君のとなり〜涼真と〜
第2章『運命の出会い』
撮影当日。
スタジオに入ると、スタッフたちが慌ただしく行き交っていた。
「おはようございます」
挨拶を交わしながら、控室へ向かう。
今日の仕事は、俺の特集記事。
俳優としての現在を追う企画で、インタビューに加えて、いくつかのシチュエーション撮影が組まれている。
午前中は、俺一人。
衣装を変えながら、スタジオで何パターンもの写真を撮っていく。
白い壁を背に立つ。
椅子に腰掛ける。
窓辺で外を眺める。
カメラマンの指示に合わせて、視線や表情を変えていく。
シャッター音が一定のリズムで響く。
こういう撮影には慣れている。
インタビューも滞りなく進んだ。
最近の出演作。
これから挑戦してみたい役。
仕事をするうえで大切にしていること。
ひとつひとつ答えていく。
撮影は予定通り進み、昼を過ぎたところでスタッフから声がかかった。
「午後のデート企画なんですが、相手役のモデルさんがそろそろ入ります」
「分かりました」
そう返して、渡されていた資料に目を落とす。
名前は、瑠夏。
モデルとして活動を始めたばかりの新人。
今回の企画では、恋人役として俺と一緒に撮影する。
俺の特集記事の一部分。
だから、もちろん主役は俺。
彼女は、その世界に少しだけ色を添える存在だ。
資料に載っていた写真を見る。
柔らかな雰囲気の子だと思った。
それ以上、深く考えることもなかった。
仕事で一緒になるモデル。
その程度の認識だった。
「瑠夏さん、入りました」
スタッフの声。
何気なく顔を上げた。
「こんにちは。本日よろしくお願いします」
その瞬間。
目に入った彼女から、視線を外せなくなった。
写真とは違う。
もちろん、同じ顔なのに。
目の前に立っている彼女は、写真の中よりずっと鮮やかだった。
淡い色の服。
肩にかかる髪。
両手を前で重ね、スタッフに丁寧に頭を下げている。
その仕草が、なぜか目に残った。
「涼真さん、こちらが瑠夏さんです」
「……よろしく」
そう声をかける。
瑠夏が顔を上げた。
視線が重なる。
ほんの一瞬。
それなのに、その目が妙に印象に残った。
瑠夏は少しだけ目を見開いて、それから視線を落とした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
小さな声。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。
理由なんて分からない。
ただ、もう一度その顔を見たくなった。
***
撮影の準備が始まる。
最初は、街中でのデート撮影。
スタッフから今日の流れを説明され、瑠夏が手元の資料に目を落とす。
「まず歩きながら撮って、そのあとカフェに入ります。そこで何パターンか撮影します」
スタッフの説明を聞きながら、瑠夏が小さく頷く。
けれど、次のページをめくったところで、ほんの少しだけ手が止まった。
俺は資料を覗き込む。
「ここ、歩きながら話してる感じで大丈夫だと思う」
指先で該当する部分を示す。
「そのあとカフェに入って、スタッフの指示に合わせればいいから」
「はい」
瑠夏が頷く。
「ありがとうございます」
その声に、少しだけ安心したような響きが混じった。
「たぶん、始まったらすぐ慣れるよ」
それだけ言って、俺は資料を閉じた。
瑠夏が小さく笑った。
その笑顔が、また目に残った。
***
撮影が始まる。
並んで歩く。
ショーウィンドウの前で立ち止まる。
カフェに入り、向かい合って座る。
スタッフの指示に合わせて、恋人同士らしい距離を作っていく。
「次、手をつないで歩いてみましょう」
言われた通り、手を伸ばす。
瑠夏の指先に触れる。
一瞬だけ、彼女の手が強張った。
けれど、すぐに力が抜ける。
その変化が、指先から伝わってきた。
カメラに向けて笑う。
歩きながら、言葉を交わす。
それだけの撮影。
なのに。
俺は、さっきから彼女のことばかり見ていた。
笑うと、目元が少し柔らかくなる。
何かを考えているときは、視線がわずかに横へ流れる。
スタッフの声を聞くと、素直に頷く。
それから、言われたことを一つずつ丁寧にやってみる。
新人らしい初々しさ。
でも、ただ不慣れなだけじゃない。
ちゃんと自分の足で、この世界に立とうとしている。
そんな印象を受けた。
「カット、お願いします」
カメラマンの声。
そのたびに、俺は彼女を見る。
写真の中に残る一瞬より、その前後の表情のほうが気になって仕方なかった。
***
午後の後半。
場所を移して、自宅で過ごす恋人同士という設定の撮影が始まった。
ソファに並んで座る。
テーブルに置かれた飲み物に手を伸ばす。
何気ない会話を交わす。
恋人同士の日常を切り取るような企画だった。
