また君と出会いたい
君との出会い
「行ってきます!」
元気よく玄関から飛び出したのは、
半澤琴音。今年入学したばかりの高校1年生だ。
黒髪にボブヘアでどこか初々しさが残っている。
琴音が歩いていると見覚えのある背中が見えてきた。
「美紅っおはよおぉ~!」
目の前を歩いていた黒髪ロングの子に声をかけた。
びっくりした表情でこちらを見つめていたのは、
幼稚園からの幼馴染、須藤美紅だ。
「今日も暑いね~。」
と談笑しながらいつもの道を歩いていると
あっという間に学校の玄関まで着いてしまった。
1年生なのに私達の教室はなんと、三階にあるのだ。
やっと三階までたどり着いた琴音は、息を整えながら教室の前まで歩いていった。
「朝から疲れたぁ……」
「琴音、体力なさすぎでしょ」
美紅が笑いながら教室の扉を開ける。
すると――
「……あ」
教室の中に、見慣れない男の子が立っていた。
黒髪で、少し長めの前髪。
窓から差し込む朝日に照らされて、その横顔が妙に綺麗に見えた。
「誰だろ……?」
琴音が小さな声で呟くと、その男の子がこちらを振り向いた。
「……おはよう」
「えっ、あ……お、おはよう!」
なぜか緊張して、声が裏返ってしまった。
「ふふっ」
「……笑った?」
「いや、別に」
そう言って、男の子は窓の外へ視線を戻した。
その瞬間、琴音の胸がほんの少しだけ高鳴った。
――この人、誰なんだろう。
ただそれだけだった。
このときの私はまだ知らなかった。
この出会いが、私の高校生活を大きく変えることになるなんて。
『君との出会い』
やっと上り終えた階段の先には、見慣れた廊下が広がっていた。
「やっぱり三階きつい……」
「まだ高校始まったばっかりだよ?」
美紅が笑いながら教室の扉を開ける。
「おはよー!」
美紅に続いて教室へ入ろうとした、そのときだった。
教室の窓際に、一人の男の子が立っていた。
黒髪で、少し長めの前髪。
窓の外を眺めながら、静かに立っている。
「……誰?」
琴音が小さく呟く。
すると、その男の子がこちらを振り返った。
目が合った。
その瞬間――
琴音の胸が、ドクンと大きく鳴った。
「……え?」
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
どこかで会ったことがある気がする。
男の子も、琴音をじっと見つめている。
そして、少しだけ目を見開いた。
「……琴音?」
「……え?」
自分の名前を呼ばれて、琴音は固まった。
「なんで……私の名前……」
男の子は少し困ったように笑った。
「やっぱり、琴音だ」
「え……?」
「俺のこと、覚えてない?」
琴音は必死に記憶を探した。
幼稚園。
小学校。
近所の公園。
昔の友達。
でも、目の前の男の子と結びつく記憶はなかった。
「……ごめん。分からない」
そう答えると、男の子は少し寂しそうな顔をした。
「そっか……」
「えっと……どこで会ったの?」
「小さい頃」
「小さい頃?」
「うん。たぶん琴音は覚えてないと思う」
その言葉を聞いた瞬間。
琴音の頭の中に、突然ひとつの光景が浮かんだ。
――雨の日。
――公園。
――泣いている男の子。
そして、自分が誰かに傘を差し出している。
『大丈夫?』
『……うん』
『じゃあ、一緒に帰ろう?』
そこまで思い出した瞬間、琴音は目を見開いた。
「……もしかして」
男の子を見る。
「昔、公園にいた……?」
男の子は驚いたように笑った。
「やっと思い出した?」
「嘘……」
琴音の記憶の中に、ぼんやりと残っていた男の子。
名前さえ思い出せなかった。
けれど、あの日からずっと心の片隅に残っていた。
「……君だったの?」
「うん」
男の子は笑った。
「久しぶり、琴音」
その笑顔を見た瞬間。
昔の記憶と、今目の前にいる彼が重なった。
胸がまた、大きく鳴った。
「……名前、なんだっけ?」
「ひどいな」
彼は少し笑ってから、自分の名前を告げた。
「悠真。高橋悠真」
その名前を聞いた瞬間。
琴音はなぜか、胸が熱くなった。
――悠真。
その名前を、私はこれから何度呼ぶことになるんだろう。
そして、このときの私はまだ知らなかった。
昔の「出会い」が、もう一度始まろうとしていることを。
「今度は、ちゃんと覚えててよ」
悠真はそう言って笑った。
「う、うん……」
なんだろう。
昔に一度会っただけなのに、どうしてこんなに胸がドキドキするんだろう。
「琴音、顔赤くない?」
隣から美紅が覗き込んできた。
「えっ!? 赤くないし!」
「ふーん?」
美紅はニヤニヤしながら悠真を見る。
「もしかして、昔の知り合い?」
「うん。小さい頃にちょっとだけ」
「へぇ~」
美紅が楽しそうに笑う。
「じゃあ、運命の再会ってやつ?」
「ち、違うから!」
思わず大きな声が出てしまった。
その声に、悠真が振り返る。
「……運命?」
「なんでもない!」
恥ずかしくなって、私は慌てて席についた。
すると――
「琴音」
「なに?」
「俺、後ろの席なんだ」
「え?」
振り返ってみると、悠真の机が私のすぐ後ろにあった。
「今日からよろしく」
そう言って悠真が笑った。
「……よろしく」
私は小さく返事をした。
だけど、その瞬間からだった。
授業中、後ろから聞こえる悠真の声。
休み時間に話しかけてくる悠真。
廊下ですれ違うたびに向けられる笑顔。
その全部が、少しずつ私の心に残っていった。
***
放課後。
美紅と一緒に帰ろうと教室を出たとき、後ろから声がした。
「琴音!」
振り返る。
そこには悠真が立っていた。
「どうしたの?」
「これ……」
悠真が差し出したのは、一枚の小さな写真だった。
「……写真?」
受け取って見てみる。
そこに写っていたのは――
小さな頃の私と、もう一人の男の子。
公園のベンチに並んで座っている。
「これ……私?」
「うん」
「じゃあ、この隣にいるのって……」
「俺」
思わず写真を見つめた。
「なんで持ってるの?」
悠真は少し照れたように目を逸らした。
「ずっと持ってた」
「……ずっと?」
「うん。琴音と別れてからも」
胸が、またドクンと鳴った。
「どうして……?」
私が聞くと、悠真は少し黙った。
そして――
「また会いたいって、ずっと思ってたから」
その言葉を聞いた瞬間、顔が熱くなった。
「……え」
悠真は私を見つめる。
「だから、今日会ったとき……すぐ分かった」
「私だって?」
「うん」
「……私は全然分からなかったのに」
「まあ、仕方ないよ」
悠真は笑った。
「でも――」
一歩、私に近づく。
「今度は、忘れないでね」
その瞬間。
昔の雨の日の記憶が、鮮明に蘇った。
『また会えるかな?』
『うん。また会おう』
あの日、幼い私たちはそんな約束をしていた。
そして今――
何年も経って、その約束が叶った。
私はまだ知らなかった。
この再会が、ただの偶然じゃなかったことを。
そして――
悠真が私に会うために、この高校を選んだことを。
「この高校を選んだ理由……?」
私が聞き返すと、悠真は少しだけ黙った。
夕方の廊下には、私たち以外ほとんど人がいない。
窓から差し込むオレンジ色の光が、悠真の横顔を照らしていた。
「……琴音に会いたかったから」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「だって、ずっと探してたから」
「私を……?」
悠真は小さく頷いた。
「小学生の頃、引っ越しただろ?」
「うん……」
「そのあと、琴音と連絡が取れなくなって」
悠真は少し寂しそうに笑った。
「でも、あの日のことだけはずっと覚えてた」
「……あの日?」
「雨の日に、琴音が傘を貸してくれた日」
私は手の中の写真を見つめた。
「私、そんなことまで覚えてなかった……」
「俺にとっては、大事な日だったから」
「どうして?」
悠真は少し迷ってから、私を見る。
「俺、あの日……泣いてたんだ」
「え?」
「家に帰りたくなくて、公園にいた」
「……」
「そんな俺に、琴音が声をかけてくれた」
悠真は笑った。
「『一緒に帰ろう』って」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなった。
「だから俺も、いつか琴音に言いたかった」
「何を?」
悠真は少し照れながら――
「今度は俺が、琴音を守るって」
「……っ」
顔が一気に熱くなる。
何も言えなくなった私を見て、悠真は少し笑った。
「ごめん。急にこんなこと言われても困るよな」
「……ううん」
私は首を横に振った。
「嫌じゃない」
「……ほんと?」
「うん」
すると悠真は、ほっとしたように笑った。
その笑顔を見ていると、私まで自然と笑ってしまった。
――そのとき。
「琴音ー!」
廊下の向こうから美紅の声が聞こえてきた。
「帰らないの?」
「あ、うん! 今行く!」
慌てて走り出そうとした、その瞬間。
「琴音」
悠真に呼び止められた。
「明日、一緒に学校行かない?」
「……え?」
「昔は一緒に帰ったから」
悠真は少し照れながら言った。
「今度は、一緒に学校に行きたい」
心臓が大きく跳ねる。
「……うん」
私は小さく頷いた。
「じゃあ、明日の朝ね」
「約束」
悠真はそう言って、小指を差し出した。
私は一瞬迷ったあと、自分の小指を絡める。
「……約束」
その瞬間――
昔の記憶が、またひとつ蘇った。
『また会おうね』
『約束だよ』
幼い頃の私たちも、こうやって指切りをしていた。
そして今。
何年もの時間を越えて、私たちはもう一度約束をした。
でも――
このときの私は知らなかった。
明日、悠真と一緒に登校したことで、クラス中にある噂が広がることを。
そして、その噂がきっかけで――
私たちの関係が、大きく変わっていくことを。
次の日の朝。
目覚ましが鳴るより少し早く、私は目を覚ました。
「……今日、悠真と一緒に学校行くんだ」
昨日のことを思い出した瞬間、胸がドキッとする。
私は急いで支度をして、家を出た。
待ち合わせ場所の公園に着くと、悠真はもう来ていた。
「おはよう、琴音」
「お、おはよう……」
「なんか緊張してる?」
「してない!」
思わずムキになって答えると、悠真が笑った。
「そっか」
「……何?」
「いや、昔と変わらないなって思って」
「昔?」
「うん。昔もすぐムキになってた」
「もう……!」
私は頬を膨らませた。
すると悠真が、ふっと笑う。
「やっぱり可愛い」
「……え?」
一瞬、時間が止まったように感じた。
「今……なんて?」
「何も言ってない」
「言ったでしょ!」
「気のせいじゃない?」
悠真は楽しそうに笑いながら歩き始めた。
私はその後ろを追いかける。
「待ってよ!」
「早くしないと遅刻するよ」
「もう!」
――なんだろう。
昨日まで何とも思っていなかったはずなのに。
悠真といると、心臓が落ち着かない。
学校に着くと、美紅が校門の前で待っていた。
「あれ?」
美紅が私と悠真を交互に見る。
「……一緒に登校したの?」
「う、うん」
「へぇ~」
美紅がニヤッと笑った。
「昨日の今日で、ずいぶん仲良くなったね?」
「違うって!」
「何が違うの?」
「昔から知ってるだけ!」
私が慌てて説明していると、後ろから男子の声が聞こえた。
「高橋、彼女できたの?」
「え?」
振り返ると、悠真のクラスメイトらしき男子が立っていた。
「違うよ」
悠真はすぐに答えた。
その一言に、なぜか胸がチクリとした。
――どうして?
別に、彼女じゃない。
そんなの当たり前なのに。
「じゃあ、また後で」
悠真が教室へ向かっていく。
「……琴音?」
美紅に呼ばれて、私は我に返った。
「何?」
「もしかしてさ……」
美紅が私の顔を覗き込む。
「琴音、悠真のこと好きになった?」
「……っ!」
顔が熱くなる。
「そ、そんなわけ……」
否定しようとした。
でも――
頭の中に、昨日の悠真の言葉が浮かんだ。
『また会いたいって、ずっと思ってた』
『今度は俺が、琴音を守る』
そして今朝の、
『やっぱり可愛い』
「……分かんない」
私は小さく呟いた。
「まだ……分かんない」
でも。
自分でも気づかないうちに、私は悠真が去っていった廊下を見つめていた。
その日の放課後。
教室を出ようとした私の机に、一枚の紙が置かれていた。
「……何これ?」
開いてみる。
そこには、たった一言だけ書かれていた。
『放課後、昔の公園で待ってる。悠真』
私はその文字を見つめた。
昔の公園――。
そこは、私たちが初めて出会った場所だった。
「……何の話だろう?」
私はその紙を握りしめる。
そして、少しだけ胸を高鳴らせながら、あの公園へ向かった。
この日。
私はまだ知らなかった。
悠真が私に伝えようとしていた、本当の気持ちを。
放課後。
私は一人で、あの日の公園へ向かっていた。
学校から少し離れた場所にある、小さな公園。
昔と変わらないブランコ。
少し古くなったベンチ。
そして、私たちが雨宿りをした大きな木。
「……懐かしい」
周りを見渡していると――
「琴音」
後ろから声がした。
振り返ると、悠真が立っていた。
「来てくれてありがとう」
「うん……。どうしたの?」
悠真は何も言わず、ベンチに座った。
「ここ、覚えてる?」
「……少しだけ」
「そっか」
悠真は空を見上げた。
「俺は、ずっと覚えてた」
「……」
「琴音と初めて会った日も」
悠真はポケットから、昨日見せてくれた写真を取り出した。
「この写真も」
そして、もう一枚の写真を見せる。
そこには、幼い私たちが笑っている姿が写っていた。
「これ……いつ撮ったの?」
「琴音のお母さんが撮ってくれた」
「え?」
「俺の母さんが持ってたんだ。引っ越す前に、琴音のお母さんからもらったらしい」
私は写真をじっと見つめた。
「私、全然覚えてない……」
「でも俺は覚えてる」
悠真は写真を見ながら、静かに言った。
「あの日、琴音が俺に言ったこと」
「何て?」
「『一人じゃないよ』って」
胸が締めつけられるような気がした。
「俺、その言葉に救われたんだ」
悠真が私を見る。
「だから、いつかもう一度会えたらって思ってた」
「……悠真」
「そして高校を探してるとき、偶然琴音の名前を見つけた」
「え?」
「同じ学校に行けるって分かって……正直、嬉しかった」
悠真は少し照れながら笑った。
「だから俺、この学校を選んだ」
心臓が大きく鳴った。
「……私に会うために?」
「うん」
悠真はまっすぐ私を見る。
「琴音に、もう一度会いたかった」
何も言えなかった。
夕暮れの公園に、風が静かに吹いている。
「でも……」
悠真が少しだけ視線を逸らす。
「一つだけ、昔と違うことがある」
「……何?」
悠真は私の目を見る。
「昔は、琴音とまた友達になれたらいいって思ってた」
「……うん」
「でも今は違う」
悠真が一歩近づく。
「俺は――」
その瞬間。
「琴音!」
突然、遠くから声が聞こえた。
振り返ると、美紅が走ってくる。
「はぁ……はぁ……やっと見つけた!」
「美紅? どうしたの?」
「それが……」
美紅が息を整えながら、私を見る。
「琴音に、話さなきゃいけないことがあるの」
「私に?」
「うん」
美紅は少し迷ったあと、口を開いた。
「実は……今日、学校で聞いたんだけど」
「何を?」
美紅が悠真を見る。
「悠真くんのこと――」
その瞬間。
悠真の表情が変わった。
「美紅、それは……」
「え?」
私は二人を見つめる。
「何? 何か知ってるの?」
美紅は黙り込んだ。
そして、小さな声で言った。
「……悠真くん、昔この町を引っ越した理由って、琴音には話してないよね?」
「……え?」
悠真は何も答えなかった。
夕暮れの公園に、静かな沈黙が落ちる。
私は悠真を見つめた。
――このとき初めて、私は気づいた。
私が知らない「昔」が、まだ残っている。
「……悠真くん、どういうこと?」
美紅の言葉が頭から離れなかった。
悠真はしばらく黙っていた。
「……ごめん、琴音」
「何が?」
「話してなかったことがある」
その声は、いつもの悠真とは違っていた。
「俺が引っ越した理由……」
悠真はゆっくりと口を開いた。
「琴音のお父さんが関係してる」
「……え?」
思わず息をのんだ。
「私のお父さん?」
「うん」
美紅も驚いた顔をしている。
悠真はベンチに座り、俯いた。
「昔、俺の父親が仕事で大きな問題を起こしたんだ」
「……」
「そのせいで、家族でこの町を離れることになった」
私は何も言えなかった。
「でも、そのとき……琴音のお父さんが俺の父親を助けてくれた」
「お父さんが……?」
「うん」
悠真はポケットから、古い紙を取り出した。
「これ、俺の父親が残してた手紙」
私は震える手で受け取った。
そこには、昔の私のお父さんの名前が書かれていた。
そして、その下には――
『いつか、琴音ちゃんに伝えてください。悠真をよろしくお願いします』
「……どういう意味?」
私が顔を上げると、悠真は悲しそうに笑った。
「俺の父親は、ずっと琴音のお父さんに感謝してたんだ」
「……」
「だから俺も、いつか琴音にちゃんと伝えたかった」
悠真は立ち上がる。
「ありがとうって」
「……悠真」
「でも、それだけじゃない」
悠真は私をまっすぐ見つめた。
「俺がこの町に戻ってきた本当の理由は――」
少しだけ間を置いて。
「琴音に会いたかったから」
胸が熱くなった。
「昔、琴音が俺を救ってくれた」
「……」
「今度は俺が、琴音のそばにいたい」
その言葉に、涙が一粒こぼれた。
「なんで……泣くの?」
「分かんない……」
私は涙を拭った。
「ただ……嬉しくて」
悠真が優しく笑った。
「じゃあ、これからもそばにいていい?」
私は小さく頷いた。
「……うん」
そして悠真は、そっと手を差し出した。
「約束」
私はその手を握った。
温かかった。
昔、雨の日に出会った男の子。
ずっと忘れていたと思っていた。
でも本当は――
私の心のどこかに、ずっと残っていたのかもしれない。
あの日、雨の中で出会った君。
そして今日。
私はもう一度、君に出会った。
――今度は、恋をするために。
ただ、このとき私はまだ知らなかった。
この恋には、もう一つ大きな秘密が隠されていることを。
公園からの帰り道。
私は悠真の隣を歩いていた。
さっきまで聞きたかったことが、まだたくさんある。
でも、不思議と今は何も聞きたくなかった。
ただ、隣に悠真がいる。
それだけで十分だった。
「琴音」
「ん?」
「今日、楽しかった?」
「……うん」
「そっか」
悠真は嬉しそうに笑った。
その横顔を見ていると、また胸がドキドキする。
私は自分の気持ちに気づき始めていた。
――私は、悠真のことが好きなのかもしれない。
でも、その気持ちを認めるのは少し怖かった。
「じゃあ、また明日」
家の近くまで来ると、悠真が立ち止まった。
「うん。また明日」
私が手を振ろうとしたとき――
「琴音」
「なに?」
悠真が少し真剣な顔をした。
「一つだけ聞いていい?」
「うん」
「昔のこと……全部思い出した?」
「……まだ全部は」
「そっか」
悠真は少し安心したように笑った。
「じゃあ、焦らなくていいよ」
「え?」
「琴音が思い出したくなったときに、少しずつ思い出せばいい」
そう言って、悠真は帰っていった。
私はその背中を見つめながら、ふと思った。
――どうして悠真は、私が思い出していないことを知っているんだろう。
***
次の日。
学校に着くと、美紅が私のところへ駆け寄ってきた。
「琴音!」
「どうしたの?」
「昨日のことなんだけど……」
美紅は周りを確認してから、小さな声で言った。
「悠真くんのお父さんのこと、もう少し調べてみたの」
「え?」
「実はね――」
美紅がスマホの画面を見せる。
そこには、昔の新聞記事が表示されていた。
私は記事を読み進める。
そして、一つの名前を見つけた瞬間――
息が止まった。
「……これ」
そこに書かれていた名前は、
私のお父さんの名前だった。
「どうして……?」
美紅は黙って私を見る。
そのとき、教室の扉が開いた。
「琴音」
悠真だった。
私の手にあるスマホを見た瞬間、悠真の表情が変わる。
「……それ、見たんだ」
「悠真……これ、どういうこと?」
悠真はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり口を開いた。
「琴音のお父さんと俺の父親は――」
そこで言葉を止める。
「昔、一緒にある約束をしてたんだ」
「……どんな約束?」
悠真は私を見つめた。
「俺たち二人を、いつかもう一度会わせるっていう約束。」
「……え?」
胸が大きく鳴った。
偶然だと思っていた。
ずっと離れていた私たちが、同じ高校で再会したことも。
昔の公園で出会ったことも。
全部、偶然だと思っていた。
でも――
もしかしたら。
私たちの出会いは、偶然なんかじゃなかったのかもしれない。
そして悠真は、最後にこう言った。
「琴音……まだ俺には、君に話してないことがある」
その言葉を聞いた瞬間。
私の胸に、嫌な予感が走った。
私たちの「出会い」には、まだ知らない秘密があった。
『君との出会い』
「まだ俺には、君に話してないことがある」
悠真の言葉が、頭の中に残っていた。
「……何?」
私が聞くと、悠真は教室の窓の外を見た。
「ここじゃ話せない」
「じゃあ、どこで?」
「放課後。昨日の公園で」
また、あの公園。
私は少し不安になりながらも頷いた。
「分かった」
***
放課後。
公園に着くと、悠真はベンチに座っていた。
私に気づくと、ゆっくり立ち上がる。
「来てくれてありがとう」
「うん……」
昨日とは違う。
悠真の表情は、どこか悲しそうだった。
「琴音」
「なに?」
「俺がこの町に戻ってきた理由……本当はもう一つある」
「……?」
悠真はポケットから、一枚の古い手紙を取り出した。
「これ、俺が引っ越す前に、琴音のお父さんからもらったものなんだ」
「お父さんから?」
私は手紙を受け取った。
封筒には、少し色あせた文字で、
『悠真くんへ』
と書かれていた。
震える手で封筒を開ける。
中には、短い文章が書かれていた。
『もし大きくなって琴音と再会することがあったら、どうかあの子のそばにいてあげてください。』
「……どうして?」
私は顔を上げた。
「どうしてお父さんは、こんなことを……?」
悠真は黙っていた。
そして、しばらくしてから口を開いた。
「琴音のお父さんは、昔から俺のことを気にかけてくれてた」
「うん……」
「でも、それだけじゃない」
悠真の声が少し震える。
「俺が引っ越す直前、お父さんは俺に言ったんだ」
「何を?」
悠真は私を見つめた。
「『琴音には、まだ伝えていないことがある』って」
「……私に?」
「うん」
私は息をのんだ。
「それって……何?」
悠真は答えず、手紙の裏側を指差した。
そこには、今まで気づかなかった小さな文字が書かれていた。
『琴音が18歳になったら、真実を伝えてください。』
「……18歳?」
私は呆然とした。
「琴音、今いくつ?」
「……17」
「だから、まだ一年ある」
「じゃあ、なんで今教えてくれるの?」
悠真は少し寂しそうに笑った。
「俺も待つつもりだった」
「……」
「でも、昨日琴音が泣いてるのを見て……もう隠しておけないと思った」
胸が苦しくなった。
「悠真……」
すると突然、スマホが鳴った。
画面を見る。
――お母さんからだった。
『帰ったら話したいことがあります。』
短いメッセージ。
それだけだった。
私は嫌な予感がした。
「悠真……」
「うん?」
「今日、家に帰ったら……お母さんに聞いてみる」
「何を?」
私はスマホを握りしめた。
「私と悠真が昔出会った日のこと。」
悠真は黙って頷いた。
そして帰ろうとした私に、最後に一言だけ告げた。
「琴音」
「ん?」
「どんな真実を知っても――」
悠真はまっすぐ私を見る。
「俺は琴音の味方だから」
その言葉に、なぜか涙が出そうになった。
私は小さく笑った。
「……ありがとう」
そして私は家へ向かった。
このときはまだ知らなかった。
母から聞かされる話が――
私と悠真の「出会い」のすべてを変えてしまうことを。
家に着くと、玄関にはお母さんが立っていた。
「おかえり、琴音」
「ただいま……」
いつもと変わらない声。
でも、どこか様子がおかしい。
「お母さん。話したいことって何?」
私が聞くと、お母さんは少し黙ってから、
「……悠真くんに会ったのね」
そう言った。
「え?」
どうして知ってるの?
