ばあば と わたし
オバケなばあば
遺影の中のばあばは、いつもと変わらない笑顔でこちらを見つめていた。
祭壇には、ばあばが好きだった花が飾られていて、舞は、腰を痛めながらも花壇に水をあげていたばあばを、思い出していた。
受付には次から次へと参列者がやってくる。
懐かしい親戚の顔ぶれに言葉を交わす中、会ったこともない人たちも多くいた。
隣で同じように受付する弟の竜は、舞とは違い愛想もよく、親戚が来るとなかなか次の人に対応できず、自然と舞のいる方へ人が流れていった。
「たくさん人来るね」
隣に立つ竜が、会場を見渡しながら呟いた。
「ばあば、人気者だったから」
舞は小さく笑って答えた。
そのとき、少し離れたところから、すすり泣く声が聞こえ、舞と竜は、そちらに目を向けた。
参列者と話しながら、涙を流している女性がいた。
小原今日子。二人の母親だった。
「母さん、ずっと泣いてるね。俺、初めて見たよ」
竜がぽつりと呟く。
「そりゃ、泣くよ。自分の母親が亡くなったんだもん。それに……いきなりだったからね」
そう答えた舞の表情も、次第に曇っていった。
ばあばは数年前、足が悪くなり、歩けなくなった。
それでも、足以外はとても元気だった。
よく喋り、よく笑い、食べることが大好きで、
舞にとって、ばあばはいつだって元気な人だった。
だからこそ、訃報を聞いたときは信じられなかった。
まさか、こんなに突然いなくなってしまうなんて。
「姉ちゃん、俺トイレ行ってきていい?」
「うん。もう人もほとんど来ないし、いいよ」
「ん、ありがと」
竜は受付を離れ、会場の奥へと歩いていった。
一人残された舞は、小さく息を吐く。
「……ほんと、いきなりだよ」
「ごめんね」
不意に、隣から声がし、舞は竜が戻ってきたのかと思った。
「それにしても、随分たくさん来てくれたね」
「だから、ばあばは人気者だ……から……」
何気なく返事をしかけた舞は、ふと口を閉じた。
そして、ゆっくりと右を向く。
そこには、見慣れた顔があった。
「……え?」
舞は瞬きをし、もう一度、目を凝らす。
「ばあば?」
目の前に立っていたのは、亡くなったはずの祖母だった。
舞とばあばは、互いに驚いた顔で見つめ合う。
やがて、ばあばの顔にぱっと笑みが広がった。
「あら、舞には私が見えるの?」
舞は、驚いて何も答えられなかった。
幽霊になったばあばは、そのまま舞とともに舞の住むアパートへ帰ってきた。
帰る途中、ばあばに話しかけられて舞が答えると、周りから変な目で見られることがあった。やはり、自分にしかばあばの姿は見えていないのだと、舞は思った。
それから、ばあばとの生活が始まった。
舞の通う大学の正門を行き交う学生たちの声が、あちらこちらから聞こえてくる。
講義を終えた学生、これから講義に向かう学生、友人と談笑しながら歩く学生。
いつもと変わらない、大学の日常だった。
「あー、今日授業多くてしんどい」
葉月は、食堂の椅子に腰を下ろすなり、机に突っ伏した。
向かいの席に舞が座り、バッグから弁当箱を取り出す。
「最近、お弁当多いね。尊敬するわー」
そう言う葉月はコンビニの袋をドサッとテーブルに置いて、買ってきたパンを開けた。
「まあね。朝早起きしんどいけど」
舞は苦笑いを浮かべた。
弁当箱の蓋を開けると、綺麗に詰められたおかずが顔を出す。
その中に並ぶ、黄色い卵焼きに目がいった。
1つ食べ、舞は今朝のことを思い出していた。
「あー、ちょっと多いわよー」
学生おすすめと宣伝文句が貼られた、二階建ての1Kアパートの一室から、ばあばの呆れたような声が、聞こえてくる。
「そんなに砂糖入れたら、甘すぎるわよ」
舞はキッチンに立ち、その後ろから教官のようにばあばが見守っていた。
卵に対して、大きすぎるボウルを指差し、ばあばは注意する。
眠そうに欠伸をしながら舞はそのまま混ぜようとしていた。
「えー、でもこのくらいじゃない?」
「このくらいじゃないの!ほら、ちょっと捨てなさい。」
ばあばは手で砂糖を捨てるよう促し、舞はもったいないと思い、ほんの少しだけ砂糖をシンクに捨てた。