「次、二人とも自然に顔を見合わせてください」
瑠夏がこちらを見る。
近い。
思っていたより、ずっと近くに彼女の顔がある。
目が合った。
その瞬間、瑠夏の瞳が少し揺れる。
けれど、今度は視線を逸らさなかった。
俺も、そのまま見つめ返す。
シャッターが切られる。
一枚。
また一枚。
ファインダーの向こうで、俺たちを恋人に見せるための写真が残っていく。
なのに。
不思議だった。
演じているはずなのに、俺の中には演技だけでは片づけられない感情が生まれていた。
この子のことを、もっと知りたい。
撮影が終わったら、何をするんだろう。
どんな大学生活を送っているんだろう。
普段は、どんなふうに笑うんだろう。
そんなことばかり考えてしまう。
「はい、OKです!」
スタッフの声が響いた。
最後のシャッターが切られた。
撮影終了。
瑠夏が小さく息を吐いて、スタッフへ頭を下げる。
「ありがとうございました」
その横顔を見つめる。
終わった。
今日の仕事は、それで終わり。
それなのに。
胸の奥に、妙な空白が残った。
これで、この子とも終わり。
そう思った瞬間――
嫌だと思った。
自分でも驚くほど、はっきりと。
今日初めて会ったばかりなのに。
名前を知ったのも今日。
言葉を交わした時間だって、ほんのわずか。
それなのに。
もっと話したい。
また会いたい。
そう思っている。
そこで、ようやく気づいた。
――一目惚れ。
これが、そういうことなのかもしれない。
理屈なんてなかった。
何か特別な出来事があったわけでもない。
ただ、目の前に立った彼女から、視線を外せなくなった。
笑った顔が残った。
声が残った。
触れた指先の感触まで残っている。
俺は今日、瑠夏に一目惚れした。
***
帰り支度をする瑠夏が、スタッフに挨拶をしている。
「今日はありがとうございました」
「お疲れさまでした」
その声を聞きながら、俺は少し離れた場所から彼女を見ていた。
今日の撮影相手。
それだけだったはずなのに。
今は、その一言では片づけられない。
「……また会いたいな」
自分でも驚くほど自然に、その言葉がこぼれた。
一目惚れなんて、もっと劇的なものだと思っていた。
けれど実際は、もっと静かで。
気づいたときには、その人の姿が心に残っている。
瑠夏。
今日出会ったばかりのその名前が、帰りの車の中でも消えなかった。
スタジオに入ると、スタッフたちが慌ただしく行き交っていた。
「おはようございます」
挨拶を交わしながら、控室へ向かう。
今日の仕事は、俺の特集記事。
俳優としての現在を追う企画で、インタビューに加えて、いくつかのシチュエーション撮影が組まれている。
午前中は、俺一人。
衣装を変えながら、スタジオで何パターンもの写真を撮っていく。
白い壁を背に立つ。
椅子に腰掛ける。
窓辺で外を眺める。
カメラマンの指示に合わせて、視線や表情を変えていく。
シャッター音が一定のリズムで響く。
こういう撮影には慣れている。
インタビューも滞りなく進んだ。
最近の出演作。
これから挑戦してみたい役。
仕事をするうえで大切にしていること。
ひとつひとつ答えていく。
撮影は予定通り進み、昼を過ぎたところでスタッフから声がかかった。
「午後のデート企画なんですが、相手役のモデルさんがそろそろ入ります」
「分かりました」
そう返して、渡されていた資料に目を落とす。
名前は、瑠夏。
モデルとして活動を始めたばかりの新人。
今回の企画では、恋人役として俺と一緒に撮影する。
俺の特集記事の一部分。
だから、もちろん主役は俺。
彼女は、その世界に少しだけ色を添える存在だ。
資料に載っていた写真を見る。
柔らかな雰囲気の子だと思った。
それ以上、深く考えることもなかった。
仕事で一緒になるモデル。
その程度の認識だった。
「瑠夏さん、入りました」
スタッフの声。
何気なく顔を上げた。
「こんにちは。本日よろしくお願いします」
その瞬間。
目に入った彼女から、視線を外せなくなった。
写真とは違う。
もちろん、同じ顔なのに。
目の前に立っている彼女は、写真の中よりずっと鮮やかだった。
淡い色の服。
肩にかかる髪。
両手を前で重ね、スタッフに丁寧に頭を下げている。
その仕草が、なぜか目に残った。
「涼真さん、こちらが瑠夏さんです」
「……よろしく」
そう声をかける。
瑠夏が顔を上げた。
視線が重なる。
ほんの一瞬。
それなのに、その目が妙に印象に残った。
瑠夏は少しだけ目を見開いて、それから視線を落とした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
