王子様への置き手紙

1話

『親愛なるジェラルド様

 どうか私の事は探さないで下さい。

 婚約は破棄して頂いて結構です。と言うかそれを望んでいます。当然ジェラルド様も同じ気持ちですよね。

 あんなにマデリーン様を愛してらっしゃるんですもの。

 私が城を出て行くことを、両親は全く知りません。どこにいるかも。私が勝手にしたことです。

 かわいそうなうちの両親を責めることだけはおやめ下さい。

 ジェラルド様は邪魔な婚約者を追い払えたのだから、喜びこそすれ責めることはないでしょうけど。


 もう王都に戻るつもりはありません。

 遠くからジェラルド様の幸せを祈っております。

 では、永遠にさようなら。 フィオナより』



 綺麗に片付けられ、がらんとしたフィオナの部屋。ジェラルドは手紙を床に落とした。

「そんな⋯⋯フィオナ⋯⋯嘘だ」

 手は震えている。

 ジェラルドの発した悲痛な叫びは、王宮じゅうに響き渡った。



 侯爵令嬢フィオナはジェラルド皇太子の婚約者だ。

 七つの頃、花嫁候補の一人として王宮に呼び出された。大勢の美しい令嬢が競い合う中、フィオナは当時12歳だったジェラルドに婚約者として選ばれた。

 家柄は申し分ないフォーリー侯爵家。ゆるくカールした豊かな金髪、宝石の様に輝く青い瞳。
 フィオナが将来絶世の美女になることは、誰の目にも明らかだった。

 誰もが結果に納得した。

 友人のマデリーン以外は。

 カヴァナー侯爵家の娘マデリーンは、ジェラルドの婚約者となったフィオナに憎しみを向けるようになった。

 ドレスを踏みつけられたり、悪い噂を流されたり。フィオナはマデリーンから嫌がらせを頻繁に受けるようになった。


 一方でジェラルドとフィオナは、すぐに打ち解けあった。

 いつも庭園でじゃれ合う2人。人々はまるで天使のようだと賛美した。

 フィオナはジェラルドを"ジェラルドお兄様"と慕った。
 かわいい笑顔でジェラルドにまとわりつくフィオナ。
 そんなフィオナに対するジェラルドの執心はどんどん強くなっていった。

 フォーリー侯爵が心配になるほどに。


 フィオナが15歳の頃、王宮で皇太子妃教育が始まった。フィオナは王宮で暮らすようになった。

 ただひたすらジェラルドとの結婚を夢見て励んだ。皮肉にも2人の関係が悪化したのはその頃からだった。
 
 ジェラルドは以前の様にフィオナとじゃれ合わなくなった。

 そしてジェラルドとマデリーンが親しく付き合うようになった。

 理由も分からずジェラルドに冷たくされることもあった。フィオナが何か罪を犯したように。

 優しくされるのは、ジェラルドとマデリーンに嫉妬して落ち込んでいる時だけ。

 フィオナは感情を隠す事を覚えた。


 ある日、フィオナは王宮の庭園を散策していた。

 昔はここでジェラルド様とよくキスをしたものだわ。今では信じられないけど。
 
 ジェラルドの心変わりをフィオナは嘆いた。

 綺麗に刈り込まれた芝生を過ぎて、バラ園まで来た。ガゼボの中にジェラルドとマデリーンが居た。

 体をぴったりくっつけて微笑み合っている。

 2人の唇が触れた。

 フィオナの心は激しく揺さぶられた。 
 
 マデリーンはジェラルドの婚約者候補だった。そんなに思い合っているなら、何故最初から彼女を選ばないの?