私は驚いて、お母さんの顔を見る。
「なんで……悠真のこと知ってるの?」
お母さんは小さく息を吐いた。
「今日、悠真くんのお母さんから連絡があったの」
「……」
「琴音に、もう隠しておくことはできないと思って」
お母さんはリビングへ向かう。
私はその後を追った。
テーブルの上には、古いアルバムが置かれていた。
「これ……」
「あなたがまだ小さかった頃の写真よ」
お母さんがアルバムを開く。
そこには、幼い私の写真がたくさん並んでいた。
そして――
一枚の写真に、私の目が止まった。
「……これ」
そこには、幼い私と悠真が写っていた。
公園のベンチ。
二人で笑っている。
「この写真……悠真が持ってた」
「そう……」
お母さんは静かに頷いた。
「あなたと悠真くんは、昔から仲が良かったの」
「でも私、ほとんど覚えてない……」
「それには理由があるの」
「理由?」
お母さんは少し迷ったあと、言った。
「あなたが小さい頃、悠真くんが引っ越す直前に……事故があったの」
「事故……?」
「そのとき、あなたは頭を強く打ってしまった」
私は息をのんだ。
「そのせいで、あなたは一部の記憶を失ったの」
「……だから?」
「だから、悠真くんとの思い出も……」
お母さんの言葉が止まる。
私はアルバムを見つめた。
忘れていた。
ずっと心の奥にあったはずの記憶を。
「じゃあ……私が悠真を覚えてなかったのは……」
「そういうこと」
涙がこぼれた。
「……じゃあ、悠真はずっと覚えてたの?」
「ええ」
「私のことを……ずっと?」
お母さんは頷いた。
「だから、あの子は何度もあなたに会いたいと言っていたの」
胸が苦しくなった。
私はスマホを取り出した。
悠真に連絡しようとする。
でも、指が止まった。
――今すぐ会いたい。
そう思った。
その瞬間。
スマホが震えた。
画面を見ると、悠真からメッセージが届いていた。
『今、家の前にいる』
「……え?」
私は慌てて玄関へ走った。
ドアを開ける。
そこには――
雨の中、傘も差さずに立っている悠真がいた。
「悠真……!」
「琴音」
悠真は少し笑った。
「やっぱり、思い出した?」
私は首を横に振った。
「まだ全部じゃない」
そして、涙を拭いながら言った。
「でも……もっと思い出したい」
悠真は何も言わず、私に傘を差し出した。
「じゃあ、一緒に思い出そう」
「……うん」
私は悠真の隣に並んだ。
雨の音が静かに響く。
昔と同じ雨。
でも、今の私はもう一人じゃない。
そして――
悠真の手が、そっと私の手に触れた。
「琴音」
「なに?」
「これからは、絶対に離れないから」
その言葉を聞いた瞬間。
私の頭の中に、忘れていた最後の記憶が――
一瞬だけ、蘇った。
『琴音、俺、大きくなったら……』
そこで記憶が途切れた。
「……悠真」
「どうした?」
私は彼の顔を見つめた。
「私……昔、悠真に何か言われた気がする」
悠真の表情が変わった。
「……覚えてきたんだ」
「何を言ったの?」
悠真は少しだけ笑った。
そして――
「それは、もう少し思い出してから教える」
そう言って、私の手を握った。
あの日の約束は、まだ終わっていなかった。
次の日の朝。
目を覚ました瞬間、昨日のことが頭に浮かんだ。
――「大きくなったら……」
あの言葉の続き。
私はベッドの上で何度も考えた。
「なんだったんだろう……」
思い出したい。
でも、思い出そうとすると頭の奥がぼんやりしてしまう。
私は制服に着替え、いつもより少し早く家を出た。
学校へ向かう途中――
「琴音!」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、悠真が走ってくる。
「おはよう」
「おはよう……」
昨日、手を握られたことを思い出して、少し恥ずかしくなる。
「……どうした?」
「え?」
「顔、赤い」
「赤くない!」
「ふふっ」
また笑われた。
「悠真!」
「はいはい」
二人で並んで歩く。
昨日までは少し遠く感じていた距離が、今日はなぜか近く感じた。
「琴音」
「ん?」
「今日、放課後時間ある?」
「あるけど……」
「ちょっと付き合ってほしいところがある」
「どこ?」
「秘密」
「また秘密?」
「うん」
悠真は楽しそうに笑った。
***
放課後。
連れていかれた場所は、学校の音楽室だった。
「音楽室?」
「うん」
悠真が扉を開ける。
中には誰もいない。
窓から夕日が差し込んでいる。
「ここで何するの?」
「昔、琴音が好きだった場所なんだ」
「私が?」
「うん」
悠真はピアノの前に座った。
「昔、琴音がここみたいな場所で、俺に歌を聴かせてくれた」
「私が歌を?」
「覚えてない?」
私は首を横に振った。
悠真は少し寂しそうに笑った。
「そっか」
そして、鍵盤に指を置く。
優しいメロディーが音楽室に響いた。
その瞬間――
頭の中に、昔の景色が浮かんだ。
雨。
公園。
幼い悠真。
そして、幼い私。
『悠真くん、元気出して』
『……うん』
『大きくなったら、また会おうね』
『約束?』
『約束!』
記憶が一気に流れ込んでくる。
そして――
最後に、もう一つ。
『琴音……大きくなったら、俺と――』
「……っ!」
私は頭を抱えた。
「琴音!?」
悠真が慌てて立ち上がる。
「大丈夫?」
「……思い出した」
「何を?」
私は顔を上げた。
「悠真が昔、私に言おうとしたこと……」
悠真の表情が固まった。
「……何て言ってた?」
私は胸に手を当てた。
そして、ゆっくり言った。
「大きくなったら――」
悠真を見る。
「私と付き合ってって言おうとしたんでしょ?」
静かな音楽室に、沈黙が落ちた。
悠真は少し驚いた顔をしたあと――
「……うん」
小さく頷いた。
「昔から、ずっと好きだった」
胸がいっぱいになった。
「……私も」
「え?」
「私も、悠真のこと……」
言葉が続かない。
でも、悠真には伝わったらしい。
「……そっか」
悠真が優しく笑った。
「じゃあ今度は、昔の約束じゃなくて――」
一歩、私に近づく。
「今の俺と、今の琴音で約束しよう」
「……うん」
「これからも、ずっと一緒にいる」
私は笑いながら頷いた。
「約束」
窓の外では、夕日がゆっくり沈んでいく。
昔、離れてしまった二人。
忘れてしまった記憶。
そして、もう一度巡り会った二人。
私たちの恋は、あの日の続きから始まった。
でも――
その翌日。
学校で、思いもよらない人物が私たちの前に現れた。
「……悠真?」
悠真の顔から、笑顔が消えた。
その人物は、私たちを見て一言だけ言った。
「久しぶりだな、悠真。」
――私たちの恋は、ここからまた大きく動き始める。
「久しぶりだな、悠真」
その声を聞いた瞬間、悠真の表情が変わった。
「……なんで、ここにいるんだよ」
目の前にいる男の子は、私たちと同じ制服を着ていた。
少し長めの黒髪。
悠真よりも背が高く、どこか冷たい雰囲気がある。
「転校してきたんだよ」
「……そうか」
悠真の声が低くなる。
私は二人を交互に見た。
「悠真、この人……誰?」
すると、その男の子が私を見る。
そして、驚いたように目を見開いた。
「……君が琴音?」
「え?」
「やっぱり……」
彼は何かを知っているようだった。
「どうして私の名前を知ってるの?」
「悠真から聞いた」
「……」
悠真が口を挟む。
「もういいだろ。行こう、琴音」
「待てよ」
男の子が悠真の腕を掴んだ。
「まだ話は終わってない」
「離せ」
「お前、琴音に全部話したのか?」
その言葉に、悠真が黙った。
「……全部?」
私は不安になって悠真を見る。
「どういうこと?」
男の子は私を見つめた。
「琴音。お前はまだ知らないんだよ」
「何を……?」
「昔、悠真が引っ越した本当の理由」
胸がざわつく。
「それなら聞いた。家族の仕事のことだって……」
「それだけじゃない」
男の子が言った。
「悠真は――」
「やめろ!」
初めて聞くような強い声だった。
悠真が男の子を睨む。
「琴音には関係ない」
「関係あるだろ」
男の子は私を見る。
「だって、あの日――」
「やめろ!」
悠真が叫んだ。
教室にいた生徒たちが、一斉にこちらを見る。
私は悠真の袖を掴んだ。
「悠真……」
「ごめん」
悠真は俯いた。
「でも、今はまだ話せない」
「……どうして?」
「琴音を傷つけたくないから」
その言葉が、胸に刺さった。
私は何も言えなかった。
***
放課後。
私は一人で教室に残っていた。
悠真とは、あれから一度も話していない。
「……私に関係あるって、どういうこと?」
頭の中で何度も考える。
そのとき――
「琴音」
後ろから声がした。
振り返ると、朝の男の子が立っていた。
「……あなた」
「俺の名前、まだ言ってなかったな」
彼は少し笑った。
「蓮。神崎蓮」
「蓮くん……」
「琴音。悠真を信じたい?」
「……うん」
迷わず答えた。
「じゃあ、これを見て」
蓮が一枚の写真を差し出す。
私は写真を受け取った。
そこに写っていたのは――
幼い私。
幼い悠真。
そして、もう一人の男の子。
「……この子、誰?」
「俺」
「……え?」
蓮は静かに言った。
「俺も、あの日あの公園にいた」
心臓が大きく跳ねた。
「そして琴音――」
蓮は私を見つめる。
「あの日、事故が起きた原因を知っているのは、俺と悠真だけだ。」
写真を持つ手が震えた。
――あの日。
私が忘れてしまった、あの日。
そこには一体、何があったの?