それを見てばあばは軽くため息をつく。
「ばあば、私眠いよ。いつもお昼はコンビニだったのに……」
卵を混ぜながら文句を言う舞。
そのまま熱したフライパンに流し込んだ。
「ダメよ。お弁当くらい作れるようになんなきゃ! 本当は竜にも教えたいくらいよ」
「竜は男だからいいじゃん」
「ダメ。男ができて当たり前の時代って、この間テレビで言ってたわ」
自信満々に話すばあばに、舞は不安げな顔を向ける。
「……ばあば、テレビに影響されすぎじゃない?」
「何言ってるの。今はそういう時代なのよ」
ばあばはそう言って、舞の手元を覗き込んだ。
「ほら、焦げるわよ!」
「えっ、うわっ!」
慌ててフライパンを動かす舞。
その様子を見て、ばあばは楽しそうに笑っていた。
いつも通りの朝。
少し眠くて、少し面倒で。
それでも、隣にはばあばがいた。
「うわ、甘すぎる」
口に入れた卵焼きの甘さに、舞は思わず顔をしかめる。
その様子を、葉月がじっと見つめていた。
「……何?」
「いや」
葉月は少し迷うように視線を落としてから、口を開いた。
「お祖母さんが亡くなったって連絡きたとき、顔真っ青になってたのに。新潟から帰ってきたら、ケロッとしてるんだもん」
舞はお弁当を食べる箸を止め、葉月に聞き返した。
「え、そんな顔ひどかったの?」
葉月は大きく頷いた。
「酷い。もう、びっくりするくらい。心配で私もついてこうと思ったくらいよ」
「そっか……」
親友にそんなに心配されていたのかと驚きもあり、申し訳なさもあった。
そのまま箸を持ったまま、手をテーブルに置いた。
舞の気持ちに気付いたのか、葉月はホッとしたように笑った。
「でも、今の舞見て少し安心してる」
舞は弁当箱に目を落とし、再び食べ始めた。
──まあ、近くにいるからね
心の中でそう呟き、もう1つ卵焼きを口に運んだ。
やっぱり、甘すぎる。
けれど、今さら味付けを変えることもできない。
舞は黙って、それを飲み込んだ。
ちょうどそのとき、講義の始まりを告げるチャイムが鳴った。食堂にいた学生たちが、少しずつ席を立っていく。
「次、空きコマだから、部室でもいく?」
葉月はコンビニの袋にゴミをまとめ、袋をきゅっと結んだ。
舞もお弁当箱を丁寧にしまった。
「あー、ごめん。頼まれたものやらなきゃいけなくて……」
舞はバッグから一冊のファイルを取り出した。
テーブルに置こうとした瞬間、葉月に奪取され、思わず「あっ。」と声に出てしまうが、舞は諦めて、葉月が戻してくれるのを待った。
葉月は取ったファイルの中身を確認する。
「え、これって舞のやることじゃなくね? だって、他クラスのプレゼン原稿じゃん」
「でも、修正してほしいって頼まれてさ」
気まずそうに舞が話す。
「……はあ?」
葉月の眉間に皺が寄った。
そして、盛大なため息をつき、鋭い目つきで舞を見る。
「舞、断ることも覚えな! 本当あいつら、あたしがいない時を狙って……一発殴ってやろうか!」
勢いよく立ち上がる葉月。
片手に拳を当て、今にもその拳を他人に当てそうな勢いだった。
「大丈夫だから!」
舞は慌てて声を上げた。
「そんな無理な頼みじゃないし。それと、元ヤンの顔になってるよ、葉月」
「……っ!」
葉月ははっとして、ゆっくりと椅子に座り直した。
「誰が元ヤンよ」
少し顔を俯いたかと思えば、舞の顔を見て小言を言うように言い返した。
「自覚あるんじゃん」
そう言いながら、舞は葉月が置いたファイルに手を伸ばし取ろうとするが、ガシッとその手を掴まれてしまう。
「舞?」
「はい、すみません」
舞は苦笑いしながらコクリと頭を下げた。
葉月はまだ不満そうだったが、それ以上は何も言わず、掴んだ舞の手を離した。
「舞ー」
少し離れたところから女子生徒の声がした。
二人がそちらを見ると、女子生徒がこちらに向かって手を振っていた。
「あ、呼ばれた。じゃあ、また後でね」
「うん。……あ、舞!」
立ち上がった舞を、葉月が呼び止める。
「それ、無理そうだったらちゃんと言いなよ」
