若奥様はお隠れあそばされました 〜式の直後、花婿に「顔も見たくない」と言われた花嫁は、夫の言いつけを守って全力で非可視ミッションを遂行する〜

04 「よければ皆さんも一緒に」


 普段のセバスチャンなら、「お屋敷内のことでしたら私どもがご案内いたします。見取り図など、若奥様がご覧になるようなものではございません」と丁重に断っていたかもしれない。
 しかし、この時はミカエラの話術、というより熱量にあてられて、彼は半ば催眠術にかかったような状態だった。
 そのため、ミカエラの問いにただ素直に「は、はい、ごさいます」と答えたセバスチャンは、見取り図を探して一目散に部屋を飛び出して行った。
 ミカエラは呆気にとられているアマリアとパウラに向き直る。

「セバスチャンさんを待つ間、この家に住んでいる人たちのことを少し教えてくれませんか?立ち話もなんですから、そこで座って話しましょう」

 応接セットを示されたアマリアは、使用人が主と一緒に座るなんて、と固辞したが、だったらミカエラも立ったままでいるというので、仕方なく長椅子にパウラと並んで腰を下ろした。
 落ち着かなげにモジモジする2人に、ミカエラはここでの勤続年数や出身、家族のことなどを尋ねる。
 自分のことなら話しやすいのだろう、2人はスラスラと答えてくれた。
 しばらく話して警戒心も解けてきたところへ、伯爵家の面々について、屋敷での様子を訊いてみる。
 すると躊躇いがちにではあるが、アマリアが重い口を開いてくれた。

「大旦那様は、普段は別邸かクラブでお過ごしで、こちらへはほとんど帰っておいでになりません。
 公式行事などにはご夫婦で参加されますが、いつも会場で合流されていると伺っております」

 アマリアの発言に勢いを得て、パウラも早口に付け加える。

「あ、別邸って言っても領地の館のことじゃないですよ。
 街の反対側に、大旦那様専用の高級アパルトメントを借りていらっしゃって、専用の使用人を置いておられるんです」

 ミカエラは頷いた。
 どうやらエンリケ伯爵は家庭内でも相当好き勝手に振る舞っているらしい。
 妻と嫡男を本邸に放置して、別邸でどなたと暮らしているやら、そこはもうお察しである。
 アマリアとパウラは伯爵家の体面に傷がつかないよう慎重に言葉を選んでいるが、使用人たちもエンリケに対して良い感情を抱いていないであろうことは、2人の様子から感じ取れた。

「お屋敷の運営や使用人の差配に関しては、大奥様がほとんど一手に引き受けておいでです。
 とは言っても、なにぶん伯爵家では大旦那様のご意向が第一ですので、難しい面も多々あるようにお見受けしますが……」
「大奥様は使用人には厳しいですけど、働きが良ければちゃんと気づいて褒めてくださいますし、とても公平な方です」

 代わる代わる話すアマリアとパウラの言葉には、エンリケの妻でイグナシオの母であるソフィアへの敬愛が滲み出していた。
 ミカエラにとっての義母ソフィアは、顔合わせの場でも結婚式でも、背筋を伸ばしてただ静かに前を向いていた記憶しかなく、「掴みどころがない」という印象であった。
 しかし話を聞く限り、この家の実務の一切を引き受け、使用人からも慕われる存在であるらしい。
 興味深い人物ではあるが、彼女がミカエラのことをどう思っているのかについては、今のところ全くの未知数である。
 ミカエラはとりあえず、「ソフィア」に関するファイルを心の中の「未決」の箱に放り込んだ。

「話してくれてありがとうございます。
 次はイグナシオ様のことなんですけど……夫とは言え、私本当にあの方のこと何にも知らないもので、使用人の皆さんから見たイグナシオ様がどういう人なのか、よかったら聞かせてくれますか?」

 ミカエラが切り出すと、2人は俯いてお互いの顔を盗み見た。

 しかし、その表情に最初の頃の余所余所しさは感じられない。
 ミカエラの率直さは、知らず知らずのうちに2人に影響し、その態度を軟化させていた。
 やがて、覚悟を決めた様子のアマリアが、考え考え話し出す。

「イグナシオ坊っちゃまは……いえ、もう若旦那様とお呼びしなくてはならないのですが……とても誇り高いお方です。
 レイエスの名を非常に重んじておられて、上位貴族の方々との交流にも力を入れておいでですが、一方で家のことや領地のことには今ひとつ関心が薄いようで……
 大旦那様とは、とにかく昔から折り合いがよろしくなくて、何かというと反抗しておいでです。でも結局はいつも言いなりになるしかなくて、日々ご不満を溜め込んでいらっしゃいました」