そして私はまだ知らない。
悠真がずっと隠していた「本当の出会い」の秘密を。
「俺も、あの日あの公園にいた」
蓮の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
「……じゃあ、あの日に何があったの?」
私は震える声で聞いた。
蓮はしばらく黙っていた。
「全部話す。でも、その前に一つだけ言っておく」
「……なに?」
「悠真は、琴音を傷つけようとして隠してたわけじゃない」
「え?」
「むしろ逆だ」
蓮は写真を見つめた。
「お前を守るために、ずっと黙ってた」
「私を……?」
「うん」
蓮はゆっくり話し始めた。
「昔、俺たちは三人でよく遊んでた」
「三人……?」
「琴音、悠真、俺」
私は写真をもう一度見た。
「でも、ある日――琴音のお父さんと悠真のお父さんが、言い争ってた」
「お父さんたちが?」
「俺たちは、その近くにいた」
蓮の声が少し低くなる。
「大人の話なんて分からなかった。でも、悠真のお父さんが怒ってるのだけは分かった」
「それで……?」
「悠真が止めに行ったんだ」
私は息をのんだ。
「そのとき、琴音も追いかけた」
「私が……?」
「うん」
蓮は頷いた。
「そして――」
その瞬間。
教室の扉が開いた。
「蓮!」
悠真だった。
息を切らしている。
「……琴音に何を話した?」
「まだ何も」
蓮が答える。
「じゃあ、俺から話す」
悠真は私の前まで歩いてきた。
「琴音」
「……うん」
「ごめん」
「どうして謝るの?」
悠真は苦しそうな顔をした。
「俺が琴音を巻き込んだ」
「巻き込んだって……?」
「昔、琴音が事故に遭ったのは――俺を助けようとしたからなんだ」
「……え?」
頭の中が真っ白になった。
「私が……悠真を?」
「うん」
悠真は俯いた。
「俺が道路に飛び出したとき、琴音が俺を追いかけてきた」
「……」
「そして琴音が転んで、頭を打った」
私は頭を押さえた。
その瞬間――
映像が一気に蘇った。
雨の中。
道路。
幼い悠真。
そして、走ってくる私。
『悠真!危ない!』
「……っ!」
私はその場にしゃがみ込んだ。
「琴音!」
悠真が駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「……思い出した」
「え?」
涙が頬を伝った。
「私……悠真を助けようとして……」
「もういい」
悠真が優しく言う。
「琴音のせいじゃない」
「でも……」
「俺のせいなんだ」
「違う!」
私は顔を上げた。
「悠真のせいじゃないよ」
昔の記憶が少しずつ戻ってくる。
そして、最後に一つだけ。
あの日、倒れる直前の私が悠真に言った言葉。
「……私、悠真に言ったんだ」
「何を?」
私は涙を拭った。
「『大きくなったら、また会おうね』って」
悠真の目が潤んだ。
「……うん」
「だから……」
私は笑った。
「ちゃんと会えたね」
悠真は何も言わず、私の手を握った。
その手は、昔と同じくらい温かかった。
蓮は少し離れた場所で、静かに二人を見ていた。
そして、小さく呟いた。
「……やっと、あの日の約束が叶ったな」
でも――
蓮はまだ私たちに伝えていないことがあった。
あの日、事故の直前に悠真のお父さんが話していた「もう一つの秘密」を。
「もう一つの秘密……?」
私がそう呟くと、蓮がゆっくりこちらを見た。
「……話すべきだと思う」
悠真が蓮を見る。
「蓮、それは――」
「いつまでも隠しておくことじゃない」
蓮はそう言って、ポケットから古い封筒を取り出した。
「これ、あの日に落ちていたものなんだ」
「……手紙?」
私は封筒を受け取った。
表には、見覚えのある文字。
『琴音へ』
「私に……?」
震える手で封筒を開ける。
中には、一枚の紙が入っていた。
『琴音へ。
もし大きくなって、この手紙を読む日が来たら、きっと悠真と再会していることでしょう。
あの日、二人が出会ったことは偶然ではありません。
そして、悠真のお父さんと私には、どうしても伝えなければならない約束があります。』
そこで文章は一度途切れていた。
私は続きを探す。
紙の下には、もう一つの文章があった。
『二人が大きくなったとき、もしお互いを大切に思っているのなら――
過去のことではなく、これからの未来を二人で選んでください。』
「……未来を、選ぶ?」
私は顔を上げた。
「どういうこと?」
蓮が答える。
「琴音のお父さんは、悠真のお父さんと昔から友達だった」
「……」
「二人とも、家族のことで悩んでいた時期があった。でも、そのときにお互いを支え合った」
悠真が静かに口を開いた。
「だから俺の父さんは、琴音のお父さんにこう言ったんだ」
「何て?」
「『いつか子どもたちが大きくなって、自分たちの意思で出会えたらいいな』って」
胸が温かくなった。
「じゃあ……私たちが再会したのは――」
「運命だったのかもしれないな」
悠真が笑った。
私は手紙を胸に抱きしめる。
「でも……」
私は悠真を見る。
「私は、誰かに決められたから悠真を好きになったんじゃない」
悠真が驚いた顔をする。
「私が自分で、悠真を好きになったんだと思う」
「……琴音」
「昔の約束があったからじゃなくて」
私は少し照れながら笑った。
「今の悠真と一緒にいたいって思ったから」
悠真はしばらく黙っていた。
そして――
「……俺も同じ」
そっと私の手を握る。
「昔の約束じゃなくて、今の俺として琴音に好きになってもらいたかった」
「……うん」
その瞬間、蓮が小さく笑った。
「じゃあ、もう俺がここにいる必要はなさそうだな」
「蓮……?」
「二人でちゃんと幸せになれよ」
そう言って、蓮は教室を出ていった。
私は悠真の隣に立つ。
窓の外には、夕焼けが広がっていた。
「悠真」
「ん?」
「これからも、ずっと一緒にいようね」
「もちろん」
悠真は笑った。
「今度は、離れない」
私はその言葉を聞いて、笑顔になった。
――昔、雨の日に始まった私たちの物語。
一度は離れてしまったけれど。
もう一度出会うことができた。
そして今度は、自分たちの意思で隣にいる。
『君との出会い』は、過去から始まった。
でも――
私たちの恋は、ここから始まる。
それから数日が経った。
私は、悠真と一緒にいることが当たり前になりつつあった。
朝は一緒に学校へ行って、休み時間にはくだらない話をして、放課後には一緒に帰る。
「琴音、今日帰り寄り道しない?」
「どこ行くの?」
「秘密」
「また秘密?」
「今度はちゃんと楽しい秘密」
悠真が笑う。
私はそんな悠真を見ながら、ふと思った。
――幸せだな。
昔のことを全部思い出せたわけじゃない。
それでも、今の私は悠真と過ごす時間が好きだった。
***
放課後。
悠真に連れてこられたのは、駅の近くにある小さなカフェだった。
「ここ、昔も来たことある?」
「あるよ」
「え?」
「琴音が昔、ここでケーキを食べたいって言ってた」
「……私、食べ物ばっかりじゃない?」
「昔からね」
「もう!」
二人で笑う。
席に座ると、悠真がメニューを開いた。
「何食べる?」
「うーん……」
私はショートケーキを指差した。
「これ」
「やっぱり」
「何?」
「昔と同じ」
「……覚えてるんだ」
「忘れるわけないだろ」
その言葉に、胸が温かくなった。
しばらくしてケーキが運ばれてくる。
私は一口食べた。
「おいしい!」
「そんなに?」
「うん!」
悠真は私を見ながら笑っている。
「何?」
「いや……昔と同じだなって」
「何が?」
「嬉しいときの顔」
「……恥ずかしいんだけど」
私は少し俯いた。
すると悠真が、小さな声で言った。
「俺、その顔が好き」
「……え?」
顔を上げる。
悠真は真っ直ぐ私を見ていた。
「琴音が笑ってるのが、一番好き」
胸がドキドキする。
「……私も」
「ん?」
「悠真が笑ってるところ、好き」
悠真は一瞬驚いたあと、照れたように笑った。
「じゃあ、もっと笑わせないとな」
「うん」
そのときだった。
店の入口から聞き覚えのある声がした。
「……琴音?」
振り返る。
そこに立っていたのは――
「お母さん……?」
母は私と悠真を見て、少し驚いた顔をしていた。
そして、悠真の姿を見ると、何かを思い出したように表情を変えた。
「……悠真くん」
「おばさん、お久しぶりです」
「そうね……」
母は少し迷ったあと、私たちのテーブルに近づいてきた。
「琴音。家に帰ったら、話したいことがあるの」
「また?」
「今度は、昔の話じゃない」
母は悠真を見る。
「あなたたち二人に関係する話よ」
悠真の表情が変わった。
「……二人に?」
母は小さく頷いた。
「あなたのお父さんから、もう一つ預かっているものがあるの」
「……何ですか?」
母はバッグから、一枚の写真を取り出した。
そこには――
幼い私と悠真、そして私たちの両親が一緒に写っていた。
でも。
写真の端に、見知らぬ女性が一人写っていた。
私はその女性を見た瞬間、胸がざわついた。
「……この人、誰?」
母はしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「この人が――」
母の言葉が止まる。
「あなたたちが離れ離れになった、本当の理由を知っている人よ。」
私は写真を握りしめた。
悠真も黙って写真を見つめている。
――私たちの物語には、まだ終わっていない秘密があった。
――本当の理由
「この人が――あなたたちが離れ離れになった、本当の理由を知っている人よ」
お母さんの言葉に、琴音は息をのんだ。
隣にいた悠真も、写真をじっと見つめている。
「……俺、この人……知らない」
悠真が小さく呟いた。
「私も……」
琴音が写真を手に取る。
そこには、幼い琴音と悠真。
そして二人の父親と母親。
その端に、見知らぬ女性が写っていた。
女性は、どこか寂しそうに二人を見つめている。
「この人はね……」
琴音の母親がゆっくり話し始めた。
「昔、私たち家族の近くに住んでいた人なの」
「近くに……?」
「名前は、真由美さん」
その名前を聞いた瞬間。
悠真の表情が変わった。
「……真由美?」
「知ってるの?」
琴音が悠真を見る。
悠真は首を横に振った。
「名前だけ……父さんの古い書類に、何度か書いてあった」
お母さんは少し黙ってから続けた。
「真由美さんは、あの日……事故が起きたとき、その場にいたの」
琴音の心臓が大きく跳ねた。
「あの日……?」
「そう。琴音が悠真くんを助けようとして、事故に遭った日」
琴音は無意識に悠真の手を握った。
悠真も、ぎゅっと握り返す。
「じゃあ……全部知ってるってこと?」
琴音の問いに、お母さんは静かに頷いた。
「事故のことだけじゃない」
「……え?」
「あなたたちのお父さんたちが、あの日、何を話していたのかも」
部屋の空気が一気に重くなる。
悠真が立ち上がった。
「母さん……どうして今まで何も言わなかったの?」
「言えなかったの」
「どうして?」
お母さんは写真をテーブルに置いた。
そして、震える声で言った。
「真由美さんが、あなたたちを離れさせるようにお願いしたの」
「……え?」
琴音と悠真の声が重なった。
「どういうこと……?」
琴音が尋ねる。
お母さんは、しばらく写真を見つめていた。
「真由美さんは、事故のあとに言ったの」
――『この二人を、しばらく会わせないほうがいい』って。
「なんで……?」
「琴音ちゃんが、自分を責め続けていたから」
琴音の胸が締めつけられる。
「私が……?」
「そう。琴音は事故のあと、何度も言ってたの」
お母さんの目に涙が浮かぶ。
「『悠真くんを助けられなかった』って」
「……違う」
悠真がすぐに口を挟んだ。
「琴音は俺を助けてくれた」
「悠真……」
「俺が今ここにいるのは、琴音のおかげだから」
琴音の目から涙がこぼれた。
「でもね」
お母さんは続けた。
「真由美さんは、それだけじゃないと言っていたの」
「……まだ何かあるの?」
悠真が聞く。
お母さんは頷いた。
「事故が起きる前に――真由美さんは、あなたたちのお父さんが話しているのを聞いていた」
そして、一枚の古い封筒を取り出した。
封筒には、見覚えのある文字。
琴音の父親の字だった。
「これを……真由美さんから預かっていたの」
悠真が封筒を見る。
「中には何が?」
お母さんは封筒を琴音に差し出した。
「あなたが18歳になったら渡すようにって」
琴音の手が震える。
18歳。
以前見つかった手紙にも書かれていた言葉。
――『琴音が18歳になったら、真実を伝えてください』
「じゃあ……この手紙が、その真実……?」
「たぶんね」
琴音はゆっくり封筒を開けた。
中には一枚の紙。
そして――もう一枚。
古い写真が入っていた。
琴音が写真を見た瞬間。
「……え?」
そこに写っていたのは。
幼い琴音。
幼い悠真。
そして――蓮。
三人が笑顔で並んでいる。
「……蓮?」
悠真が驚いた顔をする。
だが、その写真の裏には、さらに文字が書かれていた。
琴音が震える指で裏返す。
そこには――
『三人を引き離した本当の理由は、事故ではありません。』
と書かれていた。
琴音の呼吸が止まる。
悠真も言葉を失う。
そして、その下にはもう一行。
『あの日、誰かが嘘をつきました。』
「……誰が……?」
琴音が呟く。
その瞬間。
スマホが鳴った。
画面に表示された名前は――
蓮。
悠真が電話を取る。
「蓮?」
電話の向こうから、低い声が聞こえた。
『……その手紙、見たんだな』
「どうして知ってる?」
少しの沈黙。
そして蓮は、静かに言った。
『だったら……俺からも話さないといけない』
『あの日、事故の直前に――』
蓮の声が震える。
『俺たちは、もう一人の子と会ってたんだ』
「……もう一人?」
琴音と悠真は顔を見合わせた。
『その子が――全部の始まりだった』
電話が切れた。
琴音の手の中には、まだ一枚の写真。
そこには――
三人ではなく、四人の子どもたちが写っていた。
――四人目の子
「……四人?」
琴音は、写真を見つめたまま動けなかった。
写真には、幼い琴音、悠真、蓮。
そして、その隣に――見知らぬ女の子が写っている。
女の子は、三人より少し年下に見えた。
笑っている。
まるで、ずっと昔から三人と一緒にいたように。
「この子……誰?」
琴音が呟く。
電話の向こうから、蓮の声が聞こえた。
『名前は……紗奈』
「紗奈……?」
『俺たちと同じ公園で、よく遊んでた』
悠真が眉を寄せる。
「俺、覚えてない……」
『忘れたんじゃない』
蓮が静かに答えた。
『忘れさせられたんだ』
琴音の背筋がぞくっとした。
「……どういう意味?」
しばらく沈黙が続く。
そして蓮が言った。
『紗奈は、あの日の事故を見てた』
「……!」
『そして――事故のあと、突然いなくなった』
琴音は写真を握りしめた。
「どうして?」
『それは……』
蓮が言葉を詰まらせる。
『紗奈が、事故の直前に聞いたんだ』
「何を?」
『俺たちのお父さんたちが話していたことを』
悠真の顔から血の気が引いた。
「……まさか」
『そう』
蓮の声が低くなる。
『あの日、公園で起きたことは、ただの事故じゃなかった』
琴音は息を止めた。
「じゃあ……何だったの?」
『俺も全部は知らない』
蓮が答える。
『でも、一つだけ確かなことがある』
「……何?」
『悠真のお父さんは、事故が起きる前から――琴音のお父さんに「あること」を頼んでいた』
「あること……?」
そのとき。
琴音の母親が、突然立ち上がった。
「……もう、ここまでにしましょう」
「お母さん?」
「琴音。あなたはまだ知らなくていい」
「どうして!?」
琴音は初めて母親に強く言った。
「私と悠真くんが離れ離れになった理由も、蓮くんのことも、紗奈ちゃんのことも……全部知りたい!」
涙が頬を伝う。
「だって……ずっと何も知らなかったんだよ」
母親は何も言わなかった。
すると悠真が琴音の隣に立った。
「俺も知りたいです」
「悠真くん……」
「琴音だけに背負わせたくない」
悠真は琴音の手を握った。
「昔も、今も」
その言葉に、琴音の胸が温かくなる。
すると母親は、ゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
そして、もう一つの封筒を取り出した。
「これも、あなたに渡すわ」
琴音が受け取る。
封筒には――
『琴音へ』
と書かれていた。
父親からの手紙だった。
震える手で開く。
そこには、たった一行。
『あの日、悠真を守ろうとした琴音を、私は守れなかった。』
琴音の目から涙が落ちる。
そして、その下に続いていた。
『だから私は、二人を離すという間違った選択をした。』
「……お父さん……」
さらに読み進める。
『だが、本当に恐れていたのは事故ではない。』
琴音は息を止めた。
その先に書かれていた名前。
――紗奈。
そして最後の一文。
『紗奈が今どこにいるのかを知れば、あの日の本当の意味が分かる。』
琴音と悠真は顔を見合わせた。
その瞬間。
スマホに、蓮からメッセージが届いた。
『今から会える?』
その下に、もう一文。
『紗奈の居場所が分かった。』
琴音の心臓が、大きく鳴った。
――止まっていた過去が。
今、再び動き始めた。
――再会
「……紗奈の居場所が分かった」
蓮から届いたメッセージを、琴音は何度も読み返した。
「どうする?」
悠真が隣から覗き込む。
琴音は少し迷ってから、スマホを握りしめた。
「……会いたい」
「俺も行く」
「うん」
二人は顔を見合わせた。
昔の記憶を追いかけるように――。
二人は蓮との待ち合わせ場所へ向かった。
*
夕方。
人の少ない公園のベンチに、蓮が座っていた。
「来たか」
「蓮、紗奈は?」
琴音が聞くと、蓮はすぐには答えなかった。
そして、ゆっくり立ち上がる。
「……この先にいる」
三人で歩き出す。
しばらくすると、古い小さなカフェが見えてきた。
蓮が足を止める。
「ここだ」
「……ここに?」
琴音の心臓が早くなる。
悠真がそっと琴音の手を握った。
「大丈夫」
「……うん」
三人が店に入る。
店の奥。
窓際の席に、一人の女の子が座っていた。
長い髪。
静かな横顔。
そして――手には、古い写真。
蓮が声をかける。
「……紗奈」
女の子が振り返った。
その瞬間。
琴音は息をのんだ。
「……琴音?」
名前を呼ばれた。
初めて会うはずなのに。
なぜか胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「どうして……私の名前を?」
紗奈は少し悲しそうに笑った。
「忘れちゃったんだね」
「……え?」
「私たち、昔……ずっと一緒に遊んでたよ」
琴音は言葉を失った。
すると紗奈は、悠真を見た。
「悠真くんも」
「……俺も?」
「うん」
紗奈は古い写真をテーブルに置いた。
そこには、四人の子どもたち。
そして裏側には、幼い文字でこう書かれていた。
『ずっと4人でいようね』
琴音の胸が痛んだ。
「……私、どうして忘れてるの?」
紗奈はしばらく黙っていた。
そして、小さな声で答えた。
「事故のせいだけじゃないよ」
「……え?」
「琴音ちゃん」
紗奈はまっすぐ琴音を見る。
「あなたのお父さんが、私にお願いしたの」
「何を……?」
紗奈の目に涙が浮かんだ。
「『琴音には、何も言わないでほしい』って」
悠真が驚く。
「父さんが……?」
「そう」
紗奈は頷いた。
「でも、本当は私も言いたかった」
「何を?」
紗奈は写真を握りしめる。
そして――
「事故の直前、悠真くんを呼び出したのは……私だった」
「……!」
琴音の目が大きく開く。
悠真も固まる。
「どういうこと?」
紗奈は震える声で続けた。
「私は、あなたたちのお父さんたちが話していたことを聞いてしまったの」
「何を聞いたの?」
紗奈は一度目を閉じた。
そして、あの日のことを口にした。
「――『悠真を遠くへ連れていく』って」
「……え?」
琴音と悠真の表情が凍る。
「だから私は、悠真くんに伝えようとした」
紗奈の目から涙が落ちた。
「でも……その途中で、事故が起きた」
琴音の頭の中に、断片的な記憶が流れ込んでくる。
雨。
走る自分。
悠真の声。
そして――誰かの叫び声。
「……待って」
琴音が頭を押さえる。
「私……何か思い出しそう……」
悠真がすぐに支える。
「琴音!」
その瞬間。
琴音の脳裏に、幼い自分と悠真、蓮、紗奈の姿が浮かんだ。
そして最後に――
見知らぬ大人の男が、雨の中で言っていた。
「このことは、誰にも言うな」
琴音は目を見開いた。
「……私、聞いたことがある」
「何を?」
琴音は震えながら顔を上げる。
「事故が起きる前に……誰かが言ってた」
そして、ゆっくりその言葉を口にした。
「――『悠真を守るためには、琴音を遠ざけるしかない』って……」
悠真の顔から笑顔が消えた。
「……俺を守るため?」
紗奈が頷く。
「そう」
「じゃあ……俺たちが離れた本当の理由は――」
そのとき、店の入口で鈴が鳴った。
カラン――。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは――
悠真の父親だった。
「……もう、ここまで話してしまったのか」
その声を聞いた瞬間。
琴音の母親から届いた新しいメッセージが、琴音のスマホに表示された。
『琴音、お願い。お父さんにはまだ会わないで。』
琴音は震えた。
――もう、逃げられない。
過去の真実が、目の前まで迫っていた。
――父親の告白
「……もう、ここまで話してしまったのか」
悠真の父親が、店の入口に立っていた。
琴音は思わず一歩下がる。
「お父さん……」
悠真の声が低くなる。
「どうしてここに……?」
父親は何も答えず、ゆっくりと四人のいるテーブルまで歩いてきた。
そして、琴音を見る。
「琴音ちゃん……大きくなったな」
その言葉に、琴音の胸がざわついた。
「……私のこと、ずっと知ってたんですか?」
「もちろんだ」
「じゃあ、どうして……私と悠真を離したんですか?」
沈黙。
父親は目を伏せた。
「……すべて話そう」
悠真が拳を握る。
「今まで隠してたこと、全部?」
「ああ」
父親は椅子に座った。
「まず、事故を起こしたのは誰か――という話ではない」
琴音は息をのんだ。
「事故そのものは、本当に偶然だった」
「じゃあ……何が問題だったんですか?」
父親は琴音を見つめた。
「問題は、その前だ」
「その前……?」
「私と琴音ちゃんのお父さんは、あの日――あることで言い争っていた」
悠真が口を挟む。
「何について?」
父親はしばらく黙った。
そして、答えた。
「……私が、悠真を連れて遠くへ引っ越すことになっていたからだ」
「……!」
悠真の目が見開かれる。
「なんで俺が?」
「私の仕事の都合だけじゃない」
父親は深く息を吐いた。
「当時、私には大きな問題があった。悠真を巻き込みたくなかった」
「だから……俺と琴音を離したの?」
「そうだ」
悠真が立ち上がる。
「でも、それだけじゃないだろ!」
店内に声が響く。
父親は何も言わない。
悠真は続けた。
「琴音が事故に遭ったあと、俺には『琴音とはもう会うな』って言ったよな」
「……ああ」
「なんでだよ!」
父親の目が揺れた。
「琴音ちゃんのお父さんと約束したからだ」
「どんな約束?」
父親は、ゆっくり口を開いた。