舞が手に持つファイルを指さして忠告する。
「分かってるって」
「絶対だからね!」
「はいはい」
舞はひらひらと手を振り、女子生徒のもとへ向かった。
その途中、一人の男子学生とすれ違う。
すれ違いざま、男子学生はふと足を緩め、何かを感じ取ったように、舞の背中を目で追う。
そして、小さく呟いた。
「……まずいな、あいつ」
グラウンドには、サッカー部の試合を応援する女子高生たちの声が響いていた。
歓声が上がるたび、彼女たちの視線が一斉に動く。
その輪から少し離れた場所に、ばあばが立っていた。
視線の先には、ピッチを駆ける竜の姿がある。
竜にボールが回ってきた。
「あっ……!」
ばあばは、思わず身を乗り出した。
竜がボールを操り、相手選手をかわしていく。
そして、そのままゴールへ。
ボールがネットを揺らした瞬間、グラウンドが歓声に包まれた。
部員たちが竜のもとへ駆け寄り、肩を叩いたり、頭を撫でたりしている。
竜は照れくさそうに笑っていた。
それを見つめるばあばの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。
嬉しそうに、まるで、自分のことのように。
ばあばは、いつまでも竜の姿を目で追っていた。
舞は次の授業が行われる建物を目指し、大学校内を歩いていた。
その後ろを、一人の男子学生が歩いている。
舞は、ふと背後に気配を感じた。
振り返ってみると、少し離れたところに、男子学生が一人いた。
一瞬目が合い、彼はそれに気づくと目線を外した。
舞は前を向き、歩く速度を少しだけ上げた。
背後から聞こえる足音も、速くなる。
──え、誰……。つけられてる?
舞は横目で後ろを窺った。
やはり、一定の距離で舞の後を追っていた。
舞は入口を通り過ぎ、建物の角を曲がると、足早にその陰へと身を隠した。
数秒後、彼が角を曲がってくる。
しかし、そこに舞の姿はなかった。
「あれ……?」
足を止め、周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩みを進める。
そのまま舞の隠れている場所を通り過ぎようとした、その瞬間。
「あなた誰?」
背後から声が飛んできた。
男子生徒はびくりと肩を揺らして振り向いた。
「あ。くそ……」
こちらを睨みつける舞を見て、小さく呟いた。
「私のこと、つけてたよね? どうして?」
舞は彼を警戒しながら、少し距離を取っていた。
その表情に怯えが浮かんでいることに気づき、大和は小さくため息をついた。
「怖がらせて悪い。」
申し訳なさそうに彼は続けた。
「俺は二年の中島大和」
名乗ったところで、舞の警戒は解けなかった。
大和は一度周囲を確認してから、舞に視線を戻した。
「いきなりで悪いんだが……」
そこで、言葉を切った。
少しだけ躊躇うような間があった。
「お前、最近、誰か周りで亡くなった人はいるか?」
「え?」
あまりにも唐突な質問に、舞は思わず目を瞬かせる。
「……あ、ばあばがこの間亡くなったけど……」
「やっぱり」
大和の表情が変わった。
何かを確信したような、あるいは、予想していたことが現実になってしまったような顔だった。
「ちょっと、お前の家行っていいか?」
「いや、ダメだけど」
舞は間髪入れず冷静に答えた。
ふと腕時計を見ると、授業の時間が迫っていた。
「それじゃ」
それだけ言うと、大和に背を向けて歩き出した。
「あ、おい! ちょっと……!」
大和の声が追いかけてきたが、舞は振り返らなかった。
建物の入口から入ると、多くの生徒が授業が始まるまでの間、談笑していた。
やがて、舞の姿が人混みに紛れて見えなくなる。
「……はあ」
大和はその場に立ち尽くし、深いため息をついた。
舞は歩きながら、眉をひそめた。
「なんなの、あいつ」
見知らぬ先輩に突然つけられた挙げ句、亡くなった人がいるかと聞かれ、家に行きたいと言われる。
どう考えても、まともじゃない。
舞は小さく首を振った。
だが、どうしてあの人は、ばあばが亡くなったことを、あんな顔で確かめたのだろうと、舞の中でその疑問が浮かんでいた。
