モテ男とデキ女の奥手な恋
「さて、帰るか」
 コーヒーを飲み終わって一つ伸びをすると、俺は立ち上がった。
「……帰るの?」
 橘が残りわずかなコーヒーに口をつけながら上目遣いに俺を見てくる。
 この顔、無自覚にやってんだろうな。
 思いながら、俺はベッド横に置いたワイシャツと壁にかけたスーツを手に取った。
「ウィスキー3杯分の仕事はしただろ」
 肩をすくめ、冗談めかして言うと、橘は少し寂しそうに笑った。
「……そうね。モトは取ったわ」
 俺はその顔を見たことを内心後悔しながら、黙って橘に背を向け、スウェットを脱いだ。
 一瞬迷ってから、そのままワイシャツに腕を通す。
 どうせ家までの数十分の間だけだ。
 そう自分に言い聞かせる。
 ネクタイを緩く結び、ジャケットを羽織る。スラックスに履き替え、ベージュのトレンチコートを着ると、黒いビジネスバッグを手にした。
 玄関先に向かうと、座って紐靴を履き、立ち上がる。
「じゃあ、また会社で」
 あえて目を見ないまま背を向けたとき、橘が呼び止めた。
「神崎」
 面倒くさそうに振り返る。
「また……ウィスキーおごってもいいかな」
 俯くその顔には、照れも期待も浮かんではいなかった。
 困惑。不思議な高揚と戸惑い。
 それが、自分自身の気持ちを鏡写ししているようで、俺はますます仏頂面になった。
「……さあ。どうかな」
 言い捨てるようにして、橘の部屋を後にした。

 外に出ると、一気に冷気が身体を包んだ。肌に直接触れたワイシャツが肌に冷たい。思わずコートをかき抱いた。
「さっむ……」
 呟いて、コートの襟を立てる。
 俯いた橘の顔を思い出した。化粧がとれて、いつもより気弱そうな眉、繊細なまつげ、そして複雑な表情。
 控えめに言って、後味が悪い。
 俺は舌打ちを噛み殺して、足早に駅へ向かった。
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