「――二人が大人になるまで、過去のことを話さない」
琴音の胸が苦しくなる。
「どうして……?」
すると、紗奈が静かに言った。
「それは……私が原因でもある」
「紗奈?」
紗奈は琴音を見る。
「あの日、私が聞いた話には……もう一つあったの」
「何?」
紗奈は震える手で、古い写真を裏返した。
そこには、小さな文字が書かれていた。
『悠真と琴音を離す理由は、二人のためではない。』
琴音の目が大きくなる。
「……じゃあ、誰のため?」
紗奈は答えなかった。
代わりに、悠真の父親が静かに言った。
「……私たち大人が、自分たちを守るためだった」
「え……?」
「事故の責任を恐れた。仕事も、家族も、すべてを失うのが怖かった」
琴音の目から涙がこぼれる。
「じゃあ……私たちは……」
「大人の都合で離された」
その言葉が、胸に刺さった。
悠真は琴音の手を握った。
「……もういい」
「悠真?」
「もう、昔のことはいい」
悠真は父親を見る。
「俺が今、誰と一緒にいたいかは――俺が決める」
そして琴音を見る。
「俺は、琴音と一緒にいたい」
琴音の涙が止まらなくなる。
「私も……」
その瞬間。
店の外から、聞き覚えのある声がした。
「……そう言うと思ってた」
全員が振り返る。
そこに立っていたのは――
琴音の父親だった。
「お父さん……?」
琴音が呟く。
父親は、申し訳なさそうに二人を見る。
「琴音。悠真くん」
そして――
「今度こそ、全部話す」
その手には、古い一冊のアルバムがあった。
表紙には――
『4人の約束』
と書かれていた。
そして琴音は、そのアルバムを見た瞬間。
忘れていた記憶の一部を、はっきりと思い出した。
――幼い自分が、泣きながら悠真に言っている。
「大人になったら、また4人で会おうね」
でも、その隣で。
紗奈が泣きながら言っていた。
「ううん……4人じゃないよ」
「……え?」
琴音は震えた。
そして、記憶の中の紗奈が続けた言葉が蘇る。
「本当は……5人なんだよ」
琴音は息をのんだ。
「……5人?」
誰も答えられない。
アルバムの中には――
まだ一度も見たことのない、もう一人の子どもの写真が挟まっていた。
――5人目の秘密
「……5人?」
琴音の声が、静かな店内に響いた。
アルバムの中には、確かにもう一人の子どもが写っていた。
男の子。
琴音たちと同じくらいの年齢。
けれど――顔の部分だけが、黒く塗りつぶされている。
「……誰なの?」
琴音が父親に尋ねる。
父親は答えない。
その代わり、アルバムをゆっくり閉じた。
「琴音。この子のことは、もう忘れなさい」
「……どうして?」
「それが、お前のためなんだ」
その言葉を聞いた瞬間、琴音の胸の奥に強い違和感が走った。
「また……それ?」
琴音の声が震える。
「『私のため』って言って、みんな私に何も教えてくれなかった」
父親が黙る。
「事故のことも、悠真のことも、紗奈ちゃんのことも……」
琴音は涙を拭った。
「もう、私だけ何も知らないのは嫌」
悠真が隣に立つ。
「俺もです」
蓮も静かに頷いた。
「俺も、聞かせてください」
紗奈は俯いたまま、震える声で言った。
「……私も話します」
全員の視線が紗奈に集まる。
「この子の名前は――」
紗奈が写真を指差した。
「直人」
琴音の心臓が大きく跳ねた。
「直人……」
その名前を口にした瞬間。
頭の奥に、また記憶が浮かんだ。
雨の音。
公園。
幼い自分。
そして――
「琴音!」
誰かが叫んでいる。
幼い琴音が振り返る。
そこには、直人が立っていた。
「こっちに来ちゃダメ!」
直人が必死に叫んでいる。
その先には、道路。
そして――悠真。
「……っ!」
琴音は頭を押さえた。
「琴音!」
悠真が支える。
「大丈夫?」
「思い出した……」
琴音は震えながら呟いた。
「直人くんは……あの日、私たちを止めようとしてた」
父親の表情が変わる。
「……そうだ」
「じゃあ、どうして写真の顔が消されてるの?」
父親は目を伏せた。
「直人は……事故のあと、いなくなった」
「いなくなった?」
「正確には――」
父親が言葉を止める。
そのとき。
店の入口のベルが鳴った。
カラン――。
全員が振り返る。
そこに、一人の青年が立っていた。
濡れた髪。
少し大人びた表情。
そして――
琴音をまっすぐ見つめている。
「……久しぶり」
琴音は息をのんだ。
知らないはずなのに。
なぜか、その声を知っている気がした。
青年はゆっくり歩いてくる。
そして、琴音の前で立ち止まった。
「俺のこと……覚えてないよね」
琴音は何も言えなかった。
青年は少し寂しそうに笑う。
「やっぱり」
そして――
「俺が、直人だよ」
その瞬間。
琴音の頭の中で、途切れていた記憶が一気につながった。
雨の日。
四人で遊んだ公園。
悠真との約束。
事故。
そして――
直人が最後に言った言葉。
「琴音ちゃん、悠真を好きにならないで」
「……え?」
琴音は目を見開いた。
なぜ、そんなことを言ったのか。
直人は、静かに続けた。
「俺がずっと黙ってたのには……理由がある」
悠真が直人を見る。
「その理由って?」
直人は少しだけ視線を逸らした。
「――俺は、あの日の事故を起こした人を知ってる」
店内の空気が凍りついた。
そして直人は、琴音を見つめた。
「琴音ちゃんのお父さんでも、悠真のお父さんでもない」
「じゃあ……誰?」
直人は答えた。
「事故を起こしたのは――俺の父親だ。」
直人の言葉に、店内は静まり返った。
琴音は何も言えなかった。
悠真も、蓮も、紗奈も。
誰一人として、すぐには言葉を返せなかった。
「……どういうこと?」
ようやく声を絞り出した琴音に、直人はゆっくりと話し始めた。
「あの日、俺たちはいつもの公園で遊んでいた。でも、途中で俺の父さんから電話がかかってきたんだ」
直人は目を伏せた。
「父さんは、仕事のことで琴音のお父さんと話し合っていた。俺は二人の話を聞いてしまって……そのあと、みんなのところに戻ろうとした」
「それで……?」
悠真が尋ねる。
「父さんが車で迎えに来たんだ。雨が降っていて、道路も滑りやすくなっていた」
直人の手が震えた。
「そのとき、道路に飛び出した悠真を見て、父さんは急ブレーキをかけた。でも、車は止まりきれなかった」
「……!」
琴音の頭の中に、断片的な映像が浮かんだ。
雨。
クラクション。
走っていく自分。
そして、目の前で倒れている誰か。
「私……悠真を助けようとして……」
「そうだよ」
直人が頷いた。
「琴音は悠真をかばって転んだ。そのときに頭を打ったんだ」
悠真は唇を噛んだ。
「じゃあ、琴音が記憶を失ったのは……」
「事故の影響だと思う」
直人は答えた。
「でも、俺がずっと隠していたのは、事故そのものじゃない」
琴音が顔を上げる。
「ほかにも何かあるの?」
直人は、悠真のお父さんと琴音のお父さんを見た。
「事故のあと、二人のお父さんは、俺の父さんを責めなかった」
「……え?」
「父さんが事故を起こしたことを、誰かのせいにしようとはしなかったんだ。でも、俺の父さんは自分を許せなかった」
直人の声がかすれる。
「それで、家族ごと町を離れることになった。俺も、みんなに何も言えないまま引っ越したんだ」
「でも……私たちを離れさせたのは、どうして?」
琴音が尋ねると、今まで黙っていた琴音の父親が口を開いた。
「私たちは、琴音が目を覚ましたとき、自分を責めないようにしたかったんだ」
「……どういうこと?」
「事故の詳しい状況を知れば、琴音はきっと『自分がもっと早く動いていれば』と考えてしまう。そう思った私たちは、過去のことを話さないと決めた」
父親は苦しそうに目を閉じた。
「だが、その結果、お前から大切な思い出まで奪ってしまった」
「お父さん……」
「すまなかった、琴音」
父親の目から、涙がこぼれた。
「お前を守りたかった。でも、本当は……私たち大人が、真実と向き合うのを怖がっていただけだったんだ」
琴音はすぐには答えられなかった。
悲しかった。
どうしてもっと早く話してくれなかったのだろう。
どうして自分だけ、何も知らずに過ごしてきたのだろう。
けれど――。
隣にいる悠真の手が、琴音の手を優しく包んだ。
「琴音」
「……うん」
「もう、自分を責めなくていいから」
悠真はまっすぐ琴音を見つめた。
「俺は今、ここにいる。それに、もう一度琴音に会えた」
その言葉を聞いた瞬間、琴音の涙があふれた。
「……私も、悠真に会えてよかった」
二人は、強く手を握り合った。
長い年月をかけて、ようやくたどり着いた真実。
けれど、それは二人の物語の終わりではなかった。
本当の始まりだった。
⸻
第2話 忘れていた四人の時間
数日後。
琴音は、悠真、蓮、紗奈、そして直人と一緒に、昔遊んでいた公園を訪れた。
秋の風が吹き、木々の葉が赤や黄色に染まっている。
「懐かしいな……」
蓮がベンチに腰を下ろした。
「昔は毎日のようにここで遊んでたよな」
「うん」
紗奈が微笑んだ。
「琴音ちゃんは、いつもみんなのおやつを持ってきてくれたよね」
「えっ、そうなの?」
琴音が驚くと、悠真が笑った。
「そうだよ。しかも、自分の分を最後まで食べないんだ」
「なんで?」
「みんなが食べ終わったあとに、余った分を食べようとしてたから」
「私、そんなことしてたの?」
「うん。だから俺、いつも琴音の分を残してた」
悠真の優しい笑顔に、琴音の頬が赤くなる。
「……知らなかった」
「忘れててもいいよ」
悠真は空を見上げた。
「これから、また思い出を作ればいいから」
その言葉に、琴音は微笑んだ。
すると、直人が小さな箱を取り出した。
「これ、みんなに渡したかったんだ」
箱の中には、五つの小さなキーホルダーが入っていた。
それぞれ色が違う。
赤、青、黄色、緑、そして白。
「これって……?」
「昔、みんなで作ったんだよ」
直人が答えた。
「五人でずっと友達でいようって約束したときにね」
琴音は白いキーホルダーを手に取った。
その瞬間。
頭の中に、小さな自分たちの声が響いた。
――「大きくなっても、ずっと友達だよ!」
――「離れ離れになっても、絶対にまた会おうね!」
そして最後に、幼い悠真が琴音に言った。
――「琴音、俺はずっと琴音の味方だから」
「……あっ」
琴音は思わず胸元を押さえた。
「思い出した……!」
「琴音?」
悠真が顔を覗き込む。
「全部じゃないけど……少しずつ、思い出してる」
琴音は涙を浮かべながら笑った。
「みんなと遊んだことも、約束したことも……」
悠真は嬉しそうに微笑んだ。
「よかった」
そして、琴音の頭を優しく撫でた。
「ゆっくりでいいからな」
その姿を見ていた美紅が、突然大きな声を上げた。
「ちょっと待って! 私だけ話についていけてないんだけど!」
琴音たちは一斉に振り返った。
「美紅!?」
そこには、腕を組んで立っている美紅がいた。
「琴音が最近ずっと何か隠してると思ったら……こんな大事件だったの!?」
「ご、ごめん……」
「もう! でも……」
美紅は少しだけ表情を和らげた。
「琴音が笑ってるなら、よかった」
そして悠真を指差した。
「ただし! 琴音を泣かせたら絶対に許さないからね!」
「分かってる」
悠真は真剣な顔で答えた。
「絶対に大切にする」
「……っ!」
その言葉に、琴音の顔が真っ赤になった。
「ゆ、悠真!」
「何?」
「みんなの前で言わないでよ……!」
みんなが笑い出す。
久しぶりに、公園に笑い声が響いた。
それは、幼いころと同じようでいて、少し違う景色だった。
失われた時間は戻らない。
けれど、これからの時間は、自分たちで作っていける。
琴音はそう思った。
⸻
第3話 好きになった理由
ある日の放課後。
琴音が教室で帰り支度をしていると、悠真が後ろから声をかけてきた。
「琴音、今日時間ある?」
「あるけど、どうしたの?」
「行きたいところがあるんだ」
「どこ?」
悠真は少し照れくさそうに笑った。
「秘密」
連れてこられたのは、あの日、二人が再会した古い公園だった。
夕日が木々の間から差し込み、ベンチをオレンジ色に染めている。
「ここ……」
琴音が呟く。
「俺たちが初めて会った場所」
悠真が隣に座った。
「正確には、初めてじゃないけどな」
「そうだね」
琴音は微笑んだ。
「でも、私にとっては、ここで悠真と再会したことが始まりだったのかも」
「……琴音」
悠真は、少し真剣な顔になった。
「一つ、聞いてもいい?」
「うん」
「琴音は、どうして俺のことを好きになってくれたの?」
突然の質問に、琴音は目を丸くした。
「えっ……?」
「俺は昔から琴音が好きだった。ずっと会いたかったし、もう一度会えたら、今度こそ大切にしたいと思ってた」
悠真は照れくさそうに笑う。
「でも、琴音は違うだろ? 昔の俺を忘れてたんだから」
琴音はしばらく考えた。
そして、ゆっくり口を開いた。
「最初は、不思議な人だと思った」
「不思議?」
「うん。初めて会ったはずなのに、私のことをよく知っていて……私が困っていると、いつも気づいてくれて」
琴音は悠真を見つめた。
「一緒にいると、安心したの」
悠真は黙って聞いていた。
「それに、悠真は昔の約束だけを理由に、私を好きでいてくれたわけじゃないんだよね」
「ああ」
「私が思い出せなくても、今の私を見てくれた。だから……私も、今の悠真を好きになったんだと思う」
言い終えると、琴音は恥ずかしそうに俯いた。
「……変かな?」
「全然」
悠真は微笑んだ。
「俺が聞きたかった答え、そのままだった」
そして、そっと琴音の手を握った。
「俺も、今の琴音が好きだよ」
「……うん」
「昔の約束がなくても、出会い方が違っていても、きっと俺は琴音を好きになってた」
琴音の目に涙が浮かぶ。
「……そんなこと言われたら、また好きになっちゃう」
「何回でも好きになってよ」
悠真が笑う。
「俺も、何回でも琴音を好きになるから」
夕日が沈んでいく。
琴音は、悠真の肩にそっと寄りかかった。
二人の間に、言葉はいらなかった。
ただ、握った手の温かさが、すべてを伝えてくれていた。
⸻
第4話 それぞれの未来
季節は少しずつ進み、二人が高校生活を送る日々にも変化が訪れた。
蓮は以前よりもよく笑うようになり、紗奈も少しずつみんなとの時間を楽しむようになった。
直人も、長い間抱えていた罪悪感と向き合い始めていた。
ある日、五人は再び公園に集まった。
「俺、今度引っ越すことになった」
直人が突然そう告げた。
「えっ?」
琴音は驚いた。
「また……?」
「今度は、逃げるためじゃないよ」
直人は穏やかに笑った。
「自分のやりたいことを見つけたんだ。遠くの学校で勉強したい」
「そっか……」
琴音は少し寂しくなった。
また大切な人が遠くへ行ってしまう。
そう思ったからだ。
すると、直人が琴音に小さな封筒を差し出した。
「これ、渡しておきたかった」
「何?」
「昔、琴音ちゃんに渡そうとしていた手紙」
琴音は驚いて封筒を開いた。
そこには、幼い文字でこう書かれていた。
『琴音ちゃんへ。
いつも笑っていてね。
もし悲しいことがあったら、みんなを頼ってね。
ぼくたちは、ずっと友達だから。
また会おうね。』
読み終えた琴音の目から、涙がこぼれた。
「……ありがとう、直人くん」
「こちらこそ」
直人は少し寂しそうに笑った。
「昔、言えなかったことがたくさんあった。でも、今はちゃんと言える」
そして、悠真に向き直った。
「悠真。琴音ちゃんを頼むよ」
悠真は頷いた。
「もちろん」
「それと……」
直人は少しだけいたずらっぽく笑った。
「琴音ちゃんを泣かせたら、遠くからでも怒りに来るからな」
「分かったって」
悠真が苦笑する。
みんなが笑った。
別れは寂しい。
けれど、今度の別れは、誰かに無理やり決められたものではなかった。
自分たちで選んだ未来へ進むための別れだった。
直人が去ったあと、琴音は空を見上げた。
「……また会えるよね」
「会えるよ」
悠真が答えた。
「だって、俺たちは約束しただろ?」
琴音は微笑んだ。
「うん。また会おうね」
⸻
第5話 雨の日の告白
それから数週間後。
放課後、突然雨が降り始めた。
琴音は校門の前で立ち止まり、空を見上げた。
「傘、忘れちゃった……」
すると、頭の上に影ができた。
「入る?」
振り向くと、悠真が傘を差し出していた。
「悠真!」
「やっぱり忘れてたか」
「どうして分かったの?」
「琴音なら、きっとそうだと思った」
「ひどい!」
琴音は頬を膨らませた。
悠真が笑う。
「はいはい。帰ろう」
二人は一つの傘に入って歩き出した。
雨の音が、静かに二人を包む。
琴音はふと、足を止めた。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「私たちが初めて会った日も、雨だったんだよね」
「ああ」
「そのとき、私……悠真に何て言ったんだっけ?」
悠真は懐かしそうに目を細めた。
「『一緒に帰ろう』って」
琴音はゆっくりと笑った。
「そっか……」
そして、悠真の手を握った。
「じゃあ、今日も一緒に帰ろう」
悠真は驚いたあと、優しく微笑んだ。
「……うん。一緒に帰ろう」
二人は再び歩き出した。
しばらくすると、悠真が足を止めた。
「琴音」
「なに?」
「俺、ずっと言いたかったことがあるんだ」
琴音の心臓が跳ねる。
「……うん」
悠真は傘を少し傾け、琴音の目をまっすぐ見つめた。
「昔、俺は琴音に言えなかった」
「……何を?」
「大きくなったら、俺と付き合ってほしいって」
琴音は、はっと息をのんだ。
忘れていた記憶の中で、幼い悠真が何かを言おうとしていた。
あのときの言葉。
今、ようやくその続きを聞くことができた。
悠真は少し照れながら続けた。
「でも、もう昔の約束としてじゃなくて、今の俺の言葉で伝えたい」
そして、手を差し出した。
「琴音。これからも俺の隣にいてください」
琴音の目から、涙がこぼれた。
「……はい」
「本当に?」
「うん」
琴音は笑いながら頷いた。
「私も、悠真の隣にいたい」
悠真は嬉しそうに笑い、琴音をそっと抱きしめた。
雨の音が、二人の声を優しく包み込む。
昔、二人を引き離した雨。
今、その雨は二人をつないでいた。
⸻
最終話 君との出会い
高校生活最後の春。
桜が満開になった公園に、琴音と悠真は来ていた。
あの日と同じベンチ。
あの日と同じ景色。
けれど、二人はもう、幼い子どもではなかった。
「もう卒業か……早かったね」
琴音が呟いた。
「そうだな」
悠真は桜を見上げた。
「琴音は、これからどうしたい?」
「私は……もっといろんなことを経験したい。勉強も頑張りたいし、いつか自分の好きなことを仕事にしたい」
「いいじゃん」
「悠真は?」
「俺も、自分の夢を叶えたい」
悠真は琴音を見つめた。
「でも、一つだけ変わらないことがある」
「何?」
「これから先、どんなことがあっても、琴音と一緒に未来を考えていきたい」
琴音の頬が赤くなる。
「……私も」
悠真はポケットから、一枚の写真を取り出した。
幼い琴音と悠真が、雨上がりの公園で笑っている写真。
「これ、覚えてる?」
「うん。昔の写真だよね」
「そう。でも、俺にとっては特別な写真なんだ」
悠真は写真を大切そうに見つめた。
「この日、琴音が俺に傘を貸してくれたんだ」
「うん」
「俺、あの日まで、誰かに助けてほしいって思ってた。でも、誰にも言えなかった」
悠真は少しだけ笑った。
「そんなとき、琴音が来てくれた」
「……悠真」
「だから、ずっと会いたかったんだ」
琴音は目を潤ませた。
「私も……悠真に会えてよかった」
そして、二人は手をつないだ。
昔の約束があったから、二人は再会できたのかもしれない。
けれど、今ここにいる理由は、それだけではない。
忘れていた過去を知ったからでも。
大人たちが隠していた秘密を解き明かしたからでも。
運命に導かれたからだけでもない。
二人が、もう一度お互いを好きになったから。
それが、二人にとって一番大切な真実だった。
琴音は、悠真の手をぎゅっと握った。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「これから先も、ずっと一緒にいてくれる?」
悠真は少し驚き、それから優しく笑った。
「もちろん」
「約束?」
「約束」
悠真は小指を差し出した。
琴音も小指を絡める。
幼いころに交わした約束と、同じように。
けれど今度は、誰かに離されることを恐れて交わす約束ではなかった。
二人が自分たちの未来を信じて交わす約束だった。
桜の花びらが、二人の間を舞っていく。
琴音は、そっと悠真の肩に寄りかかった。
「……私ね、ずっと不思議だったの」
「何が?」
「悠真と初めて会ったとき、どうしてこんなに懐かしい気持ちになったんだろうって」
「うん」
「今なら分かる気がする」
琴音は顔を上げ、笑った。
「私たち、昔にも出会っていたんだね」
悠真は頷いた。
「ああ。でも――」
「でも?」
「これからも、何度だって出会いたい」
琴音は驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「……私も!」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして、ゆっくりと歩き出した。
これから、どんな未来が待っているのかは分からない。
楽しいことばかりではないかもしれない。
時にはすれ違い、悲しい思いをすることもあるだろう。
それでも、二人はもう知っている。
大切なのは、過去に縛られることではなく、今の気持ちを伝え合うこと。
そして、何度でも相手を選び続けること。
あの日、雨の中で出会った二人。
離れ離れになり、記憶を失い、たくさんの秘密を乗り越えて。
二人はもう一度、出会うことができた。
これは、偶然のようで、奇跡のような出会いから始まった物語。
そして、二人が自分たちの意志で未来を選んでいく物語。
琴音は、隣を歩く悠真を見つめた。
「悠真」
「ん?」
「私を見つけてくれて、ありがとう」
悠真は少し照れながら、琴音の手を握り直した。
「……こちらこそ。もう一度、俺に出会ってくれてありがとう」
二人は笑い合った。
春の風が吹き抜ける。
桜の花びらが、空へと舞い上がっていった。
そして二人は、同じ未来へ向かって歩き続けた。
元気よく玄関から飛び出したのは、
半澤琴音。今年入学したばかりの高校1年生だ。
黒髪にボブヘアでどこか初々しさが残っている。
琴音が歩いていると見覚えのある背中が見えてきた。
「美紅っおはよおぉ~!」
目の前を歩いていた黒髪ロングの子に声をかけた。
びっくりした表情でこちらを見つめていたのは、
幼稚園からの幼馴染、須藤美紅だ。
「今日も暑いね~。」
と談笑しながらいつもの道を歩いていると
あっという間に学校の玄関まで着いてしまった。
1年生なのに私達の教室はなんと、三階にあるのだ。
やっと三階までたどり着いた琴音は、息を整えながら教室の前まで歩いていった。
「朝から疲れたぁ……」
「琴音、体力なさすぎでしょ」
美紅が笑いながら教室の扉を開ける。
すると――
「……あ」
教室の中に、見慣れない男の子が立っていた。
黒髪で、少し長めの前髪。
窓から差し込む朝日に照らされて、その横顔が妙に綺麗に見えた。
「誰だろ……?」
琴音が小さな声で呟くと、その男の子がこちらを振り向いた。