祭壇には、ばあばが好きだった花が飾られていて、舞は、腰を痛めながらも花壇に水をあげていたばあばを、思い出していた。
受付には次から次へと参列者がやってくる。
懐かしい親戚の顔ぶれに言葉を交わす中、会ったこともない人たちも多くいた。
隣で同じように受付する弟の竜は、舞とは違い愛想もよく、親戚が来るとなかなか次の人に対応できず、自然と舞のいる方へ人が流れていった。
「たくさん人来るね」
隣に立つ竜が、会場を見渡しながら呟いた。
「ばあば、人気者だったから」
舞は小さく笑って答えた。
そのとき、少し離れたところから、すすり泣く声が聞こえ、舞と竜は、そちらに目を向けた。
参列者と話しながら、涙を流している女性がいた。
小原今日子。二人の母親だった。
「母さん、ずっと泣いてるね。俺、初めて見たよ」
竜がぽつりと呟く。
「そりゃ、泣くよ。自分の母親が亡くなったんだもん。それに……いきなりだったからね」
そう答えた舞の表情も、次第に曇っていった。
ばあばは数年前、足が悪くなり、歩けなくなった。
それでも、足以外はとても元気だった。
よく喋り、よく笑い、食べることが大好きで、
舞にとって、ばあばはいつだって元気な人だった。
だからこそ、訃報を聞いたときは信じられなかった。
まさか、こんなに突然いなくなってしまうなんて。
「姉ちゃん、俺トイレ行ってきていい?」
「うん。もう人もほとんど来ないし、いいよ」
「ん、ありがと」
竜は受付を離れ、会場の奥へと歩いていった。
一人残された舞は、小さく息を吐く。
「……ほんと、いきなりだよ」
「ごめんね」
不意に、隣から声がし、舞は竜が戻ってきたのかと思った。
「それにしても、随分たくさん来てくれたね」
「だから、ばあばは人気者だ……から……」
何気なく返事をしかけた舞は、ふと口を閉じた。
そして、ゆっくりと右を向く。
そこには、見慣れた顔があった。
「……え?」
舞は瞬きをし、もう一度、目を凝らす。
「ばあば?」
目の前に立っていたのは、亡くなったはずの祖母だった。
舞とばあばは、互いに驚いた顔で見つめ合う。
やがて、ばあばの顔にぱっと笑みが広がった。
「あら、舞には私が見えるの?」
舞は、驚いて何も答えられなかった。
幽霊になったばあばは、そのまま舞とともに舞の住むアパートへ帰ってきた。
帰る途中、ばあばに話しかけられて舞が答えると、周りから変な目で見られることがあった。やはり、自分にしかばあばの姿は見えていないのだと、舞は思った。
それから、ばあばとの生活が始まった。
舞の通う大学の正門を行き交う学生たちの声が、あちらこちらから聞こえてくる。
講義を終えた学生、これから講義に向かう学生、友人と談笑しながら歩く学生。
いつもと変わらない、大学の日常だった。
「あー、今日授業多くてしんどい」
葉月は、食堂の椅子に腰を下ろすなり、机に突っ伏した。
向かいの席に舞が座り、バッグから弁当箱を取り出す。
「最近、お弁当多いね。尊敬するわー」
そう言う葉月はコンビニの袋をドサッとテーブルに置いて、買ってきたパンを開けた。
「まあね。朝早起きしんどいけど」
舞は苦笑いを浮かべた。
弁当箱の蓋を開けると、綺麗に詰められたおかずが顔を出す。
その中に並ぶ、黄色い卵焼きに目がいった。
1つ食べ、舞は今朝のことを思い出していた。
「あー、ちょっと多いわよー」
学生おすすめと宣伝文句が貼られた、二階建ての1Kアパートの一室から、ばあばの呆れたような声が、聞こえてくる。
「そんなに砂糖入れたら、甘すぎるわよ」
舞はキッチンに立ち、その後ろから教官のようにばあばが見守っていた。
卵に対して、大きすぎるボウルを指差し、ばあばは注意する。
眠そうに欠伸をしながら舞はそのまま混ぜようとしていた。
「えー、でもこのくらいじゃない?」
「このくらいじゃないの!ほら、ちょっと捨てなさい。」
ばあばは手で砂糖を捨てるよう促し、舞はもったいないと思い、ほんの少しだけ砂糖をシンクに捨てた。
