放課後、彼方アーカイブ~School Memory~

第1話

まだ静けさが残る早朝。いつも通り目が覚める。
今の時刻はきっと、5時29分…… もうすぐセットしていたアラームが鳴る頃だろう。俺は静かに再び目を瞑った。

(――三、二、一)

ゼロ。

『ピピッ』

音が鳴り響く前にスマートフォンに手を伸ばして音を止める。まだ隣の部屋で今頃すやすやと眠っているかれんを起こすわけにはいかない。

「……よし」

小さく息を吐き、布団から出て伸びをする。それから、すっかり着慣れた制服に腕を通す。

隣の部屋に響かないよう静かにドアを開け、足音を立てずに階段を下りてリビングへ向う。

薄暗くまだ誰もいないリビングにパチッと電気をつける。

「父さん、おはよう」

いつもと変わらない棚の上、変わらぬ笑顔を浮かべる父の写真に声をかけた。

(家族は俺が守るから……)

これは決意表明。あの日逃げ出した俺を忘れないための想い。
心の中でそう呟いて息を整えると、視線をキッチンへと向けた。
壁にかかった見慣れたエプロンを手にとり、首に通して背中で紐を結ぶ。胸元にある少しぶっきらぼうな顔をした猫のアップリケを見て少し微笑んだ。

『頑張ったんだよ!』っと少しドヤ顔をしながら渡してくれたかれんからの誕生日プレゼント、俺に似ている"らしい”この猫はかれんが一人で頑張ってアイロンで付けてくれたみたいだ。

自然と緩んだ口元のまま、手際よく二人分の目玉焼き、味噌汁、サラダを作っていく。

朝練のある俺には、二人と一緒にテーブルを囲む時間はない。自分の分は調理の合間に手早く口へ放り込み、腹に流し込んだ。

母さんとかれんの分を綺麗にテーブルへ並べ終える頃には、ちょうどいい時間になっていた。

「お兄ちゃん、おはよ……」

眠たげに目を擦りながら、リビングのドアを開けて入ってきたのは妹のかれんだ。

「おはよ、1人で起きれてえらいな」

そう声を返し、まだ寝ぼけているかれんの頭をぽんぽんと優しく撫でれば、彼女は幼く頬を膨らませて抗議してくる。

「私、もうお姉さんだもん!」

「はいはい。ほら、目玉焼きかれんの好み通り半熟にしたぞ」

さっきまで頬を膨らませていたかれんは、『目玉焼き』と『半熟』という言葉を聞いた瞬間、パァ~ッと効果音がつきそうな満面の笑顔になった。トコトコと小走りで俺の横を通り過ぎ、テーブルの方へと向かっていく。

「お兄ちゃんが作る目玉焼き、大好き!」

無邪気に笑ってみせる妹が可愛くて仕方がない。けれど、壁の時計を見上げると、そろそろ出かける時間だった。

「あ、そろそろ朝練に行かねぇと」

「お兄ちゃん、もう行っちゃうの?」

「あぁ」と短く返事をし、少し急ぎ足で通学カバンと弓道の道具一式を抱えて玄関へと向かう。

「そろそろ母さんも起きる頃だから、ちゃんと残さず食べろよ」

「うん! いってらっしゃい!」

かれんの元気な見送りの声に「行ってきます」と背中で応え、俺は朝の澄んだ空気で満たされた家をあとにした。

まだ静まり返った弓道場。

一歩足を踏み入れると、ひんやりとした朝の空気が頬を撫でる。ここから外に出ればすぐに生徒たちの賑やかな声が聞こえてくるだろうが、今のこの空間は不思議なほど静かだった。

明日の朝練は自由参加そう昨日言われたものの、俺は変わらず練習をする。
誰もいない射場。
ただ目の前の的へ真っ直ぐ矢を向ける。集中する為に呼吸を整え、完璧な角度、力加減、迷いのない弓を引く。

あの日見たあの人の背中も、あの人の真っ直ぐな目も、ど真ん中を射抜いたあの瞬間の音も、昨日のことのように離れない。

『パンッ!』

乾いた弦の音が響き、矢は迷いなく的の中心を穿った。

「今日も完璧ね」

隣から穏やかな声がした。

「おはようございます……篠原先輩」

「えぇ、おはよう」

篠原琴羽先輩、弓道部部長であり生徒会副会長である先輩は俺とは違いしなやかで品のある、でも力強い芯のある矢を射る人だ。

「相変わらず自由参加だとあなたしか練習に来ないわね」

少し落ち込んだように声を出す先輩に、俺は矢を番えながら返す。

「俺は静かに練習ができていいですけどね」

「相変わらずの返答ね」

少し呆れたようにため息を付いた先輩。周りなんて関係ない、ただ弓道が出来るだけでいい。

「そういえば、今日あなたのクラスに転校生が来るそうよ」

「そうなんですね」

「たまには人に興味を持ちなさいよ、いつも無関心じゃ風通りが悪いわよ」

そう少し呆れ笑いをしながら隣で弓を引く先輩を横目でちらりと一瞬だけ見て、また目の前の的へと目をやった。

「風が吹いても、的は動かないですよ」

「ほんとうに……そういうところよ」

「的は動かなくても、人は動くものよ」

その言葉にも、俺はなにも応えなかった。
ただ矢を放ち、また一本、また一本と同じ動作を繰り返す。

ふと、外の風が吹き抜けた。
開け放たれた道場の端から、桜の花びらがひとひら舞い込んだ。
それは蓮の足元に落ち、淡く光を反射する。

「……本当に、風通しが悪いわね」

琴羽がぼそりとつぶやく。
けれどその声も、蓮の耳には届かない。

弦が鳴り、矢が放たれる。
その瞬間、また風が吹いく。
花びらがひとつ、空へ舞い上がった。





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