「……おはよう」
「えっ、あ……お、おはよう!」
なぜか緊張して、声が裏返ってしまった。
「ふふっ」
「……笑った?」
「いや、別に」
そう言って、男の子は窓の外へ視線を戻した。
その瞬間、琴音の胸がほんの少しだけ高鳴った。
――この人、誰なんだろう。
ただそれだけだった。
このときの私はまだ知らなかった。
この出会いが、私の高校生活を大きく変えることになるなんて。
『君との出会い』
やっと上り終えた階段の先には、見慣れた廊下が広がっていた。
「やっぱり三階きつい……」
「まだ高校始まったばっかりだよ?」
美紅が笑いながら教室の扉を開ける。
「おはよー!」
美紅に続いて教室へ入ろうとした、そのときだった。
教室の窓際に、一人の男の子が立っていた。
黒髪で、少し長めの前髪。
窓の外を眺めながら、静かに立っている。
「……誰?」
琴音が小さく呟く。
すると、その男の子がこちらを振り返った。
目が合った。
その瞬間――
琴音の胸が、ドクンと大きく鳴った。
「……え?」
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
どこかで会ったことがある気がする。
男の子も、琴音をじっと見つめている。
そして、少しだけ目を見開いた。
「……琴音?」
「……え?」
自分の名前を呼ばれて、琴音は固まった。
「なんで……私の名前……」
男の子は少し困ったように笑った。
「やっぱり、琴音だ」
「え……?」
「俺のこと、覚えてない?」
琴音は必死に記憶を探した。
幼稚園。
小学校。
近所の公園。
昔の友達。
でも、目の前の男の子と結びつく記憶はなかった。
「……ごめん。分からない」
そう答えると、男の子は少し寂しそうな顔をした。
「そっか……」
「えっと……どこで会ったの?」
「小さい頃」
「小さい頃?」
「うん。たぶん琴音は覚えてないと思う」
その言葉を聞いた瞬間。
琴音の頭の中に、突然ひとつの光景が浮かんだ。
――雨の日。
――公園。
――泣いている男の子。
そして、自分が誰かに傘を差し出している。
『大丈夫?』
『……うん』
『じゃあ、一緒に帰ろう?』
そこまで思い出した瞬間、琴音は目を見開いた。
「……もしかして」
男の子を見る。
「昔、公園にいた……?」
男の子は驚いたように笑った。
「やっと思い出した?」
「嘘……」
琴音の記憶の中に、ぼんやりと残っていた男の子。
名前さえ思い出せなかった。
けれど、あの日からずっと心の片隅に残っていた。
「……君だったの?」
「うん」
男の子は笑った。
「久しぶり、琴音」
その笑顔を見た瞬間。
昔の記憶と、今目の前にいる彼が重なった。
胸がまた、大きく鳴った。
「……名前、なんだっけ?」
「ひどいな」
彼は少し笑ってから、自分の名前を告げた。
「悠真。高橋悠真」
その名前を聞いた瞬間。
琴音はなぜか、胸が熱くなった。
――悠真。
その名前を、私はこれから何度呼ぶことになるんだろう。
そして、このときの私はまだ知らなかった。
昔の「出会い」が、もう一度始まろうとしていることを。
「今度は、ちゃんと覚えててよ」
悠真はそう言って笑った。
「う、うん……」
なんだろう。
昔に一度会っただけなのに、どうしてこんなに胸がドキドキするんだろう。
「琴音、顔赤くない?」
隣から美紅が覗き込んできた。
「えっ!? 赤くないし!」
「ふーん?」
美紅はニヤニヤしながら悠真を見る。
「もしかして、昔の知り合い?」
「うん。小さい頃にちょっとだけ」
「へぇ~」
美紅が楽しそうに笑う。
「じゃあ、運命の再会ってやつ?」
「ち、違うから!」
思わず大きな声が出てしまった。
その声に、悠真が振り返る。
「……運命?」
「なんでもない!」
恥ずかしくなって、私は慌てて席についた。
すると――
「琴音」
「なに?」
「俺、後ろの席なんだ」
「え?」
振り返ってみると、悠真の机が私のすぐ後ろにあった。
「今日からよろしく」
そう言って悠真が笑った。
「……よろしく」
私は小さく返事をした。
だけど、その瞬間からだった。
授業中、後ろから聞こえる悠真の声。
休み時間に話しかけてくる悠真。
廊下ですれ違うたびに向けられる笑顔。
その全部が、少しずつ私の心に残っていった。
***
放課後。
美紅と一緒に帰ろうと教室を出たとき、後ろから声がした。
「琴音!」
振り返る。
そこには悠真が立っていた。
「どうしたの?」
「これ……」
悠真が差し出したのは、一枚の小さな写真だった。
「……写真?」
受け取って見てみる。
そこに写っていたのは――
小さな頃の私と、もう一人の男の子。
公園のベンチに並んで座っている。
「これ……私?」
「うん」
「じゃあ、この隣にいるのって……」
「俺」
思わず写真を見つめた。
「なんで持ってるの?」
悠真は少し照れたように目を逸らした。
「ずっと持ってた」
「……ずっと?」
「うん。琴音と別れてからも」
胸が、またドクンと鳴った。
「どうして……?」
私が聞くと、悠真は少し黙った。
そして――
「また会いたいって、ずっと思ってたから」
その言葉を聞いた瞬間、顔が熱くなった。
「……え」
悠真は私を見つめる。
「だから、今日会ったとき……すぐ分かった」
「私だって?」
「うん」
「……私は全然分からなかったのに」
「まあ、仕方ないよ」
悠真は笑った。
「でも――」
一歩、私に近づく。
「今度は、忘れないでね」
その瞬間。
昔の雨の日の記憶が、鮮明に蘇った。
『また会えるかな?』
『うん。また会おう』
あの日、幼い私たちはそんな約束をしていた。
そして今――
何年も経って、その約束が叶った。
私はまだ知らなかった。
この再会が、ただの偶然じゃなかったことを。
そして――
悠真が私に会うために、この高校を選んだことを。
「この高校を選んだ理由……?」
私が聞き返すと、悠真は少しだけ黙った。
夕方の廊下には、私たち以外ほとんど人がいない。
窓から差し込むオレンジ色の光が、悠真の横顔を照らしていた。
「……琴音に会いたかったから」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「だって、ずっと探してたから」
「私を……?」
悠真は小さく頷いた。
「小学生の頃、引っ越しただろ?」
「うん……」
「そのあと、琴音と連絡が取れなくなって」
悠真は少し寂しそうに笑った。
「でも、あの日のことだけはずっと覚えてた」
「……あの日?」
「雨の日に、琴音が傘を貸してくれた日」
私は手の中の写真を見つめた。
「私、そんなことまで覚えてなかった……」
「俺にとっては、大事な日だったから」
「どうして?」
悠真は少し迷ってから、私を見る。
「俺、あの日……泣いてたんだ」
「え?」
「家に帰りたくなくて、公園にいた」
「……」
「そんな俺に、琴音が声をかけてくれた」
悠真は笑った。
「『一緒に帰ろう』って」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなった。
「だから俺も、いつか琴音に言いたかった」
「何を?」
悠真は少し照れながら――
「今度は俺が、琴音を守るって」
「……っ」
顔が一気に熱くなる。
何も言えなくなった私を見て、悠真は少し笑った。
「ごめん。急にこんなこと言われても困るよな」
「……ううん」
私は首を横に振った。
「嫌じゃない」
「……ほんと?」
「うん」
すると悠真は、ほっとしたように笑った。
その笑顔を見ていると、私まで自然と笑ってしまった。
――そのとき。
「琴音ー!」
廊下の向こうから美紅の声が聞こえてきた。
「帰らないの?」
「あ、うん! 今行く!」
慌てて走り出そうとした、その瞬間。
「琴音」
悠真に呼び止められた。
「明日、一緒に学校行かない?」
「……え?」
「昔は一緒に帰ったから」
悠真は少し照れながら言った。
「今度は、一緒に学校に行きたい」
心臓が大きく跳ねる。
「……うん」
私は小さく頷いた。
「じゃあ、明日の朝ね」
「約束」
悠真はそう言って、小指を差し出した。
私は一瞬迷ったあと、自分の小指を絡める。
「……約束」
その瞬間――
昔の記憶が、またひとつ蘇った。
『また会おうね』
『約束だよ』
幼い頃の私たちも、こうやって指切りをしていた。
そして今。
何年もの時間を越えて、私たちはもう一度約束をした。
でも――
このときの私は知らなかった。
明日、悠真と一緒に登校したことで、クラス中にある噂が広がることを。
そして、その噂がきっかけで――
私たちの関係が、大きく変わっていくことを。
次の日の朝。
目覚ましが鳴るより少し早く、私は目を覚ました。
「……今日、悠真と一緒に学校行くんだ」
昨日のことを思い出した瞬間、胸がドキッとする。
私は急いで支度をして、家を出た。
待ち合わせ場所の公園に着くと、悠真はもう来ていた。
「おはよう、琴音」
「お、おはよう……」
「なんか緊張してる?」
「してない!」
思わずムキになって答えると、悠真が笑った。
「そっか」
「……何?」
「いや、昔と変わらないなって思って」
「昔?」
「うん。昔もすぐムキになってた」
「もう……!」
私は頬を膨らませた。
すると悠真が、ふっと笑う。
「やっぱり可愛い」
「……え?」
一瞬、時間が止まったように感じた。
「今……なんて?」
「何も言ってない」
「言ったでしょ!」
「気のせいじゃない?」
悠真は楽しそうに笑いながら歩き始めた。
私はその後ろを追いかける。
「待ってよ!」
「早くしないと遅刻するよ」
「もう!」
――なんだろう。
昨日まで何とも思っていなかったはずなのに。
悠真といると、心臓が落ち着かない。
学校に着くと、美紅が校門の前で待っていた。
「あれ?」
美紅が私と悠真を交互に見る。
「……一緒に登校したの?」
「う、うん」
「へぇ~」
美紅がニヤッと笑った。
「昨日の今日で、ずいぶん仲良くなったね?」
「違うって!」
「何が違うの?」
「昔から知ってるだけ!」
私が慌てて説明していると、後ろから男子の声が聞こえた。
「高橋、彼女できたの?」
「え?」
振り返ると、悠真のクラスメイトらしき男子が立っていた。
「違うよ」
悠真はすぐに答えた。
その一言に、なぜか胸がチクリとした。
――どうして?
別に、彼女じゃない。
そんなの当たり前なのに。
「じゃあ、また後で」
悠真が教室へ向かっていく。
「……琴音?」
美紅に呼ばれて、私は我に返った。
「何?」
「もしかしてさ……」
美紅が私の顔を覗き込む。
「琴音、悠真のこと好きになった?」
「……っ!」
顔が熱くなる。
「そ、そんなわけ……」
否定しようとした。
でも――
頭の中に、昨日の悠真の言葉が浮かんだ。
『また会いたいって、ずっと思ってた』
『今度は俺が、琴音を守る』
そして今朝の、
『やっぱり可愛い』
「……分かんない」
私は小さく呟いた。
「まだ……分かんない」
でも。
自分でも気づかないうちに、私は悠真が去っていった廊下を見つめていた。
その日の放課後。
教室を出ようとした私の机に、一枚の紙が置かれていた。
「……何これ?」
開いてみる。
そこには、たった一言だけ書かれていた。
『放課後、昔の公園で待ってる。悠真』
私はその文字を見つめた。
昔の公園――。
そこは、私たちが初めて出会った場所だった。
「……何の話だろう?」
私はその紙を握りしめる。
そして、少しだけ胸を高鳴らせながら、あの公園へ向かった。
この日。
私はまだ知らなかった。
悠真が私に伝えようとしていた、本当の気持ちを。
放課後。
私は一人で、あの日の公園へ向かっていた。
学校から少し離れた場所にある、小さな公園。
昔と変わらないブランコ。
少し古くなったベンチ。
そして、私たちが雨宿りをした大きな木。
「……懐かしい」
周りを見渡していると――
「琴音」
後ろから声がした。
振り返ると、悠真が立っていた。
「来てくれてありがとう」
「うん……。どうしたの?」
悠真は何も言わず、ベンチに座った。
「ここ、覚えてる?」
「……少しだけ」
「そっか」
悠真は空を見上げた。
「俺は、ずっと覚えてた」
「……」
「琴音と初めて会った日も」
悠真はポケットから、昨日見せてくれた写真を取り出した。
「この写真も」
そして、もう一枚の写真を見せる。
そこには、幼い私たちが笑っている姿が写っていた。
「これ……いつ撮ったの?」
「琴音のお母さんが撮ってくれた」
「え?」
「俺の母さんが持ってたんだ。引っ越す前に、琴音のお母さんからもらったらしい」
私は写真をじっと見つめた。
「私、全然覚えてない……」
「でも俺は覚えてる」
悠真は写真を見ながら、静かに言った。
「あの日、琴音が俺に言ったこと」
「何て?」
「『一人じゃないよ』って」
胸が締めつけられるような気がした。
「俺、その言葉に救われたんだ」
悠真が私を見る。
「だから、いつかもう一度会えたらって思ってた」
「……悠真」
「そして高校を探してるとき、偶然琴音の名前を見つけた」
「え?」
「同じ学校に行けるって分かって……正直、嬉しかった」
悠真は少し照れながら笑った。
「だから俺、この学校を選んだ」
心臓が大きく鳴った。
「……私に会うために?」
「うん」
悠真はまっすぐ私を見る。
「琴音に、もう一度会いたかった」
何も言えなかった。
夕暮れの公園に、風が静かに吹いている。
「でも……」
悠真が少しだけ視線を逸らす。
「一つだけ、昔と違うことがある」
「……何?」
悠真は私の目を見る。
「昔は、琴音とまた友達になれたらいいって思ってた」
「……うん」
「でも今は違う」
悠真が一歩近づく。
「俺は――」
その瞬間。
「琴音!」
突然、遠くから声が聞こえた。
振り返ると、美紅が走ってくる。
「はぁ……はぁ……やっと見つけた!」
「美紅? どうしたの?」
「それが……」
美紅が息を整えながら、私を見る。
「琴音に、話さなきゃいけないことがあるの」
「私に?」
「うん」
美紅は少し迷ったあと、口を開いた。
「実は……今日、学校で聞いたんだけど」
「何を?」
美紅が悠真を見る。
「悠真くんのこと――」
その瞬間。
悠真の表情が変わった。
「美紅、それは……」
「え?」
私は二人を見つめる。
「何? 何か知ってるの?」
美紅は黙り込んだ。
そして、小さな声で言った。
「……悠真くん、昔この町を引っ越した理由って、琴音には話してないよね?」
「……え?」
悠真は何も答えなかった。
夕暮れの公園に、静かな沈黙が落ちる。
私は悠真を見つめた。
――このとき初めて、私は気づいた。
私が知らない「昔」が、まだ残っている。
「……悠真くん、どういうこと?」
美紅の言葉が頭から離れなかった。
悠真はしばらく黙っていた。
「……ごめん、琴音」
「何が?」
「話してなかったことがある」
その声は、いつもの悠真とは違っていた。
「俺が引っ越した理由……」
悠真はゆっくりと口を開いた。
「琴音のお父さんが関係してる」
「……え?」
思わず息をのんだ。
「私のお父さん?」
「うん」
美紅も驚いた顔をしている。
悠真はベンチに座り、俯いた。
「昔、俺の父親が仕事で大きな問題を起こしたんだ」
「……」
「そのせいで、家族でこの町を離れることになった」
私は何も言えなかった。
「でも、そのとき……琴音のお父さんが俺の父親を助けてくれた」
「お父さんが……?」
「うん」
悠真はポケットから、古い紙を取り出した。
「これ、俺の父親が残してた手紙」
私は震える手で受け取った。
そこには、昔の私のお父さんの名前が書かれていた。
そして、その下には――
『いつか、琴音ちゃんに伝えてください。悠真をよろしくお願いします』
「……どういう意味?」
私が顔を上げると、悠真は悲しそうに笑った。
「俺の父親は、ずっと琴音のお父さんに感謝してたんだ」
「……」
「だから俺も、いつか琴音にちゃんと伝えたかった」
悠真は立ち上がる。
「ありがとうって」
「……悠真」
「でも、それだけじゃない」
悠真は私をまっすぐ見つめた。
「俺がこの町に戻ってきた本当の理由は――」
少しだけ間を置いて。
「琴音に会いたかったから」
胸が熱くなった。
「昔、琴音が俺を救ってくれた」
「……」
「今度は俺が、琴音のそばにいたい」
その言葉に、涙が一粒こぼれた。
「なんで……泣くの?」
「分かんない……」
私は涙を拭った。
「ただ……嬉しくて」
悠真が優しく笑った。
「じゃあ、これからもそばにいていい?」
私は小さく頷いた。
「……うん」
そして悠真は、そっと手を差し出した。
「約束」
私はその手を握った。
温かかった。
昔、雨の日に出会った男の子。
ずっと忘れていたと思っていた。
でも本当は――
私の心のどこかに、ずっと残っていたのかもしれない。
あの日、雨の中で出会った君。
そして今日。
私はもう一度、君に出会った。
――今度は、恋をするために。
ただ、このとき私はまだ知らなかった。
この恋には、もう一つ大きな秘密が隠されていることを。
公園からの帰り道。
私は悠真の隣を歩いていた。
さっきまで聞きたかったことが、まだたくさんある。
でも、不思議と今は何も聞きたくなかった。
ただ、隣に悠真がいる。
それだけで十分だった。
「琴音」
「ん?」
「今日、楽しかった?」
「……うん」
「そっか」
悠真は嬉しそうに笑った。
その横顔を見ていると、また胸がドキドキする。
私は自分の気持ちに気づき始めていた。
――私は、悠真のことが好きなのかもしれない。
でも、その気持ちを認めるのは少し怖かった。
「じゃあ、また明日」
家の近くまで来ると、悠真が立ち止まった。
「うん。また明日」
私が手を振ろうとしたとき――
「琴音」
「なに?」
悠真が少し真剣な顔をした。
「一つだけ聞いていい?」
「うん」
「昔のこと……全部思い出した?」
「……まだ全部は」
「そっか」
悠真は少し安心したように笑った。
「じゃあ、焦らなくていいよ」
「え?」
「琴音が思い出したくなったときに、少しずつ思い出せばいい」
そう言って、悠真は帰っていった。
私はその背中を見つめながら、ふと思った。
――どうして悠真は、私が思い出していないことを知っているんだろう。
***
次の日。
学校に着くと、美紅が私のところへ駆け寄ってきた。
「琴音!」
「どうしたの?」
「昨日のことなんだけど……」
美紅は周りを確認してから、小さな声で言った。
「悠真くんのお父さんのこと、もう少し調べてみたの」
「え?」
「実はね――」
美紅がスマホの画面を見せる。
そこには、昔の新聞記事が表示されていた。
私は記事を読み進める。
そして、一つの名前を見つけた瞬間――
息が止まった。
「……これ」
そこに書かれていた名前は、
私のお父さんの名前だった。
「どうして……?」
美紅は黙って私を見る。
そのとき、教室の扉が開いた。
「琴音」
悠真だった。
私の手にあるスマホを見た瞬間、悠真の表情が変わる。
「……それ、見たんだ」
「悠真……これ、どういうこと?」
悠真はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり口を開いた。
「琴音のお父さんと俺の父親は――」
そこで言葉を止める。
「昔、一緒にある約束をしてたんだ」
「……どんな約束?」
悠真は私を見つめた。
「俺たち二人を、いつかもう一度会わせるっていう約束。」
「……え?」
胸が大きく鳴った。
偶然だと思っていた。
ずっと離れていた私たちが、同じ高校で再会したことも。
昔の公園で出会ったことも。
全部、偶然だと思っていた。
でも――
もしかしたら。
私たちの出会いは、偶然なんかじゃなかったのかもしれない。
そして悠真は、最後にこう言った。
「琴音……まだ俺には、君に話してないことがある」
その言葉を聞いた瞬間。
私の胸に、嫌な予感が走った。
私たちの「出会い」には、まだ知らない秘密があった。
『君との出会い』
「まだ俺には、君に話してないことがある」
悠真の言葉が、頭の中に残っていた。
「……何?」
私が聞くと、悠真は教室の窓の外を見た。
「ここじゃ話せない」
「じゃあ、どこで?」
「放課後。昨日の公園で」
また、あの公園。
私は少し不安になりながらも頷いた。
「分かった」
***
放課後。
公園に着くと、悠真はベンチに座っていた。
私に気づくと、ゆっくり立ち上がる。
「来てくれてありがとう」
「うん……」
昨日とは違う。
悠真の表情は、どこか悲しそうだった。
「琴音」
「なに?」
「俺がこの町に戻ってきた理由……本当はもう一つある」
「……?」
悠真はポケットから、一枚の古い手紙を取り出した。
「これ、俺が引っ越す前に、琴音のお父さんからもらったものなんだ」
「お父さんから?」
私は手紙を受け取った。
封筒には、少し色あせた文字で、
『悠真くんへ』
と書かれていた。
震える手で封筒を開ける。
中には、短い文章が書かれていた。
『もし大きくなって琴音と再会することがあったら、どうかあの子のそばにいてあげてください。』
「……どうして?」
私は顔を上げた。
「どうしてお父さんは、こんなことを……?」
悠真は黙っていた。
そして、しばらくしてから口を開いた。
「琴音のお父さんは、昔から俺のことを気にかけてくれてた」
「うん……」
「でも、それだけじゃない」
悠真の声が少し震える。
「俺が引っ越す直前、お父さんは俺に言ったんだ」
「何を?」
悠真は私を見つめた。
「『琴音には、まだ伝えていないことがある』って」
「……私に?」
「うん」
私は息をのんだ。
「それって……何?」
悠真は答えず、手紙の裏側を指差した。
そこには、今まで気づかなかった小さな文字が書かれていた。
『琴音が18歳になったら、真実を伝えてください。』
「……18歳?」
私は呆然とした。
「琴音、今いくつ?」
「……17」
「だから、まだ一年ある」
「じゃあ、なんで今教えてくれるの?」
悠真は少し寂しそうに笑った。
「俺も待つつもりだった」
「……」
「でも、昨日琴音が泣いてるのを見て……もう隠しておけないと思った」
胸が苦しくなった。
「悠真……」
すると突然、スマホが鳴った。
画面を見る。
――お母さんからだった。
『帰ったら話したいことがあります。』
短いメッセージ。
それだけだった。
私は嫌な予感がした。
「悠真……」
「うん?」
「今日、家に帰ったら……お母さんに聞いてみる」
「何を?」
私はスマホを握りしめた。
「私と悠真が昔出会った日のこと。」
悠真は黙って頷いた。
そして帰ろうとした私に、最後に一言だけ告げた。
「琴音」
「ん?」
「どんな真実を知っても――」
悠真はまっすぐ私を見る。
「俺は琴音の味方だから」
その言葉に、なぜか涙が出そうになった。
私は小さく笑った。
「……ありがとう」
そして私は家へ向かった。
このときはまだ知らなかった。
母から聞かされる話が――
私と悠真の「出会い」のすべてを変えてしまうことを。
家に着くと、玄関にはお母さんが立っていた。
「おかえり、琴音」
「ただいま……」
いつもと変わらない声。
でも、どこか様子がおかしい。
「お母さん。話したいことって何?」
私が聞くと、お母さんは少し黙ってから、
「……悠真くんに会ったのね」
そう言った。
「え?」
どうして知ってるの?
