ばあば と わたし

オバケなばあば

遺影の中のばあばは、いつもと変わらない笑顔でこちらを見つめていた。
祭壇には、ばあばが好きだった花が飾られていて、舞は、腰を痛めながらも花壇に水をあげていたばあばを、思い出していた。

受付には次から次へと参列者がやってくる。
懐かしい親戚の顔ぶれに言葉を交わす中、会ったこともない人たちも多くいた。

隣で同じように受付する弟の竜は、舞とは違い愛想もよく、親戚が来るとなかなか次の人に対応できず、自然と舞のいる方へ人が流れていった。


「たくさん人来るね」

隣に立つ竜が、会場を見渡しながら呟いた。


「ばあば、人気者だったから」

舞は小さく笑って答えた。
そのとき、少し離れたところから、すすり泣く声が聞こえ、舞と竜は、そちらに目を向けた。


参列者と話しながら、涙を流している女性がいた。
小原今日子。二人の母親だった。


「母さん、ずっと泣いてるね。俺、初めて見たよ」

竜がぽつりと呟く。


「そりゃ、泣くよ。自分の母親が亡くなったんだもん。それに……いきなりだったからね」

そう答えた舞の表情も、次第に曇っていった。

 
ばあばは数年前、足が悪くなり、歩けなくなった。
それでも、足以外はとても元気だった。

よく喋り、よく笑い、食べることが大好きで、
舞にとって、ばあばはいつだって元気な人だった。

だからこそ、訃報を聞いたときは信じられなかった。
まさか、こんなに突然いなくなってしまうなんて。


「姉ちゃん、俺トイレ行ってきていい?」

「うん。もう人もほとんど来ないし、いいよ」

「ん、ありがと」

竜は受付を離れ、会場の奥へと歩いていった。
一人残された舞は、小さく息を吐く。


「……ほんと、いきなりだよ」


「ごめんね」

不意に、隣から声がし、舞は竜が戻ってきたのかと思った。


「それにしても、随分たくさん来てくれたね」


「だから、ばあばは人気者だ……から……」

何気なく返事をしかけた舞は、ふと口を閉じた。
そして、ゆっくりと右を向く。
そこには、見慣れた顔があった。

「……え?」

舞は瞬きをし、もう一度、目を凝らす。

「ばあば?」

目の前に立っていたのは、亡くなったはずの祖母だった。
舞とばあばは、互いに驚いた顔で見つめ合う。


やがて、ばあばの顔にぱっと笑みが広がった。

「あら、舞には私が見えるの?」

舞は、驚いて何も答えられなかった。


幽霊になったばあばは、そのまま舞とともに舞の住むアパートへ帰ってきた。
帰る途中、ばあばに話しかけられて舞が答えると、周りから変な目で見られることがあった。やはり、自分にしかばあばの姿は見えていないのだと、舞は思った。

それから、ばあばとの生活が始まった。



舞の通う大学の正門を行き交う学生たちの声が、あちらこちらから聞こえてくる。
講義を終えた学生、これから講義に向かう学生、友人と談笑しながら歩く学生。
いつもと変わらない、大学の日常だった。



「あー、今日授業多くてしんどい」

葉月は、食堂の椅子に腰を下ろすなり、机に突っ伏した。
向かいの席に舞が座り、バッグから弁当箱を取り出す。

「最近、お弁当多いね。尊敬するわー」

そう言う葉月はコンビニの袋をドサッとテーブルに置いて、買ってきたパンを開けた。


「まあね。朝早起きしんどいけど」

舞は苦笑いを浮かべた。
弁当箱の蓋を開けると、綺麗に詰められたおかずが顔を出す。
その中に並ぶ、黄色い卵焼きに目がいった。
1つ食べ、舞は今朝のことを思い出していた。