それを見てばあばは軽くため息をつく。
「ばあば、私眠いよ。いつもお昼はコンビニだったのに……」
卵を混ぜながら文句を言う舞。
そのまま熱したフライパンに流し込んだ。
「ダメよ。お弁当くらい作れるようになんなきゃ! 本当は竜にも教えたいくらいよ」
「竜は男だからいいじゃん」
「ダメ。男ができて当たり前の時代って、この間テレビで言ってたわ」
自信満々に話すばあばに、舞は不安げな顔を向ける。
「……ばあば、テレビに影響されすぎじゃない?」
「何言ってるの。今はそういう時代なのよ」
ばあばはそう言って、舞の手元を覗き込んだ。
「ほら、焦げるわよ!」
「えっ、うわっ!」
慌ててフライパンを動かす舞。
その様子を見て、ばあばは楽しそうに笑っていた。
いつも通りの朝。
少し眠くて、少し面倒で。
それでも、隣にはばあばがいた。
「うわ、甘すぎる」
口に入れた卵焼きの甘さに、舞は思わず顔をしかめる。
その様子を、葉月がじっと見つめていた。
「……何?」
「いや」
葉月は少し迷うように視線を落としてから、口を開いた。
「お祖母さんが亡くなったって連絡きたとき、顔真っ青になってたのに。新潟から帰ってきたら、ケロッとしてるんだもん」
舞はお弁当を食べる箸を止め、葉月に聞き返した。
「え、そんな顔ひどかったの?」
葉月は大きく頷いた。
「酷い。もう、びっくりするくらい。心配で私もついてこうと思ったくらいよ」
「そっか……」
親友にそんなに心配されていたのかと驚きもあり、申し訳なさもあった。
そのまま箸を持ったまま、手をテーブルに置いた。
舞の気持ちに気付いたのか、葉月はホッとしたように笑った。
「でも、今の舞見て少し安心してる」
舞は弁当箱に目を落とし、再び食べ始めた。
──まあ、近くにいるからね
心の中でそう呟き、もう1つ卵焼きを口に運んだ。
やっぱり、甘すぎる。
けれど、今さら味付けを変えることもできない。
舞は黙って、それを飲み込んだ。
ちょうどそのとき、講義の始まりを告げるチャイムが鳴った。食堂にいた学生たちが、少しずつ席を立っていく。
「次、空きコマだから、部室でもいく?」
葉月はコンビニの袋にゴミをまとめ、袋をきゅっと結んだ。
舞もお弁当箱を丁寧にしまった。
「あー、ごめん。頼まれたものやらなきゃいけなくて……」
舞はバッグから一冊のファイルを取り出した。
テーブルに置こうとした瞬間、葉月に奪取され、思わず「あっ。」と声に出てしまうが、舞は諦めて、葉月が戻してくれるのを待った。
葉月は取ったファイルの中身を確認する。
「え、これって舞のやることじゃなくね? だって、他クラスのプレゼン原稿じゃん」
「でも、修正してほしいって頼まれてさ」
気まずそうに舞が話す。
「……はあ?」
葉月の眉間に皺が寄った。
そして、盛大なため息をつき、鋭い目つきで舞を見る。
「舞、断ることも覚えな! 本当あいつら、あたしがいない時を狙って……一発殴ってやろうか!」
勢いよく立ち上がる葉月。
片手に拳を当て、今にもその拳を他人に当てそうな勢いだった。
「大丈夫だから!」
舞は慌てて声を上げた。
「そんな無理な頼みじゃないし。それと、元ヤンの顔になってるよ、葉月」
「……っ!」
葉月ははっとして、ゆっくりと椅子に座り直した。
「誰が元ヤンよ」
少し顔を俯いたかと思えば、舞の顔を見て小言を言うように言い返した。
「自覚あるんじゃん」
そう言いながら、舞は葉月が置いたファイルに手を伸ばし取ろうとするが、ガシッとその手を掴まれてしまう。
「舞?」
「はい、すみません」
舞は苦笑いしながらコクリと頭を下げた。
葉月はまだ不満そうだったが、それ以上は何も言わず、掴んだ舞の手を離した。
「舞ー」
少し離れたところから女子生徒の声がした。
二人がそちらを見ると、女子生徒がこちらに向かって手を振っていた。
「あ、呼ばれた。じゃあ、また後でね」
「うん。……あ、舞!」
立ち上がった舞を、葉月が呼び止める。
「それ、無理そうだったらちゃんと言いなよ」
舞が手に持つファイルを指さして忠告する。
「分かってるって」
