩めてハンガーにかけ、エプロンを手にして肘下までシャツを捲った。片腕には例の擦り傷。こりゃ、しばらく仕事中に腕まくりはできないな。
思いながら台所に向かうと、橘に背を向ける形になる。
「とりあえずお茶入れるな」
言いながらやかんを火にかけ、フライパンをもう一方のコンロに乗せた。
戸棚から茶葉を出してポットにいれ、カップを二つ取り出す。引き出物でもらったシンプルな陶器の焼酎グラス。
ーーそういや、皿とか足りるかな。
全部引き出物での貰い物になりそうだと気づいて苦笑する。自分ひとりなら鍋で食べるくらいだ。皿などわざわざ買い足さない。
湯を沸かしている間に、具材を切った。湯が沸くと、少し冷ますためにコップに注ぐ。
やかんをどけたコンロに湯を張った小鍋を乗せて、火をつける。パスタだけでは物足りないのでオニオンスープでも作るつもりだ。
少し冷めた湯を茶葉の入ったポットへ。手間を簡略化しているが許してもらおう。
材料を切り終わる頃、ポットの茶がいい色になった。最初に注いだ湯の温もりを残したコップに注ぎ、卓上へ。
「テレビ見ねぇの?」
「うん……」
問うと、橘は目をさまよわせながらコップに手を添えた。
「ありがとう。いい匂い」
「うん。えーと……なんかあったかな」
冷蔵庫を開けると、年末に家を空ける前に作ったピクルスがあった。傷みやすい野菜で作っておいたものだ。少し器に盛り、つまようじを差して出す。
「食いながら待ってて」
橘はこくこく頷いた。
それを見てから、切った具材をフライパンと小鍋で調理する。フライパンにはトマト缶も入れて味をつけた。小鍋を一度コンロから下げ、大鍋でパスタを茹でてフライパンのソースと和える。これでまずは一品、トマトベースのシーフードパスタ。バジルもぱらりとかけて彩りに。粉チーズも冷蔵庫から出す。
小鍋をもう一度火にかけて、軽く温め直すとスープ皿に盛った。
「うわぁ」
卓上に並んだ料理に喜びの声をあげてから、橘は複雑な顔になった。
「……そんなにキノコまみれにしなくても」
俺はいたずらが成功した気分で笑った。
「だって、キノコ食いたいんだろ」
話のネタにもなるかと、あえてパスタにもスープにも入れたのだ。それも多めに。
「そうだけど」
橘は唇を尖らせる。俺はカトラリーを出そうとして、あ、と声をあげた。
「どうしたの?」
「でかいフォーク、一本しかねぇ。……箸で食うか」
橘にフォークを渡し、自分用に箸を出すと、橘はきょとんとした。
結構な間の後、困惑した顔になる。
「……どした?」
「いや、えっと……」
橘は並んだ料理と手元のフォークを見て、俯きがちに言った。
「てっきり、何でも二人分揃ってるんだと思ってたから……」
焼酎カップに大きめの平皿、スープボウル。どれも柄のないシンプルなものだが、ペアのものばかり。そう思うのも頷けたが、今まで、彼女にも手料理を振る舞ったことなどない。
「引き出物で貰った皿ばっかりだよ。お前みたいにアレコレ取っておくたちじゃないからな」
冗談のつもりで言ったのだが、橘は引きつった笑顔を返し、無理矢理微笑んだのが分かった。
何となく気まずくなって、テーブル越しに向かい合った俺たちは、言葉少なに食事を進めた。橘は失礼のない程度に料理の腕前を褒めてくれたが、楽しそうな様子はなかった。
「ごちそうさま」
「お粗末さま」
橘がきちんと手を合わせる。膝を崩してもいいと言ったのに最後まで正座で通した。さすが茶道をやっているだけある、と思っていたのたが、
「うっ」
立ち上がろうとした橘は、膝立ちで凍りついた。
「……お?」
その様子を見て、にやりとする。
途端に橘が警戒した。テーブルの向かい側にいる橘にじりじりと近づこうとすると、ぶんぶん手を振る。
「来ないで!来ないでったら!」
「足が痺れたんだろ?」
「違っ、その悪そうな顔!来ないでよ、馬鹿!あっ」
手を振り回しすぎてふらついた橘を胸に受け止める。
橘の結ばれていない髪の香りがふわりと漂った。
思わず、静かにその髪をすき、額に口づける。
橘が真っ赤になったのが分かる。ーーその隙に。
「うりゃ」
俺が横から足のつま先をつつくと、橘の悲鳴が上がった。ケラケラ笑う俺にしがみついた橘は、涙目になりながら俺を睨みつける。
「このっ……か、んざきの癖に!」
「俺の癖に、何だよ」
笑いながらまた橘の髪を撫でる。その声が、いつもより穏やかな響きを持つことに、自分でも気づいた。
橘は顔を赤くしたまま、泣きそうに歪めた。
「……やだ」
俺の胸を力無く突き放す。
「もう、無理。やだ。……やめて」
消え入りそうな声は、言葉と違う何かを訴えていた。
俺はその顔を静かに見つめる。橘は俺の目をちらりと見て、すぐ俯いた。
一呼吸置いて、もう一度、今度は丁寧に橘を抱きしめる。
橘は、抵抗しない。
「……俺、九州に行くことになった」
橘の身体が少し硬くなった。
「いつから」
「なるべく早く、だそうだ」
「……いつまで」
「行ってみないと分からない」
橘が腕の中で、静かに深呼吸するのを感じる。
「そっか。行ってらっしゃい」
俯いたまま、声だけは明るく、橘が言った。
「橘」
「なに」
「帰ってきたら」
言いかけて、言葉に迷った。
「……また夕飯作ってやるよ」
腕の中の橘が笑う。
「うん。楽しみにしてる」
ようやく上げた顔は、最近よく見るリラックスした笑顔だった。
俺も何となくほっとして、その頬を撫でる。
橘が俺の背中に手を回して、また胸に頬を埋めた。
「……コーヒーは?」
「これじゃ入れられねぇだろ」
俺が頭をこつんとたたくと、橘は笑って腕を解いた。