 初対面の『若奥様』に、ここまで突っ込んだ話をするアマリアを見て、パウラが目を丸くしている。
 この時にはもう、アマリアのメイド長としての長年の勘が、ミカエラの存在が傾きかけた伯爵家に新たな風を吹き込むと告げていたのかもしれない。
 腹を割って話すアマリアの目に、既に迷いの色はなかった。

※※※※※※※

「あとここにいるのは、屋敷内の使用人と、園丁や馬丁といった面々です。
 あっ、それからフロレンシア様と仰る、イグナシオ様の……モガッ」

 うっかり口を滑らせたパウラの口を電光石火でアマリアが塞ぐ。
 大失態に青ざめる2人にニヤッと笑いかけ、ミカエラはパウラの言葉を引き取った。

「……イグナシオ様の、『真に愛するお人』ですね」
「お聞き及びでしたか……」

 アマリアが肩を落とす。

「イグナシオ様ご自身から、お名前だけは。
 なるほど、フロレンシア様はこちらのお屋敷にお住まいの方だったんですか」

 ニコニコするミカエラに、諦めたように小さくため息をついて、アマリアが説明役を買って出る。 

「……フロレンシア様は、レイエス家の遠縁にあたるご令嬢です。
 数年前にご両親を事故で亡くされて、天涯孤独の身となられたことで、伯爵家を頼っておいでになったのです……
 以来、お屋敷で暮らしていらっしゃるのですが、大変お綺麗な方で、イグナシオ坊っちゃまは一目でフロレンシア様を気に入って、夜会に伴われたり、お友達に大切なお相手として紹介したり、それは睦まじいご様子だったのです。
 私どもも、てっきりいずれフロレンシア様が若奥様になるものと思っておりました。
 それが、大旦那様のひと言で急にこんなことに……コホン、そういうわけで、思いもよらぬ縁談を持ち込まれた坊っちゃまの怒りようとフロレンシア様のお嘆きは大変なものだったのでございます。
 確かに今思えば、あれほど仲がよろしいのにいつまでたってもおふたりがご婚約なさらないのは、私どもも不思議に思ってはおりましたが……」

 ミカエラは頷いた。恐らく、エンリケが2人の婚約を認めなかったのだろう。
 いくら当人同士の仲が良くても、親戚の没落貴族の娘では、結婚に何の旨味もないと判断されたに違いなかった。

「事情はわかりました。皆さんこんなことになってさぞかし戸惑われたでしょうね……話してくれてありがとうございます。
 イグナシオ様は式場で、『私とフロレンシアの前に顔を見せるな』と仰せでしたので、私はおふたりのお邪魔をしないように、せいぜいしっかり隠れさせて頂きましょう。

 私のせいで皆さんにはご面倒をおかけします

 ミカエラが深く頭を下げ、アマリアとパウラが恐縮しているところへ、頭にクモの巣をくっつけたセバスチャンが見取り図を抱えて戻ってきた。

※※※※※※※

 若奥様とテーブルを囲んでいるメイドたちを見てセバスチャンが目を剥いたが、ミカエラはメイドを叱りつけようとするセバスチャンを押し留め、彼から見取り図を受け取る。

「ありがとう。探すの大変だったみたいですね、お疲れさまでした。
 ところで、皆さんそろそろ晩餐の仕度にかかる時刻ではないですか?お忙しいのに私がお引き止めしちゃってるんじゃ……」
「いえ、仕度には別の者があたりますのでお気遣いなく。
 若奥様にこの屋敷のことをご案内するのが、今日の私どもの役目ですので」
「そうですか……ではお言葉に甘えて、もう少しお手伝いをお願いしてもいいでしょうか。
 見取り図もあることだし、どこにどんな部屋があるのか、ひと通り教えていただきたいんです。
 あ、そうだ。見取り図のチェックには多分時間がかかるでしょうから、夕食は何か簡単なものをこの部屋でいただいてもいいですか?よければ皆さんも一緒に」
「エエッ?!」
「わかりました。見取り図を見ながら皆でつまめるようなものをご用意します」
「あっ、私厨房に行って料理長に伝えてきますね!」
「……エエッ?!」

 セバスチャンが度肝を抜かれている横で、アマリアとパウラが事も無げに同意する。
 一体いつの間にこんなに打ち解けたのかとセバスチャンは訝しんだ。
 自分は見取り図探しに余程時間をかけてしまったらしい。

「さてと」

 ミカエラがバサリと見取り図を広げる。

「ミッション遂行の第一歩として、イグナシオ様とフロレンシア様のおおよその生活動線を教えていただけますか?
 あと、姿を見せずに移動できる使用人通路や咄嗟に身を隠せそうな場所にも印をつけていきましょう」
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