 フィオナは泣き声を押し殺して逃げた。

 愛は憎しみに変わった。



 フィオナはベッドに倒れ込んだ。

 こんな生活耐えられない。

 ジェラルドは許せない一線を越えた。もう皇太子妃にはなれない。

 でも他の男性と結婚するのも嫌だ。
 そうだ、修道院に行こう。結婚してしまう前に。

 ドアがノックも無しに開けられた。

「フィオナ様、お労しい⋯⋯。私がジェラルド様ならば、決してあなたをこの様に悲しませたりはしないのに」

 護衛騎士エルマーがベッドに投げ出されたフィオナの手に触れた。

「エルマー。入室を許した覚えはありません。下がりなさい」
 
 エルマーは悲しげに眉を下げた。

「どうかお許し下さい。あなたが心配なのです」

 フィオナは手を振りほどいた。この騎士はフィオナに対していつも馴れ馴れしい。

「立場をわきまえなさい。私はジェラルド殿下の婚約者よ」

「そのジェラルド様はマデリーン様に口付けをした。酷い裏切りだ。あなたは許せるのですか?」

「あなたには関係のないことよ」

「ジェラルド様はあなたに相応しくない」

 フィオナは黙って荷造りを始めた。

「何をなさっているのです。もしや、ここを出られるのですか?」

「下がれと言っているでしょう?もう放っておいてちょうだい」

 修道院は何処にしようかしら。どうせなら海の近くがいいわ。

「もし決心されたのなら、私もお連れ下さい」

 フィオナは眉を寄せた。男らしくハンサムなエルマー。でも何処か信用出来ない。

「嫌よ。それと私が居なくなることを誰にも言わないでね」

「そういう訳にはいきません。あなたがいなくなって私が無事で済むと思いますか?」

 フィオナは手をぴたりと止めた。

「そうね、考えてもみなかった。どうしましょう⋯⋯」

「侯爵家に戻られるのですか?」

「遠くの修道院に行くつもりよ⋯⋯」

「女性の一人旅は危険です。私に護らせて下さい。襲われるとは思わないのですか?」

 フィオナは悩んだ。

「さっきの様に勝手に触れてきたりしないで。約束出来るなら構わないわ」

「ええ、分かっております」

 エルマーが嬉しそうに頷いた。


 ジェラルドに置き手紙を書き、フィオナはエルマーと城を出た。

 エルマーが居なかったら、厳重な警備の王宮から逃げ出すことは出来なかっただろう。

 しかしフィオナはエルマーを連れてきたことをすぐに後悔した。

 エルマーはエスコートと称しては体に触れてくる。
 馬は1頭しか用意されなかった。仕方なく2人で乗った。
 手綱を握るエルマーの腕がフィオナのお腹をかすめた。

 この男は大嘘つきだ。

 小さな宿に着く頃には、フィオナの心労と体の疲れは限界を越えていた。

 フィオナは女主人に部屋を二つ頼んだ。エルマーを無視して階段を登り、部屋に入ると鍵をかけた。

 こんなに誰かから離れたいと思ったのは初めてだった。


 未明、フィオナはドアを叩く音に起こされた。

「フィオナ様、開けて下さい」

「エルマー? まだ夜よ? 何なの?」

「下に追手が来ています」

 フィオナは飛び起きた。

 窓の下には兵士が5人。フィオナは慌ててドアを開けた。

 エルマーに引かれ、宿の裏口から抜け出す。何とか兵士に見つからず、馬で逃げることが出来た。
 まだろくに寝ていなかったのに。

「もう限界よ。疲れ果てたわ。こんなに旅が大変だと思ってなかった。実家に行きましょう。お父様の所へ」

 エルマーは返事をしない。

「エルマー? 聞いてる?」

「フォーリー侯爵は私を受け入れてくださいますか?」

 そう、エルマーはもう城には戻れないのだ。良心が咎めた。

「怒ると思うわ。でも私が必ず説得する。あなたがうちで騎士としていられる様に」

「私は騎士になることは望んでいません」

 エルマーの声色が低く変わった。

「でも⋯⋯じゃあどうすれば⋯⋯。領地管理人とか⋯⋯?」

 振り返りエルマーを見上げた。表情は不気味なほど暗い。

 馬の蹄の音だけが響く。

 そう言えば、この馬は本当に修道院に向かっているのだろうか。まだどこの修道院に行くか伝えていなかったのに。



 その日はフィオナの希望で早めに宿に向かった。村外れにある三階建ての、レンガ造りの宿だった。

 親切な女主人は2人に紅茶を差し出した。ほっと緊張がほどけた。

「私と妻に部屋を一つ頼む」

 フィオナはポカンと口を開けてエルマーを見上げた。

「エルマー? 何を言っているの?ご夫人、もう一部屋お願い」

「妻は機嫌を損ねているんですよ」
 
「旅行中は夫婦喧嘩はつきものですからね」

 訳知り顔で女主人は頷く。

 フィオナはエルマーに背中を押され、渋々部屋に入った。

「どうして夫婦だと嘘をつくの?もう一部屋とってちょうだい」

「昨日の様に追手が来たら、どうするんです。そばにいないと助けられないじゃないですか」

「それはそうだけど⋯⋯何か変よ。あなたには言いくるめられてばかりいる気がする」

 エルマーが舌打ちをした。

「フィオナ、大人しく従ってくれ!」

 突然エルマーの態度が乱暴になった。呼び捨てにされた事なんて無かったのに。

 自分で始めた事なのに、何故かエルマーに攫われた様な気分にさえなってくる。

 フィオナはベッドの隅に縮こまった。エルマーは浴室に入って行った。フィオナは膝に顔をうずめた。ただ疲れていた。



 怒鳴り声と喧騒にフィオナはまどろみから目を覚ました。

「何?」

「下に誰か⋯⋯追手か?」

 エルマーが浴室から出て来た。上着も着ていない。

 突然ドアが破壊された。
 フィオナは大きな音に驚き叫んだ。

「フィオナ」

「ジェラルド様⋯⋯!」

 ジェラルドはフィオナとエルマーを見て目を見開いた。顔がひどく青ざめている。

 ジェラルドは躊躇うことなく手にした拳銃を撃った。

 エルマーが避けなければ、頭を撃ち抜いていた。
 2度目の弾丸はエルマーの頬をかすめた。

「ジェラルド様!やめて下さい!」

 ゆっくりと、ジェラルドの銃がフィオナに向けられた。

 フィオナは息を止めた。

 ジェラルドは泣いていた。頬を伝った涙が、顎からポタポタと滴っている。

「やめて下さい⋯⋯ジェラルドお兄様」

 ジェラルドの顔が苦悩に歪んだ。

 兵士がなだれ込んで来た。慌ててジェラルドを止めにかかる。エルマーは捕らえられ、縄で縛られてしまった。
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