私は驚いて、お母さんの顔を見る。
「なんで……悠真のこと知ってるの?」
お母さんは小さく息を吐いた。
「今日、悠真くんのお母さんから連絡があったの」
「……」
「琴音に、もう隠しておくことはできないと思って」
お母さんはリビングへ向かう。
私はその後を追った。
テーブルの上には、古いアルバムが置かれていた。
「これ……」
「あなたがまだ小さかった頃の写真よ」
お母さんがアルバムを開く。
そこには、幼い私の写真がたくさん並んでいた。
そして――
一枚の写真に、私の目が止まった。
「……これ」
そこには、幼い私と悠真が写っていた。
公園のベンチ。
二人で笑っている。
「この写真……悠真が持ってた」
「そう……」
お母さんは静かに頷いた。
「あなたと悠真くんは、昔から仲が良かったの」
「でも私、ほとんど覚えてない……」
「それには理由があるの」
「理由?」
お母さんは少し迷ったあと、言った。
「あなたが小さい頃、悠真くんが引っ越す直前に……事故があったの」
「事故……?」
「そのとき、あなたは頭を強く打ってしまった」
私は息をのんだ。
「そのせいで、あなたは一部の記憶を失ったの」
「……だから?」
「だから、悠真くんとの思い出も……」
お母さんの言葉が止まる。
私はアルバムを見つめた。
忘れていた。
ずっと心の奥にあったはずの記憶を。
「じゃあ……私が悠真を覚えてなかったのは……」
「そういうこと」
涙がこぼれた。
「……じゃあ、悠真はずっと覚えてたの?」
「ええ」
「私のことを……ずっと?」
お母さんは頷いた。
「だから、あの子は何度もあなたに会いたいと言っていたの」
胸が苦しくなった。
私はスマホを取り出した。
悠真に連絡しようとする。
でも、指が止まった。
――今すぐ会いたい。
そう思った。
その瞬間。
スマホが震えた。
画面を見ると、悠真からメッセージが届いていた。
『今、家の前にいる』
「……え?」
私は慌てて玄関へ走った。
ドアを開ける。
そこには――
雨の中、傘も差さずに立っている悠真がいた。
「悠真……!」
「琴音」
悠真は少し笑った。
「やっぱり、思い出した?」
私は首を横に振った。
「まだ全部じゃない」
そして、涙を拭いながら言った。
「でも……もっと思い出したい」
悠真は何も言わず、私に傘を差し出した。
「じゃあ、一緒に思い出そう」
「……うん」
私は悠真の隣に並んだ。
雨の音が静かに響く。
昔と同じ雨。
でも、今の私はもう一人じゃない。
そして――
悠真の手が、そっと私の手に触れた。
「琴音」
「なに?」
「これからは、絶対に離れないから」
その言葉を聞いた瞬間。
私の頭の中に、忘れていた最後の記憶が――
一瞬だけ、蘇った。
『琴音、俺、大きくなったら……』
そこで記憶が途切れた。
「……悠真」
「どうした?」
私は彼の顔を見つめた。
「私……昔、悠真に何か言われた気がする」
悠真の表情が変わった。
「……覚えてきたんだ」
「何を言ったの?」
悠真は少しだけ笑った。
そして――
「それは、もう少し思い出してから教える」
そう言って、私の手を握った。
あの日の約束は、まだ終わっていなかった。
次の日の朝。
目を覚ました瞬間、昨日のことが頭に浮かんだ。
――「大きくなったら……」
あの言葉の続き。
私はベッドの上で何度も考えた。
「なんだったんだろう……」
思い出したい。
でも、思い出そうとすると頭の奥がぼんやりしてしまう。
私は制服に着替え、いつもより少し早く家を出た。
学校へ向かう途中――
「琴音!」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、悠真が走ってくる。
「おはよう」
「おはよう……」
昨日、手を握られたことを思い出して、少し恥ずかしくなる。
「……どうした?」
「え?」
「顔、赤い」
「赤くない!」
「ふふっ」
また笑われた。
「悠真!」
「はいはい」
二人で並んで歩く。
昨日までは少し遠く感じていた距離が、今日はなぜか近く感じた。
「琴音」
「ん?」
「今日、放課後時間ある?」
「あるけど……」
「ちょっと付き合ってほしいところがある」
「どこ?」
「秘密」
「また秘密?」
「うん」
悠真は楽しそうに笑った。
***
放課後。
連れていかれた場所は、学校の音楽室だった。
「音楽室?」
「うん」
悠真が扉を開ける。
中には誰もいない。
窓から夕日が差し込んでいる。
「ここで何するの?」
「昔、琴音が好きだった場所なんだ」
「私が?」
「うん」
悠真はピアノの前に座った。
「昔、琴音がここみたいな場所で、俺に歌を聴かせてくれた」
「私が歌を?」
「覚えてない?」
私は首を横に振った。
悠真は少し寂しそうに笑った。
「そっか」
そして、鍵盤に指を置く。
優しいメロディーが音楽室に響いた。
その瞬間――
頭の中に、昔の景色が浮かんだ。
雨。
公園。
幼い悠真。
そして、幼い私。
『悠真くん、元気出して』
『……うん』
『大きくなったら、また会おうね』
『約束?』
『約束!』
記憶が一気に流れ込んでくる。
そして――
最後に、もう一つ。
『琴音……大きくなったら、俺と――』
「……っ!」
私は頭を抱えた。
「琴音!?」
悠真が慌てて立ち上がる。
「大丈夫?」
「……思い出した」
「何を?」
私は顔を上げた。
「悠真が昔、私に言おうとしたこと……」
悠真の表情が固まった。
「……何て言ってた?」
私は胸に手を当てた。
そして、ゆっくり言った。
「大きくなったら――」
悠真を見る。
「私と付き合ってって言おうとしたんでしょ?」
静かな音楽室に、沈黙が落ちた。
悠真は少し驚いた顔をしたあと――
「……うん」
小さく頷いた。
「昔から、ずっと好きだった」
胸がいっぱいになった。
「……私も」
「え?」
「私も、悠真のこと……」
言葉が続かない。
でも、悠真には伝わったらしい。
「……そっか」
悠真が優しく笑った。
「じゃあ今度は、昔の約束じゃなくて――」
一歩、私に近づく。
「今の俺と、今の琴音で約束しよう」
「……うん」
「これからも、ずっと一緒にいる」
私は笑いながら頷いた。
「約束」
窓の外では、夕日がゆっくり沈んでいく。
昔、離れてしまった二人。
忘れてしまった記憶。
そして、もう一度巡り会った二人。
私たちの恋は、あの日の続きから始まった。
でも――
その翌日。
学校で、思いもよらない人物が私たちの前に現れた。
「……悠真?」
悠真の顔から、笑顔が消えた。
その人物は、私たちを見て一言だけ言った。
「久しぶりだな、悠真。」
――私たちの恋は、ここからまた大きく動き始める。
「久しぶりだな、悠真」
その声を聞いた瞬間、悠真の表情が変わった。
「……なんで、ここにいるんだよ」
目の前にいる男の子は、私たちと同じ制服を着ていた。
少し長めの黒髪。
悠真よりも背が高く、どこか冷たい雰囲気がある。
「転校してきたんだよ」
「……そうか」
悠真の声が低くなる。
私は二人を交互に見た。
「悠真、この人……誰?」
すると、その男の子が私を見る。
そして、驚いたように目を見開いた。
「……君が琴音?」
「え?」
「やっぱり……」
彼は何かを知っているようだった。
「どうして私の名前を知ってるの?」
「悠真から聞いた」
「……」
悠真が口を挟む。
「もういいだろ。行こう、琴音」
「待てよ」
男の子が悠真の腕を掴んだ。
「まだ話は終わってない」
「離せ」
「お前、琴音に全部話したのか?」
その言葉に、悠真が黙った。
「……全部?」
私は不安になって悠真を見る。
「どういうこと?」
男の子は私を見つめた。
「琴音。お前はまだ知らないんだよ」
「何を……?」
「昔、悠真が引っ越した本当の理由」
胸がざわつく。
「それなら聞いた。家族の仕事のことだって……」
「それだけじゃない」
男の子が言った。
「悠真は――」
「やめろ!」
初めて聞くような強い声だった。
悠真が男の子を睨む。
「琴音には関係ない」
「関係あるだろ」
男の子は私を見る。
「だって、あの日――」
「やめろ!」
悠真が叫んだ。
教室にいた生徒たちが、一斉にこちらを見る。
私は悠真の袖を掴んだ。
「悠真……」
「ごめん」
悠真は俯いた。
「でも、今はまだ話せない」
「……どうして?」
「琴音を傷つけたくないから」
その言葉が、胸に刺さった。
私は何も言えなかった。
***
放課後。
私は一人で教室に残っていた。
悠真とは、あれから一度も話していない。
「……私に関係あるって、どういうこと?」
頭の中で何度も考える。
そのとき――
「琴音」
後ろから声がした。
振り返ると、朝の男の子が立っていた。
「……あなた」
「俺の名前、まだ言ってなかったな」
彼は少し笑った。
「蓮。神崎蓮」
「蓮くん……」
「琴音。悠真を信じたい?」
「……うん」
迷わず答えた。
「じゃあ、これを見て」
蓮が一枚の写真を差し出す。
私は写真を受け取った。
そこに写っていたのは――
幼い私。
幼い悠真。
そして、もう一人の男の子。
「……この子、誰?」
「俺」
「……え?」
蓮は静かに言った。
「俺も、あの日あの公園にいた」
心臓が大きく跳ねた。
「そして琴音――」
蓮は私を見つめる。
「あの日、事故が起きた原因を知っているのは、俺と悠真だけだ。」
写真を持つ手が震えた。
――あの日。
私が忘れてしまった、あの日。
そこには一体、何があったの?