小さな声。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。
理由なんて分からない。
ただ、もう一度その顔を見たくなった。
***
撮影の準備が始まる。
最初は、街中でのデート撮影。
スタッフから今日の流れを説明され、瑠夏が手元の資料に目を落とす。
「まず歩きながら撮って、そのあとカフェに入ります。そこで何パターンか撮影します」
スタッフの説明を聞きながら、瑠夏が小さく頷く。
けれど、次のページをめくったところで、ほんの少しだけ手が止まった。
俺は資料を覗き込む。
「ここ、歩きながら話してる感じで大丈夫だと思う」
指先で該当する部分を示す。
「そのあとカフェに入って、スタッフの指示に合わせればいいから」
「はい」
瑠夏が頷く。
「ありがとうございます」
その声に、少しだけ安心したような響きが混じった。
「たぶん、始まったらすぐ慣れるよ」
それだけ言って、俺は資料を閉じた。
瑠夏が小さく笑った。
その笑顔が、また目に残った。
***
撮影が始まる。
並んで歩く。
ショーウィンドウの前で立ち止まる。
カフェに入り、向かい合って座る。
スタッフの指示に合わせて、恋人同士らしい距離を作っていく。
「次、手をつないで歩いてみましょう」
言われた通り、手を伸ばす。
瑠夏の指先に触れる。
一瞬だけ、彼女の手が強張った。
けれど、すぐに力が抜ける。
その変化が、指先から伝わってきた。
カメラに向けて笑う。
歩きながら、言葉を交わす。
それだけの撮影。
なのに。
俺は、さっきから彼女のことばかり見ていた。
笑うと、目元が少し柔らかくなる。
何かを考えているときは、視線がわずかに横へ流れる。
スタッフの声を聞くと、素直に頷く。
それから、言われたことを一つずつ丁寧にやってみる。
新人らしい初々しさ。
でも、ただ不慣れなだけじゃない。
ちゃんと自分の足で、この世界に立とうとしている。
そんな印象を受けた。
「カット、お願いします」
カメラマンの声。
そのたびに、俺は彼女を見る。
写真の中に残る一瞬より、その前後の表情のほうが気になって仕方なかった。
***
午後の後半。
場所を移して、自宅で過ごす恋人同士という設定の撮影が始まった。
ソファに並んで座る。
テーブルに置かれた飲み物に手を伸ばす。
何気ない会話を交わす。
恋人同士の日常を切り取るような企画だった。
「次、二人とも自然に顔を見合わせてください」
瑠夏がこちらを見る。
近い。
思っていたより、ずっと近くに彼女の顔がある。
目が合った。
その瞬間、瑠夏の瞳が少し揺れる。
けれど、今度は視線を逸らさなかった。
俺も、そのまま見つめ返す。
シャッターが切られる。
一枚。
また一枚。
ファインダーの向こうで、俺たちを恋人に見せるための写真が残っていく。
なのに。
不思議だった。
演じているはずなのに、俺の中には演技だけでは片づけられない感情が生まれていた。
この子のことを、もっと知りたい。
撮影が終わったら、何をするんだろう。
どんな大学生活を送っているんだろう。
普段は、どんなふうに笑うんだろう。
そんなことばかり考えてしまう。
「はい、OKです!」
スタッフの声が響いた。
最後のシャッターが切られた。
撮影終了。
瑠夏が小さく息を吐いて、スタッフへ頭を下げる。
「ありがとうございました」
その横顔を見つめる。
終わった。
今日の仕事は、それで終わり。
それなのに。
胸の奥に、妙な空白が残った。
これで、この子とも終わり。
そう思った瞬間――
嫌だと思った。
自分でも驚くほど、はっきりと。
今日初めて会ったばかりなのに。
名前を知ったのも今日。
言葉を交わした時間だって、ほんのわずか。
それなのに。
もっと話したい。
また会いたい。
そう思っている。
そこで、ようやく気づいた。
――一目惚れ。
これが、そういうことなのかもしれない。
理屈なんてなかった。
何か特別な出来事があったわけでもない。
ただ、目の前に立った彼女から、視線を外せなくなった。
笑った顔が残った。
声が残った。
触れた指先の感触まで残っている。
俺は今日、瑠夏に一目惚れした。
***
帰り支度をする瑠夏が、スタッフに挨拶をしている。
「今日はありがとうございました」
「お疲れさまでした」
その声を聞きながら、俺は少し離れた場所から彼女を見ていた。
今日の撮影相手。
それだけだったはずなのに。
今は、その一言では片づけられない。
「……また会いたいな」
自分でも驚くほど自然に、その言葉がこぼれた。
一目惚れなんて、もっと劇的なものだと思っていた。
けれど実際は、もっと静かで。
気づいたときには、その人の姿が心に残っている。
瑠夏。
今日出会ったばかりのその名前が、帰りの車の中でも消えなかった。