「絶対だからね!」
「はいはい」
舞はひらひらと手を振り、女子生徒のもとへ向かった。
その途中、一人の男子学生とすれ違う。
すれ違いざま、男子学生はふと足を緩め、何かを感じ取ったように、舞の背中を目で追う。
そして、小さく呟いた。
「……まずいな、あいつ」
グラウンドには、サッカー部の試合を応援する女子高生たちの声が響いていた。
歓声が上がるたび、彼女たちの視線が一斉に動く。
その輪から少し離れた場所に、ばあばが立っていた。
視線の先には、ピッチを駆ける竜の姿がある。
竜にボールが回ってきた。
「あっ……!」
ばあばは、思わず身を乗り出した。
竜がボールを操り、相手選手をかわしていく。
そして、そのままゴールへ。
ボールがネットを揺らした瞬間、グラウンドが歓声に包まれた。
部員たちが竜のもとへ駆け寄り、肩を叩いたり、頭を撫でたりしている。
竜は照れくさそうに笑っていた。
それを見つめるばあばの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。
嬉しそうに、まるで、自分のことのように。
ばあばは、いつまでも竜の姿を目で追っていた。
舞は次の授業が行われる建物を目指し、大学校内を歩いていた。
その後ろを、一人の男子学生が歩いている。
舞は、ふと背後に気配を感じた。
振り返ってみると、少し離れたところに、男子学生が一人いた。
一瞬目が合い、彼はそれに気づくと目線を外した。
舞は前を向き、歩く速度を少しだけ上げた。
背後から聞こえる足音も、速くなる。
──え、誰……。つけられてる?
舞は横目で後ろを窺った。
やはり、一定の距離で舞の後を追っていた。
舞は入口を通り過ぎ、建物の角を曲がると、足早にその陰へと身を隠した。
数秒後、彼が角を曲がってくる。
しかし、そこに舞の姿はなかった。
「あれ……?」
足を止め、周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩みを進める。
そのまま舞の隠れている場所を通り過ぎようとした、その瞬間。
「あなた誰?」
背後から声が飛んできた。
男子生徒はびくりと肩を揺らして振り向いた。
「あ。くそ……」
こちらを睨みつける舞を見て、小さく呟いた。
「私のこと、つけてたよね? どうして?」
舞は彼を警戒しながら、少し距離を取っていた。
その表情に怯えが浮かんでいることに気づき、大和は小さくため息をついた。
「怖がらせて悪い。」
申し訳なさそうに彼は続けた。
「俺は二年の中島大和」
名乗ったところで、舞の警戒は解けなかった。
大和は一度周囲を確認してから、舞に視線を戻した。
「いきなりで悪いんだが……」
そこで、言葉を切った。
少しだけ躊躇うような間があった。
「お前、最近、誰か周りで亡くなった人はいるか?」
「え?」
あまりにも唐突な質問に、舞は思わず目を瞬かせる。
「……あ、ばあばがこの間亡くなったけど……」
「やっぱり」
大和の表情が変わった。
何かを確信したような、あるいは、予想していたことが現実になってしまったような顔だった。
「ちょっと、お前の家行っていいか?」
「いや、ダメだけど」
舞は間髪入れず冷静に答えた。
ふと腕時計を見ると、授業の時間が迫っていた。
「それじゃ」
それだけ言うと、大和に背を向けて歩き出した。
「あ、おい! ちょっと……!」
大和の声が追いかけてきたが、舞は振り返らなかった。
建物の入口から入ると、多くの生徒が授業が始まるまでの間、談笑していた。
やがて、舞の姿が人混みに紛れて見えなくなる。
「……はあ」
大和はその場に立ち尽くし、深いため息をついた。
舞は歩きながら、眉をひそめた。
「なんなの、あいつ」
見知らぬ先輩に突然つけられた挙げ句、亡くなった人がいるかと聞かれ、家に行きたいと言われる。
どう考えても、まともじゃない。
舞は小さく首を振った。
だが、どうしてあの人は、ばあばが亡くなったことを、あんな顔で確かめたのだろうと、舞の中でその疑問が浮かんでいた。