「あー、ちょっと多いわよー」

学生おすすめと宣伝文句が貼られた、二階建ての1Kアパートの一室から、ばあばの呆れたような声が、聞こえてくる。

「そんなに砂糖入れたら、甘すぎるわよ」

舞はキッチンに立ち、その後ろから教官のようにばあばが見守っていた。
卵に対して、大きすぎるボウルを指差し、ばあばは注意する。


眠そうに欠伸をしながら舞はそのまま混ぜようとしていた。

「えー、でもこのくらいじゃない?」


「このくらいじゃないの!ほら、ちょっと捨てなさい。」

ばあばは手で砂糖を捨てるよう促し、舞はもったいないと思い、ほんの少しだけ砂糖をシンクに捨てた。
それを見てばあばは軽くため息をつく。


「ばあば、私眠いよ。いつもお昼はコンビニだったのに……」

卵を混ぜながら文句を言う舞。
そのまま熱したフライパンに流し込んだ。


「ダメよ。お弁当くらい作れるようになんなきゃ! 本当は竜にも教えたいくらいよ」


「竜は男だからいいじゃん」


「ダメ。男ができて当たり前の時代って、この間テレビで言ってたわ」


自信満々に話すばあばに、舞は不安げな顔を向ける。

「……ばあば、テレビに影響されすぎじゃない?」


「何言ってるの。今はそういう時代なのよ」

ばあばはそう言って、舞の手元を覗き込んだ。

「ほら、焦げるわよ!」


「えっ、うわっ!」

慌ててフライパンを動かす舞。
その様子を見て、ばあばは楽しそうに笑っていた。

いつも通りの朝。
少し眠くて、少し面倒で。
それでも、隣にはばあばがいた。





「うわ、甘すぎる」

口に入れた卵焼きの甘さに、舞は思わず顔をしかめる。
その様子を、葉月がじっと見つめていた。

「……何?」


「いや」

葉月は少し迷うように視線を落としてから、口を開いた。

「お祖母さんが亡くなったって連絡きたとき、顔真っ青になってたのに。新潟から帰ってきたら、ケロッとしてるんだもん」

舞はお弁当を食べる箸を止め、葉月に聞き返した。

「え、そんな顔ひどかったの?」


葉月は大きく頷いた。

「酷い。もう、びっくりするくらい。心配で私もついてこうと思ったくらいよ」


「そっか……」

親友にそんなに心配されていたのかと驚きもあり、申し訳なさもあった。
そのまま箸を持ったまま、手をテーブルに置いた。


舞の気持ちに気付いたのか、葉月はホッとしたように笑った。

「でも、今の舞見て少し安心してる」



舞は弁当箱に目を落とし、再び食べ始めた。

──まあ、近くにいるからね

心の中でそう呟き、もう1つ卵焼きを口に運んだ。
やっぱり、甘すぎる。
けれど、今さら味付けを変えることもできない。
舞は黙って、それを飲み込んだ。


ちょうどそのとき、講義の始まりを告げるチャイムが鳴った。食堂にいた学生たちが、少しずつ席を立っていく。

「次、空きコマだから、部室でもいく?」

葉月はコンビニの袋にゴミをまとめ、袋をきゅっと結んだ。


舞もお弁当箱を丁寧にしまった。

「あー、ごめん。頼まれたものやらなきゃいけなくて……」

舞はバッグから一冊のファイルを取り出した。
テーブルに置こうとした瞬間、葉月に奪取され、思わず「あっ。」と声に出てしまうが、舞は諦めて、葉月が戻してくれるのを待った。