そして私はまだ知らない。
悠真がずっと隠していた「本当の出会い」の秘密を。
「俺も、あの日あの公園にいた」
蓮の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
「……じゃあ、あの日に何があったの?」
私は震える声で聞いた。
蓮はしばらく黙っていた。
「全部話す。でも、その前に一つだけ言っておく」
「……なに?」
「悠真は、琴音を傷つけようとして隠してたわけじゃない」
「え?」
「むしろ逆だ」
蓮は写真を見つめた。
「お前を守るために、ずっと黙ってた」
「私を……?」
「うん」
蓮はゆっくり話し始めた。
「昔、俺たちは三人でよく遊んでた」
「三人……?」
「琴音、悠真、俺」
私は写真をもう一度見た。
「でも、ある日――琴音のお父さんと悠真のお父さんが、言い争ってた」
「お父さんたちが?」
「俺たちは、その近くにいた」
蓮の声が少し低くなる。
「大人の話なんて分からなかった。でも、悠真のお父さんが怒ってるのだけは分かった」
「それで……?」
「悠真が止めに行ったんだ」
私は息をのんだ。
「そのとき、琴音も追いかけた」
「私が……?」
「うん」
蓮は頷いた。
「そして――」
その瞬間。
教室の扉が開いた。
「蓮!」
悠真だった。
息を切らしている。
「……琴音に何を話した?」
「まだ何も」
蓮が答える。
「じゃあ、俺から話す」
悠真は私の前まで歩いてきた。
「琴音」
「……うん」
「ごめん」
「どうして謝るの?」
悠真は苦しそうな顔をした。
「俺が琴音を巻き込んだ」
「巻き込んだって……?」
「昔、琴音が事故に遭ったのは――俺を助けようとしたからなんだ」
「……え?」
頭の中が真っ白になった。
「私が……悠真を?」
「うん」
悠真は俯いた。
「俺が道路に飛び出したとき、琴音が俺を追いかけてきた」
「……」
「そして琴音が転んで、頭を打った」
私は頭を押さえた。
その瞬間――
映像が一気に蘇った。
雨の中。
道路。
幼い悠真。
そして、走ってくる私。
『悠真!危ない!』
「……っ!」
私はその場にしゃがみ込んだ。
「琴音!」
悠真が駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「……思い出した」
「え?」
涙が頬を伝った。
「私……悠真を助けようとして……」
「もういい」
悠真が優しく言う。
「琴音のせいじゃない」
「でも……」
「俺のせいなんだ」
「違う!」
私は顔を上げた。
「悠真のせいじゃないよ」
昔の記憶が少しずつ戻ってくる。
そして、最後に一つだけ。
あの日、倒れる直前の私が悠真に言った言葉。
「……私、悠真に言ったんだ」
「何を?」
私は涙を拭った。
「『大きくなったら、また会おうね』って」
悠真の目が潤んだ。
「……うん」
「だから……」
私は笑った。
「ちゃんと会えたね」
悠真は何も言わず、私の手を握った。
その手は、昔と同じくらい温かかった。
蓮は少し離れた場所で、静かに二人を見ていた。
そして、小さく呟いた。
「……やっと、あの日の約束が叶ったな」
でも――
蓮はまだ私たちに伝えていないことがあった。
あの日、事故の直前に悠真のお父さんが話していた「もう一つの秘密」を。
「もう一つの秘密……?」
私がそう呟くと、蓮がゆっくりこちらを見た。
「……話すべきだと思う」
悠真が蓮を見る。
「蓮、それは――」
「いつまでも隠しておくことじゃない」
蓮はそう言って、ポケットから古い封筒を取り出した。
「これ、あの日に落ちていたものなんだ」
「……手紙?」
私は封筒を受け取った。
表には、見覚えのある文字。
『琴音へ』
「私に……?」
震える手で封筒を開ける。
中には、一枚の紙が入っていた。
『琴音へ。
もし大きくなって、この手紙を読む日が来たら、きっと悠真と再会していることでしょう。
あの日、二人が出会ったことは偶然ではありません。
そして、悠真のお父さんと私には、どうしても伝えなければならない約束があります。』
そこで文章は一度途切れていた。
私は続きを探す。
紙の下には、もう一つの文章があった。
『二人が大きくなったとき、もしお互いを大切に思っているのなら――
過去のことではなく、これからの未来を二人で選んでください。』
「……未来を、選ぶ?」
私は顔を上げた。
「どういうこと?」
蓮が答える。
「琴音のお父さんは、悠真のお父さんと昔から友達だった」
「……」
「二人とも、家族のことで悩んでいた時期があった。でも、そのときにお互いを支え合った」
悠真が静かに口を開いた。
「だから俺の父さんは、琴音のお父さんにこう言ったんだ」
「何て?」
「『いつか子どもたちが大きくなって、自分たちの意思で出会えたらいいな』って」
胸が温かくなった。
「じゃあ……私たちが再会したのは――」
「運命だったのかもしれないな」
悠真が笑った。
私は手紙を胸に抱きしめる。
「でも……」
私は悠真を見る。
「私は、誰かに決められたから悠真を好きになったんじゃない」
悠真が驚いた顔をする。
「私が自分で、悠真を好きになったんだと思う」
「……琴音」
「昔の約束があったからじゃなくて」
私は少し照れながら笑った。
「今の悠真と一緒にいたいって思ったから」
悠真はしばらく黙っていた。
そして――
「……俺も同じ」
そっと私の手を握る。
「昔の約束じゃなくて、今の俺として琴音に好きになってもらいたかった」
「……うん」
その瞬間、蓮が小さく笑った。
「じゃあ、もう俺がここにいる必要はなさそうだな」
「蓮……?」
「二人でちゃんと幸せになれよ」
そう言って、蓮は教室を出ていった。
私は悠真の隣に立つ。
窓の外には、夕焼けが広がっていた。
「悠真」
「ん?」
「これからも、ずっと一緒にいようね」
「もちろん」
悠真は笑った。
「今度は、離れない」
私はその言葉を聞いて、笑顔になった。
――昔、雨の日に始まった私たちの物語。
一度は離れてしまったけれど。
もう一度出会うことができた。
そして今度は、自分たちの意思で隣にいる。
『君との出会い』は、過去から始まった。
でも――
私たちの恋は、ここから始まる。
それから数日が経った。
私は、悠真と一緒にいることが当たり前になりつつあった。
朝は一緒に学校へ行って、休み時間にはくだらない話をして、放課後には一緒に帰る。
「琴音、今日帰り寄り道しない?」
「どこ行くの?」
「秘密」
「また秘密?」
「今度はちゃんと楽しい秘密」
悠真が笑う。
私はそんな悠真を見ながら、ふと思った。
――幸せだな。
昔のことを全部思い出せたわけじゃない。
それでも、今の私は悠真と過ごす時間が好きだった。
***
放課後。
悠真に連れてこられたのは、駅の近くにある小さなカフェだった。
「ここ、昔も来たことある?」
「あるよ」
「え?」
「琴音が昔、ここでケーキを食べたいって言ってた」
「……私、食べ物ばっかりじゃない?」
「昔からね」
「もう!」
二人で笑う。
席に座ると、悠真がメニューを開いた。
「何食べる?」
「うーん……」
私はショートケーキを指差した。
「これ」
「やっぱり」
「何?」
「昔と同じ」
「……覚えてるんだ」
「忘れるわけないだろ」
その言葉に、胸が温かくなった。
しばらくしてケーキが運ばれてくる。
私は一口食べた。
「おいしい!」
「そんなに?」
「うん!」
悠真は私を見ながら笑っている。
「何?」
「いや……昔と同じだなって」
「何が?」
「嬉しいときの顔」
「……恥ずかしいんだけど」
私は少し俯いた。
すると悠真が、小さな声で言った。
「俺、その顔が好き」
「……え?」
顔を上げる。
悠真は真っ直ぐ私を見ていた。
「琴音が笑ってるのが、一番好き」
胸がドキドキする。
「……私も」
「ん?」
「悠真が笑ってるところ、好き」
悠真は一瞬驚いたあと、照れたように笑った。
「じゃあ、もっと笑わせないとな」
「うん」
そのときだった。
店の入口から聞き覚えのある声がした。
「……琴音?」
振り返る。
そこに立っていたのは――
「お母さん……?」
母は私と悠真を見て、少し驚いた顔をしていた。
そして、悠真の姿を見ると、何かを思い出したように表情を変えた。
「……悠真くん」
「おばさん、お久しぶりです」
「そうね……」
母は少し迷ったあと、私たちのテーブルに近づいてきた。
「琴音。家に帰ったら、話したいことがあるの」
「また?」
「今度は、昔の話じゃない」
母は悠真を見る。
「あなたたち二人に関係する話よ」
悠真の表情が変わった。
「……二人に?」
母は小さく頷いた。
「あなたのお父さんから、もう一つ預かっているものがあるの」
「……何ですか?」
母はバッグから、一枚の写真を取り出した。
そこには――
幼い私と悠真、そして私たちの両親が一緒に写っていた。
でも。
写真の端に、見知らぬ女性が一人写っていた。
私はその女性を見た瞬間、胸がざわついた。
「……この人、誰?」
母はしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「この人が――」
母の言葉が止まる。
「あなたたちが離れ離れになった、本当の理由を知っている人よ。」
私は写真を握りしめた。
悠真も黙って写真を見つめている。
――私たちの物語には、まだ終わっていない秘密があった。
――本当の理由
「この人が――あなたたちが離れ離れになった、本当の理由を知っている人よ」
お母さんの言葉に、琴音は息をのんだ。
隣にいた悠真も、写真をじっと見つめている。
「……俺、この人……知らない」
悠真が小さく呟いた。
「私も……」
琴音が写真を手に取る。
そこには、幼い琴音と悠真。
そして二人の父親と母親。
その端に、見知らぬ女性が写っていた。
女性は、どこか寂しそうに二人を見つめている。
「この人はね……」
琴音の母親がゆっくり話し始めた。
「昔、私たち家族の近くに住んでいた人なの」
「近くに……?」
「名前は、真由美さん」
その名前を聞いた瞬間。
悠真の表情が変わった。
「……真由美?」
「知ってるの?」
琴音が悠真を見る。
悠真は首を横に振った。
「名前だけ……父さんの古い書類に、何度か書いてあった」
お母さんは少し黙ってから続けた。
「真由美さんは、あの日……事故が起きたとき、その場にいたの」
琴音の心臓が大きく跳ねた。
「あの日……?」
「そう。琴音が悠真くんを助けようとして、事故に遭った日」
琴音は無意識に悠真の手を握った。
悠真も、ぎゅっと握り返す。
「じゃあ……全部知ってるってこと?」
琴音の問いに、お母さんは静かに頷いた。
「事故のことだけじゃない」
「……え?」
「あなたたちのお父さんたちが、あの日、何を話していたのかも」
部屋の空気が一気に重くなる。
悠真が立ち上がった。
「母さん……どうして今まで何も言わなかったの?」
「言えなかったの」
「どうして?」
お母さんは写真をテーブルに置いた。
そして、震える声で言った。
「真由美さんが、あなたたちを離れさせるようにお願いしたの」
「……え?」
琴音と悠真の声が重なった。
「どういうこと……?」
琴音が尋ねる。
お母さんは、しばらく写真を見つめていた。
「真由美さんは、事故のあとに言ったの」
――『この二人を、しばらく会わせないほうがいい』って。
「なんで……?」
「琴音ちゃんが、自分を責め続けていたから」
琴音の胸が締めつけられる。
「私が……?」
「そう。琴音は事故のあと、何度も言ってたの」
お母さんの目に涙が浮かぶ。
「『悠真くんを助けられなかった』って」
「……違う」
悠真がすぐに口を挟んだ。
「琴音は俺を助けてくれた」
「悠真……」
「俺が今ここにいるのは、琴音のおかげだから」
琴音の目から涙がこぼれた。
「でもね」
お母さんは続けた。
「真由美さんは、それだけじゃないと言っていたの」
「……まだ何かあるの?」
悠真が聞く。
お母さんは頷いた。
「事故が起きる前に――真由美さんは、あなたたちのお父さんが話しているのを聞いていた」
そして、一枚の古い封筒を取り出した。
封筒には、見覚えのある文字。
琴音の父親の字だった。
「これを……真由美さんから預かっていたの」
悠真が封筒を見る。
「中には何が?」
お母さんは封筒を琴音に差し出した。
「あなたが18歳になったら渡すようにって」
琴音の手が震える。
18歳。
以前見つかった手紙にも書かれていた言葉。
――『琴音が18歳になったら、真実を伝えてください』
「じゃあ……この手紙が、その真実……?」
「たぶんね」
琴音はゆっくり封筒を開けた。
中には一枚の紙。
そして――もう一枚。
古い写真が入っていた。
琴音が写真を見た瞬間。
「……え?」
そこに写っていたのは。
幼い琴音。
幼い悠真。
そして――蓮。
三人が笑顔で並んでいる。
「……蓮?」
悠真が驚いた顔をする。
だが、その写真の裏には、さらに文字が書かれていた。
琴音が震える指で裏返す。
そこには――
『三人を引き離した本当の理由は、事故ではありません。』
と書かれていた。
琴音の呼吸が止まる。
悠真も言葉を失う。
そして、その下にはもう一行。
『あの日、誰かが嘘をつきました。』
「……誰が……?」
琴音が呟く。
その瞬間。
スマホが鳴った。
画面に表示された名前は――
蓮。
悠真が電話を取る。
「蓮?」
電話の向こうから、低い声が聞こえた。
『……その手紙、見たんだな』
「どうして知ってる?」
少しの沈黙。
そして蓮は、静かに言った。
『だったら……俺からも話さないといけない』
『あの日、事故の直前に――』
蓮の声が震える。
『俺たちは、もう一人の子と会ってたんだ』
「……もう一人?」
琴音と悠真は顔を見合わせた。
『その子が――全部の始まりだった』
電話が切れた。
琴音の手の中には、まだ一枚の写真。
そこには――
三人ではなく、四人の子どもたちが写っていた。
――四人目の子
「……四人?」
琴音は、写真を見つめたまま動けなかった。
写真には、幼い琴音、悠真、蓮。
そして、その隣に――見知らぬ女の子が写っている。
女の子は、三人より少し年下に見えた。
笑っている。
まるで、ずっと昔から三人と一緒にいたように。
「この子……誰?」
琴音が呟く。
電話の向こうから、蓮の声が聞こえた。
『名前は……紗奈』
「紗奈……?」
『俺たちと同じ公園で、よく遊んでた』
悠真が眉を寄せる。
「俺、覚えてない……」
『忘れたんじゃない』
蓮が静かに答えた。
『忘れさせられたんだ』
琴音の背筋がぞくっとした。
「……どういう意味?」
しばらく沈黙が続く。
そして蓮が言った。
『紗奈は、あの日の事故を見てた』
「……!」
『そして――事故のあと、突然いなくなった』
琴音は写真を握りしめた。
「どうして?」
『それは……』
蓮が言葉を詰まらせる。
『紗奈が、事故の直前に聞いたんだ』
「何を?」
『俺たちのお父さんたちが話していたことを』
悠真の顔から血の気が引いた。
「……まさか」
『そう』
蓮の声が低くなる。
『あの日、公園で起きたことは、ただの事故じゃなかった』
琴音は息を止めた。
「じゃあ……何だったの?」
『俺も全部は知らない』
蓮が答える。
『でも、一つだけ確かなことがある』
「……何?」
『悠真のお父さんは、事故が起きる前から――琴音のお父さんに「あること」を頼んでいた』
「あること……?」
そのとき。
琴音の母親が、突然立ち上がった。
「……もう、ここまでにしましょう」
「お母さん?」
「琴音。あなたはまだ知らなくていい」
「どうして!?」
琴音は初めて母親に強く言った。
「私と悠真くんが離れ離れになった理由も、蓮くんのことも、紗奈ちゃんのことも……全部知りたい!」
涙が頬を伝う。
「だって……ずっと何も知らなかったんだよ」
母親は何も言わなかった。
すると悠真が琴音の隣に立った。
「俺も知りたいです」
「悠真くん……」
「琴音だけに背負わせたくない」
悠真は琴音の手を握った。
「昔も、今も」
その言葉に、琴音の胸が温かくなる。
すると母親は、ゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
そして、もう一つの封筒を取り出した。
「これも、あなたに渡すわ」
琴音が受け取る。
封筒には――
『琴音へ』
と書かれていた。
父親からの手紙だった。
震える手で開く。
そこには、たった一行。
『あの日、悠真を守ろうとした琴音を、私は守れなかった。』
琴音の目から涙が落ちる。
そして、その下に続いていた。
『だから私は、二人を離すという間違った選択をした。』
「……お父さん……」
さらに読み進める。
『だが、本当に恐れていたのは事故ではない。』
琴音は息を止めた。
その先に書かれていた名前。
――紗奈。
そして最後の一文。
『紗奈が今どこにいるのかを知れば、あの日の本当の意味が分かる。』
琴音と悠真は顔を見合わせた。
その瞬間。
スマホに、蓮からメッセージが届いた。
『今から会える?』
その下に、もう一文。
『紗奈の居場所が分かった。』
琴音の心臓が、大きく鳴った。
――止まっていた過去が。
今、再び動き始めた。
――再会
「……紗奈の居場所が分かった」
蓮から届いたメッセージを、琴音は何度も読み返した。
「どうする?」
悠真が隣から覗き込む。
琴音は少し迷ってから、スマホを握りしめた。
「……会いたい」
「俺も行く」
「うん」
二人は顔を見合わせた。
昔の記憶を追いかけるように――。
二人は蓮との待ち合わせ場所へ向かった。
*
夕方。
人の少ない公園のベンチに、蓮が座っていた。
「来たか」
「蓮、紗奈は?」
琴音が聞くと、蓮はすぐには答えなかった。
そして、ゆっくり立ち上がる。
「……この先にいる」
三人で歩き出す。
しばらくすると、古い小さなカフェが見えてきた。
蓮が足を止める。
「ここだ」
「……ここに?」
琴音の心臓が早くなる。
悠真がそっと琴音の手を握った。
「大丈夫」
「……うん」
三人が店に入る。
店の奥。
窓際の席に、一人の女の子が座っていた。
長い髪。
静かな横顔。
そして――手には、古い写真。
蓮が声をかける。
「……紗奈」
女の子が振り返った。
その瞬間。
琴音は息をのんだ。
「……琴音?」
名前を呼ばれた。
初めて会うはずなのに。
なぜか胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「どうして……私の名前を?」
紗奈は少し悲しそうに笑った。
「忘れちゃったんだね」
「……え?」
「私たち、昔……ずっと一緒に遊んでたよ」
琴音は言葉を失った。
すると紗奈は、悠真を見た。
「悠真くんも」
「……俺も?」
「うん」
紗奈は古い写真をテーブルに置いた。
そこには、四人の子どもたち。
そして裏側には、幼い文字でこう書かれていた。
『ずっと4人でいようね』
琴音の胸が痛んだ。
「……私、どうして忘れてるの?」
紗奈はしばらく黙っていた。
そして、小さな声で答えた。
「事故のせいだけじゃないよ」
「……え?」
「琴音ちゃん」
紗奈はまっすぐ琴音を見る。
「あなたのお父さんが、私にお願いしたの」
「何を……?」
紗奈の目に涙が浮かんだ。
「『琴音には、何も言わないでほしい』って」
悠真が驚く。
「父さんが……?」
「そう」
紗奈は頷いた。
「でも、本当は私も言いたかった」
「何を?」
紗奈は写真を握りしめる。
そして――
「事故の直前、悠真くんを呼び出したのは……私だった」
「……!」
琴音の目が大きく開く。
悠真も固まる。
「どういうこと?」
紗奈は震える声で続けた。
「私は、あなたたちのお父さんたちが話していたことを聞いてしまったの」
「何を聞いたの?」
紗奈は一度目を閉じた。
そして、あの日のことを口にした。
「――『悠真を遠くへ連れていく』って」
「……え?」
琴音と悠真の表情が凍る。
「だから私は、悠真くんに伝えようとした」
紗奈の目から涙が落ちた。
「でも……その途中で、事故が起きた」
琴音の頭の中に、断片的な記憶が流れ込んでくる。
雨。
走る自分。
悠真の声。
そして――誰かの叫び声。
「……待って」
琴音が頭を押さえる。
「私……何か思い出しそう……」
悠真がすぐに支える。
「琴音!」
その瞬間。
琴音の脳裏に、幼い自分と悠真、蓮、紗奈の姿が浮かんだ。
そして最後に――
見知らぬ大人の男が、雨の中で言っていた。
「このことは、誰にも言うな」
琴音は目を見開いた。
「……私、聞いたことがある」
「何を?」
琴音は震えながら顔を上げる。
「事故が起きる前に……誰かが言ってた」
そして、ゆっくりその言葉を口にした。
「――『悠真を守るためには、琴音を遠ざけるしかない』って……」
悠真の顔から笑顔が消えた。
「……俺を守るため?」
紗奈が頷く。
「そう」
「じゃあ……俺たちが離れた本当の理由は――」
そのとき、店の入口で鈴が鳴った。
カラン――。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは――
悠真の父親だった。
「……もう、ここまで話してしまったのか」
その声を聞いた瞬間。
琴音の母親から届いた新しいメッセージが、琴音のスマホに表示された。
『琴音、お願い。お父さんにはまだ会わないで。』
琴音は震えた。
――もう、逃げられない。
過去の真実が、目の前まで迫っていた。
――父親の告白
「……もう、ここまで話してしまったのか」
悠真の父親が、店の入口に立っていた。
琴音は思わず一歩下がる。
「お父さん……」
悠真の声が低くなる。
「どうしてここに……?」
父親は何も答えず、ゆっくりと四人のいるテーブルまで歩いてきた。
そして、琴音を見る。
「琴音ちゃん……大きくなったな」
その言葉に、琴音の胸がざわついた。
「……私のこと、ずっと知ってたんですか?」
「もちろんだ」
「じゃあ、どうして……私と悠真を離したんですか?」
沈黙。
父親は目を伏せた。
「……すべて話そう」
悠真が拳を握る。
「今まで隠してたこと、全部?」
「ああ」
父親は椅子に座った。
「まず、事故を起こしたのは誰か――という話ではない」
琴音は息をのんだ。
「事故そのものは、本当に偶然だった」
「じゃあ……何が問題だったんですか?」
父親は琴音を見つめた。
「問題は、その前だ」
「その前……?」
「私と琴音ちゃんのお父さんは、あの日――あることで言い争っていた」
悠真が口を挟む。
「何について?」
父親はしばらく黙った。
そして、答えた。
「……私が、悠真を連れて遠くへ引っ越すことになっていたからだ」
「……!」
悠真の目が見開かれる。
「なんで俺が?」
「私の仕事の都合だけじゃない」
父親は深く息を吐いた。
