モテ男とデキ女の奥手な恋

 人事課からは、江原さん宛てにかかってきたという電話以降、特段何の連絡もない。
 連絡がないということは予定通り本社に戻るつもりでいていいのかと思いつつその準備を進めているとき、かかってきた電話は名取さんからだった。
『マーシー、久しぶりやねぇ。なんや、おもろい噂が立っとるけど』
「おかげさまで。とりあえずセクハラ受けたのは俺の方だって話、人事にしていいっすか」
『あらぁ。何のことやろ。ヨーコわからへん』
 名取さんは白々しく言ってから、
『一応教えておこう思て。会計課の八木ちゃん、あの噂以降狙ってはるで』
「狙ってるって……?」
『そりゃ、うちの妹の話や』
 俺は眉を寄せた。
「噂以降って……なんで」
『年明け以降、一気に雰囲気変わったからなぁ。案外男に染まりやすいタイプと思われたかもしれへん』
 橘が、フリフリやふわふわのついていないシンプルな服を選ぶようになってきているのは、何となく察していた。が、二月末以降会っていないので、今の彼女がどんな風なのかは分からない。
「はあ……」
 曖昧に頷くと、名取さんはやれやれと嘆息した。
『誰がどうアタックしようと勝手やと思ったやろ。あのなぁ、なんでうちがわざわざこんなことで電話したと思うん?』
「えーと、なんででしょう」
『これは、うちの勘やけど』
 名取さんは声をひそめ、
『あの手のタイプは、気をつけた方がええで。何するか分からん』
 俺の背を悪寒のようなものが走った。瞼の裏に浮かんだのは、膝を抱えて震えるヒカルの姿ーーそれに橘の姿を重ねかけて、慌てて頭を振った。
「それ、本人には」
『言うても、笑って聞かへんねん。わかるやろ』
 まあ、そうだよな、やっぱり。
 俺は深々と嘆息した。次から次に気掛かりが増えて飽和状態だ。
「分かりました。とりあえず、そっちに戻るまでは気をつけるようにします。ありがとうございます」
『うちもできることはするさかい。男にどうこうされるやなんてーーアーヤには、不要な経験や』
 後半は小さい呟きだったが、本心が篭っていた。
「誰にとっても、不要ですよ。そんな経験は」
 川田と会ったときに噛み締めた奥歯の感触が不意に蘇り、苦々しい唾を飲み込む。一瞬の後、名取さんがふっと笑った。
『やっぱり、天然タラシやね。マーシーは』
 名取さんの言葉に首を傾げると、名取さんは笑って言った。
『当たり前みたいにそう言うてくれる人に、せめて十年前に会えてたらなぁ。うちも違ったかもしれへんわ』
 声音には、自嘲と安堵と、寂寥が感じられた。
 名取さんは言うだけ言って、ほな、と一方的に電話を切った。
 通信を終了した後の無機質な電子音を聞きながら、ふとよぎったのはうずくまる少女の姿だった。まだあどけない少女の頃の名取さんーー
 これ以上気掛かりを増やすまいと、一瞬浮かんだそれを振り払うように頭を振って受話器を置いた。
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