葉月は取ったファイルの中身を確認する。

「え、これって舞のやることじゃなくね? だって、他クラスのプレゼン原稿じゃん」


「でも、修正してほしいって頼まれてさ」

気まずそうに舞が話す。


「……はあ?」

葉月の眉間に皺が寄った。
そして、盛大なため息をつき、鋭い目つきで舞を見る。

「舞、断ることも覚えな! 本当あいつら、あたしがいない時を狙って……一発殴ってやろうか!」

勢いよく立ち上がる葉月。
片手に拳を当て、今にもその拳を他人に当てそうな勢いだった。


「大丈夫だから!」

舞は慌てて声を上げた。

「そんな無理な頼みじゃないし。それと、元ヤンの顔になってるよ、葉月」


「……っ!」

葉月ははっとして、ゆっくりと椅子に座り直した。

「誰が元ヤンよ」

少し顔を俯いたかと思えば、舞の顔を見て小言を言うように言い返した。


「自覚あるんじゃん」

そう言いながら、舞は葉月が置いたファイルに手を伸ばし取ろうとするが、ガシッとその手を掴まれてしまう。


「舞?」

「はい、すみません」

舞は苦笑いしながらコクリと頭を下げた。
葉月はまだ不満そうだったが、それ以上は何も言わず、掴んだ舞の手を離した。


「舞ー」

少し離れたところから女子生徒の声がした。
二人がそちらを見ると、女子生徒がこちらに向かって手を振っていた。

「あ、呼ばれた。じゃあ、また後でね」


「うん。……あ、舞!」

立ち上がった舞を、葉月が呼び止める。

「それ、無理そうだったらちゃんと言いなよ」

舞が手に持つファイルを指さして忠告する。


「分かってるって」


「絶対だからね!」


「はいはい」

舞はひらひらと手を振り、女子生徒のもとへ向かった。
その途中、一人の男子学生とすれ違う。


すれ違いざま、男子学生はふと足を緩め、何かを感じ取ったように、舞の背中を目で追う。

そして、小さく呟いた。

「……まずいな、あいつ」




グラウンドには、サッカー部の試合を応援する女子高生たちの声が響いていた。
歓声が上がるたび、彼女たちの視線が一斉に動く。

その輪から少し離れた場所に、ばあばが立っていた。
視線の先には、ピッチを駆ける竜の姿がある。

竜にボールが回ってきた。


「あっ……!」

ばあばは、思わず身を乗り出した。
竜がボールを操り、相手選手をかわしていく。
そして、そのままゴールへ。
ボールがネットを揺らした瞬間、グラウンドが歓声に包まれた。

部員たちが竜のもとへ駆け寄り、肩を叩いたり、頭を撫でたりしている。
竜は照れくさそうに笑っていた。

それを見つめるばあばの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。
嬉しそうに、まるで、自分のことのように。

ばあばは、いつまでも竜の姿を目で追っていた。




舞は次の授業が行われる建物を目指し、大学校内を歩いていた。
その後ろを、一人の男子学生が歩いている。

舞は、ふと背後に気配を感じた。
振り返ってみると、少し離れたところに、男子学生が一人いた。

一瞬目が合い、彼はそれに気づくと目線を外した。

舞は前を向き、歩く速度を少しだけ上げた。
背後から聞こえる足音も、速くなる。


──え、誰……。つけられてる?

舞は横目で後ろを窺った。
やはり、一定の距離で舞の後を追っていた。
舞は入口を通り過ぎ、建物の角を曲がると、足早にその陰へと身を隠した。


数秒後、彼が角を曲がってくる。
しかし、そこに舞の姿はなかった。

「あれ……?」

足を止め、周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩みを進める。
そのまま舞の隠れている場所を通り過ぎようとした、その瞬間。


「あなた誰?」


背後から声が飛んできた。
男子生徒はびくりと肩を揺らして振り向いた。

「あ。くそ……」

こちらを睨みつける舞を見て、小さく呟いた。


「私のこと、つけてたよね? どうして?」

舞は彼を警戒しながら、少し距離を取っていた。
その表情に怯えが浮かんでいることに気づき、大和は小さくため息をついた。


「怖がらせて悪い。」

申し訳なさそうに彼は続けた。

「俺は二年の中島大和」


名乗ったところで、舞の警戒は解けなかった。
大和は一度周囲を確認してから、舞に視線を戻した。

「いきなりで悪いんだが……」

そこで、言葉を切った。
少しだけ躊躇うような間があった。

「お前、最近、誰か周りで亡くなった人はいるか?」



「え?」

あまりにも唐突な質問に、舞は思わず目を瞬かせる。

「……あ、ばあばがこの間亡くなったけど……」


「やっぱり」

大和の表情が変わった。
何かを確信したような、あるいは、予想していたことが現実になってしまったような顔だった。

「ちょっと、お前の家行っていいか?」



「いや、ダメだけど」

舞は間髪入れず冷静に答えた。
ふと腕時計を見ると、授業の時間が迫っていた。

「それじゃ」

それだけ言うと、大和に背を向けて歩き出した。


「あ、おい! ちょっと……!」

大和の声が追いかけてきたが、舞は振り返らなかった。
建物の入口から入ると、多くの生徒が授業が始まるまでの間、談笑していた。
やがて、舞の姿が人混みに紛れて見えなくなる。

「……はあ」

大和はその場に立ち尽くし、深いため息をついた。


舞は歩きながら、眉をひそめた。

「なんなの、あいつ」

見知らぬ先輩に突然つけられた挙げ句、亡くなった人がいるかと聞かれ、家に行きたいと言われる。
どう考えても、まともじゃない。

舞は小さく首を振った。

だが、どうしてあの人は、ばあばが亡くなったことを、あんな顔で確かめたのだろうと、舞の中でその疑問が浮かんでいた。

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