「当時、私には大きな問題があった。悠真を巻き込みたくなかった」
「だから……俺と琴音を離したの?」
「そうだ」
悠真が立ち上がる。
「でも、それだけじゃないだろ!」
店内に声が響く。
父親は何も言わない。
悠真は続けた。
「琴音が事故に遭ったあと、俺には『琴音とはもう会うな』って言ったよな」
「……ああ」
「なんでだよ!」
父親の目が揺れた。
「琴音ちゃんのお父さんと約束したからだ」
「どんな約束?」
父親は、ゆっくり口を開いた。
「――二人が大人になるまで、過去のことを話さない」
琴音の胸が苦しくなる。
「どうして……?」
すると、紗奈が静かに言った。
「それは……私が原因でもある」
「紗奈?」
紗奈は琴音を見る。
「あの日、私が聞いた話には……もう一つあったの」
「何?」
紗奈は震える手で、古い写真を裏返した。
そこには、小さな文字が書かれていた。
『悠真と琴音を離す理由は、二人のためではない。』
琴音の目が大きくなる。
「……じゃあ、誰のため?」
紗奈は答えなかった。
代わりに、悠真の父親が静かに言った。
「……私たち大人が、自分たちを守るためだった」
「え……?」
「事故の責任を恐れた。仕事も、家族も、すべてを失うのが怖かった」
琴音の目から涙がこぼれる。
「じゃあ……私たちは……」
「大人の都合で離された」
その言葉が、胸に刺さった。
悠真は琴音の手を握った。
「……もういい」
「悠真?」
「もう、昔のことはいい」
悠真は父親を見る。
「俺が今、誰と一緒にいたいかは――俺が決める」
そして琴音を見る。
「俺は、琴音と一緒にいたい」
琴音の涙が止まらなくなる。
「私も……」
その瞬間。
店の外から、聞き覚えのある声がした。
「……そう言うと思ってた」
全員が振り返る。
そこに立っていたのは――
琴音の父親だった。
「お父さん……?」
琴音が呟く。
父親は、申し訳なさそうに二人を見る。
「琴音。悠真くん」
そして――
「今度こそ、全部話す」
その手には、古い一冊のアルバムがあった。
表紙には――
『4人の約束』
と書かれていた。
そして琴音は、そのアルバムを見た瞬間。
忘れていた記憶の一部を、はっきりと思い出した。
――幼い自分が、泣きながら悠真に言っている。
「大人になったら、また4人で会おうね」
でも、その隣で。
紗奈が泣きながら言っていた。
「ううん……4人じゃないよ」
「……え?」
琴音は震えた。
そして、記憶の中の紗奈が続けた言葉が蘇る。
「本当は……5人なんだよ」
琴音は息をのんだ。
「……5人?」
誰も答えられない。
アルバムの中には――
まだ一度も見たことのない、もう一人の子どもの写真が挟まっていた。
――5人目の秘密
「……5人?」
琴音の声が、静かな店内に響いた。
アルバムの中には、確かにもう一人の子どもが写っていた。
男の子。
琴音たちと同じくらいの年齢。
けれど――顔の部分だけが、黒く塗りつぶされている。
「……誰なの?」
琴音が父親に尋ねる。
父親は答えない。
その代わり、アルバムをゆっくり閉じた。
「琴音。この子のことは、もう忘れなさい」
「……どうして?」
「それが、お前のためなんだ」
その言葉を聞いた瞬間、琴音の胸の奥に強い違和感が走った。
「また……それ?」
琴音の声が震える。
「『私のため』って言って、みんな私に何も教えてくれなかった」
父親が黙る。
「事故のことも、悠真のことも、紗奈ちゃんのことも……」
琴音は涙を拭った。
「もう、私だけ何も知らないのは嫌」
悠真が隣に立つ。
「俺もです」
蓮も静かに頷いた。
「俺も、聞かせてください」
紗奈は俯いたまま、震える声で言った。
「……私も話します」
全員の視線が紗奈に集まる。
「この子の名前は――」
紗奈が写真を指差した。
「直人」
琴音の心臓が大きく跳ねた。
「直人……」
その名前を口にした瞬間。
頭の奥に、また記憶が浮かんだ。
雨の音。
公園。
幼い自分。
そして――
「琴音!」
誰かが叫んでいる。
幼い琴音が振り返る。
そこには、直人が立っていた。
「こっちに来ちゃダメ!」
直人が必死に叫んでいる。
その先には、道路。
そして――悠真。
「……っ!」
琴音は頭を押さえた。
「琴音!」
悠真が支える。
「大丈夫?」
「思い出した……」
琴音は震えながら呟いた。
「直人くんは……あの日、私たちを止めようとしてた」
父親の表情が変わる。
「……そうだ」
「じゃあ、どうして写真の顔が消されてるの?」
父親は目を伏せた。
「直人は……事故のあと、いなくなった」
「いなくなった?」
「正確には――」
父親が言葉を止める。
そのとき。
店の入口のベルが鳴った。
カラン――。
全員が振り返る。
そこに、一人の青年が立っていた。
濡れた髪。
少し大人びた表情。
そして――
琴音をまっすぐ見つめている。
「……久しぶり」
琴音は息をのんだ。
知らないはずなのに。
なぜか、その声を知っている気がした。
青年はゆっくり歩いてくる。
そして、琴音の前で立ち止まった。
「俺のこと……覚えてないよね」
琴音は何も言えなかった。
青年は少し寂しそうに笑う。
「やっぱり」
そして――
「俺が、直人だよ」
その瞬間。
琴音の頭の中で、途切れていた記憶が一気につながった。
雨の日。
四人で遊んだ公園。
悠真との約束。
事故。
そして――
直人が最後に言った言葉。
「琴音ちゃん、悠真を好きにならないで」
「……え?」
琴音は目を見開いた。
なぜ、そんなことを言ったのか。
直人は、静かに続けた。
「俺がずっと黙ってたのには……理由がある」
悠真が直人を見る。
「その理由って?」
直人は少しだけ視線を逸らした。
「――俺は、あの日の事故を起こした人を知ってる」
店内の空気が凍りついた。
そして直人は、琴音を見つめた。
「琴音ちゃんのお父さんでも、悠真のお父さんでもない」
「じゃあ……誰?」
直人は答えた。
「事故を起こしたのは――俺の父親だ。」
直人の言葉に、店内は静まり返った。
琴音は何も言えなかった。
悠真も、蓮も、紗奈も。
誰一人として、すぐには言葉を返せなかった。
「……どういうこと?」
ようやく声を絞り出した琴音に、直人はゆっくりと話し始めた。
「あの日、俺たちはいつもの公園で遊んでいた。でも、途中で俺の父さんから電話がかかってきたんだ」
直人は目を伏せた。
「父さんは、仕事のことで琴音のお父さんと話し合っていた。俺は二人の話を聞いてしまって……そのあと、みんなのところに戻ろうとした」
「それで……?」
悠真が尋ねる。
「父さんが車で迎えに来たんだ。雨が降っていて、道路も滑りやすくなっていた」
直人の手が震えた。
「そのとき、道路に飛び出した悠真を見て、父さんは急ブレーキをかけた。でも、車は止まりきれなかった」
「……!」
琴音の頭の中に、断片的な映像が浮かんだ。
雨。
クラクション。
走っていく自分。
そして、目の前で倒れている誰か。
「私……悠真を助けようとして……」
「そうだよ」
直人が頷いた。
「琴音は悠真をかばって転んだ。そのときに頭を打ったんだ」
悠真は唇を噛んだ。
「じゃあ、琴音が記憶を失ったのは……」
「事故の影響だと思う」
直人は答えた。
「でも、俺がずっと隠していたのは、事故そのものじゃない」
琴音が顔を上げる。
「ほかにも何かあるの?」
直人は、悠真のお父さんと琴音のお父さんを見た。
「事故のあと、二人のお父さんは、俺の父さんを責めなかった」
「……え?」
「父さんが事故を起こしたことを、誰かのせいにしようとはしなかったんだ。でも、俺の父さんは自分を許せなかった」
直人の声がかすれる。
「それで、家族ごと町を離れることになった。俺も、みんなに何も言えないまま引っ越したんだ」
「でも……私たちを離れさせたのは、どうして?」
琴音が尋ねると、今まで黙っていた琴音の父親が口を開いた。
「私たちは、琴音が目を覚ましたとき、自分を責めないようにしたかったんだ」
「……どういうこと?」
「事故の詳しい状況を知れば、琴音はきっと『自分がもっと早く動いていれば』と考えてしまう。そう思った私たちは、過去のことを話さないと決めた」
父親は苦しそうに目を閉じた。
「だが、その結果、お前から大切な思い出まで奪ってしまった」
「お父さん……」
「すまなかった、琴音」
父親の目から、涙がこぼれた。
「お前を守りたかった。でも、本当は……私たち大人が、真実と向き合うのを怖がっていただけだったんだ」
琴音はすぐには答えられなかった。
悲しかった。
どうしてもっと早く話してくれなかったのだろう。
どうして自分だけ、何も知らずに過ごしてきたのだろう。
けれど――。
隣にいる悠真の手が、琴音の手を優しく包んだ。
「琴音」
「……うん」
「もう、自分を責めなくていいから」
悠真はまっすぐ琴音を見つめた。
「俺は今、ここにいる。それに、もう一度琴音に会えた」
その言葉を聞いた瞬間、琴音の涙があふれた。
「……私も、悠真に会えてよかった」
二人は、強く手を握り合った。
長い年月をかけて、ようやくたどり着いた真実。
けれど、それは二人の物語の終わりではなかった。
本当の始まりだった。
⸻
第2話 忘れていた四人の時間
数日後。
琴音は、悠真、蓮、紗奈、そして直人と一緒に、昔遊んでいた公園を訪れた。
秋の風が吹き、木々の葉が赤や黄色に染まっている。
「懐かしいな……」
蓮がベンチに腰を下ろした。
「昔は毎日のようにここで遊んでたよな」
「うん」
紗奈が微笑んだ。
「琴音ちゃんは、いつもみんなのおやつを持ってきてくれたよね」
「えっ、そうなの?」
琴音が驚くと、悠真が笑った。
「そうだよ。しかも、自分の分を最後まで食べないんだ」
「なんで?」
「みんなが食べ終わったあとに、余った分を食べようとしてたから」
「私、そんなことしてたの?」
「うん。だから俺、いつも琴音の分を残してた」
悠真の優しい笑顔に、琴音の頬が赤くなる。
「……知らなかった」
「忘れててもいいよ」
悠真は空を見上げた。
「これから、また思い出を作ればいいから」
その言葉に、琴音は微笑んだ。
すると、直人が小さな箱を取り出した。
「これ、みんなに渡したかったんだ」
箱の中には、五つの小さなキーホルダーが入っていた。
それぞれ色が違う。
赤、青、黄色、緑、そして白。
「これって……?」
「昔、みんなで作ったんだよ」
直人が答えた。
「五人でずっと友達でいようって約束したときにね」
琴音は白いキーホルダーを手に取った。
その瞬間。
頭の中に、小さな自分たちの声が響いた。
――「大きくなっても、ずっと友達だよ!」
――「離れ離れになっても、絶対にまた会おうね!」
そして最後に、幼い悠真が琴音に言った。
――「琴音、俺はずっと琴音の味方だから」
「……あっ」
琴音は思わず胸元を押さえた。
「思い出した……!」
「琴音?」
悠真が顔を覗き込む。
「全部じゃないけど……少しずつ、思い出してる」
琴音は涙を浮かべながら笑った。
「みんなと遊んだことも、約束したことも……」
悠真は嬉しそうに微笑んだ。
「よかった」
そして、琴音の頭を優しく撫でた。
「ゆっくりでいいからな」
その姿を見ていた美紅が、突然大きな声を上げた。
「ちょっと待って! 私だけ話についていけてないんだけど!」
琴音たちは一斉に振り返った。
「美紅!?」
そこには、腕を組んで立っている美紅がいた。
「琴音が最近ずっと何か隠してると思ったら……こんな大事件だったの!?」
「ご、ごめん……」
「もう! でも……」
美紅は少しだけ表情を和らげた。
「琴音が笑ってるなら、よかった」
そして悠真を指差した。
「ただし! 琴音を泣かせたら絶対に許さないからね!」
「分かってる」
悠真は真剣な顔で答えた。
「絶対に大切にする」
「……っ!」
その言葉に、琴音の顔が真っ赤になった。
「ゆ、悠真!」
「何?」
「みんなの前で言わないでよ……!」
みんなが笑い出す。
久しぶりに、公園に笑い声が響いた。
それは、幼いころと同じようでいて、少し違う景色だった。
失われた時間は戻らない。
けれど、これからの時間は、自分たちで作っていける。
琴音はそう思った。
⸻
第3話 好きになった理由
ある日の放課後。
琴音が教室で帰り支度をしていると、悠真が後ろから声をかけてきた。
「琴音、今日時間ある?」
「あるけど、どうしたの?」
「行きたいところがあるんだ」
「どこ?」
悠真は少し照れくさそうに笑った。
「秘密」
連れてこられたのは、あの日、二人が再会した古い公園だった。
夕日が木々の間から差し込み、ベンチをオレンジ色に染めている。
「ここ……」
琴音が呟く。
「俺たちが初めて会った場所」
悠真が隣に座った。
「正確には、初めてじゃないけどな」
「そうだね」
琴音は微笑んだ。
「でも、私にとっては、ここで悠真と再会したことが始まりだったのかも」
「……琴音」
悠真は、少し真剣な顔になった。
「一つ、聞いてもいい?」
「うん」
「琴音は、どうして俺のことを好きになってくれたの?」
突然の質問に、琴音は目を丸くした。
「えっ……?」
「俺は昔から琴音が好きだった。ずっと会いたかったし、もう一度会えたら、今度こそ大切にしたいと思ってた」
悠真は照れくさそうに笑う。
「でも、琴音は違うだろ? 昔の俺を忘れてたんだから」
琴音はしばらく考えた。
そして、ゆっくり口を開いた。
「最初は、不思議な人だと思った」
「不思議?」
「うん。初めて会ったはずなのに、私のことをよく知っていて……私が困っていると、いつも気づいてくれて」
琴音は悠真を見つめた。
「一緒にいると、安心したの」
悠真は黙って聞いていた。
「それに、悠真は昔の約束だけを理由に、私を好きでいてくれたわけじゃないんだよね」
「ああ」
「私が思い出せなくても、今の私を見てくれた。だから……私も、今の悠真を好きになったんだと思う」
言い終えると、琴音は恥ずかしそうに俯いた。
「……変かな?」
「全然」
悠真は微笑んだ。
「俺が聞きたかった答え、そのままだった」
そして、そっと琴音の手を握った。
「俺も、今の琴音が好きだよ」
「……うん」
「昔の約束がなくても、出会い方が違っていても、きっと俺は琴音を好きになってた」
琴音の目に涙が浮かぶ。
「……そんなこと言われたら、また好きになっちゃう」
「何回でも好きになってよ」
悠真が笑う。
「俺も、何回でも琴音を好きになるから」
夕日が沈んでいく。
琴音は、悠真の肩にそっと寄りかかった。
二人の間に、言葉はいらなかった。
ただ、握った手の温かさが、すべてを伝えてくれていた。
⸻
第4話 それぞれの未来
季節は少しずつ進み、二人が高校生活を送る日々にも変化が訪れた。
蓮は以前よりもよく笑うようになり、紗奈も少しずつみんなとの時間を楽しむようになった。
直人も、長い間抱えていた罪悪感と向き合い始めていた。
ある日、五人は再び公園に集まった。
「俺、今度引っ越すことになった」
直人が突然そう告げた。
「えっ?」
琴音は驚いた。
「また……?」
「今度は、逃げるためじゃないよ」
直人は穏やかに笑った。
「自分のやりたいことを見つけたんだ。遠くの学校で勉強したい」
「そっか……」
琴音は少し寂しくなった。
また大切な人が遠くへ行ってしまう。
そう思ったからだ。
すると、直人が琴音に小さな封筒を差し出した。
「これ、渡しておきたかった」
「何?」
「昔、琴音ちゃんに渡そうとしていた手紙」
琴音は驚いて封筒を開いた。
そこには、幼い文字でこう書かれていた。
『琴音ちゃんへ。
いつも笑っていてね。
もし悲しいことがあったら、みんなを頼ってね。
ぼくたちは、ずっと友達だから。
また会おうね。』
読み終えた琴音の目から、涙がこぼれた。
「……ありがとう、直人くん」
「こちらこそ」
直人は少し寂しそうに笑った。
「昔、言えなかったことがたくさんあった。でも、今はちゃんと言える」
そして、悠真に向き直った。
「悠真。琴音ちゃんを頼むよ」
悠真は頷いた。
「もちろん」
「それと……」
直人は少しだけいたずらっぽく笑った。
「琴音ちゃんを泣かせたら、遠くからでも怒りに来るからな」
「分かったって」
悠真が苦笑する。
みんなが笑った。
別れは寂しい。
けれど、今度の別れは、誰かに無理やり決められたものではなかった。
自分たちで選んだ未来へ進むための別れだった。
直人が去ったあと、琴音は空を見上げた。
「……また会えるよね」
「会えるよ」
悠真が答えた。
「だって、俺たちは約束しただろ?」
琴音は微笑んだ。
「うん。また会おうね」
⸻
第5話 雨の日の告白
それから数週間後。
放課後、突然雨が降り始めた。
琴音は校門の前で立ち止まり、空を見上げた。
「傘、忘れちゃった……」
すると、頭の上に影ができた。
「入る?」
振り向くと、悠真が傘を差し出していた。
「悠真!」
「やっぱり忘れてたか」
「どうして分かったの?」
「琴音なら、きっとそうだと思った」
「ひどい!」
琴音は頬を膨らませた。
悠真が笑う。
「はいはい。帰ろう」
二人は一つの傘に入って歩き出した。
雨の音が、静かに二人を包む。
琴音はふと、足を止めた。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「私たちが初めて会った日も、雨だったんだよね」
「ああ」
「そのとき、私……悠真に何て言ったんだっけ?」
悠真は懐かしそうに目を細めた。
「『一緒に帰ろう』って」
琴音はゆっくりと笑った。
「そっか……」
そして、悠真の手を握った。
「じゃあ、今日も一緒に帰ろう」
悠真は驚いたあと、優しく微笑んだ。
「……うん。一緒に帰ろう」
二人は再び歩き出した。
しばらくすると、悠真が足を止めた。
「琴音」
「なに?」
「俺、ずっと言いたかったことがあるんだ」
琴音の心臓が跳ねる。
「……うん」
悠真は傘を少し傾け、琴音の目をまっすぐ見つめた。
「昔、俺は琴音に言えなかった」
「……何を?」
「大きくなったら、俺と付き合ってほしいって」
琴音は、はっと息をのんだ。
忘れていた記憶の中で、幼い悠真が何かを言おうとしていた。
あのときの言葉。
今、ようやくその続きを聞くことができた。
悠真は少し照れながら続けた。
「でも、もう昔の約束としてじゃなくて、今の俺の言葉で伝えたい」
そして、手を差し出した。
「琴音。これからも俺の隣にいてください」
琴音の目から、涙がこぼれた。
「……はい」
「本当に?」
「うん」
琴音は笑いながら頷いた。
「私も、悠真の隣にいたい」
悠真は嬉しそうに笑い、琴音をそっと抱きしめた。
雨の音が、二人の声を優しく包み込む。
昔、二人を引き離した雨。
今、その雨は二人をつないでいた。
⸻
最終話 君との出会い
高校生活最後の春。
桜が満開になった公園に、琴音と悠真は来ていた。
あの日と同じベンチ。
あの日と同じ景色。
けれど、二人はもう、幼い子どもではなかった。
「もう卒業か……早かったね」
琴音が呟いた。
「そうだな」
悠真は桜を見上げた。
「琴音は、これからどうしたい?」
「私は……もっといろんなことを経験したい。勉強も頑張りたいし、いつか自分の好きなことを仕事にしたい」
「いいじゃん」
「悠真は?」
「俺も、自分の夢を叶えたい」
悠真は琴音を見つめた。
「でも、一つだけ変わらないことがある」
「何?」
「これから先、どんなことがあっても、琴音と一緒に未来を考えていきたい」
琴音の頬が赤くなる。
「……私も」
悠真はポケットから、一枚の写真を取り出した。
幼い琴音と悠真が、雨上がりの公園で笑っている写真。
「これ、覚えてる?」
「うん。昔の写真だよね」
「そう。でも、俺にとっては特別な写真なんだ」
悠真は写真を大切そうに見つめた。
「この日、琴音が俺に傘を貸してくれたんだ」
「うん」
「俺、あの日まで、誰かに助けてほしいって思ってた。でも、誰にも言えなかった」
悠真は少しだけ笑った。
「そんなとき、琴音が来てくれた」
「……悠真」
「だから、ずっと会いたかったんだ」
琴音は目を潤ませた。
「私も……悠真に会えてよかった」
そして、二人は手をつないだ。
昔の約束があったから、二人は再会できたのかもしれない。
けれど、今ここにいる理由は、それだけではない。
忘れていた過去を知ったからでも。
大人たちが隠していた秘密を解き明かしたからでも。
運命に導かれたからだけでもない。
二人が、もう一度お互いを好きになったから。
それが、二人にとって一番大切な真実だった。
琴音は、悠真の手をぎゅっと握った。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「これから先も、ずっと一緒にいてくれる?」
悠真は少し驚き、それから優しく笑った。
「もちろん」
「約束?」
「約束」
悠真は小指を差し出した。
琴音も小指を絡める。
幼いころに交わした約束と、同じように。
けれど今度は、誰かに離されることを恐れて交わす約束ではなかった。
二人が自分たちの未来を信じて交わす約束だった。
桜の花びらが、二人の間を舞っていく。
琴音は、そっと悠真の肩に寄りかかった。
「……私ね、ずっと不思議だったの」
「何が?」
「悠真と初めて会ったとき、どうしてこんなに懐かしい気持ちになったんだろうって」
「うん」
「今なら分かる気がする」
琴音は顔を上げ、笑った。
「私たち、昔にも出会っていたんだね」
悠真は頷いた。
「ああ。でも――」
「でも?」
「これからも、何度だって出会いたい」
琴音は驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「……私も!」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして、ゆっくりと歩き出した。
これから、どんな未来が待っているのかは分からない。
楽しいことばかりではないかもしれない。
時にはすれ違い、悲しい思いをすることもあるだろう。
それでも、二人はもう知っている。
大切なのは、過去に縛られることではなく、今の気持ちを伝え合うこと。
そして、何度でも相手を選び続けること。
あの日、雨の中で出会った二人。
離れ離れになり、記憶を失い、たくさんの秘密を乗り越えて。
二人はもう一度、出会うことができた。
これは、偶然のようで、奇跡のような出会いから始まった物語。
そして、二人が自分たちの意志で未来を選んでいく物語。
琴音は、隣を歩く悠真を見つめた。
「悠真」
「ん?」
「私を見つけてくれて、ありがとう」
悠真は少し照れながら、琴音の手を握り直した。
「……こちらこそ。もう一度、俺に出会ってくれてありがとう」
二人は笑い合った。
春の風が吹き抜ける。
桜の花びらが、空へと舞い上がっていった。
そして二人は、同じ未来へ向かって歩き続けた。