ガール化ガラス【少女化烏】

01 神奈川県には夜がある

 神奈川県は、夜が来たら寝られるところが好きだ。空も地上も、ちゃんと暗くなってくれるから。
 千葉県もそうだろ? と言われるかもしれない。でも、埋め立て地があるためか、意外と、千葉は夜も明るい。
 海、工場の灯(あか)り、空港。あるいは、シンデレラのお城が建つ遊園地……。

 その点、神奈川はいい。「横浜」近辺さえ離れれば、昔ながらの山々。いい箱つくろう、鎌倉幕府。
 京都府は、もっと神秘的らしいけど、自分の羽で飛んで行くには、ちょっと遠い。
 鳴くよウグイス、あたしカラス。雌(めす)のカラス――。

 生まれ育った東京都は、確かに残飯が豊富。
 繁華街には、油っこい洋食も、薄味の和食もある。賞味期限切れのお弁当もパンも。ただし……ライバルガラスも多い。
「こら! 消えろ、カラスめ! あっち行けッ!」
 深夜、早朝。棒を振り回す人間たちにも、追い回される。

 おまけに、去年の冬あたりから、ゴミ置き場に近づくと、よく頭痛がした。吐きけも。
 どうやら、カラスを追いはらう特殊な音波を、発する装置が出来たらしい。その機械が、仕掛けられているのだ。
 効果には個体差が大きく、平気な仲間たちも多い。だが、そのカラスにとっては、不快極まりなかった。慣れることもなかった。
 かつての、鷲(わし)の人形とか、光が反射する目玉の風船とか。そういうのは、鼻で笑っていたのだが。
「メグモは繊細だからなア」
 と、カラスの群れの仲間には、笑われたものだったけれど……。
 群れにもよるが、その界隈(かいわい)のカラスたちは、互いに名前で呼び合っていた。
 あたし、メグモ――。

 都会暮らしに、ほとほと、疲れ果てた。
 友達と別れるのは寂しかったけれど、メグモは、一羽だけで引っ越しを決めた。
 カラスは渡り鳥ではないので、長時間は飛べないし、方向感覚もない。なので、途中、休み休み、迷い迷い、単身、首都圏を転々とし――先日、ようやく、ここ神奈川の高台に、落ち着いたというわけだ。
 百軒くらいの戸建(こだ)てが並ぶ、古い住宅地。ぐるりと、低い裏山。

 食事は、ゴミ集積所と、野生の昆虫、小動物――割と、低カロリー、自然志向になった。家庭菜園も、多いし。ほら、今日も道路に、柿が落ちてる。ブスッ、ブスッ。パクッ。うん、おいひい。昨日はトマトだったな。
 メグモは時々、道路のカーブミラーに、頭から尾羽根(おばね)まで、黒い全身を映して、悦(えつ)に入る。ダイエット成功、スリムになった。羽根もツヤツヤ。女の子ですから。

 そんな、ある日の夜。
 メグモが、一羽、木の上で眠っていると。
 不意に、夜空が煌々(こうこう)と光り輝き、ハッと目覚める。
「グア?」
 東京じゃあるまいし、なぜ、夜中に眩(まぶ)しい光が?
 くちばしを持ち上げ、空を見れば、流星群であった。
 大量の流れ星が、右から左下へ、空を横切っているではないか。生まれて初めて見る場面。
「ギャッ! グアッ! カーカー、カーカァー!」
 反射的だった。
 驚きと興奮の余り、枝から飛び上がり、流れ星に沿って、メグモも空を横切る。滑空(かっくう)だ。
 もし、これを見上げる人間がいたなら、流れる星と、カラスの飛行とが、重なった動きに見えたはずだ。

 と、そこへ――

 バシュウッ!

 流星の一つから、青い怪光線が放たれ、メグモを直撃する。
(! ……っ)
 熱さと痛みと、痺(しび)れ。
 悲鳴すらあげる間(ま)もなく、メグモは撃ち落とされた。

 ザンッ!

 草の中へ転がる。丘のように、盛り上がった場所。
「――」
 流星群は通り過ぎ、周囲は、再び暗くなる。
 数秒間、気絶していたらしいが、すぐに起き上がるメグモ。めまいはするものの、痛みはなくなっている。
 カラスが、地面の草に、両手をつく。
(……えっ)
 ――両手? あたし、カラスだけど。何で、手があるの?
 人間の手だ。華奢(きゃしゃ)な五本指。月光か、街灯か、薄明かりに照らされた爪。どの爪も、ほどよく伸びている。マニキュアは付いていない。
 手首も細い。色白だ。
 左右の手を、後ろへ何度も回し、背中をペタペタさわる。やはり、翼はない。
 というか、羽毛すら、生えていない。全身、肌はツルツルだ。
 メグモは息をのんで、いつもどおり、カーカーと鳴こうとしたけど、
「どういうこと? おかしいでしょ、何これ!」
 自分の口から出たのは、何と、人間の言葉であった。初めて聞く、高音でやわらかな声。
「はあー?」
 ますます、わけが分からない。
 しゃがんだ、前かがみの姿勢で、顔を上げると……

 パサッ。ファサッ。

 頭の右と左、両方の耳に、ひとかたまりの物体が、覆(おお)いかぶさってくる。
(ひえっ、なに?)
 手の指で、すくい上げる。長い毛であった。まっすぐ、下へ垂れる。黒い。
 ――人間の、髪の毛だった。

 呆然としながら、膝(ひざ)をゆっくり伸ばして、立ち上がる。足の裏が、落ち葉と草で、チクチクした。
「痛(いて)てて」
 カラスの頃は、構造上、足は地に着かなかったのに。鳥類の足は、木にとまりやすくなっているのだ。
「んんっ……」
 自分の体を、見下ろす。
 かすかな光に照らされ、白い肌が、闇に浮かび上がっている。
 胸の辺りが、なだらかに二つ、前へ、せり出している。反対に、腰の周囲は、後ろへ丸く、曲線を描(えが)いていた。
 それは、年頃の、人間の少女の体つきであった。
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